オクタビネル
夢小説設定
ご利用の端末、あるいはブラウザ設定では夢小説機能をご利用になることができません。
古いスマートフォン端末や、一部ブラウザのプライベートブラウジング機能をご利用の際は、機能に制限が掛かることがございます。
放課後の廊下は西日でオレンジ色に染まり、教室から響く話し声や部活動へと向かう足音が遠くで賑やかに重なっていた。
「あ、フロイド先輩!」
振り返ったフロイドの視界に、大きく手を振るななしの姿が映る。
弾むような足取りで近づいてくるその姿を見た瞬間、フロイドの身体がわずかに強張った。いつもなら気まぐれに誰かを引きずり回しているはずの彼が、その場に足を止めたまま動かない。
「……あー、小エビちゃんじゃん」
「はい! 奇遇ですね。今から購買ですか?」
「んー、いや。べつに、なんとなく歩いてただけー」
フロイドは視線を泳がせながら無造作に髪を掻きむしる。
普段なら自分から距離を詰めて、飽きるまで絡みつくのが彼のスタイルだ。しかしななし を目の前にすると、適切な距離感がまるで分からなくなってしまう。近づきたいのに、近づくと胸の奥が妙にざわついて、いつもの調子が出ない。
「なんとなく、ですか? 相変わらず自由ですね」
「小エビちゃんこそ何してんの。そんなに急いでさぁ」
「これ、学園長に頼まれた書類を届ける途中なんです。今日中にって言われちゃって」
ななしが両手で抱えた厚みのあるファイルをフロイドは見下ろした。
細い腕には少し重そうなそれを取り上げてやろうと反射的に手が動く。だが、指先が触れるか触れないかの距離でフロイドはピタリと動きを止めた。
「……それ、重そー」
「あ、大丈夫ですよ! 見た目よりは軽いですから」
「ふーん……。なら、いーけど」
結局、差し出しかけた手を行き場のないままポケットに突っ込む。
いつもなら強引に奪い取ってからかうか、あるいは面倒くさがって放置するかの二択だ。気遣うような、それでいて踏み込めないような中途半端な態度は、彼自身にとってもひどく新鮮で酷くもどかしいものだった。
「フロイド先輩どうかしました? なんだか今日、いつもより静かな気がします」
ななしが小首を傾げてフロイドの顔を覗き込む。
まっすぐな瞳が自分を映している。
それだけで喉の奥が急速に乾いていくような錯覚に囚われた。
「大人しい? オレが?」
「はい。いつもなら、もっとこう、ぎゅーってしたり、急に変なこと言ったりするじゃないですか」
「失礼だなあ、小エビちゃん」
フロイドはわざとらしく唇を尖らせてみせるが、胸の鼓動は確実に速くなっている。彼女の言葉が、頭の中で何度もリフレッシュされる。
本当は今すぐにでも、その小さな身体を腕の中に閉じ込めてしまいたかった。しかしそれを実行した瞬間に、今の心地よい関係が変わってしまうのではないかという柄にもない恐怖が足枷になる。
「ふふ、怒らないでください。でも、こういう静かなフロイド先輩も新鮮で素敵だと思います」
「……、」
不意に投げかけられた言葉にフロイドは言葉を失う。
心臓が嫌な音を立てて跳ねた。
顔が熱くなるのを感じて彼は慌てて顔を背ける。
「なにそれ。意味わかんねー」
「えー、褒めたんですよ?」
「嬉しくないし。オレ、気まぐれだからさ。明日には全然違うかもしれないよ?」
「あ、そうですよね。フロイド先輩の気分は天気予報より変わりやすいって、エースたちも言ってました」
ななしは楽しそうに笑う。
その笑顔を見るたびにフロイドの心の中にある境界線が少しずつ融解していく。掴みどころのない予測不能な海の世界で生きてきた彼が、目の前の存在によって初めて確かな陸地に繋ぎ止められているような感覚だった。
「あ、大変。話し込んでたら遅くなっちゃいます。早く学園長室に行かないと」
ななしがハッとしたようにファイルを抱え直す。
