イグニハイド
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「はい、イデア先輩。頼まれていた資料です」
「あ、うん。そこ置いといて。……って、わざわざ持ってこなくてよかったのに。データ送れば済む話では? 拙者、部屋から一歩も出たくない引きこもりオタクなんですけど」
薄暗い部屋のデスクから、イデアは面倒くさそうに振り返る。
「たまには外の空気を吸った方が体にいいですよ。それに直接渡した方が確実ですから」
「出たー、陽キャ理論。眩しすぎて目が潰れる。だいたいななし氏は拙者をなんだと思ってるわけ? 先輩だよ? 一応、僕のほうが年上なんですけど、敬う心がミリも見当たらないのはどういうこと?」
「ちゃんと敬ってます。だからこうして、頼まれたらすぐに届けてるんじゃないですか」
「言葉遣いだけは丁寧だけど、態度が完全に『はいはい、分かったから』のトーンなんだよね。ゲームのモブNPCの方がもうちょっと拙者に怯えてくれるよ?」
「怯える必要ありますか? そうだ、これどうぞ」
差し出された紙袋を覗き込み、イデアの動きがピタリと止まる。
「……は? 待って。これ、秒で売り切れる幻のやつじゃん。なんでななし氏が持ってるの」
「来る前に購買に寄ったらラスイチだったので、イデア先輩が好きそうだなと思って。半分こしませんか」
「半分こって……女子か。いや、ななし氏は女子だけどさ。あのさあ、無自覚って本当に恐ろしいよね。そんな風に自然体で懐に入り込まれたら普通の男子なら勘違いして死ぬよ? 拙者だから『あ、これイベント入ったな』って割り切れるけど」
「イデア先輩相手だからですよ」
「……何その意味深なカウンター。不意打ちのクリティカルヒット狙うのやめて。拙者の豆腐メンタルは一撃で粉砕されるから」
「そんなに深く考えてないです。ただ、先輩が喜ぶかなと思っただけです」
「それが一番タチ悪いって、まだ気づかないわけ? ほら、お皿」
イデアはぶつぶつと文句を言いながらも、手際よく二人分の皿を用意する。
「急に素直ですね。お皿、ありがとうございます」
「……これ、中のクリームが結構いける。……って、何じっと見てるの。拙者の顔にクリームついてる?」
正面から向けられる視線に気づき、イデアが居心地悪そうに身を固くする。
「いえ、美味しそうに食べるなと思って。いつも部屋にこもって不摂生してるイメージだったので、安心しました」
「ななし氏は拙者の保護者かなんか? 完全に目線が母親のそれじゃん。拙者これでも一応、寮長なんですけどねえ」
「知ってます。でも、こうして二人で話している時は、寮長っていうより、ただのイデア先輩ですから」
「ただの、って何」
「じゃあ、天才のイデア先輩」
「雑。扱いがめちゃくちゃ雑。でも、まあ……悪くはないか」
「え?」
「なんでもない。独り言。ほら、早く食べないと拙者がそっちの分も奪い尽くすよ」
「あ、ずるいです。これはわたしの分です」
「じゃあ、早く口に運べばいいじゃん。ほらほら、もたもたしてるとカーソル合わせてクリックしちゃうぞ」
「子供みたいなこと言わないでください」
「ふん。拙者の方がななし氏より確実に人生の経験値は上なんだからね。そこんとこ、もっと骨身に染みて理解してほしいですわ」
「はいはい。じゃあ、その人生の先輩にお願いがあるんですけど」
「……何。急に真面目な顔して。そういうの危険を察知するからやめて」
「課題をちょっと見てくれませんか。どうしてもわからなくて」
「……はあ。結局それ? 拙者を都合のいい便利ツールか何かだと思ってるでしょ」
「違います。一番頼りになる先輩だと思ってるんです」
「……そういうこと、平気な顔して言う。本当に君ってやつは……で? どこが分からないわけ? ほら、早くその問題のノート見せて」
悪態をつきつつも、イデアは机の上のスペースを空ける。
「ありがとうございます。ここなんですけど」
