ディアソムニア
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カーテンが陽光を遮り部屋の中は薄暗い。
外の喧騒は遠く、ここには届かない。
「本当にツノ太郎は神出鬼没だね」
「嫌か?」
「まさか!大歓迎」
ソファーに腰掛けたマレウスが隣の空きスペースをぽんぽんと叩く。
促されるままに腰を下ろすと、わずかに沈み込む感覚があった。
「でも、連絡くらいはしてくれてもいいのに。ツノ太郎、神出鬼没すぎるよ」
「僕がいつどこに現れようと、僕の自由だろう」
「それはそうだけど。心の準備っていうものがあるから」
マレウスはふっと息を漏らして笑う。
その笑みには、どこか悪戯っぽい響きが含まれている。
「準備など必要ない。ただ、僕を迎えてくれればそれでいい」
「相変わらず横暴だなあ」
「そう聞こえたなら、僕の言い方が悪かった。すまない」
謝罪の言葉とは裏腹にマレウスの表情には余裕がある。
差し出された彼の大きな手が、こちらの右手に触れた。
長い指が一本ずつ丁寧にこちらの指の隙間に滑り込んでくる。
「手が冷たいな」
「ツノ太郎の体温が高いだけじゃない?」
「そうかもしれないな」
絡み合った指先が互いの体温を確かめ合うように小さく動く。
マレウスの指は驚くほど長く骨張っている。
包み込まれるような感覚に自然と肩の力が抜けていく。
「こうしていると、落ち着く?」
「ああ。お前の隣は不思議と雑音が消える」
「わたしの部屋、何もないから」
「物が多いか少ないかは問題ではない。お前がいるかいないか、それだけだ」
真摯な眼差しが向けられる。
言葉の重みに鼓動が少しだけ速くなる。
マレウスはそれを察したのか繋いだ手に少しだけ力を込めた。
「どうした?」
「べつに。ツノ太郎が急に真面目な顔をするから」
「そうか? お前と向き合っている時はいつも真面目なつもりなんだが」
「もう、そういうことをさらっと言う」
呆れたように息を吐くとマレウスは満足そうに目を細める。
窓の外で風が木々を揺らす音が微かに聞こえた。
しかしこの密室の中の静寂を破るほどではない。
「ねえ、ツノ太郎」
「何だ」
「今日、この後はどうするの」
「何も決めていない。ただ、こうしてお前と過ごすこと以外は」
「リリア先輩たちに怒られても知らないよ」
「案じる必要などない。ここには、僕とお前しかいないのだから」
繋がれた指と指が、さらに深く噛み合う。
互いの肌が擦れるたび微かな摩擦が熱となってじわりと広がっていく。
「どこにも行かないで、ここにいてくれる?」
「言われるまでもない。僕をここから追い出せる者がいると思うか?」
「いないね。絶対に」
マレウスは静かに微笑み繋いだ手を少しだけ自分の方へと引き寄せた。
二人の距離がまたわずかに縮まる。
薄暗い部屋の空気はいつの間にか密度を増している。
繋いだ指先から伝わる熱が手のひらを通じて腕へ、そして胸の奥へとじわじわと染み込んでいく。
「ツノ太郎、ちょっと近い」
「そうだろうか。僕にはまだ遠く思えるが」
マレウスは繋いでいない方の手を伸ばし、こちらの髪に軽く触れた。
指先が髪をすり抜け耳の後ろをかすめる。
そのわずかな刺激に背筋が小さく震えた。
「……手が、さっきより熱い気がする」
「お前の肌が冷たいから、そう感じるだけかもしれない。あるいは僕の血が騒いでいるのか」
「血が騒ぐって、大袈裟な」
「大袈裟なものか。現にお前の鼓動も速くなっている」
マレウスの視線がこちらの首元へと落とされる。
ドクドクと脈打つ音がこの狭い空間に響いてしまいそうで胸が詰まる。
