ハーツラビュル
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「……トレイ先輩って」
「ん?」
「怒ることあります?」
本から視線を上げたトレイが小さく笑った。
「怒らないように見えるか?」
「怒ってるところ見たことない気がして」
「あるぞ、普通に」
「想像つかない」
「ハーツラビュルの副寮長やってるんだぞ?」
「それは知ってますけど」
「ルール破りを見逃してるように見えるか?」
「リドル先輩に叱られないようにそっと促してるイメージです」
言いながらななしは肩をすくめた。
トレイは呆れたように息を吐く。
「お前の中の俺はどんな人間なんだ」
「優しい人」
即答だった。
一拍遅れてトレイが目を瞬く。
「……随分評価が高いな」
「高くないですよ」
「買いかぶりだ」
「そんなことないです」
「あるだろ」
「ない」
「あるって」
子どものような応酬にトレイが笑う。
その顔が妙に穏やかで、ななしは少しだけ口を尖らせた。
「ほらそういうところです」
「どういうところだ?」
「余裕そうなところ」
「余裕?」
「何があっても困らなそう」
「そんなわけないだろ」
「でもトレイ先輩って慌てないし」
「慌てる時は慌てるよ」
「……見たことない」
「見せてないだけだ」
その返事が妙に真面目で、ななしは首を傾げた。
トレイは本を閉じる。
「お前さ、俺を何だと思ってる?」
「トレイ先輩?」
「そういう意味じゃない」
「えー……面倒見がいい先輩」
「他は」
「優しい」
「他」
「怒らない」
「最初に戻ったな」
「あと甘やかしてくれる」
「それは……否定できない」
「ほら」
「だがな、優しいのと何でも許すのは別だぞ」
「知ってます」
「それに俺だって男だからな」
何気なく言われた言葉にななしは瞬きをした。
「……?」
「聞こえなかったか?」
「聞こえましたけど意味が分からないです」
「分からなくていいよ」
「気になります」
「気にするな」
「無理」
「お前そういうところだぞ」
「どういうところですか?」
「自覚がないところ」
ますます意味が分からない。
トレイは苦笑したまま話を切り上げるように本を開き直した。
けれどその日の会話は妙に頭に残った。
◇
「トレイ先輩」
「ん?」
「この前の、どういう意味だったんですか?」
「……まだ覚えてたのか」
「気になるって言ったのに教えてくれなかった」
「忘れろ」
「無理」
「お前、結構しつこいんだな」
「教えてくれるまで聞きます」
「その粘り強さを別のところに使え」
トレイはペンを置いて額を押さえた。
「例えば?」
「勉強とか」
「してます」
「なら偉いな」
「褒めて誤魔化した?」
「誤魔化してないよ」
「絶対誤魔化した!」
トレイはしばらく黙っていた。
やがて諦めたように息を吐く。
「……簡単に言うとだな」
「うん」
「恋人だからって何でも平気なわけじゃないってことだ」
「何でも?」
「距離感とか色々だ」
「わたし変なことしました?」
「してない」
「なら良かった」
「ただ」
「ただ?」
「たまに心配になる」
「心配?」
「お前、警戒心薄いだろ」
「そうですか?」
「そうだ」
即答だった。
「俺相手だからって油断しすぎてる」
「だってトレイ先輩ですよ?」
「だからその理屈がおかしい」
「でもトレイ先輩だし」
「……ほらな」
トレイが苦笑する。
「信頼してくれるのは嬉しいよ」
「うん」
「だが信頼と油断は違う」
「……難しい」
「難しくない」
トレイは少しだけ視線を逸らした。
「試すような真似をするな」
「え?」
「俺の理性を信じるなよ」
思わず言葉が止まる。
トレイは冗談を言っている顔ではなかった。
「……トレイ先輩でも?」
「俺でもだ」
「そんなこと言われても」
「俺は聖人じゃない」
「……」
「お前の恋人で、普通の男だ」