「どれどれ……。あー、ちょっと貸して」
イデアの指先がノートに触れ、ペンを走らせる独特の音が狭い空間に響く。その手元を覗き込もうと自然と距離が近くなる。
お互いの肩が触れ合いそうなほどの近さに、イデアのペンがぴたりと止まる。
「え、待って。ななし氏、近い。近すぎる。拙者のパーソナルスペースは、一般的な人間のそれより遥かに狭い設定なんですけど」
「ノートを見ようと思ったら、どうしてもこうなっちゃいます。イデア先輩、この魔法の歴史の分岐点ってどう書けばいいんですか」
「どう書くかって、ほら……ここで勢力が逆転して……って、だから近いって言ってるじゃん。耳元で喋られると拙者のCPUがオーバーヒートして爆発するんだけど」
顔を背けながら早口で捲し立てるイデアの横顔は、わずかに色づいている。
「爆発なんてしません。先輩、いつもより声が小さいですよ?」
「それは……その、声のボリュームがバグってるだけ。だいたい、ななし氏はさあ、距離感のバグり方が尋常じゃないわけ。これ、普通の男子だったら心不全でリタイアしてるからね」
「先輩の心臓は大丈夫ですか」
「大丈夫なわけないじゃん。ほら見てよ。拙者の手、ちょっと震えてるでしょ。これ、ペン先が滑って誤字を誘発するタイプのデバフかかってるから」
ノートを押さえるイデアの長い指先に、そっと自分の手を重ねる。
「あ、本当だ。冷たいですね、先輩の手」
「触るな。不意に指先を接触すな」
「冷え性なんですか? いつも部屋にいるからかも。ほら、こうしてると少しは温かくなりますよ」
重ねられた手のひらの温度が、ダイレクトに伝わる。
イデアの身体が一瞬で硬直する。
冷え切っていた彼の肌が、触れ合った場所から急激に熱を帯びていく。
「……ななし氏。君、本当に……自分が何してるか分かってる?」
向けられた視線はいつになく真剣で、どこか焦れたような色が混ざる。
「え? 先輩の手を温めようと……」
「そういうのが、無防備すぎて危ないって言ってるの。拙者がいくらヘタレで引きこもりのオタクだからって、これでも一応男なわけ。生身の肉体を持った男」
「……知ってます」
「知っててこれなら、確信犯じゃん。悪質極まりない。拙者のライフはもうゼロよ?」
「嘘です。まだ顔が赤いだけです」
「顔が赤いのは部屋のグラフィックの設定のせいでしょ。空調の温度が上がってるだけ。……っていうか、なんで離れないわけ?」
「先輩が、離してくれないからです」
イデアの指がかすかに震えながらも、重ねられた手を逃がさないように巻き込んでいる。
男らしい骨張った大きな手が小さな手をしっかりと包み込む。
その触れ合う部分から、じわじわと熱が広がっていく。
普段の軽口とは違う少しだけ低くなった声が鼓膜を直接揺らす。
「……離してほしいの?」
「……イデア先輩が嫌なら、離します」
「嫌って……拙者が言うわけないじゃん。ずるい。ななし氏は本当にずるい。拙者の方が年上なのに。完全に手のひらで転がされてる気がする」
「転がしてないです。ただ、先輩の熱が伝わってきて、なんだか落ち着くなと思って」
「落ち着く、とか…….。拙者は今、心臓がバーストしそうなくらい、落ち着かないんだけど」
繋がれた指先にお互いの脈拍が混ざり合うようにして確かに伝わっていた。それはイデアのものなのか、それとも自分自身のものなのか、境界線が曖昧になる。
部屋の薄暗さも手伝って、視覚以外の感覚が急激に研ぎ澄まされていく。
お互いの吐息が重なるほど近い距離で、じっと見つめ合う時間がひたすら長く感じられる。
「……ねえ、ななし氏。なんで黙るわけ。いつもみたいに『はいはい』って流してよ。急に静かになられると、拙者の脳内メモリが処理落ちして何も考えられなくなるんだけど」
「流せないです。イデア先輩が、そんな顔するから」
「そんな顔って、どんな顔。拙者はいつも通り、陰キャ特有の挙動不審な顔面を晒してるだけですけど」
「違います。すごく……男の人の顔、してます」
「……っ」
