ディアソムニア
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「ほらほら、ななし。またそんなに眉間にシワを寄せて。せっかくの可愛い顔が台無しじゃぞ?」
「リリア先輩、からかわないでください。わたしは真面目にこの書類の整理をしてるんです」
「からかってなどおらん。健気に働く我が校の迷い子が愛おしくてなぁ。どれ、わしが手伝ってやろうか?」
放課後の柔らかな光が差し込む部屋で、リリアは机の端に腰掛け、楽しそうに身を乗り出した。その距離の近さに、ななしの鼓動がわずかに跳ねる。
「大丈夫です、これくらい一人でできます。先輩はいつもわたしを子ども扱いしますよね」
「おや、図星を突かれたか。しかし、わしから見ればお主などまだまだ生まれたての雛のようなもの。可愛がりたくもなるのが世の常というものじゃ」
「もう、そういうところが子ども扱いだって言ってるんです」
不満げに口を尖らせるななしを見て、リリアはくすくすと喉を鳴らして笑った。その笑い声は心地よく響き、どこか浮世離れした雰囲気を纏っている。
「そう怒るな。お主が頑張っているのはよく知っておる。だからこそ、少しはわしを頼ってほしいものじゃがな」
「……頼ってますよ、いつも。でも、たまには対等に見てほしいなって思うだけです」
「対等、か。ふむ、それはなかなか難しい注文じゃ。わしとお主とでは、歩んできた時間の長さが違いすぎるからのう」
「時間なんて関係ありません。わたしは今、ここにいるんですから」
まっすぐに見つめるななしの視線を、リリアは一瞬だけ意外そうに受け止めた。だが、すぐにいつもの悪戯っぽい笑みに戻る。
「頼もしいことじゃ。その意気込みは良し。では、その対等な相棒として、まずはこのお茶でも飲んで一息つこうではないか」
リリアがどこからか取り出したのは、少し怪しげな色をしたハーブティーだった。湯気とともに独特な香りが部屋に広がる。
「うわ、なんですかこれ。またリリア先輩の特製ですか?」
「なんじゃ、不服そうじゃな。お主の疲れを吹き飛ばすために、わしが特別に調合した自信作じゃぞ?」
「……毒味は先輩が先にしてくださいね」
「手厳しいのう。では、わしから頂くとしよう」
リリアは器用にカップを傾け、美味そうにそれを喉に流し込んだ。その一連の動作には、どこか惹きつけられる優雅さがある。
「ほれ、ななしの番じゃ。冷めないうちに飲むが良い」
「はい。……あ、思ったよりは飲みやすいかも」
「そうじゃろう? わしも少しは手加減というものを覚えたからのう」
リリアは満足そうに微笑み、ななしの頭をぽんぽんと優しく撫でた。その手の温かさが、髪を通じて頭皮に伝わる。子どもに対するそれだと分かっていても、ななしの心臓は収まりがつかない。
「リリア先輩」
「ん? なんじゃ?」
「……なんでもないです」
本当は、子ども扱いしないでほしい理由を伝えたかった。しかし目の前で優しく目を細める彼を前にすると、言葉は喉の奥に引っ込んでしまう。
「おかしな子じゃ。言いたいことがあるなら、何でも言ってみると良い。わしはお主の言葉なら、どんな小さなことでも聞き逃さぬつもりじゃぞ」
「ずるいです、そういうこと言うの」
「ずるい? わしはいつでも大真面目じゃがな」
リリアはななしの椅子の背もたれに手をかけ、上から覗き込む。
その距離は顔を上げれば唇が触れそうなほど近い。
「ななし、お主はわしの前では背伸びをする必要などないのじゃ」
「背伸びなんてしてません」
「ほう、強がりおる。まあ、そういう意地っ張りなところも、わしにとっては愛おしい要素の一つではあるがの」
耳元で囁かれた低めの声に、ななしは耳が熱くなるのを自覚した。慌てて手元の書類に目を落とすが、文字は全く頭に入ってこない。
