イグニハイド
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「……あ」
「あっ」
廊下の角を曲がったところで声が重なった。
「イデア先輩」
「ど、ども……ななし氏」
イデアは視線を逸らす。
「……今日も資料運び?」
「はい」
「偉いですな……」
「イデア先輩はどちらへ?」
「僕? 僕はただの移動イベントなので」
「移動イベントですか?」
「……っす」
ななしが思わず笑うとイデアは肩を震わせた。
「わ、笑われた……」
「違います、面白かったので」
「同じでは?」
「違いますよ」
「……と、図書室まで行くなら、途中まで同じ方向だけど」
「本当ですか?」
「嫌じゃなければ……ですが」
「嫌じゃないです」
「……そ、そう」
近すぎず遠すぎず、隣を歩く。
イデアはその距離を崩さない。
◇
「そういえば」
「ひゃい」
「び、びっくりしました」
「急に話しかけられると処理が追いつかないので……」
「この前貸してくださったゲーム、クリアしました」
イデアが止まる。
「……は?」
「クリアしました」
「隠しエンドは?」
「見ました」
「サブイベントは?」
「全部回収しました」
「嘘でしょ」
「攻略を見ながらですが」
イデアはしばらく黙った。
「拙者、あれ初回プレイ百時間超えたんですけど」
「わたしもそのくらいやり込みましたよ」
「ま?」
「おかげで寝不足です」
そう言うななしは真剣な表情だった。
「わたし嬉しかったんです」
「え?」
「イデア先輩がおすすめしてくださったゲームだったので」
イデアの足が止まる。
「……なんで嬉しいの」
「おすすめしてくださったからです」
「意味がわからない」
「そうですか?」
「普通、義理でそこまで遊ばないでしょ」
「義理じゃないので」
「……」
「ゲーム自体も面白かったですし」
イデアは返事をしなかった。
ただ、少しだけ歩く速度が速くなった。
◇
「ななし氏」
「はい?」
「なんで僕と普通に話せるの」
「普通に?」
「僕みたいなのって話しかけにくいし面倒くさいし陰気だし」
「そんなことありません」
「ある」
即答だった。
「僕が一番知ってる」
静かな声だった。
「そのうち嫌になるんだろうなって思ってる」
「……」
「距離が近くなると無理になるんだよ」
「イデア先輩」
「だから別にいいんですけど」
全然よくなさそうな顔だった。
「そういうの、慣れてるし」
「わたしは嫌になってませんよ」
「今はね」
「今もです」
「未来は保証できないでしょ」
「イデア先輩もわたしのことを嫌いになるかもしれません」
イデアは目を瞬く。
「それはない」
「即答ですね」
「ないから」
「どうしてですか?」
「それは……」
言葉が止まる。
「……ななし氏がいると調子狂う」
「悪口ですか?」
「違う違う違う」
「ならよかったです」
「普通さ、僕みたいなのって好かれる要素ないじゃん」
「また言ってますね」
「事実ですし」
「優しいですし」
「それはバグ」
「面白いですし」
「それもバグ」
「話していて楽しいですし」
「錯覚ですな」
「イデア先輩」
名前を呼ばれる。
それだけでイデアの胸が騒ぐ。
「先輩、自己評価低すぎません?」
「適正値です」
「違います」
「……」
「わたしは好きですよ」
イデアの思考が止まった。
「え、」
「あ、」
沈黙。
「……いま」
「わ、忘れてください」
「無理」
「お願いします」
「好きって」
「今のなしです!」
「ログ残ってますが」
「消してください!」
イデアは笑った。
「……そっか」
小さな声だった。
「……好きなんだ」
「……はい」
「うん、そっか」
イデアは嬉しそうだった。
「怖かった」
「怖い?」
「期待したから」
イデアは視線を落とす。
「好きって言われて、嬉しかった」
「……」
「でも勘違いだったら終わるし」
「イデア先輩」
「僕、勝手に期待して勝手に傷つくの得意なんだよね」
静かな声。
「君が僕を嫌ってくれたら、どんなに楽になれただろうって思う」
「そんなこと言わないでください」
「だってさ、」
ようやく視線が合う。
「嫌われる前提の方が安心なんだよ」
「わたしは嫌いになりません」
「未来は保証できないでしょ」
「それでも今は好きです」
イデアは息を止める。
「……」
「ちゃんとイデア先輩が好きです」
「……ま、待って」
「はい」
「情報量が多い」
「す、すみません」
「謝らないで」
イデアは顔を覆った。
「処理が追いつかない」
「落ちましたか?」
「爆発した」
思わず笑う。
「ななし氏」
「はい」
「僕も……好き」
静かな声だった。
「ずっと好きだった」
「……」
