ハーツラビュル
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「ケイト先輩」
「んー?」
ハーツラビュル寮の談話室、その片隅にあるソファ。
マジカメの画面をスクロールする指を止めずに、ケイトは気の抜けた返事をした。
「ケイト先輩って、裏垢とかあるんですか?」
一瞬、画面を叩く指が綺麗に止まった。
ケイトはゆっくりと顔を上げ、驚いたように目を丸くする。
「え!? 何急に!?」
「いえ、なんとなく気になって」
「ないない、あるわけないじゃん!?」
いつもの軽快な調子で笑いながら、ケイトはスマートフォンをテーブルに伏せて置いた。
「本当ですか? 誰にも言わないので教えてくださいよ」
「本当だってば。そんなの作っても管理しきれないし、マジカメは本垢だけで手一杯。ほら、見てよ」
ケイトは再びスマートフォンを拾い上げ、画面を彼女の方に向けて見せた。
通知のバッジが並ぶ画面は、確かにいつもの派手で賑やかなケイトのアカウントそのものだ。
「でも、たまに吐き出したくなったりしないんですか。愚痴とか」
「愚痴? オレが?」
ケイトは悪戯っぽく片目を瞑ってみせた。
「そんなの、みんなの前でネタにしちゃった方がウケるし、消化できちゃうから大丈夫」
「そういう表面的なことじゃなくて、もっと、誰にも見せられないようなことです」
じっと見つめる彼女の視線に、ケイトは困ったような笑みを浮かべた。
その表情はいつもの笑顔の隙間から零れ落ちた、ほんの少しの本音のように見えた。
「深く踏み込んでくるね、ななしちゃん」
「ケイト先輩が、たまに遠くを見ている気がするから、なんか気になっちゃって」
談話室の窓から差し込む午後の光が、二人の間に長い影を作っている。
外からは他の寮生たちの賑やかな声が聞こえてくるが、この一角だけは妙に静かだった。
「遠く、ねえ」
ケイトは背もたれに体を預け天井を見上げた。
「そんな風に見えてるんだ。ちょっとショックかも。オレ、いつでも明るい男の子のつもりなんだけどな」
「誤魔化そうとしてます?」
「誤魔化してないよ。でもさ……もし、本当にそういうアカウントがあったら、ななしちゃんはどうするの?」
視線が天井からゆっくりと彼女へと戻される。
その声のトーンが先ほどよりも僅かに低くなっていた。
「見つけて、覗き見しちゃう?」
「うーん、……見たい気もしますけど、先輩が嫌なら探しません」
「ふーん。じゃあ、オレから招待したら?」
「え?」
ケイトは身を乗り出し、テーブル越しに彼女との距離を詰めた。
テーブルの上に置かれた彼女の手にケイトの指先がかすかに触れる。
肌と肌が触れ合う境界線から、じわりと熱が伝わってくるようだった。
「もし、オレの本当の本当にドロドロした部分とか、誰にも見せられないような格好悪いところが全部書いてある場所に、ななしちゃんだけを招待するって言ったら。……付いてきてくれる?」
言葉の響きが、ただの冗談の枠を越えて鼓膜を揺らす。
指先が彼女の手の甲をなぞるようにゆっくりと動いた。
かすかな摩擦が皮膚の感覚を過敏にさせていく。
「それは、どういう意味ですか」
「言葉通りの意味。オレの綺麗じゃないところ、全部見せるってこと」
ケイトの口元は笑っていたが、その奥にある感情はまったく読めなかった。
距離が近くなったことで、彼が呼吸するたびに動く胸元や、わずかに変化する空気の温度がダイレクトに伝わってくる。
「ななしちゃんってさ、たまにオレの核心を突こうとするよね。そういうの、すごく心臓に悪いんだけど?」
そう言って、ケイトは彼女の手の甲にぽんと自分の手を重ねた。
手のひらから伝わる体温は、思ったよりもずっと高かった。
いつも飄々と周囲を観察している彼が、いま自分だけを強い熱量で見つめている。
その事実に彼女の胸の奥がドクンと大きく跳ねた。
「あの、先輩……」
「ダメだよ、そんな顔しちゃ。オレ、勘違いしちゃうじゃん」
ケイトの声は低く甘く、そしてどこか切迫した響きを帯び始めていた。
彼は重ねた手に少しだけ力を込めた。
逃がさないという明確な意思が、その指先から痛いほどに伝わってきた。
「……続きは、オレの部屋で話そっか」
ケイトは静かに囁いた。
その言葉は、もう引き返せない境界線を越えるための静かな合図のようだった。
静まり返ったケイトの部屋。
ドアが閉まった瞬間、談話室に漂っていた微かな賑やかさは完全に遮断され、世界には二人きりになったような錯覚に陥る。
「どうぞ、適当に座って?」
ケイトはいつも通りの軽いトーンで言いながら、ベッドの端をぽんぽんと叩いた。