「手が止まっておるぞ? やはりわしの手助けが必要なようじゃな」
「……じゃあ、ここの数字のチェックだけ、お願いします」
「うむ、任せるが良い。わしの動体視力で見落としなど許さぬからな」
リリアは嬉しそうに笑い、ななしのすぐ隣に並んで書類を覗き込んだ。肩が触れ合いそうな距離。彼から漂う独特の存在感が、ななしの意識を激しく揺さぶる。
「リリア先輩、近いです」
「おや、これくらいで照れておっては、この先どうするのじゃ?」
「この先ってなんですか」
「さあな。お主が大人になった時の話かもしれんし、明日の話かもしれん」
意味深に微笑むリリアの表情は、いつもの悪戯っ子のようでもあり、すべてを見透かしているようでもあった。ななしは彼の境界線がどこにあるのか分からず、ただその甘やかな空気に飲まれていく。
窓の外では夜の帳が降り始め、夕闇が静かに校舎を染め始めていた。二人の影が床に長く伸びて、ひとつに重なっている。
「……先輩は、わたしが大人になったら、ちゃんと一人の女の子として見てくれますか?」
小さく溢れたその問いに、リリアは書類をめくる手を止めた。
部屋の中が一瞬、静寂に包まれる。
「ななし」
リリアは静かに名前を呼ぶと、ななしの顔を覗き込んだ。その表情からは、いつものふざけた様子が消えている。
「わしがいつ、お主を一人の女の子として見ていないと言った?」
「え……」
「お主が思うよりも、わしはお主のことをしっかりと見ておる。ただ、今はまだ、この特等席を楽しみたいだけなのじゃ」
そう言ってリリアは、再びいつもの無邪気な笑みを浮かべ、ななしの頬を人差し指で軽く突いた。
「さあ、お喋りはここまでじゃ。これを終わらせねば、夕食の時間に遅れてしまうぞ」
「あ、待ってください、リリア先輩!」
はぐらかされたような、しかし確実に何かが残ったような不思議な感覚のまま、ななしは彼の背中を追いかけるようにペンを握り直した。二人の間の距離は、ほんの少しだけ確実に変化し始めていた。
「リリア先輩、からかわないでください。わたしは真面目にこの書類の整理をしてるんです」
「からかってなどおらん。健気に働く我が校の迷い子が愛おしくてなぁ。どれ、わしが手伝ってやろうか?」
放課後の柔らかな光が差し込む部屋で、リリアは机の端に腰掛け、楽しそうに身を乗り出した。その距離の近さに、ななしの鼓動がわずかに跳ねる。
「大丈夫です、これくらい一人でできます。先輩はいつもわたしを子ども扱いしますよね」
「おや、図星を突かれたか。しかし、わしから見ればお主などまだまだ生まれたての雛のようなもの。可愛がりたくもなるのが世の常というものじゃ」
「もう、そういうところが子ども扱いだって言ってるんです」
不満げに口を尖らせるななしを見て、リリアはくすくすと喉を鳴らして笑った。その笑い声は心地よく響き、どこか浮世離れした雰囲気を纏っている。
「そう怒るな。お主が頑張っているのはよく知っておる。だからこそ、少しはわしを頼ってほしいものじゃがな」
「……頼ってますよ、いつも。でも、たまには対等に見てほしいなって思うだけです」
「対等、か。ふむ、それはなかなか難しい注文じゃ。わしとお主とでは、歩んできた時間の長さが違いすぎるからのう」
「時間なんて関係ありません。わたしは今、ここにいるんですから」
まっすぐに見つめるななしの視線を、リリアは一瞬だけ意外そうに受け止めた。だが、すぐにいつもの悪戯っぽい笑みに戻る。
「頼もしいことじゃ。その意気込みは良し。では、その対等な相棒として、まずはこのお茶でも飲んで一息つこうではないか」
リリアがどこからか取り出したのは、少し怪しげな色をしたハーブティーだった。湯気とともに独特な香りが部屋に広がる。
「うわ、なんですかこれ。またリリア先輩の特製ですか?」
