スカラビア
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「なあ、これって本当にここで合ってるのか?」
カリムは手元にある分厚い資料をめくりながら困ったように笑った。普段の快活な声よりも少しだけトーンが低く、室内の静寂に溶けていく。
「合ってますよ。あとはこの記述問題を埋めるだけです」
「オレ、こういう古い文献の読み解きとか、細かい歴史の記述を見てると、どうしても頭が痛くなってきちゃうんだよな〜」
そう言ってカリムはバツが悪そうに頭を掻いた。
「じゃあ、この部分はわたしが要約しますね。先輩はこっちの文章を読んでおいてください」
「悪いな、頼りにしてる。ななしがいてくれて本当に助かったよ」
カリムは笑い、資料を机に広げ直した。並んで座っている二人の間で動くたびに衣擦れの音がかすかに響く。
机の上の資料を見つめる二人の距離は近い。カリムは真面目に文字を追っているようだったが、時折息を吐いて隣の顔を覗き込んでいた。
「……どうしたんですか?」
「いや、なんでもない。ただ、こうして二人きりで静かに過ごすのって、なんだか新鮮だなと思ってさ」
「そうかもしれないですね。いつもは周りにたくさん人がいますし」
「だろ? 賑やかなのも大好きだけどさ、お前とこうして話してると、すごく落ち着くんだ」
カリムは飾らない笑顔を向ける。その真っ直ぐな言葉を受けて対面する顔がわずかに赤く染まった。
「……先輩、課題が進まなくなっちゃいます」
「あはは、怒られた。よし、ちゃんとやるか」
カリムはそう言って笑ったが、その後に続く沈黙は先ほどまでのものとは少し性質が違っていた。
夕日はさらに傾き部屋の中を濃いオレンジ色に染めていく。影が伸び、二人の影が床の上で重なり合っていた。
「なあ」
しばらくしてカリムがぽつりと言葉を零した。
「何ですか?」
「ななしって、オレのこと、どう思ってる?」
カリムはいつもより真剣な表情を浮かべ、じっと視線を合わせる。その表情にはいつもの天真爛漫な明るさはなく、どこか緊張した色が含まれていた。
「どう、って……」
「その、先輩としてとか、友達としてとか……そういうのじゃなくて」
カリムは言葉を濁しながら、めずらしく視線を泳がせた。彼の手が机の上でそわそわと動いている。
「オレさ、最近ずっと考えてたんだ。ななしが他の奴と話してるところを見ると、なんだか胸のあたりがモヤモヤするっていうかさ。これって、何なんだろうなって」
「カリム先輩……」
「ジャミルに聞いても『自分で考えろ』って呆れられるし。でも、お前と目が合うと心臓がうるさくなって、うまく喋れなくなるんだ。オレこんな風になったの初めてでさ」
カリムは一気にまくしたてると大きな息を吐いた。頬がほんのりと赤くなっているのが夕暮れの光の中でもはっきりと分かる。
「それって……」
「……うん。オレ、お前のことが好きなんだと思う」
真っ直ぐな告白が静かな室内に響く。
しばらくの間、二人の間に沈黙が流れた。
「わたしも……」
ゆっくりと躊躇いがちに言葉が返される。
「わたしも、カリム先輩のことが好きです」
「本当か!?」
カリムの顔が一瞬でパッと明るくなった。嬉しさを隠しきれないといった様子で身を乗り出してくる。
「よかった……。嫌われてたらどうしようって、実は結構ドキドキしてたんだ」
「先輩でも、そんな風に思うんですね」
「思うさ! お前の前ではいつも通りでいたくても、なんだか調子が狂っちまうからな」
彼は照れくさそうに笑いながら目の前の顔をじっと見つめた。嬉しそうな笑顔の奥に先ほどとは違う、どこか熱を帯びた視線が混ざっている。
部屋の中はすっかり暗くなり窓の外には1番星が瞬き始めていた。静寂が二人の間に再び降りてくる。
