サバナクロー
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午後の日差しが少しだけ傾き始めた。
窓辺に置かれたソファでレオナは相変わらずだるそうに本を広げている。その横にななしが腰を下ろすと、彼は視線を本に向けたまま大きな手を伸ばしてななしの指の隙間に自身の指を滑り込ませた。
付き合ってからそれなりの時間が経ち、こうして自然に手を繋ぐことも、挨拶のような軽いキスを交わすことも二人の間では特別なことではなくなっている。
けれど、そこから先へとなかなか進まない。
レオナは頑なにそれ以上の境界線を踏み越えてこようとはしなかった。
「レオナ先輩」
「なんだ」
返事も素っ気ない。繋いだ手のひらから伝わる体温だけが、やけに温かい。
「その本、面白いですか」
「別に。暇潰しだ」
レオナがページをぱたんと閉じて大きな溜息をついた。ななしはその横顔を見つめる。少し乱れた髪の毛が陽光を透かして揺れていた。
「……で、今日は何の用だ」
用事などない。ただ彼に会いたかっただけだ。
ななしはソファの端に座り直し繋いだ手に少しだけ力を込めながら、レオナに体温を寄せた。肩が触れ合うほどの距離。けれど彼はそれ以上こちらに踏み込んでくる気配を見せない。
「……レオナ先輩。どうしていつも、そこから先へ進んでくれないんですか」
まっすぐに見つめて零すとレオナは呆れたように笑い、少しだけ体勢を変えてこちらを向いた。
「お前、たまに無防備すぎるんだよ」
「無防備で何が悪いんですか。相手はレオナ先輩なのに。キスだってするのに」
「だからだよ。お前と俺じゃ立場が違う」
レオナが低い声で呟く。その声音にはいつもの余裕とは違う、少しだけ硬い色が混じっていた。彼はななしの額をぽんと軽く小突くように、デコピンを見舞う。
「痛っ……」
「お前が思ってるほど俺は聖人君子じゃないんでな」
彼はそれ以上何も言わず、繋いだ手には適度な力を残したまま、また窓の外に視線を向けてしまった。
キスまでしているのに、まるで子供をあやすような態度で一線を引かれる。その頑なな自制にななしのなかに少しだけ反発心が芽生える。
「……別に、わたしだって子供じゃないです」
「お前はそう思ってても、世間ではお前はまだ子供なんだよ」
レオナが不意に振り返りななしを真っ直ぐに見つめた。その瞳の奥が普段の気だるげな様子とは違って、少しだけ熱を帯びているように見える。
「そんな風に隙を見せて近寄ってくるなら、それ相応の覚悟があるのかって聞いてんだ。俺が今、何考えてるか分かってて言ってんのか?」
レオナはソファに深く背を預け、ななしの手を握ったままわずかに顔を背けた。その仕草一つで部屋の空気が急に重みを増して張り詰めた。
「……レオナ先輩」
「用事がないなら今日は帰れ。寮まで送ってやる」
大人の理屈で逃げるように視線を逸らした彼に、ななしは引かなかった。ソファから立ち上がり彼の目の前に立つ。
繋がれた手はそのままにななしは彼の膝の前にしゃがみ込んだ。
「まだ帰りません。レオナ先輩がそうやって大人のフリをして逃げるなら、わたしはもっと近寄ります」
「おい、お前……」
レオナがわずかに息を呑む。
ななしは繋いでいる手とは別の手を彼の膝の上に置いた。レオナの身体が一瞬、強張るのが伝わってくる。
「……本当に、何も分かってねえな」
彼は小さく呟いて持ち上げた手でななしの頭を包み込んだ。くしゃりと髪を撫でるその手はすごく優しくて、それなのにどこか震えているみたいに思える。
「……今日はもう、遅い」
「まだ、空は明るいです」
「そういう問題じゃねえだろ」
スラックス越しに伝わってくるななしの手のひらの体温に、レオナは頭を抱えるようにして深く長くため息を吐き出した。
「お前の気持ちもわかるが……少しは俺の気持ちも考えてくれ」
ぽつりと言い放たれた低い声には、いつもの気だるげな余裕は一切なかった。
ななしは驚いて顔を上げる。レオナの眉間には深い皺が寄っており、その表情は酷く苦々しい。
「レオナ先輩の、気持ち……?」
「そうだ。お前が俺を信じて近寄ってきてんのは分かってる。……だがな、世間ってのはそんなに綺麗事じゃ動かねえんだよ」
レオナは繋いでいた手を一度強く握り締め、それからゆっくりと指を絡め直した。
「お前がどれだけ子供じゃないと言い張ったところで、周囲がお前をどう見るかくらいは想像できるだろ」