「なんじゃ、不服そうじゃな。お主の疲れを吹き飛ばすために、わしが特別に調合した自信作じゃぞ?」
「……毒味は先輩が先にしてくださいね」
「手厳しいのう。では、わしから頂くとしよう」
リリアは器用にカップを傾け、美味そうにそれを喉に流し込んだ。その一連の動作には、どこか惹きつけられる優雅さがある。
「ほれ、ななしの番じゃ。冷めないうちに飲むが良い」
「はい。……あ、思ったよりは飲みやすいかも」
「そうじゃろう? わしも少しは手加減というものを覚えたからのう」
リリアは満足そうに微笑み、ななしの頭をぽんぽんと優しく撫でた。その手の温かさが、髪を通じて頭皮に伝わる。子どもに対するそれだと分かっていても、ななしの心臓は収まりがつかない。
「リリア先輩」
「ん? なんじゃ?」
「……なんでもないです」
本当は、子ども扱いしないでほしい理由を伝えたかった。しかし目の前で優しく目を細める彼を前にすると、言葉は喉の奥に引っ込んでしまう。
「おかしな子じゃ。言いたいことがあるなら、何でも言ってみると良い。わしはお主の言葉なら、どんな小さなことでも聞き逃さぬつもりじゃぞ」
「ずるいです、そういうこと言うの」
「ずるい? わしはいつでも大真面目じゃがな」
リリアはななしの椅子の背もたれに手をかけ、上から覗き込む。
その距離は顔を上げれば唇が触れそうなほど近い。
「ななし、お主はわしの前では背伸びをする必要などないのじゃ」
「背伸びなんてしてません」
「ほう、強がりおる。まあ、そういう意地っ張りなところも、わしにとっては愛おしい要素の一つではあるがの」
耳元で囁かれた低めの声に、ななしは耳が熱くなるのを自覚した。慌てて手元の書類に目を落とすが、文字は全く頭に入ってこない。
「手が止まっておるぞ? やはりわしの手助けが必要なようじゃな」
「……じゃあ、ここの数字のチェックだけ、お願いします」
「うむ、任せるが良い。わしの動体視力で見落としなど許さぬからな」
リリアは嬉しそうに笑い、ななしのすぐ隣に並んで書類を覗き込んだ。肩が触れ合いそうな距離。彼から漂う独特の存在感が、ななしの意識を激しく揺さぶる。
「リリア先輩、近いです」
「おや、これくらいで照れておっては、この先どうするのじゃ?」
「この先ってなんですか」
「さあな。お主が大人になった時の話かもしれんし、明日の話かもしれん」
意味深に微笑むリリアの表情は、いつもの悪戯っ子のようでもあり、すべてを見透かしているようでもあった。ななしは彼の境界線がどこにあるのか分からず、ただその甘やかな空気に飲まれていく。
窓の外では夜の帳が降り始め、夕闇が静かに校舎を染め始めていた。二人の影が床に長く伸びて、ひとつに重なっている。
「……先輩は、わたしが大人になったら、ちゃんと一人の女の子として見てくれますか?」
小さく溢れたその問いに、リリアは書類をめくる手を止めた。
部屋の中が一瞬、静寂に包まれる。
「ななし」
リリアは静かに名前を呼ぶと、ななしの顔を覗き込んだ。その表情からは、いつものふざけた様子が消えている。
「わしがいつ、お主を一人の女の子として見ていないと言った?」
「え……」
「お主が思うよりも、わしはお主のことをしっかりと見ておる。ただ、今はまだ、この特等席を楽しみたいだけなのじゃ」
そう言ってリリアは、再びいつもの無邪気な笑みを浮かべ、ななしの頬を人差し指で軽く突いた。
「さあ、お喋りはここまでじゃ。これを終わらせねば、夕食の時間に遅れてしまうぞ」
「あ、待ってください、リリア先輩!」
はぐらかされたような、しかし確実に何かが残ったような不思議な感覚のまま、ななしは彼の背中を追いかけるようにペンを握り直した。二人の間の距離は、ほんの少しだけ確実に変化し始めていた。
