サバナクロー
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植物園の温室は午後の強い日差しを浴びて熱気と青臭い湿気に満ちていた。
天井のガラスから降り注ぐ光が生い茂る熱帯植物の葉をきらきらと輝かせ、床には複雑な影の模様を描き出している。
その一角、葉が日陰を作る特等席にレオナは寝そべっていた。
長い脚をだらしなく投げ出し、片腕を額に当てて目を閉じている。
そのすぐ傍らで資料を整理していたななしが、ふと手を止めて声をかけた。
「レオナさん」
「……あ?」
額の腕を動かすこともなくレオナは億劫そうに声を低く響かせた。
寝起きの不機嫌を絵に描いたような声だった。
「わたしたちって、結構お互いに第一印象最悪でしたよね」
唐突な言葉にレオナの耳がわずかにピクリと動いた。
ゆっくりと腕を退け、けだるげに細められた目がななしを捉える。
「あぁ? なんだ唐突に」
「いえ、ふと思ったんです。ここでレオナさんの尻尾を思いっきり踏んじゃって。あの時のレオナさん、本当に怖かったなと思って」
ななしは苦笑混じりに当時の記憶をなぞるように言った。
レオナは鼻で笑い少しだけ体を起こす。
「あの時のお前の顔、今思い出しても傑作だぜ。恐怖で完全に固まってやがった」
「あんなに威圧感を出されたら、誰だって身構えますよ」
「口だけは達者になったな。前はもっと借りてきた猫みたいに大人しくしてただろうが」
「私もナイトレイブンカレッジに染まってきたってことですかね。レオナさん相手に黙っていたら、そのまま本当に踏みつぶされそうですから」
言い返しながら、ななしは手元にあった書類を揃えた。
その動作をレオナは顎を引いて見下ろすように見つめている。
「お前がここに転がっていられるのは、俺が気まぐれを起こしてやってるからだ、ありがたく思え」
「はいはい、ありがとうございます」
「心がこもってねぇな」
レオナはつまらなそうに息を吐き再び寝そべる。
しかし完全に眠りにつく様子はなく、その視線はどこかななしの動きを追っている。
「レオナさんって、最初はもっと冷酷な人だと思っていました」
「今は違うって言いたげだな」
「ええ。ただの、ものすごく面倒くさがりな人です」
「……言うようになったじゃねぇか」
レオナの目が一瞬だけ鋭く光った。
獲物を狙うそれというよりは、おもしろい玩具を見つけたような、あるいは少しだけからかわれたことに苛立ちつつも愉しんでいるような、そんな光だった。
レオナは立ち上がり、ななしのすぐそばまで歩み寄った。
影がななしを覆う。見上げる形になった彼女の視界に、レオナの大きな体躯が入り込んできた。
「おい、ななし。俺をそこらの奴らと一緒にするなよ」
低い声が鼓膜を直接揺らすように届く。
レオナはその場にしゃがみ込み、ななしの顔の高さに自分の目線を合わせた。
至近距離で対峙する形になり、彼女の背中に緊張とは違う奇妙な熱が走る。
「……分かってますよ。王子さま」
「チッ、その呼び方はやめろって言ったはずだ」
「じゃあ、やっぱりレオナさんですね」
ななしが少しだけ微笑むとレオナは面白くなさそうに顔を顰めた。
しかし、そこから距離を置こうとはしない。
「お前、俺を怒らせたらどうなるか本当に分かってねぇだろ」
「怒りますか? また尻尾、踏まれたいですか?」
「……ハッ、いい度胸だ。試してみるか?」
レオナの顔が、さらに一寸だけ近づく。
彼の呼吸が、ななしの肌に触れるほどの距離。
その瞬間、彼がまとっている特有の空気がななしの五感を支配し始めた。
それは決して具体的な言葉にできるようなものではなかったが、雄としての圧倒的な存在感を伴ってななしの嗅覚と触覚を刺激する。
温室の緑の匂いに混ざって、レオナの体温そのものが、じわりとななしの体内に染み込んでくるようだった。
「レオナさん、あの……」
「なんだ。今更、怖気づいたか?」
レオナの唇の端が不敵に吊り上がった。
その表情にななしは息を呑む。
視線はななしの目をじっと見つめたまま、微塵も動かない。
レオナはゆっくりと手を伸ばした。
大きな手のひらがななしの頬をかすめるようにして、耳元に落ちた一房の髪に触れる。
指先が髪を梳く感触があまりにも鮮明で、ななしは体を硬くした。
そこから伝わる彼の体温は温室の熱気よりもずっと熱く、そして確かだった。
