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「ねえ、ななし」
呼び止められて振り返ると、エースが壁にもたれたままこちらを見ていた。
「貸してよ、それ」
「何を?」
「ノート」
「三回目だよ」
「細かいなあ」
「細かくない」
「じゃあ四回目かも」
「増えた」
エースが笑う。
その顔が妙に機嫌がいい。
「で、貸してくれんの?」
「ちゃんと返してくれるなら」
「オレって信用ない?」
「前科があるからね」
「ななしってば、ひどい」
言いながらもエースはノートを受け取った。
「サンキュ」
「今度こそ返してね」
「善処します」
「返す気ないでしょ」
「半分くらいはある」
「半分しかないんだ」
「オレにしては高い方」
そんなやり取りがいつから当たり前になったのか、もう思い出せない。
◇
「でさ、デュースのやつが真顔でさ」
「ふふっ」
「笑うとこそこ?」
「だって想像できるから」
「オレは被害者なんだけど?」
「エースも大概だからね」
「味方してくれねえ」
昼休み。
他愛ない話をしているだけなのに時間が妙に早い。
エースは机に頬を乗せながらこちらを見る。
「そういやさ」
「ん?」
「今度の休みって空いてる?」
「どうしたの?」
「別に」
「別にって」
「ちょっと付き合ってほしい用事」
「買い物とか?」
「そんな感じ」
「いいよ」
「即答」
「嫌だった?」
「いや全然」
エースが目を逸らした。
「……断られるかと思った」
「なんで?」
「なんとなく」
「断らないよ」
「そ」
短い返事。
けれどその横顔は少しだけ安心したように見えた。
◇
「遅い」
「待ち合わせ五分前だけど」
「オレ基準では遅い」
「理不尽」
「褒め言葉として受け取っといて」
「受け取らない」
エースが笑う。
「行こ」
「どこいくの?」
「秘密」
「なんで?」
「面白そうだから」
「理由になってない」
「オレの中ではなってんの」
結局、着いた先でようやく理由が分かった。
「あ」
「限定メニュー、今日までなんだよね」
「それで誘ってくれたの?」
「まあ」
「デュースたちも喜びそうなのに、わたしとでよかったの?」
「……お前、鈍いな」
「何が?」
「……別に」
エースが視線を逸らす。
「お前とがいいなと思っただけ」
「え?」
「なんでもない」
聞き返しても、それ以上は言わなかった。
◇
「ごちそうさま」
「満足?」
「うん」
「ならよかった」
帰り道を並んで歩く。
沈黙が落ちる。
けれど肩が触れそうな距離のせいか、不思議と気まずくはない。
「ねえ」
「ん?」
「最近さ」
エースが珍しく言葉を探していた。
「お前、あいつと仲良いよな」
「あいつ?」
「ほら、あの先輩」
「ああ」
「よく話してるじゃん」
「そうだね」
「……ふーん」
「どうしたの?」
「別に」
「今日、二回目」
「便利な言葉なんだよ」
エースが小さく笑った。
「でもさ」
「うん」
「オレ以外とも、ああやって笑うんだなって思って」
「それはそうでしょ」
「だよな」
妙に軽い声。
なのに、その表情は笑っていなかった。
◇
その日から少しずつ変わった。
「一緒に帰ろう」
「今?」
「今」
「急だね」
「急に誘いたくなった」
「ふふっ、なにそれ」
「笑うなって!」
前より距離が近くなった。
前よりよく話しかけられるようになった。
「エース」
「ん?」
「最近どうしたの?」
「何が?」
「なんか変」
「ひどくね?」
「だって前より――」
言いかけて止まる。
前より優しい。
前より近い。
前より。
「前より?」
「……なんでもない」
「気になるんだけど」
「秘密」
「ずりー」
エースが眉を寄せる。
その顔が少しだけ子供っぽくて思わず笑った。
◇
「ねえエース」
「んー?」
「今日静かだね」
「考え事」
「珍しい」
「失礼すぎるだろ」
「で、何考えてるの?」
「言わない」
「また秘密?」
「そう」
「教えてよ」
「無理、言ったら困るし」
「困る?」
「お前が」
意味が分からない。
問い返そうとした時だった。
「あ、」
聞き慣れた声に振り返る。
別の知り合いがこちらへ歩いてくる。
少し話して、またねと別れる。