その視線がフロイドから離れて廊下の先へと向けられた。
「あーあ、行っちゃうんだ」
「すみません! また今度!」
「……ん。じゃあね、小エビちゃん」
フロイドは軽く手を振る。
ななしはもう一度大きく笑ってから、廊下をパタパタと走っていった。
遠ざかる背中を見送るフロイドの瞳には、いつもと違うどこか切なげな光が宿っている。
残された空間には、ほんの少しだけななしの気配が残っていた。フロイドは深く息を吸い込み、それから小さくため息を吐き出す。ポケットの中で強く握りしめられた拳が微かに震えていた。
◇
それから数日後。
日が沈みかけた図書室の片隅はひどく静まり返っている。
窓から入り込む残光が、並んだ書架の影を長く床に落としていた。
「あれ、フロイド先輩。まだ残ってたんですか?」
小さな声とともに、本の山を抱えたななしが姿を現す。
机に突っ伏していたフロイドは、気だるげに顔を上げた。
その身体は重い椅子の背に預けられたままだ。
「……んー、小エビちゃんか。べつに、寝てただけ」
「そうですか? なんだかお疲れみたいですね。隣、座ってもいいですか?」
「いーよ。好きにすれば」
ななしが隣の椅子を引き腰を下ろす。
「はいこれ。フロイド先輩の分のプリント、アズール先輩から預かってますよ」
「げ。それ、絶対めんどくさいやつじゃん。見たくない」
「そう言わずに受け取ってください。はい」
差し出された紙の端をフロイドは渋々指先でつまむ。
その拍子に、ななしの指先がフロイドの肌に微かに触れた。
冷えた指先のはずなのに触れた場所から火が点いたように熱が広がる。
フロイドは思わず息を呑み、プリントを奪い取るようにして引いた。そのあまりの勢いに、ななしが瞬きを繰り返す。
「フロイド先輩?」
「なんでもない。べつに、なんでもないし」
「顔、ちょっと赤いですよ? どこか具合でも悪いんですか」
ななしが心配そうに顔を近づけてくる。
覗き込まれる瞳の輝きにフロイドの胸の鼓動はさらに速度を上げた。ドクドクとうるさいほどの心音が耳の奥で鳴り響く。自分の身体が自分のものではないように、コントロールを失っていく。
「ねえ、小エビちゃん。それ以上近づかないで」
「え、でも……」
「いいから。オレ、今すげー気分悪いから。近づくと何するか分かんないよ」
脅すような言葉を選んだはずなのに、声は思った以上に低く掠れていた。
ななしの動きがピタリと止まる。しかし恐怖で退く様子はなく、ただじっとフロイドを見つめ返してくる。その態度が、フロイドの内側にある形にならない衝動をさらに煽った。
「フロイド先輩が、わたしに酷いことするわけないって分かってます」
「……はあ?」
「だって先輩、いつも口では意地悪言っても最後は助けてくれますもん」
ななしの口元に小さな笑みが浮かぶ。
その絶対的な信頼が今のフロイドにとっては一番の毒だった。頭の中がその笑顔を塗りつぶしてしまいたいという、どろりとした感情で満たされていく。伸ばしかけた大きな手が机の端を強く握りしめた。木のきしむ音が静かな図書室に小さく響く。
「小エビちゃんさぁ……。オレのこと、買い被りすぎ」
「そんなことないです」
「ある。オレ、小エビちゃんが思ってるより、ずっと凶暴だからね」
言いながら、フロイドはゆっくりとななしの方へ身体を傾けた。
大きな影がななしを覆い隠すように迫る。至近距離で交わる視線の中でフロイドの瞳が危険なほど深い色に沈んでいた。
「……フロイド先輩」
「ねえ、オレが今、何考えてるか当ててみてよ」
囁くような声が、二人の間の僅かな隙間に落ちる。
ななしの喉が小さく動いた。
初めて見るフロイドの熱を孕んだ真剣な眼差しに、その場の空気がじりじりと張り詰めていく。もう、いつもの距離には戻れそうになかった。
窓の外は、すでに完全な夜の帳が下りている。