静かな声だった。
叱られているわけではない。
けれど妙に胸に残る。
「……ごめんなさい」
「謝る話じゃない」
「でも、」
「覚えとけってだけだ」
トレイは困ったように笑った。
「優しい男ほど安全とは限らないぞ」
「トレイ先輩に警戒しろって言われると思わなかった」
「言い方が悪かったか」
「嫌だったわけじゃないけど」
「けど?」
「何か変な感じです」
トレイは少し考えた。
「じゃあ聞くが、俺が他のやつに同じこと言ってたらどう思う?」
「正しいと思う」
「だろ?」
「でもわたしたち付き合ってますよね」
「……だからだよ」
「少しくらい進んだっていいじゃないですか」
「進みたいのか?」
「……」
「俺が遠慮なく手を出してもいいってことか?」
「それは、」
「お前がそのつもりなら、俺だって引き返す気はないけど?」
眼鏡の奥の瞳がいつになく真剣で熱い。
「大事だから言うんだ」
「……」
「お前が安心して隣にいられるように俺もちゃんと線を引く」
「線?」
「越えちゃまずい線」
「トレイ先輩が?」
「俺が」
「……越えるの?」
「場合によるな」
「えっ」
「冗談だ」
「絶対冗談じゃない顔でした」
「気のせいだろ」
「絶対違う」
トレイが笑う。
その余裕そうな顔に、また少しだけむっとする。
「やっぱり余裕そう」
「そう見えるだけだ」
「ほんとですか?」
「ああ」
「証拠は?」
「証拠?」
トレイが黙る。
嫌な予感がした。
「……お前な」
「うん?」
「本当に分かってないんだな」
「何が?」
「そういうことを言うなって話だ」
「?」
「分からないならそのままでいろ」
「気になります」
「気にするな」
「またそれ」
「便利な言葉だからな」
◇
「トレイ先輩」
「何だ?」
「試すような真似って例えば?」
「まだ続くのか」
「だって気になります」
「好奇心旺盛だな」
「褒めてくれてます?」
「半分くらい」
トレイは考えるように視線を上げた。
「例えば」
「うん」
「わざと距離を詰めたり」
「……」
「反応を見るためにからかったり」
「……」
「平気そうだから大丈夫だろって無茶をしたり」
言いながらトレイの視線が向く。
まっすぐだった。
「心当たりある顔だな」
「ありません」
「嘘が下手だぞ」
「……少しだけ」
「少しか?」
「少し」
「そうか」
「怒りましたか?」
「いや」
「呆れた?」
「少し」
「……ごめんなさい」
「だから謝る話じゃないって」
トレイは苦笑する。
「ただな、試される側って案外余裕ないんだぞ」
「そうなんですか?」
「そうだ」
「知らなかった」
「だろうな」
トレイは椅子から立ち上がった。
そのままななしの前で足を止める。
「近い」
「そうだな」
「トレイ先輩?」
「これくらいで意識するか?」
「……します」
「俺もする」
予想外の返事だった。
「え、」
「驚くことか?」
「だってトレイ先輩だし」
「またそれか」
「だって」
「俺を万能か何かだと思ってるな?」
「思ってないです」
「思ってる」
否定できない。
トレイは小さく笑った。
「分かっただろ」
「……少し」
「少しか」
「かなり」
「それならいい」
距離が戻る。
それだけなのに、なぜかほっとした。
そして少しだけ惜しいとも思った。
そんな自分に驚く。
「顔赤いぞ」
「トレイ先輩のせい」
「理不尽だな」
「先輩が悪い」
「どこがだ」
「分かんないけど悪い」
「横暴だ」
笑い声が重なる。
その空気が心地よかった。
「なあ、今後もし俺が止めろって言ったら」
「うん」
「ちゃんと止まれよ」
「……分かりました」
「約束な」
「約束します」
「よし」
「トレイ先輩は?」
「俺?」
「トレイ先輩も無茶しない?」
「努力する」
「努力なの?」
「人間だからな」
「信用ないなあ」
「お互い様だろ」
「それはそうかも」
「だろ?」
トレイが笑う。
