スカラビア
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「ジャミル先輩って、はじめの頃と印象がだいぶ変わったうちの一人なんですけど」
放課後の図書室、窓際の席。
借りていた資料の返却期限が重なり、偶然並んで作業をしていた静寂の中で、その声は唐突に響いた。
「なんだ急に……」
ジャミルは手元で進めていたペンを止め、眉をひそめて隣を見る。
大袈裟に驚くような真似はしないが、その声には明確な困惑が混ざっていた。
「いえ、ふと思ったんです。最初の頃は、すごく控えめで物静かな人なんだなって思ってましたから」
「……それは、色々と事情があってそうしていただけだ」
ジャミルは小さく溜息をつき、椅子の背もたれに体を預けた。
呆れたような口調とは裏腹に、その表情に拒絶の色はない。
むしろ気心の知れた相手にだけ見せる、少しくだけた温度がそこにはあった。
「はい、知ってます。だからこそ、今のジャミル先輩の方がずっと素敵だなと思って」
「……っ」
ストレートに投げられた言葉に、ジャミルは一瞬だけ言葉を詰まらせた。
視線を泳がせ、すぐにいつもの冷静な表情を取り戻そうとするが、わずかに耳の裏が熱くなるのを自覚する。
「お前は、時々そういう恥ずかしい台詞を平然と言うな。誰にでもそんな調子で話しているわけじゃないだろうな」
「ジャミル先輩だから言ってるんです。怒ってますか?」
「怒ってはいない。ただ、調子が狂う……」
ジャミルは前髪を軽く指先で払い、視線を再び手元のノートに戻した。
しかしペン先は動かない。
「今の先輩の方が、ちゃんと自分の意志で笑ったり怒ったりしている感じがして、わたしは嬉しいです。料理を作っている時の真剣な顔も、カリム先輩に呆れてる時の顔も、全部本物なんだなって」
「俺がいつどんな顔をしていようが、お前には関係ないだろう」
「関係なくないですよ。だって、わたしはジャミル先輩のことが……」
そこまで言いかけて、言葉が途切れる。
図書室の窓から差し込む西日が二人の机をオレンジ色に染めていた。
「なんだ? 言葉を濁すな」
ジャミルが少し意地悪な笑みを浮かべて、覗き込むように顔を近づけてくる。
その距離の近さに、今度は返す言葉が詰まる番だった。
「なんでもないです。……とにかく今のジャミル先輩の方が、わたしは話しやすくて好きです」
「そうか。なら、その話しやすい先輩として一つ忠告しておく」
ジャミルはペンを置き、真面目な顔つきで見つめた。
「お前は俺が本当に善人だとでも思っているのか? 手の内を明かしたからといって、牙を抜かれたわけじゃない。お前がそんな風に無防備に近づいてくるなら、いつか手痛い目に遭わせることになるかもしれないぞ」
脅すような言葉。
だが、その声のトーンはどこまでも優しく響く。
「ジャミル先輩はわたしにそんなことしませんから」
「……はぁ。お前のその根拠のない自信は一体どこから来るんだ」
ジャミルは片手で額を押さえ、本当に困ったように息を吐き出した。
しかし、その唇の端は隠しきれずに緩んでいる。
「だって、こうしてくだらないおしゃべりに最後まで付き合ってくれていますから」
「それは、お前が急に突飛な話を始めるからだ。途中で放り出すわけにもいかないだろう」
「やっぱり優しいですね、ジャミル先輩は」
「買い被りすぎだ」
ジャミルはそう切り捨てると、ノートを閉じて立ち上がった。
「そろそろ閉館の時間だ。残りの作業は寮に戻ってやる。お前も暗くなる前に帰れよ」
「あ、待ってください。わたしも片付けます」
急いでカバンに荷物を詰め込む様子を、ジャミルは急かすことなく、ただ静かに見守っていた。
その佇まいは出会った頃のそれとは確かに違っていたが、今の彼から伝わってくる確かな体温が何よりも心地よかった。
夕暮れの廊下に出ると、ひんやりとした空気の中に不思議な余韻が残っているような気がした。
「ジャミル先輩、あの」
歩き出しながら、ななしが声をかける。
「今度は、その……先輩の得意な料理のこととか教えてほしいです」
ジャミルは一歩先を歩いていたが、その言葉を聞くと足を止め、振り返った。
西日に照らされたシルエットが、優しく揺れる。
「……気が向いたらな。ただし、俺の指導は厳しいぞ。覚悟しておけ」
不敵に微笑む彼の表情には先ほどまでの困惑は消え去り、どこか楽しげな色が浮かんでいた。
