オクタビネル
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オンボロ寮のラウンジは相変わらず手入れが行き届いていませんね。ですがこの荒れ果てた静寂こそが僕にとっては最高に心地よい観察室なのです。
「ジェイド先輩、今日も来てくれたんですね。すみません、何もお構いもできなくて……」
キッチンから顔を出したななしさんは、エプロン姿で少し困ったように笑いました。その頬に付いた一筋の汚れ。……ああ、今すぐ指先で拭って、そのままその柔らかな肌を味わってしまいたい。
「お気になさらず。僕はただ、貴方の淹れるお茶が恋しくなっただけですから」
嘘です。
お茶など、僕自身が淹れるものの方が数段質が良い。僕が恋しいのはお茶ではなく、そのお茶を差し出す貴方の無防備な指先であり、僕を疑いもせず見上げるその瞳なのです。
「ふふ、ジェイド先輩にそう言ってもらえると自信がついちゃいます。すぐ準備しますね!」
貴方は嬉しそうに鼻歌を歌いながら、またキッチンの奥へ消えていきました。本当に貴方という人は。僕がどれほど暗い情熱を抱いて貴方の背中を見つめているか、微塵も気づいていない。
そんなに無防備に背中を見せてはいけません。僕が良い人のふりをしていられるのもあとどれくらいか……自分でも確信が持てないのですから。
「お待たせしました! 今日は少し珍しい茶葉をアズール先輩から頂いたんです」
運ばれてきたカップからは、鼻を突くような鋭い香りがしました。アズールが貴方にこれを渡した意図は僕への嫌がらせか、あるいは貴方を使って僕を試しているのか。
「おや、これは……。彼も粋なことをしますね」
僕はカップを手に取るふりをして、テーブルに置かれた貴方の手にわざと自分の指を重ねました。
「えっ……ジェイド、先輩?」
「失礼。少し、貴方の指先が冷えているように見えたもので。やはりこの寮は冷えますね。どうでしょう、いっそオクタヴィネルへ移り住んでみては?」
冗談めかして言いましたが、僕の目は笑っていなかったはずです。貴方の小さな手が、僕の大きな掌の中で小さく震えました。それは恐怖でしょうか? それとも、自覚のない鼓動の乱れでしょうか。
「そ、それは……。でも、わたしはオンボロ寮の監督生ですから」
「そう、ですか。貴方はいつも、自分以外の何かのために動こうとする。その献身的な姿はとても素敵ですが、見ていて胸が痛みます。僕なら貴方を何一つ苦労させることなく温かな水槽の中で一生守って差し上げられるのに」
おっと、少し言葉が過ぎましたか。貴方がキョトンとした顔で僕を見つめている。……ふふ、やはりまだ恋の字もご存じないようだ。可愛らしい……食べ尽くしてしまいたい。
お茶を飲み終え、窓を覗くと外はあいにくの雨。雷鳴が寮の建付けの悪い窓を揺らすたび、貴方はビクッと肩を震わせます。
「……雷、苦手でしたか?」
「……少しだけ。日中だとグリムやエース、デュースと一緒のことが多いので割と平気なんですけど、一人の時は、やっぱり」
その名が出た瞬間、僕の奥底でドロリとした不快な澱が沈殿しました。彼らが貴方のそばに侍っている光景を想像するだけで、胃の腑が焼けるようです。
「ななしさん。……あまり、他の男性の名を僕の前で出さないでいただけますか?」
僕はソファに座る貴方の隣へ、音もなく移動しました。逃げ場を塞ぐように背もたれに腕を回し、顔を近づけます。
「えっ……? ジェイド先輩、怒ってますか……?」
「怒る? いいえ、滅相もない。ただ……少しだけ悲しいのです。僕がこれほど貴方を案じているというのに、貴方の口から出るのは他の男の話ばかり」
僕は空いた方の手で、貴方の耳元にかかる髪を丁寧に執拗にかき上げました。剥き出しになった白いうなじに僕の吐息がかかる。
「……ジェイド、先輩……顔、近いです……っ」
「近くなくては、貴方の本音が聞こえないでしょう? ……貴方の心臓、とても騒がしく鳴っていますよ。これは、彼らの名を呼んだ時と同じ音ですか?」
ああ、いい顔だ。困惑とわずかな熱。貴方はまだこれが恋だとは気づかない。僕が貴方の日常を少しずつ、毒のように侵食していることにも気づかない。それでいいのです。
僕は貴方の顎を指先で掬い上げ、無理やり視線を合わせました。僕の瞳には、逃げ場を失った哀れな小魚――ななしさんが、震えながら映っています。
「……ななしさん。僕以外の男には、そんな顔を見せないでくださいね」
「……ジェイド……先輩……」
貴方の震える唇が、僕の名を呼びました。
……ああ、素晴らしい。
その唇を今すぐ塞ぎたい衝動を僕はかろうじて理性で押し留め、代わりにその額に、恭しく深く刻印を残すように口づけを落としました。