穏やかで、安心する笑い方だった。
けれどそれだけじゃないことも分かった。
優しい人だ。
面倒見もいい。
甘やかしてくれる。
怒ることは少ない。
でもそれだけじゃない。
ちゃんと一人の男で。
ちゃんと恋人で。
だからこそ線を引いてくれる。
守るために。
壊さないために。
「……トレイ先輩」
「ん?」
「ありがとうございます」
「急だな」
「言いたくなっただけ」
「そうか」
トレイは少し目を細めた。
「じゃあ俺も言っとくか」
「何を?」
「信用してくれてありがとな」
「うん」
「ただし」
「ただし?」
「過信はするな」
「覚えました」
「本当か?」
「多分……」
「怪しいな」
「努力します」
「それは俺の台詞だろ」
また笑う。
その距離は近い。
けれど近すぎない。
踏み越えない。
踏み越えさせない。
ハーツラビュルの厳しいルールみたいに。
守るべきものがあるからこそ境界線には意味がある。
「そろそろ帰るか」
「うん」
「門限まで時間ないぞ」
「副寮長っぽい」
「副寮長だからな」
「恋人より?」
「場合による」
「ずるい答え」
「便利な答えだろ」
「認めた」
「認めたな」
並んで歩く。
触れそうで触れない距離。
けれど不思議と遠くは感じなかった。
「なあななし」
「なんですか?」
「本当に試すような真似はするなよ」
「分かってます」
「ならいい」
「でも、」
「でも?」
「少しくらい困らせてみたい気持ちはあります」
トレイが立ち止まる。
「お前なあ……」
「冗談です」
「その冗談が危ないって言ってる」
「うん」
「返事が軽い」
「気をつけます」
少しだけ間が空く。
そしてトレイが小さく笑った。
「まあ、」
「うん?」
「困らされるのは嫌いじゃないがな」
「どっち?」
「秘密だ」
「ずるい」
「大人の特権だ」
「絶対違う」
「そうかもな」
笑いながら歩き出す。
追いかけるように隣へ並ぶ。
近くて、安心できて、だけど時々どきりとする。
そのくらいが、きっと今の二人にはちょうどいい。
「ん?」
「怒ることあります?」
本から視線を上げたトレイが小さく笑った。
「怒らないように見えるか?」
「怒ってるところ見たことない気がして」
「あるぞ、普通に」
「想像つかない」
「ハーツラビュルの副寮長やってるんだぞ?」
「それは知ってますけど」
「ルール破りを見逃してるように見えるか?」
「リドル先輩に叱られないようにそっと促してるイメージです」
言いながらななしは肩をすくめた。
トレイは呆れたように息を吐く。
「お前の中の俺はどんな人間なんだ」
「優しい人」
即答だった。
一拍遅れてトレイが目を瞬く。
「……随分評価が高いな」
「高くないですよ」
「買いかぶりだ」
「そんなことないです」
「あるだろ」
「ない」
「あるって」
子どものような応酬にトレイが笑う。
その顔が妙に穏やかで、ななしは少しだけ口を尖らせた。
「ほらそういうところです」
「どういうところだ?」
「余裕そうなところ」
「余裕?」
「何があっても困らなそう」
「そんなわけないだろ」
「でもトレイ先輩って慌てないし」
「慌てる時は慌てるよ」
「……見たことない」
「見せてないだけだ」
その返事が妙に真面目で、ななしは首を傾げた。
トレイは本を閉じる。
「お前さ、俺を何だと思ってる?」
「トレイ先輩?」
「そういう意味じゃない」
「えー……面倒見がいい先輩」
「他は」
「優しい」
「他」
「怒らない」
「最初に戻ったな」
「あと甘やかしてくれる」
「それは……否定できない」
「ほら」
「だがな、優しいのと何でも許すのは別だぞ」
「知ってます」
「それに俺だって男だからな」
何気なく言われた言葉にななしは瞬きをした。
「……?」
「聞こえなかったか?」
「聞こえましたけど意味が分からないです」
「分からなくていいよ」
「気になります」
「気にするな」