二人の距離がほんの少しだけ縮まったような、そんな錯覚を覚える放課後の帰り道だった。
放課後の図書室、窓際の席。
借りていた資料の返却期限が重なり、偶然並んで作業をしていた静寂の中で、その声は唐突に響いた。
「なんだ急に……」
ジャミルは手元で進めていたペンを止め、眉をひそめて隣を見る。
大袈裟に驚くような真似はしないが、その声には明確な困惑が混ざっていた。
「いえ、ふと思ったんです。最初の頃は、すごく控えめで物静かな人なんだなって思ってましたから」
「……それは、色々と事情があってそうしていただけだ」
ジャミルは小さく溜息をつき、椅子の背もたれに体を預けた。
呆れたような口調とは裏腹に、その表情に拒絶の色はない。
むしろ気心の知れた相手にだけ見せる、少しくだけた温度がそこにはあった。
「はい、知ってます。だからこそ、今のジャミル先輩の方がずっと素敵だなと思って」
「……っ」
ストレートに投げられた言葉に、ジャミルは一瞬だけ言葉を詰まらせた。
視線を泳がせ、すぐにいつもの冷静な表情を取り戻そうとするが、わずかに耳の裏が熱くなるのを自覚する。
「お前は、時々そういう恥ずかしい台詞を平然と言うな。誰にでもそんな調子で話しているわけじゃないだろうな」
「ジャミル先輩だから言ってるんです。怒ってますか?」
「怒ってはいない。ただ、調子が狂う……」
ジャミルは前髪を軽く指先で払い、視線を再び手元のノートに戻した。
しかしペン先は動かない。
「今の先輩の方が、ちゃんと自分の意志で笑ったり怒ったりしている感じがして、わたしは嬉しいです。料理を作っている時の真剣な顔も、カリム先輩に呆れてる時の顔も、全部本物なんだなって」
「俺がいつどんな顔をしていようが、お前には関係ないだろう」
「関係なくないですよ。だって、わたしはジャミル先輩のことが……」
そこまで言いかけて、言葉が途切れる。
図書室の窓から差し込む西日が二人の机をオレンジ色に染めていた。
「なんだ? 言葉を濁すな」
ジャミルが少し意地悪な笑みを浮かべて、覗き込むように顔を近づけてくる。
その距離の近さに、今度は返す言葉が詰まる番だった。
「なんでもないです。……とにかく今のジャミル先輩の方が、わたしは話しやすくて好きです」
「そうか。なら、その話しやすい先輩として一つ忠告しておく」
ジャミルはペンを置き、真面目な顔つきで見つめた。
「お前は俺が本当に善人だとでも思っているのか? 手の内を明かしたからといって、牙を抜かれたわけじゃない。お前がそんな風に無防備に近づいてくるなら、いつか手痛い目に遭わせることになるかもしれないぞ」
脅すような言葉。
だが、その声のトーンはどこまでも優しく響く。
「ジャミル先輩はわたしにそんなことしませんから」
「……はぁ。お前のその根拠のない自信は一体どこから来るんだ」
ジャミルは片手で額を押さえ、本当に困ったように息を吐き出した。
しかし、その唇の端は隠しきれずに緩んでいる。
「だって、こうしてくだらないおしゃべりに最後まで付き合ってくれていますから」
「それは、お前が急に突飛な話を始めるからだ。途中で放り出すわけにもいかないだろう」
「やっぱり優しいですね、ジャミル先輩は」
「買い被りすぎだ」
ジャミルはそう切り捨てると、ノートを閉じて立ち上がった。
「そろそろ閉館の時間だ。残りの作業は寮に戻ってやる。お前も暗くなる前に帰れよ」
「あ、待ってください。わたしも片付けます」
急いでカバンに荷物を詰め込む様子を、ジャミルは急かすことなく、ただ静かに見守っていた。
その佇まいは出会った頃のそれとは確かに違っていたが、今の彼から伝わってくる確かな体温が何よりも心地よかった。
夕暮れの廊下に出ると、ひんやりとした空気の中に不思議な余韻が残っているような気がした。
「ジャミル先輩、あの」
歩き出しながら、ななしが声をかける。
「今度は、その……先輩の得意な料理のこととか教えてほしいです」
ジャミルは一歩先を歩いていたが、その言葉を聞くと足を止め、振り返った。
西日に照らされたシルエットが、優しく揺れる。
「……気が向いたらな。ただし、俺の指導は厳しいぞ。覚悟しておけ」
不敵に微笑む彼の表情には先ほどまでの困惑は消え去り、どこか楽しげな色が浮かんでいた。
二人の距離がほんの少しだけ縮まったような、そんな錯覚を覚える放課後の帰り道だった。