「あのさ、」
カリムが低めの声で囁くように言った。
「好き同士になったら、その……いいよな?」
「え……?」
「だから、その、キス、とか……」
最後の単語を口にするとき、カリムは完全に耳まで真っ赤にしていた。普段の堂々とした態度からは想像もつかないほど、初々しく戸惑っている様子が全身から伝わってくる。
「……したいな、なんて思ったり、して」
彼は視線を落とし指先で机の端をなぞった。
「カリム先輩」
名前を呼ばれカリムは肩を揺らして恐る恐る顔を上げた。
「流石にはやかったか……?」
不安そうに揺れる彼に言葉ではなく、少しだけ体を寄せることで返答が示される。
カリムは息を呑み、じっと正面を見つめた。カリムの顔がゆっくりと近づいていく。緊張のせいか呼吸が少し荒くなっているのが周囲に伝わるほどだった。
お互いの距離があと数センチというところで、カリムの動きがピタリと止まった。
「……あのさ、どうすればいいんだ?」
「え?」
「キスって、どうやるのが正解なんだ?」
大真面目な顔で彼はそんな問いを口にした。少しだけ開いた唇が微かに震えている。
「そのままで、いいんですよ」
そう言葉が返されるとカリムは意を決したように目を閉じ、さらに顔を近づけていった。触れるだけの静かな唇の重なりが室内に落ちる。驚くほどに短く、ただ互いの存在を確かめ合うような初めてのキスだった。
カリムはゆっくりと顔を離すと、ぱちぱちと大きく瞬きをした。
「……しちゃった、な」
どこか呆然とした様子でカリムは自分の唇にそっと指先をあてた。耳まで真っ赤に染まったまま信じられないというように呟く。
「カリム先輩……?」
「なあ、ななしは今……どんな気持ちだ? オレ、なんだかさっきよりも、もっと心臓がうるさくなって……」
その言葉の途中でカリムの視線が目の前にある唇へと再び注がれた。先ほどまでの躊躇いや、おずおずとした戸惑いが彼の瞳の奥から急速に消えていく。
「あの、カリム先輩?」
「……だめだ、一回じゃ全然足りない。なぁ、もう一回いいか?」
今度は問いかけるのと同時にカリムの身体がぐっと前に出た。返事を待つ余裕さえなさそうな真っ直ぐで強い動きだった。
重ねられた二度目のキスは先ほどのものとは全く違っていた。
「ん……っ」
驚いて微かに開いた隙間に深く滑り込むような、熱い息が交ざり合う。カリムは息を呑む音を漏らし、そのまま距離を完全に無くすように肩を強く引き寄せた。
「カリム、せんぱ……」
「……離したくないんだ、どうしても」
触れ合った場所から、じわじわと甘い熱が広がっていく。
「ん、カリム…せん、ぱ…」
一度唇が離れてもカリムが深く息を吐き出すだけの僅かな隙間しか与えられない。視線が絡み合った瞬間、カリムは焦れたように今度は角度を変えて何度も何度も吸い上げるように唇を押し当てた。
「ん、……ぁ……」
静かだった室内に濡れた不規則な呼吸の音が重なって響く。
カリムの普段の快活さはどこへ行ったのか、その表情は真剣そのもので、どこか必死ささえ漂っていた。何度も重なる熱のせいで互いの顔はすっかり赤く染まり視界が熱さでぼやけていく。
「……お前、すごく、甘いな」
唇を離したカリムが至近距離で掠れた声を漏らした。カリムの瞳は完全に熱を帯びている。その視線は、まだ濡れたままの相手の唇に釘付けになっていた。
「もう、終わり、に……」
「やだ。もっと、したい。……だめか?」
カリムは甘えるような、けれどこちらを捉えて離さない強い視線のまま、さらに顔を近づけていく。
一度手にした宝物を手放したくないと本能が告げているかのようだった。その貪欲なまでの真っ直ぐさに、ななしは抗う術はどこにもなかった。