促されるまま、彼女が遠慮がちにその端へ腰を下ろす。
部屋の空気はどこか張り詰めていた。
鍵の回る小さな音が、やけに鼓膜に響いた。
「本当に、裏垢ないんですか?」
彼女がぽつりと溢した言葉にケイトは小さく肩をすくめる。
「んー、どう思う? 本当にないかもしれないし、消しちゃったかもしれない。……もしくは、目の前にあるかもね」
ケイトはゆっくりと歩み寄り、ベッドに腰掛けた彼女のすぐ隣に腰を下ろした。
カサリと衣服が擦れる音が、沈黙の中で驚くほど大きく聞こえる。
「目の前?」
「言葉通りの意味。オレの本当の言葉なんてさ、マジカメのタイムラインを探したってどこにも落ちてないよ。……ここにしかないの」
ケイトが彼女の顔を覗き込む。
至近距離で交わる視線。
いつもなら冗談めかして逸らされるはずのそれが、今は一秒たりとも離れない。
「ななしちゃんさ、オレが遠くを見てるって言ったよね」
「……はい」
「それ、半分正解で半分ハズレ」
ケイトの指先が彼女の髪の毛先にそっと触れた。
「オレね、遠くを見てるんじゃなくて、周りを見すぎちゃってるんだと思う。みんなが何を求めてて、何を喜んでくれるか……でもね」
指先が髪を滑り落ち、彼女の耳の裏から顎のラインへと吸い付くように移動する。
その指は驚くほど熱を持っていた。
「ななしちゃんがオレの本当を知りたがると、その計算が全部狂うんだ。……今だって、心臓の音がうるさくて破裂しそう」
ケイトは自嘲気味に笑いながら彼女の顎をそっと上向かせた。
逃げ場をなくすような、けれどどこか縋るような、そんな矛盾した力が指先に込められている。
「ねえ、本当に見る覚悟ある? オレの底のほうにある、全然キラキラしてない泥臭くて重たい感情。……全部ぶちまけちゃっても、引かない?」
言葉が抉り出すように紡がれる。
そこにあるのは誰にも見せない、誰にも見せられなかった、ケイトの剥き出しの本音だった。
「引くわけ、ないです。ケイト先輩の、そういうところを知りたくて、ここにいるんですから」
彼女が真っ直ぐに答えると、ケイトは一瞬息を呑んだように目を見開いた。
そして諦めたような、ひどく愛おしそうな笑みを浮かべる。
「あーあ……。そんなこと言われたら、もう絶対に離してあげないからね」
重ねられた彼の影が彼女の視界をすべて覆い尽くしていく。
窓から差し込む夕暮れの光が、二人のシルエットを濃く深く部屋の床に描き出していた。
「んー?」
ハーツラビュル寮の談話室、その片隅にあるソファ。
マジカメの画面をスクロールする指を止めずに、ケイトは気の抜けた返事をした。
「ケイト先輩って、裏垢とかあるんですか?」
一瞬、画面を叩く指が綺麗に止まった。
ケイトはゆっくりと顔を上げ、驚いたように目を丸くする。
「え!? 何急に!?」
「いえ、なんとなく気になって」
「ないない、あるわけないじゃん!?」
いつもの軽快な調子で笑いながら、ケイトはスマートフォンをテーブルに伏せて置いた。
「本当ですか? 誰にも言わないので教えてくださいよ」
「本当だってば。そんなの作っても管理しきれないし、マジカメは本垢だけで手一杯。ほら、見てよ」
ケイトは再びスマートフォンを拾い上げ、画面を彼女の方に向けて見せた。
通知のバッジが並ぶ画面は、確かにいつもの派手で賑やかなケイトのアカウントそのものだ。
「でも、たまに吐き出したくなったりしないんですか。愚痴とか」
「愚痴? オレが?」
ケイトは悪戯っぽく片目を瞑ってみせた。
「そんなの、みんなの前でネタにしちゃった方がウケるし、消化できちゃうから大丈夫」
「そういう表面的なことじゃなくて、もっと、誰にも見せられないようなことです」
じっと見つめる彼女の視線に、ケイトは困ったような笑みを浮かべた。
その表情はいつもの笑顔の隙間から零れ落ちた、ほんの少しの本音のように見えた。
「深く踏み込んでくるね、ななしちゃん」
「ケイト先輩が、たまに遠くを見ている気がするから、なんか気になっちゃって」
談話室の窓から差し込む午後の光が、二人の間に長い影を作っている。
外からは他の寮生たちの賑やかな声が聞こえてくるが、この一角だけは妙に静かだった。
「遠く、ねえ」
ケイトは背もたれに体を預け天井を見上げた。
「そんな風に見えてるんだ。ちょっとショックかも。オレ、いつでも明るい男の子のつもりなんだけどな」
「誤魔化そうとしてます?」
「誤魔化してないよ。でもさ……もし、本当にそういうアカウントがあったら、ななしちゃんはどうするの?」
視線が天井からゆっくりと彼女へと戻される。
その声のトーンが先ほどよりも僅かに低くなっていた。
「見つけて、覗き見しちゃう?」
