ディアソムニア
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西日が差し込む部屋は静かだ。
窓の外からは時折、風に揺れる木の葉の音だけが聞こえてくる。机に向かってペンを動かしていたななしは、ふと手を止めて隣を見た。
シルバーは椅子に座ったまま静かに目を閉じている。
規則正しい呼吸の音が狭い室内でかすかに響いていた。
「先輩、また寝ちゃいました?」
声をかけても返事はない。
ななしは少しだけ身を乗り出して、その横顔を覗き込んだ。
シルバーはいつでもどこでも眠ってしまう。
起こすべきか迷いながらななしは手元に残った作業のプリントに視線を戻した。あと数枚で、今日やるべき分は終わる。
「……ん」
小さな呟きと共にシルバーの身体がわずかに動いた。
ゆっくりと開かれた瞳が、ぼんやりと隣のななしを捉える。
「あ、起きました?」
「……すまない。また眠ってしまっていたか」
「はい。でも、すぐに起きてくれてよかったです」
シルバーは小さく息を吐き自分の前髪を軽くかき上げた。
まだ完全に意識が覚醒していないのか動作がいつもより少しだけ遅い。
「どこまで進んだ。俺も手伝おう」
「ありがとうございます。でも、もうすぐ終わりますよ」
「そうか。お前はいつも要領が良いな」
「先輩が寝ている間に頑張っただけです」
少しだけからかうように言うとシルバーは申し訳なさそうに眉を下げた。
「次は必ず、眠らずに最後までやり遂げる」
「ふふ、無理しなくて大丈夫です。先輩の体質ですし」
ななしが笑うとシルバーも小さく微笑んだ。
部屋には穏やかで静かな空気が流れている。
「よし、これで終わりです」
最後のプリントにペンでチェックが入り机の上が片付けられ始める。
シルバーも立ち上がり一緒に書類をまとめ始めた。
「これ、届けてきますね」
「俺も行こう。荷物を持つ」
「これくらい、一人で持てますよ」
「いや、俺が持ちたいんだ。行こう、ななし」
名前を呼ばれたななしは素直に書類の半分をシルバーに手渡した。
廊下に出ると夕方のひんやりとした空気が肌を撫でる。
並んで歩く二人の肩が時折、軽く触れ合った。
「最近、寒くなってきたな」
「そうですね。夜は特に冷え込みます」
「体調は崩していないか。何かあれば、すぐに俺に言うといい」
「はい、気をつけます。先輩こそ風邪ひかないでくださいね。外で寝ちゃうと危ないですから」
「善処する。だが、こればかりは制御が難しくてな」
シルバーは困ったように笑いながら手元の書類を抱え直した。
ななしは歩幅を合わせ二人の影は長い尾を引いて床に伸びている。
言葉が途切れても、そこに気まずさは一切ない。
沈黙すらも自然に受け入れられる、そんな距離感だった。
「……あ」
階段の手前でシルバーが急に足を止めた。
つられるようにしてななしも足を止める。
「どうしました?」
「いや、お前の髪に何かついていると思ってな」
シルバーの手が躊躇なく伸びななしの頭へと向かう。
少し無骨な指先が髪に優しく触れた。
二人の距離が一気に縮まる。
シルバーの身体から漂う気配が至近距離でななしを包み込んだ。
「取れたぞ。木の葉の破片のようだ」
差し出された手のひらの上には小さな茶色い破片が乗っていた。
「あ、ありがとうございます」
「ああ。さあ、行こう」
何事もなかったかのように歩き出すシルバーの後ろをななしは一歩遅れて追いかける。ほんの一瞬触れられた場所が、まだそこに残っているかのような錯覚を覚える。
ななしの足取りは心なしかさっきよりも少しだけ早くなっていた。
◇
用事を済ませ回廊に出る頃には辺りはすっかり薄暗くなっていた。
廊下の光が、ぽつぽつと照らし始めている。
「じゃあ、わたしはここで」
「ああ。気をつけて帰るんだぞ、ななし」
「はい。先輩も」
別れ際、シルバーが何かを思い出したようにななしの制服の袖を軽く引いた。ほんの少しの力だったがななしの足は完全に止まる。
「あの、先輩?」
「……いや。明日も、また同じ場所で作業をするだろうか」