理詰めで諭すような言葉。
けれどその本質はななしを誰よりも大切に思い、守ろうとする彼の歪な優しさそのものだった。今の二人に許された最大限の甘やかさで必死に踏みとどまっていたのだ。
「……お前を大事にしたいから我慢してんだ。それをお前は、わざわざ火の中に飛び込んでくるような真似しやがって」
「わたしは……。レオナ先輩が、遠くに行っちゃいそうな気がして、」
ななしが消え入りそうな声で胸の内を零すとレオナは一瞬だけ目を見開いた。それからひどく呆れたような苦笑を漏らす。
「どこに行くってんだよ。俺の隣にいるのはお前だけだろ」
レオナは膝の上にあったななしの手を引き上げ、ソファの上へと促した。
ななしの身体がソファへと戻ると、すかさずレオナの大きな影が覆いかぶさるように近づいてくる。驚いて身を固くするななしの頬を、彼の大きな手のひらがそっと包み込んだ。
「これ以上、俺に大人のフリをさせんじゃねえよ」
至近距離で囁かれた途端、唇に柔らかい感触が落ちてきた。
いつもの挨拶のような軽いものとは違う。ほんの少しだけ深く熱を帯びた切ないほどに優しいキスだった。
ななしが驚きに目を見開く暇もないほどそれは短く、けれど確かに二人の体温を跳ね上がらせる。
「ん……っ」
唇が離れた後、レオナはそのままななしの額に自身の額をそっと押し当てた。すぐ近くで彼の少し荒くなった呼吸が聞こえる。
「手を繋ぐのも、キスするのも、お前が学生の間はここまでだ。……これが、俺の限界」
彼の低い声が心地よく鼓膜を揺らす。
「分かったら、もう変に突っついてくんな。……大人しく俺に可愛がられてりゃいいんだよ」
レオナはそう言ってななしの髪をくしゃくしゃと愛おしそうに撫で回した。しかしそのままななしの耳元へ顔を寄せると、彼は一段と低い、熱を含んだ声で囁く。
「その代わり……卒業したら、覚悟しておけよ」
それは今はまだ理性の檻の中にいる猛獣が放った、確かな未来の約束だった。
繋いだ手からは先ほどよりもずっと強い熱が伝わってくる。気がつけばあんなに明るかった窓の外はすっかり夕闇に包まれていた。けれど部屋の中に満ちた特別な温かさと彼が残した独占欲の気配が消えることはなく、いつまでも二人の間に残り続けていた。
窓辺に置かれたソファでレオナは相変わらずだるそうに本を広げている。その横にななしが腰を下ろすと、彼は視線を本に向けたまま大きな手を伸ばしてななしの指の隙間に自身の指を滑り込ませた。
付き合ってからそれなりの時間が経ち、こうして自然に手を繋ぐことも、挨拶のような軽いキスを交わすことも二人の間では特別なことではなくなっている。
けれど、そこから先へとなかなか進まない。
レオナは頑なにそれ以上の境界線を踏み越えてこようとはしなかった。
「レオナ先輩」
「なんだ」
返事も素っ気ない。繋いだ手のひらから伝わる体温だけが、やけに温かい。
「その本、面白いですか」
「別に。暇潰しだ」
レオナがページをぱたんと閉じて大きな溜息をついた。ななしはその横顔を見つめる。少し乱れた髪の毛が陽光を透かして揺れていた。
「……で、今日は何の用だ」
用事などない。ただ彼に会いたかっただけだ。
ななしはソファの端に座り直し繋いだ手に少しだけ力を込めながら、レオナに体温を寄せた。肩が触れ合うほどの距離。けれど彼はそれ以上こちらに踏み込んでくる気配を見せない。
「……レオナ先輩。どうしていつも、そこから先へ進んでくれないんですか」
まっすぐに見つめて零すとレオナは呆れたように笑い、少しだけ体勢を変えてこちらを向いた。
「お前、たまに無防備すぎるんだよ」
「無防備で何が悪いんですか。相手はレオナ先輩なのに。キスだってするのに」
「だからだよ。お前と俺じゃ立場が違う」
レオナが低い声で呟く。その声音にはいつもの余裕とは違う、少しだけ硬い色が混じっていた。彼はななしの額をぽんと軽く小突くように、デコピンを見舞う。
「痛っ……」
「お前が思ってるほど俺は聖人君子じゃないんでな」
彼はそれ以上何も言わず、繋いだ手には適度な力を残したまま、また窓の外に視線を向けてしまった。
キスまでしているのに、まるで子供をあやすような態度で一線を引かれる。その頑なな自制にななしのなかに少しだけ反発心が芽生える。
「……別に、わたしだって子供じゃないです」
「お前はそう思ってても、世間ではお前はまだ子供なんだよ」