振り返るとエースがじっとこちらを見ていた。
「エース?」
「……楽しそうだったな」
「え?」
「いや」
「普通に話してただけだよ」
「知ってる」
エースが笑う。
「知ってるけどさ」
その笑顔はどこか無理をしているようだった。
「オレさ」
ぽつりと落ちた声。
「最近、自分でもめんどくせえなって思う」
「どうしたの急に」
「お前が誰と話してても気になるし」
「……え?」
「楽しそうにしてんの見ると安心するくせに、ちょっと腹立つ」
「エース」
「こういうの柄じゃないんだけどねー」
笑ってはいるが目は笑っていない。
「オレといる時だけ笑ってろとか思わねえよ」
「……」
「そんな権利ないし」
「……」
「でも……忘れられるのは嫌だなって思う」
「忘れないよ」
「うん」
「忘れない」
「知ってる」
エースは笑った。
「でもさ、人って忘れるじゃん」
「……」
「会えなくなったらさ」
軽い口調。
けれど声だけが少し違う。
「そのうちオレのこと思い出さなくなるんだろうなって考える」
「そんなこと――」
「あるよ」
即答だった。
「オレだってそうだったし」
視線が落ちる。
「仲良かった奴とも、いつの間にか話さなくなって」
「エース」
「だから嫌なんだよな」
困ったように笑う。
諦めたように。
「嫌われる方がまだマシだ」
「エース……」
「嫌いなやつって忘れないだろ?」
言葉が出なかった。
「……いいよ、嫌われても」
エースが笑う。
「忘れられるよりは、百倍マシ」
「それ、本気で言ってるの?」
「半分くらい」
「嘘」
「バレた?」
「バレるよ」
エースが肩をすくめる。
「でも半分は本当」
「嫌われたいわけじゃない」
「うん」
「でも忘れられるくらいなら、嫌われた方がマシ」
「なんでそんなこと言うの」
「好きだから」
時間が止まった気がした。
周囲の喧騒すら遠ざかり、心臓の音だけがやけに大きく響く。
エースは目を逸らさない。
逃げない。
冗談みたいな顔もしない。
「好きなんだよ」
静かな声。
「気がついたら目で追ってる」
「……」
「めちゃくちゃ好き」
エースが笑った。
「誰と話してんのか、誰と笑ってんのかも全部気になる」
「……」
「オレじゃない奴と楽しそうにしてほしくない」
「エース……」
「最低だろ?」
首を横に振る。
「最低じゃない」
「優しいな」
「優しくないよ」
「いや、優しいだろ」
エースが息を吐いた。
「でも返事は今いらない」
「え?」
「ちゃんと考えて」
「……」
「オレ待つの得意じゃないけど」
「うん」
「頑張るから」
◇
「エース」
「ん?」
「前に言ってたよね」
「何を?」
「忘れられるのが嫌だって」
「あー」
「わたしも嫌だよ」
エースが瞬きをした。
「エースを忘れるの嫌」
「……」
「だから忘れない」
「それだけ?」
「それだけじゃないかも」
「それって期待していい?」
「どうだろう」
「そこで焦らすのズルくない?」
「エースが待つって言ったから」
「ぐうの音も出ねえ」
笑う。
エースも笑う。
「でもさ」
「ん?」
「オレ今、すげえ安心してる」
「どうして?」
「忘れられないって、分かったから」
「うん」
「それに」
エースが少しだけ照れたように笑った。
「嫌われてもいいとか言っといてなんだけど」
「うん」
「やっぱ嫌われたくないや」
「知ってる」
「バレてた?」
「バレバレ」
「マジかよ」
「エース分かりやすいもん」
「ショック」
「でも、そういうところ好きだよ」
エースが固まる。
数秒遅れて顔をしかめた。
「それ反則でしょ」
「なんで?」
「オレだけ動揺してんじゃん」
「知らない」
「ずる」
「お互いさま」
エースが笑う。
今度は無理をしていない笑顔だった。
「……ねえ」
「ん?」
「これからもさ」
「うん」
「ちゃんとオレのこと覚えといて」
「忘れないよ」
「絶対?」
「絶対」
エースが小さく息を吐く。
「よかった」
「うん」
「オレも忘れない」
「うん」
「何年経っても」
「うん」
「忘れようとしても無理なくらい」
少し照れくさそうに笑う。
「オレ、結構しつこいから」
「知ってる」
「ひど」
「褒めてる」
「それなら許す」
並んで歩く。
少し近くなった距離のまま。