「お前、さっきまであれだけ饒舌だった割には、随分と大人しくなったじゃねぇか」
「それは……」
「第一印象が最悪だった、だっけか」
レオナの指先が今度は髪からななしの顎へと移動した。
強い力ではない。
けれど、拒絶を許さない指先が彼女の顔を少しだけ上向かせる。
「だったら、その最悪な印象を今ここで上書きしてやろうか?」
低く掠れた声が耳の奥で甘く重く響いた。
顎を持ち上げられたまま、ななしは小さく息を吸い込んだ。
温室の湿った熱気が肺の奥まで重く染み込んでくる。
レオナの指先から伝わる体温は、驚くほど高かった。
肌を滑る微かな摩擦が脳の芯に直接響くような奇妙な痺れをもたらす。
「どうした。さっきまでの威勢はどこへ行った」
レオナの唇から溢れる吐息がななしの唇をかすめていく。
からかうような響きを含んでいるものの、その眼差しは冗談を言っているようには見えなかった。
「……意地悪ですね、レオナさんは」
かろうじて紡ぎ出した声は驚くほど小さく震えていた。
その反応が気に入ったのか、レオナの喉の奥から愉しげな笑いが漏れる。
「意地悪? これくらいで音を上げるなら、最初から俺に突っかかってくるんじゃねぇよ」
「突っかかってなんていません。ただ、思い出話をしていただけです」
「あれが、お前にとって思い出話で済むのかよ。俺はまだ、自分の尻尾を踏みつけられた感触を忘れてねぇぞ」
「それは……謝ったじゃないですか」
「謝れば何でも許されると思ってんのか、ななし」
レオナの指先が顎から頬へと滑り、そのまま耳たぶの裏をそっとなぞった。
ぞくりとした震えが背筋を駆け上がる。
手のひらがななしの首筋を包み込むようにして引き寄せた。
拒絶する隙など最初から与えられていない。
ただ、レオナが与える熱に身を委ねるしか道がなかった。
「お前はいつもそうだ。冷酷だの、面倒くさがりだの、勝手に俺を定義して安心しようとしてる」
首筋に置かれた手のひらに、わずかに力がこもる。
引き寄せられた距離は、もうお互いの心臓の鼓動が薄い衣服を透して伝わってきそうなほどに近かった。
「俺が本気で牙を剥いたらどうなるか、その鈍い頭に一度叩き込んでおいた方がいいらしいな」
「レオナさん……」
名前を呼ぶ声すら胸元に吸い込まれて消えていく。
ななしの視界は、すでにレオナという存在だけで埋め尽くされていた。
レオナはななしの髪に指を絡め、ゆっくりと自らの顔を傾けた。
「……おい」
「はい……」
「逃げるなよ」
それは酷く傲慢で、けれど切実な懇願のようにも聞こえた。
レオナの唇がななしの額に、そして目元へと順番に落とされる。
ななしはきつく目を閉じた。
暗闇の中で肌に触れる彼の唇の温度だけが、世界のすべてのように鮮明になる。
「本当に、最悪の出会いだったな」
レオナが耳元で掠れた声で囁く。
「だけどよ……その最悪な出会いがなきゃ、俺はお前をこうして捕まえておくことも出来なかったわけだ」
彼の自嘲気味な、けれど確信に満ちた言葉がななしの胸の奥を激しく揺さぶる。
レオナは肩に額を預け深く息を吐き出した。
彼の大きな身体の重みがななしの肩にかかる。
その重みすら今は酷く愛おしく、そして手放しがたいものに感じられた。
「お前を噛み殺して、俺の縄張りに完全に閉じ込めてやりたい。……そう言ったら、お前はまた怯えて逃げ出すか?」
肩口から聞こえる声は、いつもの不遜な態度とは異なり、どこか静かで深い闇を孕んでいた。
まるで自分という存在を誰にも触れられない玉座の傍らに、永遠に繋ぎ止めておきたいと願っているかのような――レオナ自身すら制御しきれないほど暗く肥大化した独占欲が、その張り詰めた身体から痛いほど伝わってくる。
ななしはレオナの背中にそっと手を回した。
触れた彼の背中は広く、そして頼りないほどに熱い。
「逃げませんよ」
静かに囁くとレオナの身体がわずかに強張った。
やがてレオナはゆっくりと顔を上げ、ななしの顔を正面から見つめた。
そこには、いつもの冷笑も気だるげな表情もなかった。
ただ一人の男としての、剥き出しの執着だけがその瞳の奥で静かに揺らめいている。
「……その言葉、二度と取り消すんじゃねぇぞ」
低く、微かに 喉を鳴らすような男の笑みが零れる。
レオナの指先がななしの唇をそっとなぞった。