「無理」
「お前そういうところだぞ」
「どういうところですか?」
「自覚がないところ」
ますます意味が分からない。
トレイは苦笑したまま話を切り上げるように本を開き直した。
けれどその日の会話は妙に頭に残った。
◇
「トレイ先輩」
「ん?」
「この前の、どういう意味だったんですか?」
「……まだ覚えてたのか」
「気になるって言ったのに教えてくれなかった」
「忘れろ」
「無理」
「お前、結構しつこいんだな」
「教えてくれるまで聞きます」
「その粘り強さを別のところに使え」
トレイはペンを置いて額を押さえた。
「例えば?」
「勉強とか」
「してます」
「なら偉いな」
「褒めて誤魔化した?」
「誤魔化してないよ」
「絶対誤魔化した!」
トレイはしばらく黙っていた。
やがて諦めたように息を吐く。
「……簡単に言うとだな」
「うん」
「恋人だからって何でも平気なわけじゃないってことだ」
「何でも?」
「距離感とか色々だ」
「わたし変なことしました?」
「してない」
「なら良かった」
「ただ」
「ただ?」
「たまに心配になる」
「心配?」
「お前、警戒心薄いだろ」
「そうですか?」
「そうだ」
即答だった。
「俺相手だからって油断しすぎてる」
「だってトレイ先輩ですよ?」
「だからその理屈がおかしい」
「でもトレイ先輩だし」
「……ほらな」
トレイが苦笑する。
「信頼してくれるのは嬉しいよ」
「うん」
「だが信頼と油断は違う」
「……難しい」
「難しくない」
トレイは少しだけ視線を逸らした。
「試すような真似をするな」
「え?」
「俺の理性を信じるなよ」
思わず言葉が止まる。
トレイは冗談を言っている顔ではなかった。
「……トレイ先輩でも?」
「俺でもだ」
「そんなこと言われても」
「俺は聖人じゃない」
「……」
「お前の恋人で、普通の男だ」
静かな声だった。
叱られているわけではない。
けれど妙に胸に残る。
「……ごめんなさい」
「謝る話じゃない」
「でも、」
「覚えとけってだけだ」
トレイは困ったように笑った。
「優しい男ほど安全とは限らないぞ」
「トレイ先輩に警戒しろって言われると思わなかった」
「言い方が悪かったか」
「嫌だったわけじゃないけど」
「けど?」
「何か変な感じです」
トレイは少し考えた。
「じゃあ聞くが、俺が他のやつに同じこと言ってたらどう思う?」
「正しいと思う」
「だろ?」
「でもわたしたち付き合ってますよね」
「……だからだよ」
「少しくらい進んだっていいじゃないですか」
「進みたいのか?」
「……」
「俺が遠慮なく手を出してもいいってことか?」
「それは、」
「お前がそのつもりなら、俺だって引き返す気はないけど?」
眼鏡の奥の瞳がいつになく真剣で熱い。
「大事だから言うんだ」
「……」
「お前が安心して隣にいられるように俺もちゃんと線を引く」
「線?」
「越えちゃまずい線」
「トレイ先輩が?」
「俺が」
「……越えるの?」
「場合によるな」
「えっ」
「冗談だ」
「絶対冗談じゃない顔でした」
「気のせいだろ」
「絶対違う」
トレイが笑う。
その余裕そうな顔に、また少しだけむっとする。
「やっぱり余裕そう」
「そう見えるだけだ」
「ほんとですか?」
「ああ」
「証拠は?」
「証拠?」
トレイが黙る。
嫌な予感がした。
「……お前な」
「うん?」
「本当に分かってないんだな」
「何が?」
「そういうことを言うなって話だ」
「?」
「分からないならそのままでいろ」
「気になります」
「気にするな」
「またそれ」
「便利な言葉だからな」
◇
「トレイ先輩」
「何だ?」
「試すような真似って例えば?」
「まだ続くのか」
「だって気になります」
「好奇心旺盛だな」
「褒めてくれてます?」
「半分くらい」
トレイは考えるように視線を上げた。
「例えば」
「うん」
「わざと距離を詰めたり」