イデアの喉仏が小さく上下する。
その瞬間に繋がれた手にきゅっと力がこもり、さらに指の隙間を埋めるように深く絡め取られる。
冷え切っていたはずの彼の体温は、今や触れている部分だけでなく、肌の合間を伝って全身に伝播していく。
「だから最初から言ってるじゃん。拙者は男だし、一応、君より年上だって。……今まで、どれだけ無防備に拙者の領域に踏み込んできてたか少しは自覚した?」
「……はい」
「本当に分かってる? 拙者、結構我慢してたんだからね? 画面の向こうの推しを愛でるみたいに、ななし氏のこと遠巻きに眺めてるだけで満足しようとしてたのに。君がそうやって、パーソナルスペースをぶち壊してくるから、拙者の制御プログラムが完全にクラッシュした」
低く掠れた声が耳朶を打つ。
いつもなら早口で逃げるように喋るイデアが、今は一言一言を確かめるように、ゆっくりと言葉を紡いでいる。
その事実が胸の奥を締め付けるほどに甘く響く。
「……イデア先輩」
「呼ぶ声もずるい。そんな風に優しく呼ばれたら、もう元の距離感には戻せない。……離してって言われても、もう遅いから」
絡められた指先がさらに強く引かれ、お互いの肩と胸元がぴったりと重なり合う。衣服越しでも分かるイデアの骨張った身体の輪郭と、そこから放たれる熱。
逃げ場の無い至近距離で、イデアの髪が頬にふわりと触れる。
世界が二人きりになったような錯覚を覚えるほど、部屋の静寂が濃密に満ちていく。
「……ななし氏」
「……はい」
「僕、年上らしいことなんて何一つできないし、頼りないかもしれないけど。でも君を囲い込んで、僕だけのものにしたいっていう独占欲だけはカンストしてるみたい」
大きな手のひらが頬にそっと触れる。
その指先はまだわずかに震えていて、だけど愛おしそうに肌をなぞる動きには確かな熱がこもっていた。
「普通の男なら勘違いして死ぬって言ったけど……。拙者も、ただの男だったわ。……もう勘違いのままで終わらせるつもり、ないからね」
触れ合う体温が、互いの感情の熱量を証明するように、いつまでも静かに上がり続けていた。
「あ、うん。そこ置いといて。……って、わざわざ持ってこなくてよかったのに。データ送れば済む話では? 拙者、部屋から一歩も出たくない引きこもりオタクなんですけど」
薄暗い部屋のデスクから、イデアは面倒くさそうに振り返る。
「たまには外の空気を吸った方が体にいいですよ。それに直接渡した方が確実ですから」
「出たー、陽キャ理論。眩しすぎて目が潰れる。だいたいななし氏は拙者をなんだと思ってるわけ? 先輩だよ? 一応、僕のほうが年上なんですけど、敬う心がミリも見当たらないのはどういうこと?」
「ちゃんと敬ってます。だからこうして、頼まれたらすぐに届けてるんじゃないですか」
「言葉遣いだけは丁寧だけど、態度が完全に『はいはい、分かったから』のトーンなんだよね。ゲームのモブNPCの方がもうちょっと拙者に怯えてくれるよ?」
「怯える必要ありますか? そうだ、これどうぞ」
差し出された紙袋を覗き込み、イデアの動きがピタリと止まる。
「……は? 待って。これ、秒で売り切れる幻のやつじゃん。なんでななし氏が持ってるの」
「来る前に購買に寄ったらラスイチだったので、イデア先輩が好きそうだなと思って。半分こしませんか」
「半分こって……女子か。いや、ななし氏は女子だけどさ。あのさあ、無自覚って本当に恐ろしいよね。そんな風に自然体で懐に入り込まれたら普通の男子なら勘違いして死ぬよ? 拙者だから『あ、これイベント入ったな』って割り切れるけど」
「イデア先輩相手だからですよ」
「……何その意味深なカウンター。不意打ちのクリティカルヒット狙うのやめて。拙者の豆腐メンタルは一撃で粉砕されるから」
「そんなに深く考えてないです。ただ、先輩が喜ぶかなと思っただけです」
「それが一番タチ悪いって、まだ気づかないわけ? ほら、お皿」
イデアはぶつぶつと文句を言いながらも、手際よく二人分の皿を用意する。
