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「ねえ、小エビちゃん」
背後から降ってきた声はどこか間の抜けた、それでいて逆らいがたい重さを持っていた。
「フロイド先輩。お疲れ様です」
「んー、お疲れ。ねえ、今何してたの」
「次の授業の準備を少し。周りがみんな移動しちゃって静かだったので、残ってノートをまとめてました。フロイド先輩は次の時間、移動教室ですか?」
「気分じゃないからサボり。なんか今日、購買もすっごい並んだしさー。歩くだけで疲れちゃった」
「お昼休みの購買はいつも戦場ですからね。お目当てのものは買えたんですか?」
「買えなかった。だから別の適当なやつ食った。小エビちゃんは何食ったの?」
「私は食堂でオムライスを食べましたよ」
「ふーん、いいなー。オレもそっちにすればよかった。あーあ、なんかもう午後からの授業とかマジだるい。小エビちゃんは眠くなんないの?」
「それは少し眠くなりますけど……でも、ちゃんと出席しないと後が大変ですし」
「相変わらず真面目だねー」
「そうですか? 普通に過ごしているだけですけど」
「そういうところがもうすでに真面目」
いつもと変わらない気まぐれな様子にななしは口元に手を当て、くすくすと笑い声を漏らすも、じっと観察するようなフロイドの視線にななしの笑い声が少し小さくなった。
「……フロイド先輩?」
「小エビちゃん、ちょっと手、出して」
「手、ですか?」
「そう、手。早く早く」
促されるままに右手が差し出されると、フロイドはそれを覗き込むようにして自分の大きな手をその隣に並べた。
「うわ、ちっさ」
「フロイド先輩が大きすぎるんですよ。身長もですけど、わたしからしたら規格外です」
「そう? オレ普通だよ? ジェイドもこれくらいだし」
そう言いながらフロイドは並べた手をさらに近づけた。指の長さも手のひらの厚みも何もかもが違っている。大人と子供のような差がそこにはあった。
「ほら、合わせてみてよ」
「こうですか?」
手のひらが合わされる。皮膚の熱が直接お互いに伝わっていく。ななしの指先はフロイドの第二関節のあたりにしか届かない。
「あはは、小エビちゃんの手、おもちゃみたい」
「おもちゃって失礼な。これでもちゃんと役に立ってます」
「何に? 魔法も使えないのに、この小さな手で何ができるの?」
からかうような言葉。けれどその声には悪意ではなく、ただ純粋な興味とほんの少しの愉悦が混ざっている。
「ペンを握ったり、ノートを取ったり、こうしてフロイド先輩と手を合わせたりできます」
「へぇ、言うようになったじゃん」
フロイドの視線が合わさった手のひらに落とされる。じっと見つめられる時間が流れ室内に沈黙が落ちた。
「……あの、もういいですか?」
手を離そうとするも、手のひらは離れなかった。それどころか合わされていたフロイドの長い指が、すべるようにして動き始める。
「だめ。まだ離してあげない」
「えっ」
フロイドの指がななしの指の隙間に一本ずつ割り込んでくる。節の張った大きな指が根元まで深く差し込まれていく。
「フロイド先輩?」
「ん? なに」
「あの……」
「いいじゃん、手の大きさ比べるの、まだ終わってないし」
ゆっくりと確実に指が噛み合わされていく。逆らおうとする力など最初から計算に入っていないかのような圧倒的な力加減だった。フロイドの長い指がななしの甲を包み込むようにして折れ曲がり、完全に指が絡み合う。
「こうするとさ、オレの手の中に小エビちゃんの手が全部隠れちゃいそう」
絡み合わされた指に力が込められる。骨が軋むほどではないけれど決して抜け出せない強さ。
「……あの、近いです」
「何が? 手が?」
「手も、そうですけど」
フロイドはさらに顔を近づけて様子を観察するように覗き込んできた。