「ええ、そのつもりですけど」
「そうか。なら明日も俺に手伝わせてほしい。お前と過ごす時間は不思議と心が落ち着くんだ」
シルバーの表情には一切の他意も駆け引きもない。
ただ思ったことを、そのまま口にしているだけだった。
「はい、ぜひ。明日も待ってますね」
「ああ、また明日」
シルバーは満足そうに頷くと今度こそ背を向けて歩き出した。
その背中が見えなくなるまでななしはその場から動かなかった。
夕闇に溶けていく背中を視線で追いかけながらななしは小さく息を吐き出す。二人の間には、ほのかな熱の余韻だけが残されていた。
・
翌日の放課後も昨日と同じように二人の時間が流れていた。
持ち寄った課題を片付けるペン先が静かな部屋に規則正しい音を刻む。
ふと、シルバーの手が止まり、その頭がゆっくりと傾いた。
昨日と全く同じ深い微睡みの淵へと落ちていく。
ななしは動かしていた手を止め、じっとその姿を見つめた。
遮るもののない距離で見るシルバーの寝顔は驚くほど無防備だ。
そっと息を潜め、ななしは昨日よりも少しだけその顔へ近づいてみる。
シルバーの唇から零れる規則正しい吐息が、ななしの頬を微かに揺らした。
(……近い)
そう思った瞬間、心臓の奥がどくりと大きく跳ねる。
ただの呼吸の音が自分の耳の奥で鳴り響く鼓動の音と重なっていく。
シルバーが身にまとう気配が容赦なくこちらの皮膚に染み込んでくるようだった。
空気が熱を帯び部屋全体の酸素が薄くなったかのような錯覚に陥る。
ななしの指先が微かに震えた。
「……ん」
シルバーの長い睫毛が揺れ、ゆっくりと瞼が持ち上がる。
至近距離で視線が真っ直ぐに重なった。
驚きで固まってしまったななしは、なぜか動くことができなかった。シルバーの瞳の奥に自分の姿が映り込んでいるのがはっきりと見える。
「ななし……?」
低く掠れた声が鼓膜を直接揺らす。
シルバーは逃げようとしないななしを見つめたまま、身体を起こさず、ただじっとその視線を受け止めていた。
「起きて、ましたか」
「いや。今、目が覚めた。お前が近くにいたから夢かと思った」
「夢じゃ、ないです」
「そうだな。お前の体温がここまで伝わってくる」
シルバーはゆっくりと上体を起こすと迷うように手を伸ばし、ななしの頬にそっと指先を触れさせた。
驚くほど熱い。
それがシルバーの指の熱なのか、自分の肌の熱なのか、もう分からなかった。感覚が混ざり合い世界から音が消えていく。
「お前といると胸の奥が騒がしくなる。眠気とは違う、もっと強烈な何かが、俺を捉えて離さないんだ」
シルバーの言葉は酷く静かで、だからこそ重かった。
向けられる眼差しはどこまでも真摯で逃げる隙など一片も与えられない。
「それは、どういう……」
「言葉にするのが難しい。だが、こうしてお前に触れていると胸が締め付けられるように痛む」
シルバーの親指がななしの唇の端を信じられないほど優しくなぞる。
その皮膚の質感、お互いの境界線が曖昧になるほどの密着感が、脳裏に直接焼き付いていく。
ななしはただ、シルバーの胸元にそっと手を添えることしかできなかった。
手のひらから伝わってくる彼の鼓動は、いつもの冷静な彼からは想像もつかないほど速く、激しく脈打っている。
「先輩も、同じですか」
「同じ?」
「心臓が、うるさいです。壊れちゃいそうなくらい」
ななしの掠れた呟きを聞いた瞬間、シルバーの瞳が僅かに揺れた。
彼は何かを決意したように頬に添えていた手をななしの後頭部へと回す。
引き寄せられる力に逆らう意志など最初から存在しなかった。
お互いの呼吸が完全に重なり交わる。
触れ合った唇から言葉にならない感情のすべてが互いの内へと流れ込んでいく。それはどこまでも濃密で、頭の芯が痺れるほど深い二人の世界だ。
「……ななし」
離れた唇から熱い息が零れる。
シルバーはななしを壊れ物を扱うように抱きしめ、その肩口に深く顔を埋めた。
「離したくない。この熱の理由が何であれ、俺はお前を失いたくない」
背中に回されたシルバーの腕に、ぎゅっと力がこもる。