「今夜は雨が激しい。僕が、貴方が眠りにつくまで隣にいて差し上げましょう。大丈夫、何も怖いことはありませんよ」
「ジェイド先輩、今日も来てくれたんですね。すみません、何もお構いもできなくて……」
キッチンから顔を出したななしさんは、エプロン姿で少し困ったように笑いました。その頬に付いた一筋の汚れ。……ああ、今すぐ指先で拭って、そのままその柔らかな肌を味わってしまいたい。
「お気になさらず。僕はただ、貴方の淹れるお茶が恋しくなっただけですから」
嘘です。
お茶など、僕自身が淹れるものの方が数段質が良い。僕が恋しいのはお茶ではなく、そのお茶を差し出す貴方の無防備な指先であり、僕を疑いもせず見上げるその瞳なのです。
「ふふ、ジェイド先輩にそう言ってもらえると自信がついちゃいます。すぐ準備しますね!」
貴方は嬉しそうに鼻歌を歌いながら、またキッチンの奥へ消えていきました。本当に貴方という人は。僕がどれほど暗い情熱を抱いて貴方の背中を見つめているか、微塵も気づいていない。
そんなに無防備に背中を見せてはいけません。僕が良い人のふりをしていられるのもあとどれくらいか……自分でも確信が持てないのですから。
「お待たせしました! 今日は少し珍しい茶葉をアズール先輩から頂いたんです」
運ばれてきたカップからは、鼻を突くような鋭い香りがしました。アズールが貴方にこれを渡した意図は僕への嫌がらせか、あるいは貴方を使って僕を試しているのか。
「おや、これは……。彼も粋なことをしますね」
僕はカップを手に取るふりをして、テーブルに置かれた貴方の手にわざと自分の指を重ねました。
「えっ……ジェイド、先輩?」
「失礼。少し、貴方の指先が冷えているように見えたもので。やはりこの寮は冷えますね。どうでしょう、いっそオクタヴィネルへ移り住んでみては?」
冗談めかして言いましたが、僕の目は笑っていなかったはずです。貴方の小さな手が、僕の大きな掌の中で小さく震えました。それは恐怖でしょうか? それとも、自覚のない鼓動の乱れでしょうか。
「そ、それは……。でも、わたしはオンボロ寮の監督生ですから」
「そう、ですか。貴方はいつも、自分以外の何かのために動こうとする。その献身的な姿はとても素敵ですが、見ていて胸が痛みます。僕なら貴方を何一つ苦労させることなく温かな水槽の中で一生守って差し上げられるのに」
おっと、少し言葉が過ぎましたか。貴方がキョトンとした顔で僕を見つめている。……ふふ、やはりまだ恋の字もご存じないようだ。可愛らしい……食べ尽くしてしまいたい。
お茶を飲み終え、窓を覗くと外はあいにくの雨。雷鳴が寮の建付けの悪い窓を揺らすたび、貴方はビクッと肩を震わせます。
「……雷、苦手でしたか?」
「……少しだけ。日中だとグリムやエース、デュースと一緒のことが多いので割と平気なんですけど、一人の時は、やっぱり」
その名が出た瞬間、僕の奥底でドロリとした不快な澱が沈殿しました。彼らが貴方のそばに侍っている光景を想像するだけで、胃の腑が焼けるようです。
「ななしさん。……あまり、他の男性の名を僕の前で出さないでいただけますか?」
僕はソファに座る貴方の隣へ、音もなく移動しました。逃げ場を塞ぐように背もたれに腕を回し、顔を近づけます。
「えっ……? ジェイド先輩、怒ってますか……?」
「怒る? いいえ、滅相もない。ただ……少しだけ悲しいのです。僕がこれほど貴方を案じているというのに、貴方の口から出るのは他の男の話ばかり」
僕は空いた方の手で、貴方の耳元にかかる髪を丁寧に執拗にかき上げました。剥き出しになった白いうなじに僕の吐息がかかる。
「……ジェイド、先輩……顔、近いです……っ」
「近くなくては、貴方の本音が聞こえないでしょう? ……貴方の心臓、とても騒がしく鳴っていますよ。これは、彼らの名を呼んだ時と同じ音ですか?」
ああ、いい顔だ。困惑とわずかな熱。貴方はまだこれが恋だとは気づかない。僕が貴方の日常を少しずつ、毒のように侵食していることにも気づかない。それでいいのです。
僕は貴方の顎を指先で掬い上げ、無理やり視線を合わせました。僕の瞳には、逃げ場を失った哀れな小魚――ななしさんが、震えながら映っています。
「……ななしさん。僕以外の男には、そんな顔を見せないでくださいね」
「……ジェイド……先輩……」
貴方の震える唇が、僕の名を呼びました。
……ああ、素晴らしい。
その唇を今すぐ塞ぎたい衝動を僕はかろうじて理性で押し留め、代わりにその額に、恭しく深く刻印を残すように口づけを落としました。
「今夜は雨が激しい。僕が、貴方が眠りにつくまで隣にいて差し上げましょう。大丈夫、何も怖いことはありませんよ」