夕闇が完全に部屋を包み込む中、二人の甘い呼吸の応酬は夜が更けるまで何度も繰り返された。
カリムは手元にある分厚い資料をめくりながら困ったように笑った。普段の快活な声よりも少しだけトーンが低く、室内の静寂に溶けていく。
「合ってますよ。あとはこの記述問題を埋めるだけです」
「オレ、こういう古い文献の読み解きとか、細かい歴史の記述を見てると、どうしても頭が痛くなってきちゃうんだよな〜」
そう言ってカリムはバツが悪そうに頭を掻いた。
「じゃあ、この部分はわたしが要約しますね。先輩はこっちの文章を読んでおいてください」
「悪いな、頼りにしてる。ななしがいてくれて本当に助かったよ」
カリムは笑い、資料を机に広げ直した。並んで座っている二人の間で動くたびに衣擦れの音がかすかに響く。
机の上の資料を見つめる二人の距離は近い。カリムは真面目に文字を追っているようだったが、時折息を吐いて隣の顔を覗き込んでいた。
「……どうしたんですか?」
「いや、なんでもない。ただ、こうして二人きりで静かに過ごすのって、なんだか新鮮だなと思ってさ」
「そうかもしれないですね。いつもは周りにたくさん人がいますし」
「だろ? 賑やかなのも大好きだけどさ、お前とこうして話してると、すごく落ち着くんだ」
カリムは飾らない笑顔を向ける。その真っ直ぐな言葉を受けて対面する顔がわずかに赤く染まった。
「……先輩、課題が進まなくなっちゃいます」
「あはは、怒られた。よし、ちゃんとやるか」
カリムはそう言って笑ったが、その後に続く沈黙は先ほどまでのものとは少し性質が違っていた。
夕日はさらに傾き部屋の中を濃いオレンジ色に染めていく。影が伸び、二人の影が床の上で重なり合っていた。
「なあ」
しばらくしてカリムがぽつりと言葉を零した。
「何ですか?」
「ななしって、オレのこと、どう思ってる?」
カリムはいつもより真剣な表情を浮かべ、じっと視線を合わせる。その表情にはいつもの天真爛漫な明るさはなく、どこか緊張した色が含まれていた。
「どう、って……」
「その、先輩としてとか、友達としてとか……そういうのじゃなくて」
カリムは言葉を濁しながら、めずらしく視線を泳がせた。彼の手が机の上でそわそわと動いている。
「オレさ、最近ずっと考えてたんだ。ななしが他の奴と話してるところを見ると、なんだか胸のあたりがモヤモヤするっていうかさ。これって、何なんだろうなって」
「カリム先輩……」
「ジャミルに聞いても『自分で考えろ』って呆れられるし。でも、お前と目が合うと心臓がうるさくなって、うまく喋れなくなるんだ。オレこんな風になったの初めてでさ」
カリムは一気にまくしたてると大きな息を吐いた。頬がほんのりと赤くなっているのが夕暮れの光の中でもはっきりと分かる。
「それって……」
「……うん。オレ、お前のことが好きなんだと思う」
真っ直ぐな告白が静かな室内に響く。
しばらくの間、二人の間に沈黙が流れた。
「わたしも……」
ゆっくりと躊躇いがちに言葉が返される。
「わたしも、カリム先輩のことが好きです」
「本当か!?」
カリムの顔が一瞬でパッと明るくなった。嬉しさを隠しきれないといった様子で身を乗り出してくる。
「よかった……。嫌われてたらどうしようって、実は結構ドキドキしてたんだ」
「先輩でも、そんな風に思うんですね」
「思うさ! お前の前ではいつも通りでいたくても、なんだか調子が狂っちまうからな」
彼は照れくさそうに笑いながら目の前の顔をじっと見つめた。嬉しそうな笑顔の奥に先ほどとは違う、どこか熱を帯びた視線が混ざっている。
部屋の中はすっかり暗くなり窓の外には1番星が瞬き始めていた。静寂が二人の間に再び降りてくる。
「あのさ、」
カリムが低めの声で囁くように言った。