ななしもまた彼の背中に手を回し、その大きな身体を強く抱きしめ返した。
窓の外からは時折、風に揺れる木の葉の音だけが聞こえてくる。机に向かってペンを動かしていたななしは、ふと手を止めて隣を見た。
シルバーは椅子に座ったまま静かに目を閉じている。
規則正しい呼吸の音が狭い室内でかすかに響いていた。
「先輩、また寝ちゃいました?」
声をかけても返事はない。
ななしは少しだけ身を乗り出して、その横顔を覗き込んだ。
シルバーはいつでもどこでも眠ってしまう。
起こすべきか迷いながらななしは手元に残った作業のプリントに視線を戻した。あと数枚で、今日やるべき分は終わる。
「……ん」
小さな呟きと共にシルバーの身体がわずかに動いた。
ゆっくりと開かれた瞳が、ぼんやりと隣のななしを捉える。
「あ、起きました?」
「……すまない。また眠ってしまっていたか」
「はい。でも、すぐに起きてくれてよかったです」
シルバーは小さく息を吐き自分の前髪を軽くかき上げた。
まだ完全に意識が覚醒していないのか動作がいつもより少しだけ遅い。
「どこまで進んだ。俺も手伝おう」
「ありがとうございます。でも、もうすぐ終わりますよ」
「そうか。お前はいつも要領が良いな」
「先輩が寝ている間に頑張っただけです」
少しだけからかうように言うとシルバーは申し訳なさそうに眉を下げた。
「次は必ず、眠らずに最後までやり遂げる」
「ふふ、無理しなくて大丈夫です。先輩の体質ですし」
ななしが笑うとシルバーも小さく微笑んだ。
部屋には穏やかで静かな空気が流れている。
「よし、これで終わりです」
最後のプリントにペンでチェックが入り机の上が片付けられ始める。
シルバーも立ち上がり一緒に書類をまとめ始めた。
「これ、届けてきますね」
「俺も行こう。荷物を持つ」
「これくらい、一人で持てますよ」
「いや、俺が持ちたいんだ。行こう、ななし」
名前を呼ばれたななしは素直に書類の半分をシルバーに手渡した。
廊下に出ると夕方のひんやりとした空気が肌を撫でる。
並んで歩く二人の肩が時折、軽く触れ合った。
「最近、寒くなってきたな」
「そうですね。夜は特に冷え込みます」
「体調は崩していないか。何かあれば、すぐに俺に言うといい」
「はい、気をつけます。先輩こそ風邪ひかないでくださいね。外で寝ちゃうと危ないですから」
「善処する。だが、こればかりは制御が難しくてな」
シルバーは困ったように笑いながら手元の書類を抱え直した。
ななしは歩幅を合わせ二人の影は長い尾を引いて床に伸びている。
言葉が途切れても、そこに気まずさは一切ない。
沈黙すらも自然に受け入れられる、そんな距離感だった。
「……あ」
階段の手前でシルバーが急に足を止めた。
つられるようにしてななしも足を止める。
「どうしました?」
「いや、お前の髪に何かついていると思ってな」
シルバーの手が躊躇なく伸びななしの頭へと向かう。
少し無骨な指先が髪に優しく触れた。
二人の距離が一気に縮まる。
シルバーの身体から漂う気配が至近距離でななしを包み込んだ。
「取れたぞ。木の葉の破片のようだ」
差し出された手のひらの上には小さな茶色い破片が乗っていた。
「あ、ありがとうございます」
「ああ。さあ、行こう」
何事もなかったかのように歩き出すシルバーの後ろをななしは一歩遅れて追いかける。ほんの一瞬触れられた場所が、まだそこに残っているかのような錯覚を覚える。
ななしの足取りは心なしかさっきよりも少しだけ早くなっていた。
◇
用事を済ませ回廊に出る頃には辺りはすっかり薄暗くなっていた。
廊下の光が、ぽつぽつと照らし始めている。
「じゃあ、わたしはここで」
「ああ。気をつけて帰るんだぞ、ななし」
「はい。先輩も」
別れ際、シルバーが何かを思い出したようにななしの制服の袖を軽く引いた。ほんの少しの力だったがななしの足は完全に止まる。
「あの、先輩?」
「……いや。明日も、また同じ場所で作業をするだろうか」
「ええ、そのつもりですけど」