図書室の片隅を照らすのは、机の上に置かれた小さな読書灯の明かりだけだった。そのオレンジ色の光が二人の輪郭を濃く浮き上がらせている。
「……当ててみて、って言われても」
ななしの声が小さく震えた。
目の前にあるフロイドの瞳は、いつもと違って爛々と昏い熱を帯びて光っている。逃げ出さなければいけないような、けれど片時も目を離してはいけないような圧倒的な存在感がそこにあった。
「わかんない? じゃあ、教えてあげよっか」
フロイドはさらに距離を詰める。
彼の長い指先が机の上に置かれていたななしの手にゆっくりと重なった。
ななしの身体が微かに跳ねる。
包み込むようなフロイドの手のひらは驚くほど熱かった。じわりと肌を伝って流れ込んでくる体温が、ななしの思考を急速に麻痺させていく。逃げようとする意志よりも早く、その熱に搦め捕られて動けない。
「小エビちゃんの手、ちっさ……。オレの手の中で、簡単に消えちゃいそう」
「フロイド、先輩……」
「いつもさぁ、小エビちゃんがオレの名前呼ぶたびに、ここがすげー変な感じになんの」
フロイドは空いた方の手を自分の左胸へと当てた。
ドクドクと衣服越しでも分かるほど激しく歪な脈動が波打っている。その音が静まり返った室内でななしにも聞こえるような気がした。
「締め付けられるみたいに痛くてさ。でも、すげー気持ちいいの。……ねえ、これ何だと思う?」
答えを求めているのではないことは、その眼差しを見れば分かった。
フロイドの視線は、ななしの瞳からゆっくりとその唇へと移っていく。ただ見つめられているだけなのに、直接触れられているかのような濃厚な感覚が肌を粟立たせた。
「オレ、小エビちゃんのこと、ぎゅーってして、ずーっと離したくない」
「……っ」
「誰もいない、誰も来ない場所でさ。オレのことだけ見ててよ。他のやつの名前、呼ばないで」
独占欲が熱い言葉となって零れ落ちる。
いつも気まぐれで何にも執着しないはずの彼が、狂おしいほどに甘い熱量で自分だけを求めていた。その切実なまでの真っ直ぐさが、ななしの胸を優しく締め付ける。
「フロイド先輩、わたし……」
「だめ。まだ、何も言わないで」
フロイドが重ねた手にきゅっと力を込める。
壊れ物を扱うような慎重さと決して離さないという強い愛おしさが、その指先から同時に伝わってきた。息が触れ合うほどの至近距離でフロイドがゆっくりと目を閉じる。
「……明日になったら、またいつものオレに戻ってあげるから」
だから今だけは。
そう囁くような吐息とともに二人の影が静かに重なった。
融け合うような心地よい熱の中で、これからもずっと、この特別な距離に甘えていたいと互いにそっと思い合っていた。
「あ、フロイド先輩!」
振り返ったフロイドの視界に、大きく手を振るななしの姿が映る。
弾むような足取りで近づいてくるその姿を見た瞬間、フロイドの身体がわずかに強張った。いつもなら気まぐれに誰かを引きずり回しているはずの彼が、その場に足を止めたまま動かない。
「……あー、小エビちゃんじゃん」
「はい! 奇遇ですね。今から購買ですか?」
「んー、いや。べつに、なんとなく歩いてただけー」
フロイドは視線を泳がせながら無造作に髪を掻きむしる。
普段なら自分から距離を詰めて、飽きるまで絡みつくのが彼のスタイルだ。しかしななし を目の前にすると、適切な距離感がまるで分からなくなってしまう。近づきたいのに、近づくと胸の奥が妙にざわついて、いつもの調子が出ない。
「なんとなく、ですか? 相変わらず自由ですね」
「小エビちゃんこそ何してんの。そんなに急いでさぁ」
「これ、学園長に頼まれた書類を届ける途中なんです。今日中にって言われちゃって」
ななしが両手で抱えた厚みのあるファイルをフロイドは見下ろした。