「でも無理だと思ってた」
「どうしてですか?」
「僕だから」
「またそれですか」
「事実だし」
「でも、わたしは好きです」
イデアは困ったように笑った。
「ななし氏って、頑固だよね」
「イデア先輩ほどじゃありません」
「それは否定できない」
小さく笑い合う。
それだけのことなのに妙に落ち着かなかった。
沈黙が落ちるが気まずいわけではない。
ただお互いに今まで抱えていたものが急になくなってどうしていいかわからなくなっていた。
先に口を開いたのはイデアだった。
「……ねぇ」
「なんですか?」
「本当に後悔しない?」
「何をですか?」
「僕を好きなこと」
冗談を言うみたいな軽い声だった。
けれどその奥にある不安は隠しきれていなかった。
「今ならまだ返品できますけど」
「しませんよ」
即答だった。
イデアは少し目を見開く。
「そんなに即答されると逆に怖いんですが」
「イデア先輩こそ」
「僕?」
「わたしを嫌いにならないでくださいね」
イデアは一瞬黙った。
「……それは多分、無理」
「無理ですか?」
「うん」
照れくさそうに視線を逸らす。
「努力しても無理なやつ」
思わず笑ってしまう。
「なんですかそれ」
「僕にもわからない」
イデアも小さく笑った。
「でもさ」
「はい」
「もしまた僕が勝手に落ち込んで勝手に嫌われたって思い込んでたら、その時は否定してほしい」
真っ直ぐな声だった。
「僕、多分一回じゃ信じきれないから」
その言葉にななしは少しだけ目を細めた。
「何回でも言いますよ」
「……」
「イデア先輩が嫌になるくらい」
「それはないな」
今度は迷わなかった。
「絶対ない」
イデアは小さく息を吐く。
長い間、胸の奥に引っかかっていたものが少しだけ軽くなった気がした。
嫌われるかもしれない。
離れていくかもしれない。
その不安が消えたわけではない。
きっとこれからも何度も顔を出す。
それでも……
「……じゃあ、僕も頑張る」
「何をですか?」
「信じるのを」
少しだけ照れたように笑う。
「ななし氏のこと」
ななしが頷く。
その反応にイデアの表情が和らいだ。
「……やっぱり不思議だ」
「何がですか?」
「僕のこと好きな人がいるなんて」
「ここにいますよ」
「うん」
今度は否定しなかった。
疑いもしなかった。
「……知ってる」
その言葉は誰かに言い聞かせるためのものじゃない。
ようやく自分自身に向けて言えた言葉だった。
「あっ」
廊下の角を曲がったところで声が重なった。
「イデア先輩」
「ど、ども……ななし氏」
イデアは視線を逸らす。
「……今日も資料運び?」
「はい」
「偉いですな……」
「イデア先輩はどちらへ?」
「僕? 僕はただの移動イベントなので」
「移動イベントですか?」
「……っす」
ななしが思わず笑うとイデアは肩を震わせた。
「わ、笑われた……」
「違います、面白かったので」
「同じでは?」
「違いますよ」
「……と、図書室まで行くなら、途中まで同じ方向だけど」
「本当ですか?」
「嫌じゃなければ……ですが」
「嫌じゃないです」
「……そ、そう」
近すぎず遠すぎず、隣を歩く。
イデアはその距離を崩さない。
◇
「そういえば」
「ひゃい」
「び、びっくりしました」
「急に話しかけられると処理が追いつかないので……」
「この前貸してくださったゲーム、クリアしました」
イデアが止まる。
「……は?」
「クリアしました」
「隠しエンドは?」
「見ました」
「サブイベントは?」
「全部回収しました」
「嘘でしょ」
「攻略を見ながらですが」
イデアはしばらく黙った。
「拙者、あれ初回プレイ百時間超えたんですけど」
「わたしもそのくらいやり込みましたよ」
「ま?」
「おかげで寝不足です」
そう言うななしは真剣な表情だった。
「わたし嬉しかったんです」
「え?」
「イデア先輩がおすすめしてくださったゲームだったので」
イデアの足が止まる。
「……なんで嬉しいの」
「おすすめしてくださったからです」
「意味がわからない」
「そうですか?」
「普通、義理でそこまで遊ばないでしょ」
「義理じゃないので」
「……」
「ゲーム自体も面白かったですし」
イデアは返事をしなかった。
ただ、少しだけ歩く速度が速くなった。
◇
「ななし氏」
「はい?」
「なんで僕と普通に話せるの」
「普通に?」
「僕みたいなのって話しかけにくいし面倒くさいし陰気だし」
「そんなことありません」
「ある」
即答だった。
「僕が一番知ってる」
静かな声だった。
「そのうち嫌になるんだろうなって思ってる」
「……」
「距離が近くなると無理になるんだよ」
「イデア先輩」
「だから別にいいんですけど」
全然よくなさそうな顔だった。