「小エビちゃん緊張してんの?」
「それは、急にこんなことされたら誰でも驚きます」
「オレは驚かないよ?」
「先輩は仕掛けてる側じゃないですか」
「あはは、確かに。でも小エビちゃんの手、柔らかくて気持ちいいから、ずっとこうしてたいかも」
絡めた指をフロイドはわざとらしく少しだけ動かした。皮膚と皮膚が擦れ合う感覚がふたりの間に生々しく響く。
「あの、授業始まっちゃいます」
「オレが飽きるまで、このままでいてよ」
「フロイド先輩、困ります」
「えー、オレは楽しいのに」
悪戯っぽく笑う彼の指は、さらに深く強く手を締め付けていく。向けられる視線が、まっすぐにななしを捉えて離さなかった。
「……っ、フロイド先輩」
「なに? 離してほしい?」
「だって……授業に遅れたら本当に困りますし、ジェイド先輩やアズール先輩が見たら、また何か言われます」
「ジェイドもアズールも関係ないじゃん。今ここにいないし」
フロイドは可笑しそうに肩を揺らすと絡めた指先をさらに強く引いた。ふたりの距離がもう一段階縮まる。
「そんなにオレとこうしてるの、嫌?」
「嫌、というわけでは……」
「じゃあいいじゃん。小エビちゃん、さっきから言い訳ばっか」
じっと覗き込んでくるフロイドの瞳。気まぐれな彼の機嫌を損ねれば、この拘束がいつまで続くか分かったものではなかった。
「……ただ、その、恥ずかしいです」
ななしが視線を落としながらそう呟くと、フロイドの動きが僅かに止まった。
「恥ずかしい?」
「はい。こんな風に手を繋がれたこと、ないですから」
「ふーん。そっか」
フロイドは低く呟き、絡め合わせた互いの指先を見つめた。
彼が少しだけ力を抜くと微かな隙間ができる。しかし離される気配は微塵もなかった。フロイドはその長い親指を使い、ななしの親指の付け根の柔らかい部分を、ゆっくりと撫でるように往復させ始める。
「オレたちってこれ、手繋いでるの?」
「違いますか?」
「んー、オレの中では手の大きさを比べてるだけ。ほら、ここが全然違う、とかさ」
フロイドは指の腹を滑らせななしの爪の形をひとつひとつなぞっていく。くすぐったいような、それでいて皮膚の奥まで熱が染み渡るような、奇妙な感覚が室内に満ちていく。
「でも、小エビちゃんがそう思うなら、そうなのかな」
「フロイド先輩?」
「小エビちゃんの手、本当にあったかいね。オレ、海の中にいるときはこういう温かさってよく分かんなかった」
「……先輩」
「あーあ、なんかこうしてると次の授業だけじゃなくて全部サボりたくなってきた。このままどっか静かなとこ行っちゃおっか」
「それは駄目です。ちゃんと教室に戻ってください」
「えー、やだ。小エビちゃんが一緒についてきてくれるなら行ってもいいけど」
フロイドはそう言って、再び指を深く絡め直した。がっちりと組み合わされた手のひらからは先ほどよりも強い主張が伝わってくる。
「どうする? オレと一緒に来る?」
悪戯っぽい笑みを浮かべたフロイドの顔が、目と鼻の先まで迫っていた。逃がさないと告げるような強い視線と指先に込められた確かな質量が、ななしの返答をじっと待っている。
「フロイド先輩、本当に授業はじまっちゃいます」
「じゃあさ、次の休み時間もオレの相手してくれたら今は離してあげてもいーよ」
「次の休み時間も、ですか?」
「そう。約束破ったら次はもっと面白いことしちゃうから」
楽しげに目を細めたフロイドが、ようやくゆっくりと指の力を抜いていく。絡み合っていた長い指がすべるように離れると、ななしの手のひらには彼に強く握られていた残熱だけが鮮明に残された。
自由になった手を引き戻すと、フロイドは満足そうに身を起こし長い足を翻して歩き出す。
「じゃ、また後でね、小エビちゃん」
ひらひらと大きな手を振り返りながら、彼は気まぐれな足取りで廊下へと消えていった。ななしはまだ赤みが引かない自分の右手を、そっと見つめ直すことしかできなかった。