エースは肩の力が抜け、少しだけ安心したように笑っていた。
呼び止められて振り返ると、エースが壁にもたれたままこちらを見ていた。
「貸してよ、それ」
「何を?」
「ノート」
「三回目だよ」
「細かいなあ」
「細かくない」
「じゃあ四回目かも」
「増えた」
エースが笑う。
その顔が妙に機嫌がいい。
「で、貸してくれんの?」
「ちゃんと返してくれるなら」
「オレって信用ない?」
「前科があるからね」
「ななしってば、ひどい」
言いながらもエースはノートを受け取った。
「サンキュ」
「今度こそ返してね」
「善処します」
「返す気ないでしょ」
「半分くらいはある」
「半分しかないんだ」
「オレにしては高い方」
そんなやり取りがいつから当たり前になったのか、もう思い出せない。
◇
「でさ、デュースのやつが真顔でさ」
「ふふっ」
「笑うとこそこ?」
「だって想像できるから」
「オレは被害者なんだけど?」
「エースも大概だからね」
「味方してくれねえ」
昼休み。
他愛ない話をしているだけなのに時間が妙に早い。
エースは机に頬を乗せながらこちらを見る。
「そういやさ」
「ん?」
「今度の休みって空いてる?」
「どうしたの?」
「別に」
「別にって」
「ちょっと付き合ってほしい用事」
「買い物とか?」
「そんな感じ」
「いいよ」
「即答」
「嫌だった?」
「いや全然」
エースが目を逸らした。
「……断られるかと思った」
「なんで?」
「なんとなく」
「断らないよ」
「そ」
短い返事。
けれどその横顔は少しだけ安心したように見えた。
◇
「遅い」
「待ち合わせ五分前だけど」
「オレ基準では遅い」
「理不尽」
「褒め言葉として受け取っといて」
「受け取らない」
エースが笑う。
「行こ」
「どこいくの?」
「秘密」
「なんで?」
「面白そうだから」
「理由になってない」
「オレの中ではなってんの」
結局、着いた先でようやく理由が分かった。
「あ」
「限定メニュー、今日までなんだよね」
「それで誘ってくれたの?」
「まあ」
「デュースたちも喜びそうなのに、わたしとでよかったの?」
「……お前、鈍いな」
「何が?」
「……別に」
エースが視線を逸らす。
「お前とがいいなと思っただけ」
「え?」
「なんでもない」
聞き返しても、それ以上は言わなかった。
◇
「ごちそうさま」
「満足?」
「うん」
「ならよかった」
帰り道を並んで歩く。
沈黙が落ちる。
けれど肩が触れそうな距離のせいか、不思議と気まずくはない。
「ねえ」
「ん?」
「最近さ」
エースが珍しく言葉を探していた。
「お前、あいつと仲良いよな」
「あいつ?」
「ほら、あの先輩」
「ああ」
「よく話してるじゃん」
「そうだね」
「……ふーん」
「どうしたの?」
「別に」
「今日、二回目」
「便利な言葉なんだよ」
エースが小さく笑った。
「でもさ」
「うん」
「オレ以外とも、ああやって笑うんだなって思って」
「それはそうでしょ」
「だよな」
妙に軽い声。
なのに、その表情は笑っていなかった。
◇
その日から少しずつ変わった。
「一緒に帰ろう」
「今?」
「今」
「急だね」
「急に誘いたくなった」
「ふふっ、なにそれ」
「笑うなって!」
前より距離が近くなった。
前よりよく話しかけられるようになった。
「エース」
「ん?」
「最近どうしたの?」
「何が?」
「なんか変」
「ひどくね?」
「だって前より――」
言いかけて止まる。
前より優しい。
前より近い。
前より。
「前より?」
「……なんでもない」
「気になるんだけど」
「秘密」
「ずりー」
エースが眉を寄せる。
その顔が少しだけ子供っぽくて思わず笑った。
◇
「ねえエース」
「んー?」
「今日静かだね」
「考え事」
「珍しい」
「失礼すぎるだろ」
「で、何考えてるの?」
「言わない」
「また秘密?」
「そう」
「教えてよ」
「無理、言ったら困るし」
「困る?」
「お前が」
意味が分からない。
問い返そうとした時だった。
「あ、」
聞き慣れた声に振り返る。
別の知り合いがこちらへ歩いてくる。
少し話して、またねと別れる。
振り返るとエースがじっとこちらを見ていた。
「エース?」