「そういうの、慣れてるし」
「わたしは嫌になってませんよ」
「今はね」
「今もです」
「未来は保証できないでしょ」
「イデア先輩もわたしのことを嫌いになるかもしれません」
イデアは目を瞬く。
「それはない」
「即答ですね」
「ないから」
「どうしてですか?」
「それは……」
言葉が止まる。
「……ななし氏がいると調子狂う」
「悪口ですか?」
「違う違う違う」
「ならよかったです」
「普通さ、僕みたいなのって好かれる要素ないじゃん」
「また言ってますね」
「事実ですし」
「優しいですし」
「それはバグ」
「面白いですし」
「それもバグ」
「話していて楽しいですし」
「錯覚ですな」
「イデア先輩」
名前を呼ばれる。
それだけでイデアの胸が騒ぐ。
「先輩、自己評価低すぎません?」
「適正値です」
「違います」
「……」
「わたしは好きですよ」
イデアの思考が止まった。
「え、」
「あ、」
沈黙。
「……いま」
「わ、忘れてください」
「無理」
「お願いします」
「好きって」
「今のなしです!」
「ログ残ってますが」
「消してください!」
イデアは笑った。
「……そっか」
小さな声だった。
「……好きなんだ」
「……はい」
「うん、そっか」
イデアは嬉しそうだった。
「怖かった」
「怖い?」
「期待したから」
イデアは視線を落とす。
「好きって言われて、嬉しかった」
「……」
「でも勘違いだったら終わるし」
「イデア先輩」
「僕、勝手に期待して勝手に傷つくの得意なんだよね」
静かな声。
「君が僕を嫌ってくれたら、どんなに楽になれただろうって思う」
「そんなこと言わないでください」
「だってさ、」
ようやく視線が合う。
「嫌われる前提の方が安心なんだよ」
「わたしは嫌いになりません」
「未来は保証できないでしょ」
「それでも今は好きです」
イデアは息を止める。
「……」
「ちゃんとイデア先輩が好きです」
「……ま、待って」
「はい」
「情報量が多い」
「す、すみません」
「謝らないで」
イデアは顔を覆った。
「処理が追いつかない」
「落ちましたか?」
「爆発した」
思わず笑う。
「ななし氏」
「はい」
「僕も……好き」
静かな声だった。
「ずっと好きだった」
「……」
「でも無理だと思ってた」
「どうしてですか?」
「僕だから」
「またそれですか」
「事実だし」
「でも、わたしは好きです」
イデアは困ったように笑った。
「ななし氏って、頑固だよね」
「イデア先輩ほどじゃありません」
「それは否定できない」
小さく笑い合う。
それだけのことなのに妙に落ち着かなかった。
沈黙が落ちるが気まずいわけではない。
ただお互いに今まで抱えていたものが急になくなってどうしていいかわからなくなっていた。
先に口を開いたのはイデアだった。
「……ねぇ」
「なんですか?」
「本当に後悔しない?」
「何をですか?」
「僕を好きなこと」
冗談を言うみたいな軽い声だった。
けれどその奥にある不安は隠しきれていなかった。
「今ならまだ返品できますけど」
「しませんよ」
即答だった。
イデアは少し目を見開く。
「そんなに即答されると逆に怖いんですが」
「イデア先輩こそ」
「僕?」
「わたしを嫌いにならないでくださいね」
イデアは一瞬黙った。
「……それは多分、無理」
「無理ですか?」
「うん」
照れくさそうに視線を逸らす。
「努力しても無理なやつ」
思わず笑ってしまう。
「なんですかそれ」
「僕にもわからない」
イデアも小さく笑った。
「でもさ」
「はい」
「もしまた僕が勝手に落ち込んで勝手に嫌われたって思い込んでたら、その時は否定してほしい」
真っ直ぐな声だった。
「僕、多分一回じゃ信じきれないから」
その言葉にななしは少しだけ目を細めた。
「何回でも言いますよ」
「……」
「イデア先輩が嫌になるくらい」
「それはないな」
今度は迷わなかった。
「絶対ない」
イデアは小さく息を吐く。
長い間、胸の奥に引っかかっていたものが少しだけ軽くなった気がした。
嫌われるかもしれない。
離れていくかもしれない。
その不安が消えたわけではない。
きっとこれからも何度も顔を出す。
それでも……
「……じゃあ、僕も頑張る」
「何をですか?」
「信じるのを」
少しだけ照れたように笑う。
「ななし氏のこと」
ななしが頷く。
その反応にイデアの表情が和らいだ。
「……やっぱり不思議だ」
「何がですか?」
「僕のこと好きな人がいるなんて」
「ここにいますよ」
「うん」
今度は否定しなかった。
疑いもしなかった。
「……知ってる」
その言葉は誰かに言い聞かせるためのものじゃない。
ようやく自分自身に向けて言えた言葉だった。