背後から降ってきた声はどこか間の抜けた、それでいて逆らいがたい重さを持っていた。
「フロイド先輩。お疲れ様です」
「んー、お疲れ。ねえ、今何してたの」
「次の授業の準備を少し。周りがみんな移動しちゃって静かだったので、残ってノートをまとめてました。フロイド先輩は次の時間、移動教室ですか?」
「気分じゃないからサボり。なんか今日、購買もすっごい並んだしさー。歩くだけで疲れちゃった」
「お昼休みの購買はいつも戦場ですからね。お目当てのものは買えたんですか?」
「買えなかった。だから別の適当なやつ食った。小エビちゃんは何食ったの?」
「私は食堂でオムライスを食べましたよ」
「ふーん、いいなー。オレもそっちにすればよかった。あーあ、なんかもう午後からの授業とかマジだるい。小エビちゃんは眠くなんないの?」
「それは少し眠くなりますけど……でも、ちゃんと出席しないと後が大変ですし」
「相変わらず真面目だねー」
「そうですか? 普通に過ごしているだけですけど」
「そういうところがもうすでに真面目」
いつもと変わらない気まぐれな様子にななしは口元に手を当て、くすくすと笑い声を漏らすも、じっと観察するようなフロイドの視線にななしの笑い声が少し小さくなった。
「……フロイド先輩?」
「小エビちゃん、ちょっと手、出して」
「手、ですか?」
「そう、手。早く早く」
促されるままに右手が差し出されると、フロイドはそれを覗き込むようにして自分の大きな手をその隣に並べた。
「うわ、ちっさ」
「フロイド先輩が大きすぎるんですよ。身長もですけど、わたしからしたら規格外です」
「そう? オレ普通だよ? ジェイドもこれくらいだし」
そう言いながらフロイドは並べた手をさらに近づけた。指の長さも手のひらの厚みも何もかもが違っている。大人と子供のような差がそこにはあった。
「ほら、合わせてみてよ」
「こうですか?」
手のひらが合わされる。皮膚の熱が直接お互いに伝わっていく。ななしの指先はフロイドの第二関節のあたりにしか届かない。
「あはは、小エビちゃんの手、おもちゃみたい」
「おもちゃって失礼な。これでもちゃんと役に立ってます」
「何に? 魔法も使えないのに、この小さな手で何ができるの?」
からかうような言葉。けれどその声には悪意ではなく、ただ純粋な興味とほんの少しの愉悦が混ざっている。
「ペンを握ったり、ノートを取ったり、こうしてフロイド先輩と手を合わせたりできます」
「へぇ、言うようになったじゃん」
フロイドの視線が合わさった手のひらに落とされる。じっと見つめられる時間が流れ室内に沈黙が落ちた。
「……あの、もういいですか?」
手を離そうとするも、手のひらは離れなかった。それどころか合わされていたフロイドの長い指が、すべるようにして動き始める。
「だめ。まだ離してあげない」
「えっ」
フロイドの指がななしの指の隙間に一本ずつ割り込んでくる。節の張った大きな指が根元まで深く差し込まれていく。
「フロイド先輩?」
「ん? なに」
「あの……」
「いいじゃん、手の大きさ比べるの、まだ終わってないし」
ゆっくりと確実に指が噛み合わされていく。逆らおうとする力など最初から計算に入っていないかのような圧倒的な力加減だった。フロイドの長い指がななしの甲を包み込むようにして折れ曲がり、完全に指が絡み合う。
「こうするとさ、オレの手の中に小エビちゃんの手が全部隠れちゃいそう」
絡み合わされた指に力が込められる。骨が軋むほどではないけれど決して抜け出せない強さ。
「……あの、近いです」
「何が? 手が?」
「手も、そうですけど」
フロイドはさらに顔を近づけて様子を観察するように覗き込んできた。
「小エビちゃん緊張してんの?」
「それは、急にこんなことされたら誰でも驚きます」