次の瞬間、重ねられた唇は温室のすべての空気を奪い去るかのように深く、そして果てしなく甘い熱を帯びていった。
天井のガラスから降り注ぐ光が生い茂る熱帯植物の葉をきらきらと輝かせ、床には複雑な影の模様を描き出している。
その一角、葉が日陰を作る特等席にレオナは寝そべっていた。
長い脚をだらしなく投げ出し、片腕を額に当てて目を閉じている。
そのすぐ傍らで資料を整理していたななしが、ふと手を止めて声をかけた。
「レオナさん」
「……あ?」
額の腕を動かすこともなくレオナは億劫そうに声を低く響かせた。
寝起きの不機嫌を絵に描いたような声だった。
「わたしたちって、結構お互いに第一印象最悪でしたよね」
唐突な言葉にレオナの耳がわずかにピクリと動いた。
ゆっくりと腕を退け、けだるげに細められた目がななしを捉える。
「あぁ? なんだ唐突に」
「いえ、ふと思ったんです。ここでレオナさんの尻尾を思いっきり踏んじゃって。あの時のレオナさん、本当に怖かったなと思って」
ななしは苦笑混じりに当時の記憶をなぞるように言った。
レオナは鼻で笑い少しだけ体を起こす。
「あの時のお前の顔、今思い出しても傑作だぜ。恐怖で完全に固まってやがった」
「あんなに威圧感を出されたら、誰だって身構えますよ」
「口だけは達者になったな。前はもっと借りてきた猫みたいに大人しくしてただろうが」
「私もナイトレイブンカレッジに染まってきたってことですかね。レオナさん相手に黙っていたら、そのまま本当に踏みつぶされそうですから」
言い返しながら、ななしは手元にあった書類を揃えた。
その動作をレオナは顎を引いて見下ろすように見つめている。
「お前がここに転がっていられるのは、俺が気まぐれを起こしてやってるからだ、ありがたく思え」
「はいはい、ありがとうございます」
「心がこもってねぇな」
レオナはつまらなそうに息を吐き再び寝そべる。
しかし完全に眠りにつく様子はなく、その視線はどこかななしの動きを追っている。
「レオナさんって、最初はもっと冷酷な人だと思っていました」
「今は違うって言いたげだな」
「ええ。ただの、ものすごく面倒くさがりな人です」
「……言うようになったじゃねぇか」
レオナの目が一瞬だけ鋭く光った。
獲物を狙うそれというよりは、おもしろい玩具を見つけたような、あるいは少しだけからかわれたことに苛立ちつつも愉しんでいるような、そんな光だった。
レオナは立ち上がり、ななしのすぐそばまで歩み寄った。
影がななしを覆う。見上げる形になった彼女の視界に、レオナの大きな体躯が入り込んできた。
「おい、ななし。俺をそこらの奴らと一緒にするなよ」
低い声が鼓膜を直接揺らすように届く。
レオナはその場にしゃがみ込み、ななしの顔の高さに自分の目線を合わせた。
至近距離で対峙する形になり、彼女の背中に緊張とは違う奇妙な熱が走る。
「……分かってますよ。王子さま」
「チッ、その呼び方はやめろって言ったはずだ」
「じゃあ、やっぱりレオナさんですね」
ななしが少しだけ微笑むとレオナは面白くなさそうに顔を顰めた。
しかし、そこから距離を置こうとはしない。
「お前、俺を怒らせたらどうなるか本当に分かってねぇだろ」
「怒りますか? また尻尾、踏まれたいですか?」
「……ハッ、いい度胸だ。試してみるか?」
レオナの顔が、さらに一寸だけ近づく。
彼の呼吸が、ななしの肌に触れるほどの距離。
その瞬間、彼がまとっている特有の空気がななしの五感を支配し始めた。
それは決して具体的な言葉にできるようなものではなかったが、雄としての圧倒的な存在感を伴ってななしの嗅覚と触覚を刺激する。
温室の緑の匂いに混ざって、レオナの体温そのものが、じわりとななしの体内に染み込んでくるようだった。
「レオナさん、あの……」
「なんだ。今更、怖気づいたか?」
レオナの唇の端が不敵に吊り上がった。
その表情にななしは息を呑む。
視線はななしの目をじっと見つめたまま、微塵も動かない。
レオナはゆっくりと手を伸ばした。
大きな手のひらがななしの頬をかすめるようにして、耳元に落ちた一房の髪に触れる。
指先が髪を梳く感触があまりにも鮮明で、ななしは体を硬くした。
そこから伝わる彼の体温は温室の熱気よりもずっと熱く、そして確かだった。
「お前、さっきまであれだけ饒舌だった割には、随分と大人しくなったじゃねぇか」