逃げようとするわけではないのに、マレウスはそれを防ぐように絡め合わせた指の力をさらに強めた。
「逃がさないぞ?」
「逃げないってば」
「なら、なぜそんなに緊張している。僕のことが怖いか?」
「怖いわけないよ。ただ……」
「ただ?」
言葉に詰まる。
視線が絡み合い、互いの吐息が届く距離で感情と身体の感覚が境界を失っていく。彼がただそこにいるだけで、部屋の空気がすべてマレウスの色に染まっていくような錯覚に囚われる。
「言葉にできないのなら、無理に紡ぐ必要はない」
マレウスがさらに顔を近づける。
遮られた光のせいで彼の顔は影を帯びているが、その存在感は増すばかりだ。触れ合っている手のひらがじっとりと汗ばみ、互いの境界線が曖昧になる。
「ツノ太郎、息が苦しい」
「僕のせい、ということか?」
「そうだよ。全部ツノ太郎のせい」
「光栄なことだ。お前を揺さぶるものが僕の存在であるならば」
マレウスの声がいつもより低く響く。
その響きが直接脳を揺らすように心地よく、同時に思考を奪っていく。
絡み合う指の隙間が、じわじわと熱で満たされていく。
「お前は、本当に不思議な人間だ」
「何が?」
「僕を恐れず、こうして側に置く。その熱が僕をどう狂わせるか分かっていない」
「狂うような人じゃないでしょ」
「どうかな。自分でも今の自分の境界がよく分からないのだから」
マレウスの手が、こちらの頬をそっと包み込む。
大きな手のひらの質量と、そこから伝わる容赦のない熱量。
その温もりに身を委ねるように自然と目を閉じていた。
瞼の裏の暗闇に肌を撫でる指先の感触だけが鮮明に浮かび上がる。
マレウスの指先がこちらの頬から輪郭をなぞり、ゆっくりと顎を持ち上げる。触れ合っているすべての場所から熱が溶け出していく。
「目を開けてくれ」
「……開けたらツノ太郎の顔が近すぎるから嫌だ」
「嫌か。その割には僕の手を握り返す力が強いようだが」
「それはツノ太郎が強く握るから」
「お互い様ということにしておこう」
小さく笑う彼の呼気がこちらの唇をかすめていく。
その温度の高さに胸の奥が締め付けられるように熱くなる。
からみあう十本の指は、もうどちらがどちらのものか判別がつかないほどに密着している。ただ絶え間なく伝わってくる強い脈動だけが、互いの存在を主張している。
「ツノ太郎、本当に帰らなくていいの」
「帰る場所ならここにある」
「わたしの部屋なのに」
「お前がいる場所が、僕の行くべき場所だ。それに、今は外の風がひどく冷たい」
「そんなの言い訳でしょ」
「そうかもしれないな」
マレウスは否定せず静かに微笑む。
マレウスの額がこちらの額にそっと触れた。
触れ合う肌を通じて思考のすべてがこちらに流れ込んでくるような、濃密な感覚に支配される。言葉を交わさずとも、互いの求めているものが空気を通じて伝わっていく。
「ななし、」
不意に彼がこちらの名前を呼んだ。
「急に名前で呼ばないで」
「嫌か?」
「……ううん。びっくりしただけ」
「お前が僕を特別な名で呼ぶように、僕もお前を僕だけの特別にしたいのだ。許してくれ」
マレウスの掠れた声が耳元で甘く囁かれる。
その響きは深く体の芯まで届いて痺れさせる。
マレウスの手が頬から滑り落ち、こちらの首筋をそっと這い上がって後頭部を優しく支えた。拒絶する隙など最初から与えられていない。
しかし、そこにあるのは強引さではなく、壊れ物を扱うかのような丁寧な慈しみだ。
「もう、逃げられないな」
「逃げるつもりなんて、最初からないよ」
「知っているさ。お前の体温が、そう教えてくれている」
重なる吐息が部屋の冷たい空気を完全に消し去っていく。