細い腕には少し重そうなそれを取り上げてやろうと反射的に手が動く。だが、指先が触れるか触れないかの距離でフロイドはピタリと動きを止めた。
「……それ、重そー」
「あ、大丈夫ですよ! 見た目よりは軽いですから」
「ふーん……。なら、いーけど」
結局、差し出しかけた手を行き場のないままポケットに突っ込む。
いつもなら強引に奪い取ってからかうか、あるいは面倒くさがって放置するかの二択だ。気遣うような、それでいて踏み込めないような中途半端な態度は、彼自身にとってもひどく新鮮で酷くもどかしいものだった。
「フロイド先輩どうかしました? なんだか今日、いつもより静かな気がします」
ななしが小首を傾げてフロイドの顔を覗き込む。
まっすぐな瞳が自分を映している。
それだけで喉の奥が急速に乾いていくような錯覚に囚われた。
「大人しい? オレが?」
「はい。いつもなら、もっとこう、ぎゅーってしたり、急に変なこと言ったりするじゃないですか」
「失礼だなあ、小エビちゃん」
フロイドはわざとらしく唇を尖らせてみせるが、胸の鼓動は確実に速くなっている。彼女の言葉が、頭の中で何度もリフレッシュされる。
本当は今すぐにでも、その小さな身体を腕の中に閉じ込めてしまいたかった。しかしそれを実行した瞬間に、今の心地よい関係が変わってしまうのではないかという柄にもない恐怖が足枷になる。
「ふふ、怒らないでください。でも、こういう静かなフロイド先輩も新鮮で素敵だと思います」
「……、」
不意に投げかけられた言葉にフロイドは言葉を失う。
心臓が嫌な音を立てて跳ねた。
顔が熱くなるのを感じて彼は慌てて顔を背ける。
「なにそれ。意味わかんねー」
「えー、褒めたんですよ?」
「嬉しくないし。オレ、気まぐれだからさ。明日には全然違うかもしれないよ?」
「あ、そうですよね。フロイド先輩の気分は天気予報より変わりやすいって、エースたちも言ってました」
ななしは楽しそうに笑う。
その笑顔を見るたびにフロイドの心の中にある境界線が少しずつ融解していく。掴みどころのない予測不能な海の世界で生きてきた彼が、目の前の存在によって初めて確かな陸地に繋ぎ止められているような感覚だった。
「あ、大変。話し込んでたら遅くなっちゃいます。早く学園長室に行かないと」
ななしがハッとしたようにファイルを抱え直す。
その視線がフロイドから離れて廊下の先へと向けられた。
「あーあ、行っちゃうんだ」
「すみません! また今度!」
「……ん。じゃあね、小エビちゃん」
フロイドは軽く手を振る。
ななしはもう一度大きく笑ってから、廊下をパタパタと走っていった。
遠ざかる背中を見送るフロイドの瞳には、いつもと違うどこか切なげな光が宿っている。
残された空間には、ほんの少しだけななしの気配が残っていた。フロイドは深く息を吸い込み、それから小さくため息を吐き出す。ポケットの中で強く握りしめられた拳が微かに震えていた。
◇
それから数日後。
日が沈みかけた図書室の片隅はひどく静まり返っている。
窓から入り込む残光が、並んだ書架の影を長く床に落としていた。
「あれ、フロイド先輩。まだ残ってたんですか?」
小さな声とともに、本の山を抱えたななしが姿を現す。
机に突っ伏していたフロイドは、気だるげに顔を上げた。
その身体は重い椅子の背に預けられたままだ。
「……んー、小エビちゃんか。べつに、寝てただけ」
「そうですか? なんだかお疲れみたいですね。隣、座ってもいいですか?」
「いーよ。好きにすれば」
ななしが隣の椅子を引き腰を下ろす。
「はいこれ。フロイド先輩の分のプリント、アズール先輩から預かってますよ」
「げ。それ、絶対めんどくさいやつじゃん。見たくない」
「そう言わずに受け取ってください。はい」
差し出された紙の端をフロイドは渋々指先でつまむ。
その拍子に、ななしの指先がフロイドの肌に微かに触れた。