「それは……」
「第一印象が最悪だった、だっけか」
レオナの指先が今度は髪からななしの顎へと移動した。
強い力ではない。
けれど、拒絶を許さない指先が彼女の顔を少しだけ上向かせる。
「だったら、その最悪な印象を今ここで上書きしてやろうか?」
低く掠れた声が耳の奥で甘く重く響いた。
顎を持ち上げられたまま、ななしは小さく息を吸い込んだ。
温室の湿った熱気が肺の奥まで重く染み込んでくる。
レオナの指先から伝わる体温は、驚くほど高かった。
肌を滑る微かな摩擦が脳の芯に直接響くような奇妙な痺れをもたらす。
「どうした。さっきまでの威勢はどこへ行った」
レオナの唇から溢れる吐息がななしの唇をかすめていく。
からかうような響きを含んでいるものの、その眼差しは冗談を言っているようには見えなかった。
「……意地悪ですね、レオナさんは」
かろうじて紡ぎ出した声は驚くほど小さく震えていた。
その反応が気に入ったのか、レオナの喉の奥から愉しげな笑いが漏れる。
「意地悪? これくらいで音を上げるなら、最初から俺に突っかかってくるんじゃねぇよ」
「突っかかってなんていません。ただ、思い出話をしていただけです」
「あれが、お前にとって思い出話で済むのかよ。俺はまだ、自分の尻尾を踏みつけられた感触を忘れてねぇぞ」
「それは……謝ったじゃないですか」
「謝れば何でも許されると思ってんのか、ななし」
レオナの指先が顎から頬へと滑り、そのまま耳たぶの裏をそっとなぞった。
ぞくりとした震えが背筋を駆け上がる。
手のひらがななしの首筋を包み込むようにして引き寄せた。
拒絶する隙など最初から与えられていない。
ただ、レオナが与える熱に身を委ねるしか道がなかった。
「お前はいつもそうだ。冷酷だの、面倒くさがりだの、勝手に俺を定義して安心しようとしてる」
首筋に置かれた手のひらに、わずかに力がこもる。
引き寄せられた距離は、もうお互いの心臓の鼓動が薄い衣服を透して伝わってきそうなほどに近かった。
「俺が本気で牙を剥いたらどうなるか、その鈍い頭に一度叩き込んでおいた方がいいらしいな」
「レオナさん……」
名前を呼ぶ声すら胸元に吸い込まれて消えていく。
ななしの視界は、すでにレオナという存在だけで埋め尽くされていた。
レオナはななしの髪に指を絡め、ゆっくりと自らの顔を傾けた。
「……おい」
「はい……」
「逃げるなよ」
それは酷く傲慢で、けれど切実な懇願のようにも聞こえた。
レオナの唇がななしの額に、そして目元へと順番に落とされる。
ななしはきつく目を閉じた。
暗闇の中で肌に触れる彼の唇の温度だけが、世界のすべてのように鮮明になる。
「本当に、最悪の出会いだったな」
レオナが耳元で掠れた声で囁く。
「だけどよ……その最悪な出会いがなきゃ、俺はお前をこうして捕まえておくことも出来なかったわけだ」
彼の自嘲気味な、けれど確信に満ちた言葉がななしの胸の奥を激しく揺さぶる。
レオナは肩に額を預け深く息を吐き出した。
彼の大きな身体の重みがななしの肩にかかる。
その重みすら今は酷く愛おしく、そして手放しがたいものに感じられた。
「お前を噛み殺して、俺の縄張りに完全に閉じ込めてやりたい。……そう言ったら、お前はまた怯えて逃げ出すか?」
肩口から聞こえる声は、いつもの不遜な態度とは異なり、どこか静かで深い闇を孕んでいた。
まるで自分という存在を誰にも触れられない玉座の傍らに、永遠に繋ぎ止めておきたいと願っているかのような――レオナ自身すら制御しきれないほど暗く肥大化した独占欲が、その張り詰めた身体から痛いほど伝わってくる。
ななしはレオナの背中にそっと手を回した。
触れた彼の背中は広く、そして頼りないほどに熱い。
「逃げませんよ」
静かに囁くとレオナの身体がわずかに強張った。
やがてレオナはゆっくりと顔を上げ、ななしの顔を正面から見つめた。
そこには、いつもの冷笑も気だるげな表情もなかった。
ただ一人の男としての、剥き出しの執着だけがその瞳の奥で静かに揺らめいている。
「……その言葉、二度と取り消すんじゃねぇぞ」
低く、微かに 喉を鳴らすような男の笑みが零れる。
レオナの指先がななしの唇をそっとなぞった。
次の瞬間、重ねられた唇は温室のすべての空気を奪い去るかのように深く、そして果てしなく甘い熱を帯びていった。