「うーん、……見たい気もしますけど、先輩が嫌なら探しません」
「ふーん。じゃあ、オレから招待したら?」
「え?」
ケイトは身を乗り出し、テーブル越しに彼女との距離を詰めた。
テーブルの上に置かれた彼女の手にケイトの指先がかすかに触れる。
肌と肌が触れ合う境界線から、じわりと熱が伝わってくるようだった。
「もし、オレの本当の本当にドロドロした部分とか、誰にも見せられないような格好悪いところが全部書いてある場所に、ななしちゃんだけを招待するって言ったら。……付いてきてくれる?」
言葉の響きが、ただの冗談の枠を越えて鼓膜を揺らす。
指先が彼女の手の甲をなぞるようにゆっくりと動いた。
かすかな摩擦が皮膚の感覚を過敏にさせていく。
「それは、どういう意味ですか」
「言葉通りの意味。オレの綺麗じゃないところ、全部見せるってこと」
ケイトの口元は笑っていたが、その奥にある感情はまったく読めなかった。
距離が近くなったことで、彼が呼吸するたびに動く胸元や、わずかに変化する空気の温度がダイレクトに伝わってくる。
「ななしちゃんってさ、たまにオレの核心を突こうとするよね。そういうの、すごく心臓に悪いんだけど?」
そう言って、ケイトは彼女の手の甲にぽんと自分の手を重ねた。
手のひらから伝わる体温は、思ったよりもずっと高かった。
いつも飄々と周囲を観察している彼が、いま自分だけを強い熱量で見つめている。
その事実に彼女の胸の奥がドクンと大きく跳ねた。
「あの、先輩……」
「ダメだよ、そんな顔しちゃ。オレ、勘違いしちゃうじゃん」
ケイトの声は低く甘く、そしてどこか切迫した響きを帯び始めていた。
彼は重ねた手に少しだけ力を込めた。
逃がさないという明確な意思が、その指先から痛いほどに伝わってきた。
「……続きは、オレの部屋で話そっか」
ケイトは静かに囁いた。
その言葉は、もう引き返せない境界線を越えるための静かな合図のようだった。
静まり返ったケイトの部屋。
ドアが閉まった瞬間、談話室に漂っていた微かな賑やかさは完全に遮断され、世界には二人きりになったような錯覚に陥る。
「どうぞ、適当に座って?」
ケイトはいつも通りの軽いトーンで言いながら、ベッドの端をぽんぽんと叩いた。
促されるまま、彼女が遠慮がちにその端へ腰を下ろす。
部屋の空気はどこか張り詰めていた。
鍵の回る小さな音が、やけに鼓膜に響いた。
「本当に、裏垢ないんですか?」
彼女がぽつりと溢した言葉にケイトは小さく肩をすくめる。
「んー、どう思う? 本当にないかもしれないし、消しちゃったかもしれない。……もしくは、目の前にあるかもね」
ケイトはゆっくりと歩み寄り、ベッドに腰掛けた彼女のすぐ隣に腰を下ろした。
カサリと衣服が擦れる音が、沈黙の中で驚くほど大きく聞こえる。
「目の前?」
「言葉通りの意味。オレの本当の言葉なんてさ、マジカメのタイムラインを探したってどこにも落ちてないよ。……ここにしかないの」
ケイトが彼女の顔を覗き込む。
至近距離で交わる視線。
いつもなら冗談めかして逸らされるはずのそれが、今は一秒たりとも離れない。
「ななしちゃんさ、オレが遠くを見てるって言ったよね」
「……はい」
「それ、半分正解で半分ハズレ」
ケイトの指先が彼女の髪の毛先にそっと触れた。
「オレね、遠くを見てるんじゃなくて、周りを見すぎちゃってるんだと思う。みんなが何を求めてて、何を喜んでくれるか……でもね」
指先が髪を滑り落ち、彼女の耳の裏から顎のラインへと吸い付くように移動する。
その指は驚くほど熱を持っていた。
「ななしちゃんがオレの本当を知りたがると、その計算が全部狂うんだ。……今だって、心臓の音がうるさくて破裂しそう」
ケイトは自嘲気味に笑いながら彼女の顎をそっと上向かせた。
逃げ場をなくすような、けれどどこか縋るような、そんな矛盾した力が指先に込められている。
「ねえ、本当に見る覚悟ある? オレの底のほうにある、全然キラキラしてない泥臭くて重たい感情。……全部ぶちまけちゃっても、引かない?」
言葉が抉り出すように紡がれる。
そこにあるのは誰にも見せない、誰にも見せられなかった、ケイトの剥き出しの本音だった。
「引くわけ、ないです。ケイト先輩の、そういうところを知りたくて、ここにいるんですから」
彼女が真っ直ぐに答えると、ケイトは一瞬息を呑んだように目を見開いた。
そして諦めたような、ひどく愛おしそうな笑みを浮かべる。
「あーあ……。そんなこと言われたら、もう絶対に離してあげないからね」
重ねられた彼の影が彼女の視界をすべて覆い尽くしていく。
窓から差し込む夕暮れの光が、二人のシルエットを濃く深く部屋の床に描き出していた。