「好き同士になったら、その……いいよな?」
「え……?」
「だから、その、キス、とか……」
最後の単語を口にするとき、カリムは完全に耳まで真っ赤にしていた。普段の堂々とした態度からは想像もつかないほど、初々しく戸惑っている様子が全身から伝わってくる。
「……したいな、なんて思ったり、して」
彼は視線を落とし指先で机の端をなぞった。
「カリム先輩」
名前を呼ばれカリムは肩を揺らして恐る恐る顔を上げた。
「流石にはやかったか……?」
不安そうに揺れる彼に言葉ではなく、少しだけ体を寄せることで返答が示される。
カリムは息を呑み、じっと正面を見つめた。カリムの顔がゆっくりと近づいていく。緊張のせいか呼吸が少し荒くなっているのが周囲に伝わるほどだった。
お互いの距離があと数センチというところで、カリムの動きがピタリと止まった。
「……あのさ、どうすればいいんだ?」
「え?」
「キスって、どうやるのが正解なんだ?」
大真面目な顔で彼はそんな問いを口にした。少しだけ開いた唇が微かに震えている。
「そのままで、いいんですよ」
そう言葉が返されるとカリムは意を決したように目を閉じ、さらに顔を近づけていった。触れるだけの静かな唇の重なりが室内に落ちる。驚くほどに短く、ただ互いの存在を確かめ合うような初めてのキスだった。
カリムはゆっくりと顔を離すと、ぱちぱちと大きく瞬きをした。
「……しちゃった、な」
どこか呆然とした様子でカリムは自分の唇にそっと指先をあてた。耳まで真っ赤に染まったまま信じられないというように呟く。
「カリム先輩……?」
「なあ、ななしは今……どんな気持ちだ? オレ、なんだかさっきよりも、もっと心臓がうるさくなって……」
その言葉の途中でカリムの視線が目の前にある唇へと再び注がれた。先ほどまでの躊躇いや、おずおずとした戸惑いが彼の瞳の奥から急速に消えていく。
「あの、カリム先輩?」
「……だめだ、一回じゃ全然足りない。なぁ、もう一回いいか?」
今度は問いかけるのと同時にカリムの身体がぐっと前に出た。返事を待つ余裕さえなさそうな真っ直ぐで強い動きだった。
重ねられた二度目のキスは先ほどのものとは全く違っていた。
「ん……っ」
驚いて微かに開いた隙間に深く滑り込むような、熱い息が交ざり合う。カリムは息を呑む音を漏らし、そのまま距離を完全に無くすように肩を強く引き寄せた。
「カリム、せんぱ……」
「……離したくないんだ、どうしても」
触れ合った場所から、じわじわと甘い熱が広がっていく。
「ん、カリム…せん、ぱ…」
一度唇が離れてもカリムが深く息を吐き出すだけの僅かな隙間しか与えられない。視線が絡み合った瞬間、カリムは焦れたように今度は角度を変えて何度も何度も吸い上げるように唇を押し当てた。
「ん、……ぁ……」
静かだった室内に濡れた不規則な呼吸の音が重なって響く。
カリムの普段の快活さはどこへ行ったのか、その表情は真剣そのもので、どこか必死ささえ漂っていた。何度も重なる熱のせいで互いの顔はすっかり赤く染まり視界が熱さでぼやけていく。
「……お前、すごく、甘いな」
唇を離したカリムが至近距離で掠れた声を漏らした。カリムの瞳は完全に熱を帯びている。その視線は、まだ濡れたままの相手の唇に釘付けになっていた。
「もう、終わり、に……」
「やだ。もっと、したい。……だめか?」
カリムは甘えるような、けれどこちらを捉えて離さない強い視線のまま、さらに顔を近づけていく。
一度手にした宝物を手放したくないと本能が告げているかのようだった。その貪欲なまでの真っ直ぐさに、ななしは抗う術はどこにもなかった。
夕闇が完全に部屋を包み込む中、二人の甘い呼吸の応酬は夜が更けるまで何度も繰り返された。