閉ざされた空間のなかで、ふたりの境界線は静かに、そして確実に融け合っていった。
外の喧騒は遠く、ここには届かない。
「本当にツノ太郎は神出鬼没だね」
「嫌か?」
「まさか!大歓迎」
ソファーに腰掛けたマレウスが隣の空きスペースをぽんぽんと叩く。
促されるままに腰を下ろすと、わずかに沈み込む感覚があった。
「でも、連絡くらいはしてくれてもいいのに。ツノ太郎、神出鬼没すぎるよ」
「僕がいつどこに現れようと、僕の自由だろう」
「それはそうだけど。心の準備っていうものがあるから」
マレウスはふっと息を漏らして笑う。
その笑みには、どこか悪戯っぽい響きが含まれている。
「準備など必要ない。ただ、僕を迎えてくれればそれでいい」
「相変わらず横暴だなあ」
「そう聞こえたなら、僕の言い方が悪かった。すまない」
謝罪の言葉とは裏腹にマレウスの表情には余裕がある。
差し出された彼の大きな手が、こちらの右手に触れた。
長い指が一本ずつ丁寧にこちらの指の隙間に滑り込んでくる。
「手が冷たいな」
「ツノ太郎の体温が高いだけじゃない?」
「そうかもしれないな」
絡み合った指先が互いの体温を確かめ合うように小さく動く。
マレウスの指は驚くほど長く骨張っている。
包み込まれるような感覚に自然と肩の力が抜けていく。
「こうしていると、落ち着く?」
「ああ。お前の隣は不思議と雑音が消える」
「わたしの部屋、何もないから」
「物が多いか少ないかは問題ではない。お前がいるかいないか、それだけだ」
真摯な眼差しが向けられる。
言葉の重みに鼓動が少しだけ速くなる。
マレウスはそれを察したのか繋いだ手に少しだけ力を込めた。
「どうした?」
「べつに。ツノ太郎が急に真面目な顔をするから」
「そうか? お前と向き合っている時はいつも真面目なつもりなんだが」
「もう、そういうことをさらっと言う」
呆れたように息を吐くとマレウスは満足そうに目を細める。
窓の外で風が木々を揺らす音が微かに聞こえた。
しかしこの密室の中の静寂を破るほどではない。
「ねえ、ツノ太郎」
「何だ」
「今日、この後はどうするの」
「何も決めていない。ただ、こうしてお前と過ごすこと以外は」
「リリア先輩たちに怒られても知らないよ」
「案じる必要などない。ここには、僕とお前しかいないのだから」
繋がれた指と指が、さらに深く噛み合う。
互いの肌が擦れるたび微かな摩擦が熱となってじわりと広がっていく。
「どこにも行かないで、ここにいてくれる?」
「言われるまでもない。僕をここから追い出せる者がいると思うか?」
「いないね。絶対に」
マレウスは静かに微笑み繋いだ手を少しだけ自分の方へと引き寄せた。
二人の距離がまたわずかに縮まる。
薄暗い部屋の空気はいつの間にか密度を増している。
繋いだ指先から伝わる熱が手のひらを通じて腕へ、そして胸の奥へとじわじわと染み込んでいく。
「ツノ太郎、ちょっと近い」
「そうだろうか。僕にはまだ遠く思えるが」
マレウスは繋いでいない方の手を伸ばし、こちらの髪に軽く触れた。
指先が髪をすり抜け耳の後ろをかすめる。
そのわずかな刺激に背筋が小さく震えた。
「……手が、さっきより熱い気がする」
「お前の肌が冷たいから、そう感じるだけかもしれない。あるいは僕の血が騒いでいるのか」
「血が騒ぐって、大袈裟な」
「大袈裟なものか。現にお前の鼓動も速くなっている」
マレウスの視線がこちらの首元へと落とされる。
ドクドクと脈打つ音がこの狭い空間に響いてしまいそうで胸が詰まる。
逃げようとするわけではないのに、マレウスはそれを防ぐように絡め合わせた指の力をさらに強めた。