「急に素直ですね。お皿、ありがとうございます」
「……これ、中のクリームが結構いける。……って、何じっと見てるの。拙者の顔にクリームついてる?」
正面から向けられる視線に気づき、イデアが居心地悪そうに身を固くする。
「いえ、美味しそうに食べるなと思って。いつも部屋にこもって不摂生してるイメージだったので、安心しました」
「ななし氏は拙者の保護者かなんか? 完全に目線が母親のそれじゃん。拙者これでも一応、寮長なんですけどねえ」
「知ってます。でも、こうして二人で話している時は、寮長っていうより、ただのイデア先輩ですから」
「ただの、って何」
「じゃあ、天才のイデア先輩」
「雑。扱いがめちゃくちゃ雑。でも、まあ……悪くはないか」
「え?」
「なんでもない。独り言。ほら、早く食べないと拙者がそっちの分も奪い尽くすよ」
「あ、ずるいです。これはわたしの分です」
「じゃあ、早く口に運べばいいじゃん。ほらほら、もたもたしてるとカーソル合わせてクリックしちゃうぞ」
「子供みたいなこと言わないでください」
「ふん。拙者の方がななし氏より確実に人生の経験値は上なんだからね。そこんとこ、もっと骨身に染みて理解してほしいですわ」
「はいはい。じゃあ、その人生の先輩にお願いがあるんですけど」
「……何。急に真面目な顔して。そういうの危険を察知するからやめて」
「課題をちょっと見てくれませんか。どうしてもわからなくて」
「……はあ。結局それ? 拙者を都合のいい便利ツールか何かだと思ってるでしょ」
「違います。一番頼りになる先輩だと思ってるんです」
「……そういうこと、平気な顔して言う。本当に君ってやつは……で? どこが分からないわけ? ほら、早くその問題のノート見せて」
悪態をつきつつも、イデアは机の上のスペースを空ける。
「ありがとうございます。ここなんですけど」
「どれどれ……。あー、ちょっと貸して」
イデアの指先がノートに触れ、ペンを走らせる独特の音が狭い空間に響く。その手元を覗き込もうと自然と距離が近くなる。
お互いの肩が触れ合いそうなほどの近さに、イデアのペンがぴたりと止まる。
「え、待って。ななし氏、近い。近すぎる。拙者のパーソナルスペースは、一般的な人間のそれより遥かに狭い設定なんですけど」
「ノートを見ようと思ったら、どうしてもこうなっちゃいます。イデア先輩、この魔法の歴史の分岐点ってどう書けばいいんですか」
「どう書くかって、ほら……ここで勢力が逆転して……って、だから近いって言ってるじゃん。耳元で喋られると拙者のCPUがオーバーヒートして爆発するんだけど」
顔を背けながら早口で捲し立てるイデアの横顔は、わずかに色づいている。
「爆発なんてしません。先輩、いつもより声が小さいですよ?」
「それは……その、声のボリュームがバグってるだけ。だいたい、ななし氏はさあ、距離感のバグり方が尋常じゃないわけ。これ、普通の男子だったら心不全でリタイアしてるからね」
「先輩の心臓は大丈夫ですか」
「大丈夫なわけないじゃん。ほら見てよ。拙者の手、ちょっと震えてるでしょ。これ、ペン先が滑って誤字を誘発するタイプのデバフかかってるから」
ノートを押さえるイデアの長い指先に、そっと自分の手を重ねる。
「あ、本当だ。冷たいですね、先輩の手」
「触るな。不意に指先を接触すな」
「冷え性なんですか? いつも部屋にいるからかも。ほら、こうしてると少しは温かくなりますよ」
重ねられた手のひらの温度が、ダイレクトに伝わる。
イデアの身体が一瞬で硬直する。
冷え切っていた彼の肌が、触れ合った場所から急激に熱を帯びていく。
「……ななし氏。君、本当に……自分が何してるか分かってる?」
向けられた視線はいつになく真剣で、どこか焦れたような色が混ざる。
「え? 先輩の手を温めようと……」
「そういうのが、無防備すぎて危ないって言ってるの。拙者がいくらヘタレで引きこもりのオタクだからって、これでも一応男なわけ。生身の肉体を持った男」