「そうか。なら明日も俺に手伝わせてほしい。お前と過ごす時間は不思議と心が落ち着くんだ」
シルバーの表情には一切の他意も駆け引きもない。
ただ思ったことを、そのまま口にしているだけだった。
「はい、ぜひ。明日も待ってますね」
「ああ、また明日」
シルバーは満足そうに頷くと今度こそ背を向けて歩き出した。
その背中が見えなくなるまでななしはその場から動かなかった。
夕闇に溶けていく背中を視線で追いかけながらななしは小さく息を吐き出す。二人の間には、ほのかな熱の余韻だけが残されていた。
・
翌日の放課後も昨日と同じように二人の時間が流れていた。
持ち寄った課題を片付けるペン先が静かな部屋に規則正しい音を刻む。
ふと、シルバーの手が止まり、その頭がゆっくりと傾いた。
昨日と全く同じ深い微睡みの淵へと落ちていく。
ななしは動かしていた手を止め、じっとその姿を見つめた。
遮るもののない距離で見るシルバーの寝顔は驚くほど無防備だ。
そっと息を潜め、ななしは昨日よりも少しだけその顔へ近づいてみる。
シルバーの唇から零れる規則正しい吐息が、ななしの頬を微かに揺らした。
(……近い)
そう思った瞬間、心臓の奥がどくりと大きく跳ねる。
ただの呼吸の音が自分の耳の奥で鳴り響く鼓動の音と重なっていく。
シルバーが身にまとう気配が容赦なくこちらの皮膚に染み込んでくるようだった。
空気が熱を帯び部屋全体の酸素が薄くなったかのような錯覚に陥る。
ななしの指先が微かに震えた。
「……ん」
シルバーの長い睫毛が揺れ、ゆっくりと瞼が持ち上がる。
至近距離で視線が真っ直ぐに重なった。
驚きで固まってしまったななしは、なぜか動くことができなかった。シルバーの瞳の奥に自分の姿が映り込んでいるのがはっきりと見える。
「ななし……?」
低く掠れた声が鼓膜を直接揺らす。
シルバーは逃げようとしないななしを見つめたまま、身体を起こさず、ただじっとその視線を受け止めていた。
「起きて、ましたか」
「いや。今、目が覚めた。お前が近くにいたから夢かと思った」
「夢じゃ、ないです」
「そうだな。お前の体温がここまで伝わってくる」
シルバーはゆっくりと上体を起こすと迷うように手を伸ばし、ななしの頬にそっと指先を触れさせた。
驚くほど熱い。
それがシルバーの指の熱なのか、自分の肌の熱なのか、もう分からなかった。感覚が混ざり合い世界から音が消えていく。
「お前といると胸の奥が騒がしくなる。眠気とは違う、もっと強烈な何かが、俺を捉えて離さないんだ」
シルバーの言葉は酷く静かで、だからこそ重かった。
向けられる眼差しはどこまでも真摯で逃げる隙など一片も与えられない。
「それは、どういう……」
「言葉にするのが難しい。だが、こうしてお前に触れていると胸が締め付けられるように痛む」
シルバーの親指がななしの唇の端を信じられないほど優しくなぞる。
その皮膚の質感、お互いの境界線が曖昧になるほどの密着感が、脳裏に直接焼き付いていく。
ななしはただ、シルバーの胸元にそっと手を添えることしかできなかった。
手のひらから伝わってくる彼の鼓動は、いつもの冷静な彼からは想像もつかないほど速く、激しく脈打っている。
「先輩も、同じですか」
「同じ?」
「心臓が、うるさいです。壊れちゃいそうなくらい」
ななしの掠れた呟きを聞いた瞬間、シルバーの瞳が僅かに揺れた。
彼は何かを決意したように頬に添えていた手をななしの後頭部へと回す。
引き寄せられる力に逆らう意志など最初から存在しなかった。
お互いの呼吸が完全に重なり交わる。
触れ合った唇から言葉にならない感情のすべてが互いの内へと流れ込んでいく。それはどこまでも濃密で、頭の芯が痺れるほど深い二人の世界だ。
「……ななし」
離れた唇から熱い息が零れる。
シルバーはななしを壊れ物を扱うように抱きしめ、その肩口に深く顔を埋めた。
「離したくない。この熱の理由が何であれ、俺はお前を失いたくない」
背中に回されたシルバーの腕に、ぎゅっと力がこもる。
ななしもまた彼の背中に手を回し、その大きな身体を強く抱きしめ返した。