レオナが不意に振り返りななしを真っ直ぐに見つめた。その瞳の奥が普段の気だるげな様子とは違って、少しだけ熱を帯びているように見える。
「そんな風に隙を見せて近寄ってくるなら、それ相応の覚悟があるのかって聞いてんだ。俺が今、何考えてるか分かってて言ってんのか?」
レオナはソファに深く背を預け、ななしの手を握ったままわずかに顔を背けた。その仕草一つで部屋の空気が急に重みを増して張り詰めた。
「……レオナ先輩」
「用事がないなら今日は帰れ。寮まで送ってやる」
大人の理屈で逃げるように視線を逸らした彼に、ななしは引かなかった。ソファから立ち上がり彼の目の前に立つ。
繋がれた手はそのままにななしは彼の膝の前にしゃがみ込んだ。
「まだ帰りません。レオナ先輩がそうやって大人のフリをして逃げるなら、わたしはもっと近寄ります」
「おい、お前……」
レオナがわずかに息を呑む。
ななしは繋いでいる手とは別の手を彼の膝の上に置いた。レオナの身体が一瞬、強張るのが伝わってくる。
「……本当に、何も分かってねえな」
彼は小さく呟いて持ち上げた手でななしの頭を包み込んだ。くしゃりと髪を撫でるその手はすごく優しくて、それなのにどこか震えているみたいに思える。
「……今日はもう、遅い」
「まだ、空は明るいです」
「そういう問題じゃねえだろ」
スラックス越しに伝わってくるななしの手のひらの体温に、レオナは頭を抱えるようにして深く長くため息を吐き出した。
「お前の気持ちもわかるが……少しは俺の気持ちも考えてくれ」
ぽつりと言い放たれた低い声には、いつもの気だるげな余裕は一切なかった。
ななしは驚いて顔を上げる。レオナの眉間には深い皺が寄っており、その表情は酷く苦々しい。
「レオナ先輩の、気持ち……?」
「そうだ。お前が俺を信じて近寄ってきてんのは分かってる。……だがな、世間ってのはそんなに綺麗事じゃ動かねえんだよ」
レオナは繋いでいた手を一度強く握り締め、それからゆっくりと指を絡め直した。
「お前がどれだけ子供じゃないと言い張ったところで、周囲がお前をどう見るかくらいは想像できるだろ」
理詰めで諭すような言葉。
けれどその本質はななしを誰よりも大切に思い、守ろうとする彼の歪な優しさそのものだった。今の二人に許された最大限の甘やかさで必死に踏みとどまっていたのだ。
「……お前を大事にしたいから我慢してんだ。それをお前は、わざわざ火の中に飛び込んでくるような真似しやがって」
「わたしは……。レオナ先輩が、遠くに行っちゃいそうな気がして、」
ななしが消え入りそうな声で胸の内を零すとレオナは一瞬だけ目を見開いた。それからひどく呆れたような苦笑を漏らす。
「どこに行くってんだよ。俺の隣にいるのはお前だけだろ」
レオナは膝の上にあったななしの手を引き上げ、ソファの上へと促した。
ななしの身体がソファへと戻ると、すかさずレオナの大きな影が覆いかぶさるように近づいてくる。驚いて身を固くするななしの頬を、彼の大きな手のひらがそっと包み込んだ。
「これ以上、俺に大人のフリをさせんじゃねえよ」
至近距離で囁かれた途端、唇に柔らかい感触が落ちてきた。
いつもの挨拶のような軽いものとは違う。ほんの少しだけ深く熱を帯びた切ないほどに優しいキスだった。
ななしが驚きに目を見開く暇もないほどそれは短く、けれど確かに二人の体温を跳ね上がらせる。
「ん……っ」
唇が離れた後、レオナはそのままななしの額に自身の額をそっと押し当てた。すぐ近くで彼の少し荒くなった呼吸が聞こえる。
「手を繋ぐのも、キスするのも、お前が学生の間はここまでだ。……これが、俺の限界」
彼の低い声が心地よく鼓膜を揺らす。
「分かったら、もう変に突っついてくんな。……大人しく俺に可愛がられてりゃいいんだよ」
レオナはそう言ってななしの髪をくしゃくしゃと愛おしそうに撫で回した。しかしそのままななしの耳元へ顔を寄せると、彼は一段と低い、熱を含んだ声で囁く。
「その代わり……卒業したら、覚悟しておけよ」
それは今はまだ理性の檻の中にいる猛獣が放った、確かな未来の約束だった。
繋いだ手からは先ほどよりもずっと強い熱が伝わってくる。気がつけばあんなに明るかった窓の外はすっかり夕闇に包まれていた。けれど部屋の中に満ちた特別な温かさと彼が残した独占欲の気配が消えることはなく、いつまでも二人の間に残り続けていた。