「……」
「反応を見るためにからかったり」
「……」
「平気そうだから大丈夫だろって無茶をしたり」
言いながらトレイの視線が向く。
まっすぐだった。
「心当たりある顔だな」
「ありません」
「嘘が下手だぞ」
「……少しだけ」
「少しか?」
「少し」
「そうか」
「怒りましたか?」
「いや」
「呆れた?」
「少し」
「……ごめんなさい」
「だから謝る話じゃないって」
トレイは苦笑する。
「ただな、試される側って案外余裕ないんだぞ」
「そうなんですか?」
「そうだ」
「知らなかった」
「だろうな」
トレイは椅子から立ち上がった。
そのままななしの前で足を止める。
「近い」
「そうだな」
「トレイ先輩?」
「これくらいで意識するか?」
「……します」
「俺もする」
予想外の返事だった。
「え、」
「驚くことか?」
「だってトレイ先輩だし」
「またそれか」
「だって」
「俺を万能か何かだと思ってるな?」
「思ってないです」
「思ってる」
否定できない。
トレイは小さく笑った。
「分かっただろ」
「……少し」
「少しか」
「かなり」
「それならいい」
距離が戻る。
それだけなのに、なぜかほっとした。
そして少しだけ惜しいとも思った。
そんな自分に驚く。
「顔赤いぞ」
「トレイ先輩のせい」
「理不尽だな」
「先輩が悪い」
「どこがだ」
「分かんないけど悪い」
「横暴だ」
笑い声が重なる。
その空気が心地よかった。
「なあ、今後もし俺が止めろって言ったら」
「うん」
「ちゃんと止まれよ」
「……分かりました」
「約束な」
「約束します」
「よし」
「トレイ先輩は?」
「俺?」
「トレイ先輩も無茶しない?」
「努力する」
「努力なの?」
「人間だからな」
「信用ないなあ」
「お互い様だろ」
「それはそうかも」
「だろ?」
トレイが笑う。
穏やかで、安心する笑い方だった。
けれどそれだけじゃないことも分かった。
優しい人だ。
面倒見もいい。
甘やかしてくれる。
怒ることは少ない。
でもそれだけじゃない。
ちゃんと一人の男で。
ちゃんと恋人で。
だからこそ線を引いてくれる。
守るために。
壊さないために。
「……トレイ先輩」
「ん?」
「ありがとうございます」
「急だな」
「言いたくなっただけ」
「そうか」
トレイは少し目を細めた。
「じゃあ俺も言っとくか」
「何を?」
「信用してくれてありがとな」
「うん」
「ただし」
「ただし?」
「過信はするな」
「覚えました」
「本当か?」
「多分……」
「怪しいな」
「努力します」
「それは俺の台詞だろ」
また笑う。
その距離は近い。
けれど近すぎない。
踏み越えない。
踏み越えさせない。
ハーツラビュルの厳しいルールみたいに。
守るべきものがあるからこそ境界線には意味がある。
「そろそろ帰るか」
「うん」
「門限まで時間ないぞ」
「副寮長っぽい」
「副寮長だからな」
「恋人より?」
「場合による」
「ずるい答え」
「便利な答えだろ」
「認めた」
「認めたな」
並んで歩く。
触れそうで触れない距離。
けれど不思議と遠くは感じなかった。
「なあななし」
「なんですか?」
「本当に試すような真似はするなよ」
「分かってます」
「ならいい」
「でも、」
「でも?」
「少しくらい困らせてみたい気持ちはあります」
トレイが立ち止まる。
「お前なあ……」
「冗談です」
「その冗談が危ないって言ってる」
「うん」
「返事が軽い」
「気をつけます」
少しだけ間が空く。
そしてトレイが小さく笑った。
「まあ、」
「うん?」
「困らされるのは嫌いじゃないがな」
「どっち?」
「秘密だ」
「ずるい」
「大人の特権だ」
「絶対違う」
「そうかもな」
笑いながら歩き出す。
追いかけるように隣へ並ぶ。
近くて、安心できて、だけど時々どきりとする。
そのくらいが、きっと今の二人にはちょうどいい。