「逃がさないぞ?」
「逃げないってば」
「なら、なぜそんなに緊張している。僕のことが怖いか?」
「怖いわけないよ。ただ……」
「ただ?」
言葉に詰まる。
視線が絡み合い、互いの吐息が届く距離で感情と身体の感覚が境界を失っていく。彼がただそこにいるだけで、部屋の空気がすべてマレウスの色に染まっていくような錯覚に囚われる。
「言葉にできないのなら、無理に紡ぐ必要はない」
マレウスがさらに顔を近づける。
遮られた光のせいで彼の顔は影を帯びているが、その存在感は増すばかりだ。触れ合っている手のひらがじっとりと汗ばみ、互いの境界線が曖昧になる。
「ツノ太郎、息が苦しい」
「僕のせい、ということか?」
「そうだよ。全部ツノ太郎のせい」
「光栄なことだ。お前を揺さぶるものが僕の存在であるならば」
マレウスの声がいつもより低く響く。
その響きが直接脳を揺らすように心地よく、同時に思考を奪っていく。
絡み合う指の隙間が、じわじわと熱で満たされていく。
「お前は、本当に不思議な人間だ」
「何が?」
「僕を恐れず、こうして側に置く。その熱が僕をどう狂わせるか分かっていない」
「狂うような人じゃないでしょ」
「どうかな。自分でも今の自分の境界がよく分からないのだから」
マレウスの手が、こちらの頬をそっと包み込む。
大きな手のひらの質量と、そこから伝わる容赦のない熱量。
その温もりに身を委ねるように自然と目を閉じていた。
瞼の裏の暗闇に肌を撫でる指先の感触だけが鮮明に浮かび上がる。
マレウスの指先がこちらの頬から輪郭をなぞり、ゆっくりと顎を持ち上げる。触れ合っているすべての場所から熱が溶け出していく。
「目を開けてくれ」
「……開けたらツノ太郎の顔が近すぎるから嫌だ」
「嫌か。その割には僕の手を握り返す力が強いようだが」
「それはツノ太郎が強く握るから」
「お互い様ということにしておこう」
小さく笑う彼の呼気がこちらの唇をかすめていく。
その温度の高さに胸の奥が締め付けられるように熱くなる。
からみあう十本の指は、もうどちらがどちらのものか判別がつかないほどに密着している。ただ絶え間なく伝わってくる強い脈動だけが、互いの存在を主張している。
「ツノ太郎、本当に帰らなくていいの」
「帰る場所ならここにある」
「わたしの部屋なのに」
「お前がいる場所が、僕の行くべき場所だ。それに、今は外の風がひどく冷たい」
「そんなの言い訳でしょ」
「そうかもしれないな」
マレウスは否定せず静かに微笑む。
マレウスの額がこちらの額にそっと触れた。
触れ合う肌を通じて思考のすべてがこちらに流れ込んでくるような、濃密な感覚に支配される。言葉を交わさずとも、互いの求めているものが空気を通じて伝わっていく。
「ななし、」
不意に彼がこちらの名前を呼んだ。
「急に名前で呼ばないで」
「嫌か?」
「……ううん。びっくりしただけ」
「お前が僕を特別な名で呼ぶように、僕もお前を僕だけの特別にしたいのだ。許してくれ」
マレウスの掠れた声が耳元で甘く囁かれる。
その響きは深く体の芯まで届いて痺れさせる。
マレウスの手が頬から滑り落ち、こちらの首筋をそっと這い上がって後頭部を優しく支えた。拒絶する隙など最初から与えられていない。
しかし、そこにあるのは強引さではなく、壊れ物を扱うかのような丁寧な慈しみだ。
「もう、逃げられないな」
「逃げるつもりなんて、最初からないよ」
「知っているさ。お前の体温が、そう教えてくれている」
重なる吐息が部屋の冷たい空気を完全に消し去っていく。
閉ざされた空間のなかで、ふたりの境界線は静かに、そして確実に融け合っていった。