「オレは驚かないよ?」
「先輩は仕掛けてる側じゃないですか」
「あはは、確かに。でも小エビちゃんの手、柔らかくて気持ちいいから、ずっとこうしてたいかも」
絡めた指をフロイドはわざとらしく少しだけ動かした。皮膚と皮膚が擦れ合う感覚がふたりの間に生々しく響く。
「あの、授業始まっちゃいます」
「オレが飽きるまで、このままでいてよ」
「フロイド先輩、困ります」
「えー、オレは楽しいのに」
悪戯っぽく笑う彼の指は、さらに深く強く手を締め付けていく。向けられる視線が、まっすぐにななしを捉えて離さなかった。
「……っ、フロイド先輩」
「なに? 離してほしい?」
「だって……授業に遅れたら本当に困りますし、ジェイド先輩やアズール先輩が見たら、また何か言われます」
「ジェイドもアズールも関係ないじゃん。今ここにいないし」
フロイドは可笑しそうに肩を揺らすと絡めた指先をさらに強く引いた。ふたりの距離がもう一段階縮まる。
「そんなにオレとこうしてるの、嫌?」
「嫌、というわけでは……」
「じゃあいいじゃん。小エビちゃん、さっきから言い訳ばっか」
じっと覗き込んでくるフロイドの瞳。気まぐれな彼の機嫌を損ねれば、この拘束がいつまで続くか分かったものではなかった。
「……ただ、その、恥ずかしいです」
ななしが視線を落としながらそう呟くと、フロイドの動きが僅かに止まった。
「恥ずかしい?」
「はい。こんな風に手を繋がれたこと、ないですから」
「ふーん。そっか」
フロイドは低く呟き、絡め合わせた互いの指先を見つめた。
彼が少しだけ力を抜くと微かな隙間ができる。しかし離される気配は微塵もなかった。フロイドはその長い親指を使い、ななしの親指の付け根の柔らかい部分を、ゆっくりと撫でるように往復させ始める。
「オレたちってこれ、手繋いでるの?」
「違いますか?」
「んー、オレの中では手の大きさを比べてるだけ。ほら、ここが全然違う、とかさ」
フロイドは指の腹を滑らせななしの爪の形をひとつひとつなぞっていく。くすぐったいような、それでいて皮膚の奥まで熱が染み渡るような、奇妙な感覚が室内に満ちていく。
「でも、小エビちゃんがそう思うなら、そうなのかな」
「フロイド先輩?」
「小エビちゃんの手、本当にあったかいね。オレ、海の中にいるときはこういう温かさってよく分かんなかった」
「……先輩」
「あーあ、なんかこうしてると次の授業だけじゃなくて全部サボりたくなってきた。このままどっか静かなとこ行っちゃおっか」
「それは駄目です。ちゃんと教室に戻ってください」
「えー、やだ。小エビちゃんが一緒についてきてくれるなら行ってもいいけど」
フロイドはそう言って、再び指を深く絡め直した。がっちりと組み合わされた手のひらからは先ほどよりも強い主張が伝わってくる。
「どうする? オレと一緒に来る?」
悪戯っぽい笑みを浮かべたフロイドの顔が、目と鼻の先まで迫っていた。逃がさないと告げるような強い視線と指先に込められた確かな質量が、ななしの返答をじっと待っている。
「フロイド先輩、本当に授業はじまっちゃいます」
「じゃあさ、次の休み時間もオレの相手してくれたら今は離してあげてもいーよ」
「次の休み時間も、ですか?」
「そう。約束破ったら次はもっと面白いことしちゃうから」
楽しげに目を細めたフロイドが、ようやくゆっくりと指の力を抜いていく。絡み合っていた長い指がすべるように離れると、ななしの手のひらには彼に強く握られていた残熱だけが鮮明に残された。
自由になった手を引き戻すと、フロイドは満足そうに身を起こし長い足を翻して歩き出す。
「じゃ、また後でね、小エビちゃん」
ひらひらと大きな手を振り返りながら、彼は気まぐれな足取りで廊下へと消えていった。ななしはまだ赤みが引かない自分の右手を、そっと見つめ直すことしかできなかった。