「……知ってます」
「知っててこれなら、確信犯じゃん。悪質極まりない。拙者のライフはもうゼロよ?」
「嘘です。まだ顔が赤いだけです」
「顔が赤いのは部屋のグラフィックの設定のせいでしょ。空調の温度が上がってるだけ。……っていうか、なんで離れないわけ?」
「先輩が、離してくれないからです」
イデアの指がかすかに震えながらも、重ねられた手を逃がさないように巻き込んでいる。
男らしい骨張った大きな手が小さな手をしっかりと包み込む。
その触れ合う部分から、じわじわと熱が広がっていく。
普段の軽口とは違う少しだけ低くなった声が鼓膜を直接揺らす。
「……離してほしいの?」
「……イデア先輩が嫌なら、離します」
「嫌って……拙者が言うわけないじゃん。ずるい。ななし氏は本当にずるい。拙者の方が年上なのに。完全に手のひらで転がされてる気がする」
「転がしてないです。ただ、先輩の熱が伝わってきて、なんだか落ち着くなと思って」
「落ち着く、とか…….。拙者は今、心臓がバーストしそうなくらい、落ち着かないんだけど」
繋がれた指先にお互いの脈拍が混ざり合うようにして確かに伝わっていた。それはイデアのものなのか、それとも自分自身のものなのか、境界線が曖昧になる。
部屋の薄暗さも手伝って、視覚以外の感覚が急激に研ぎ澄まされていく。
お互いの吐息が重なるほど近い距離で、じっと見つめ合う時間がひたすら長く感じられる。
「……ねえ、ななし氏。なんで黙るわけ。いつもみたいに『はいはい』って流してよ。急に静かになられると、拙者の脳内メモリが処理落ちして何も考えられなくなるんだけど」
「流せないです。イデア先輩が、そんな顔するから」
「そんな顔って、どんな顔。拙者はいつも通り、陰キャ特有の挙動不審な顔面を晒してるだけですけど」
「違います。すごく……男の人の顔、してます」
「……っ」
イデアの喉仏が小さく上下する。
その瞬間に繋がれた手にきゅっと力がこもり、さらに指の隙間を埋めるように深く絡め取られる。
冷え切っていたはずの彼の体温は、今や触れている部分だけでなく、肌の合間を伝って全身に伝播していく。
「だから最初から言ってるじゃん。拙者は男だし、一応、君より年上だって。……今まで、どれだけ無防備に拙者の領域に踏み込んできてたか少しは自覚した?」
「……はい」
「本当に分かってる? 拙者、結構我慢してたんだからね? 画面の向こうの推しを愛でるみたいに、ななし氏のこと遠巻きに眺めてるだけで満足しようとしてたのに。君がそうやって、パーソナルスペースをぶち壊してくるから、拙者の制御プログラムが完全にクラッシュした」
低く掠れた声が耳朶を打つ。
いつもなら早口で逃げるように喋るイデアが、今は一言一言を確かめるように、ゆっくりと言葉を紡いでいる。
その事実が胸の奥を締め付けるほどに甘く響く。
「……イデア先輩」
「呼ぶ声もずるい。そんな風に優しく呼ばれたら、もう元の距離感には戻せない。……離してって言われても、もう遅いから」
絡められた指先がさらに強く引かれ、お互いの肩と胸元がぴったりと重なり合う。衣服越しでも分かるイデアの骨張った身体の輪郭と、そこから放たれる熱。
逃げ場の無い至近距離で、イデアの髪が頬にふわりと触れる。
世界が二人きりになったような錯覚を覚えるほど、部屋の静寂が濃密に満ちていく。
「……ななし氏」
「……はい」
「僕、年上らしいことなんて何一つできないし、頼りないかもしれないけど。でも君を囲い込んで、僕だけのものにしたいっていう独占欲だけはカンストしてるみたい」
大きな手のひらが頬にそっと触れる。
その指先はまだわずかに震えていて、だけど愛おしそうに肌をなぞる動きには確かな熱がこもっていた。
「普通の男なら勘違いして死ぬって言ったけど……。拙者も、ただの男だったわ。……もう勘違いのままで終わらせるつもり、ないからね」
触れ合う体温が、互いの感情の熱量を証明するように、いつまでも静かに上がり続けていた。