「……楽しそうだったな」
「え?」
「いや」
「普通に話してただけだよ」
「知ってる」
エースが笑う。
「知ってるけどさ」
その笑顔はどこか無理をしているようだった。
「オレさ」
ぽつりと落ちた声。
「最近、自分でもめんどくせえなって思う」
「どうしたの急に」
「お前が誰と話してても気になるし」
「……え?」
「楽しそうにしてんの見ると安心するくせに、ちょっと腹立つ」
「エース」
「こういうの柄じゃないんだけどねー」
笑ってはいるが目は笑っていない。
「オレといる時だけ笑ってろとか思わねえよ」
「……」
「そんな権利ないし」
「……」
「でも……忘れられるのは嫌だなって思う」
「忘れないよ」
「うん」
「忘れない」
「知ってる」
エースは笑った。
「でもさ、人って忘れるじゃん」
「……」
「会えなくなったらさ」
軽い口調。
けれど声だけが少し違う。
「そのうちオレのこと思い出さなくなるんだろうなって考える」
「そんなこと――」
「あるよ」
即答だった。
「オレだってそうだったし」
視線が落ちる。
「仲良かった奴とも、いつの間にか話さなくなって」
「エース」
「だから嫌なんだよな」
困ったように笑う。
諦めたように。
「嫌われる方がまだマシだ」
「エース……」
「嫌いなやつって忘れないだろ?」
言葉が出なかった。
「……いいよ、嫌われても」
エースが笑う。
「忘れられるよりは、百倍マシ」
「それ、本気で言ってるの?」
「半分くらい」
「嘘」
「バレた?」
「バレるよ」
エースが肩をすくめる。
「でも半分は本当」
「嫌われたいわけじゃない」
「うん」
「でも忘れられるくらいなら、嫌われた方がマシ」
「なんでそんなこと言うの」
「好きだから」
時間が止まった気がした。
周囲の喧騒すら遠ざかり、心臓の音だけがやけに大きく響く。
エースは目を逸らさない。
逃げない。
冗談みたいな顔もしない。
「好きなんだよ」
静かな声。
「気がついたら目で追ってる」
「……」
「めちゃくちゃ好き」
エースが笑った。
「誰と話してんのか、誰と笑ってんのかも全部気になる」
「……」
「オレじゃない奴と楽しそうにしてほしくない」
「エース……」
「最低だろ?」
首を横に振る。
「最低じゃない」
「優しいな」
「優しくないよ」
「いや、優しいだろ」
エースが息を吐いた。
「でも返事は今いらない」
「え?」
「ちゃんと考えて」
「……」
「オレ待つの得意じゃないけど」
「うん」
「頑張るから」
◇
「エース」
「ん?」
「前に言ってたよね」
「何を?」
「忘れられるのが嫌だって」
「あー」
「わたしも嫌だよ」
エースが瞬きをした。
「エースを忘れるの嫌」
「……」
「だから忘れない」
「それだけ?」
「それだけじゃないかも」
「それって期待していい?」
「どうだろう」
「そこで焦らすのズルくない?」
「エースが待つって言ったから」
「ぐうの音も出ねえ」
笑う。
エースも笑う。
「でもさ」
「ん?」
「オレ今、すげえ安心してる」
「どうして?」
「忘れられないって、分かったから」
「うん」
「それに」
エースが少しだけ照れたように笑った。
「嫌われてもいいとか言っといてなんだけど」
「うん」
「やっぱ嫌われたくないや」
「知ってる」
「バレてた?」
「バレバレ」
「マジかよ」
「エース分かりやすいもん」
「ショック」
「でも、そういうところ好きだよ」
エースが固まる。
数秒遅れて顔をしかめた。
「それ反則でしょ」
「なんで?」
「オレだけ動揺してんじゃん」
「知らない」
「ずる」
「お互いさま」
エースが笑う。
今度は無理をしていない笑顔だった。
「……ねえ」
「ん?」
「これからもさ」
「うん」
「ちゃんとオレのこと覚えといて」
「忘れないよ」
「絶対?」
「絶対」
エースが小さく息を吐く。
「よかった」
「うん」
「オレも忘れない」
「うん」
「何年経っても」
「うん」
「忘れようとしても無理なくらい」
少し照れくさそうに笑う。
「オレ、結構しつこいから」
「知ってる」
「ひど」
「褒めてる」
「それなら許す」
並んで歩く。
少し近くなった距離のまま。
エースは肩の力が抜け、少しだけ安心したように笑っていた。