冷えた指先のはずなのに触れた場所から火が点いたように熱が広がる。
フロイドは思わず息を呑み、プリントを奪い取るようにして引いた。そのあまりの勢いに、ななしが瞬きを繰り返す。
「フロイド先輩?」
「なんでもない。べつに、なんでもないし」
「顔、ちょっと赤いですよ? どこか具合でも悪いんですか」
ななしが心配そうに顔を近づけてくる。
覗き込まれる瞳の輝きにフロイドの胸の鼓動はさらに速度を上げた。ドクドクとうるさいほどの心音が耳の奥で鳴り響く。自分の身体が自分のものではないように、コントロールを失っていく。
「ねえ、小エビちゃん。それ以上近づかないで」
「え、でも……」
「いいから。オレ、今すげー気分悪いから。近づくと何するか分かんないよ」
脅すような言葉を選んだはずなのに、声は思った以上に低く掠れていた。
ななしの動きがピタリと止まる。しかし恐怖で退く様子はなく、ただじっとフロイドを見つめ返してくる。その態度が、フロイドの内側にある形にならない衝動をさらに煽った。
「フロイド先輩が、わたしに酷いことするわけないって分かってます」
「……はあ?」
「だって先輩、いつも口では意地悪言っても最後は助けてくれますもん」
ななしの口元に小さな笑みが浮かぶ。
その絶対的な信頼が今のフロイドにとっては一番の毒だった。頭の中がその笑顔を塗りつぶしてしまいたいという、どろりとした感情で満たされていく。伸ばしかけた大きな手が机の端を強く握りしめた。木のきしむ音が静かな図書室に小さく響く。
「小エビちゃんさぁ……。オレのこと、買い被りすぎ」
「そんなことないです」
「ある。オレ、小エビちゃんが思ってるより、ずっと凶暴だからね」
言いながら、フロイドはゆっくりとななしの方へ身体を傾けた。
大きな影がななしを覆い隠すように迫る。至近距離で交わる視線の中でフロイドの瞳が危険なほど深い色に沈んでいた。
「……フロイド先輩」
「ねえ、オレが今、何考えてるか当ててみてよ」
囁くような声が、二人の間の僅かな隙間に落ちる。
ななしの喉が小さく動いた。
初めて見るフロイドの熱を孕んだ真剣な眼差しに、その場の空気がじりじりと張り詰めていく。もう、いつもの距離には戻れそうになかった。
窓の外は、すでに完全な夜の帳が下りている。
図書室の片隅を照らすのは、机の上に置かれた小さな読書灯の明かりだけだった。そのオレンジ色の光が二人の輪郭を濃く浮き上がらせている。
「……当ててみて、って言われても」
ななしの声が小さく震えた。
目の前にあるフロイドの瞳は、いつもと違って爛々と昏い熱を帯びて光っている。逃げ出さなければいけないような、けれど片時も目を離してはいけないような圧倒的な存在感がそこにあった。
「わかんない? じゃあ、教えてあげよっか」
フロイドはさらに距離を詰める。
彼の長い指先が机の上に置かれていたななしの手にゆっくりと重なった。
ななしの身体が微かに跳ねる。
包み込むようなフロイドの手のひらは驚くほど熱かった。じわりと肌を伝って流れ込んでくる体温が、ななしの思考を急速に麻痺させていく。逃げようとする意志よりも早く、その熱に搦め捕られて動けない。
「小エビちゃんの手、ちっさ……。オレの手の中で、簡単に消えちゃいそう」
「フロイド、先輩……」
「いつもさぁ、小エビちゃんがオレの名前呼ぶたびに、ここがすげー変な感じになんの」
フロイドは空いた方の手を自分の左胸へと当てた。
ドクドクと衣服越しでも分かるほど激しく歪な脈動が波打っている。その音が静まり返った室内でななしにも聞こえるような気がした。
「締め付けられるみたいに痛くてさ。でも、すげー気持ちいいの。……ねえ、これ何だと思う?」
答えを求めているのではないことは、その眼差しを見れば分かった。
フロイドの視線は、ななしの瞳からゆっくりとその唇へと移っていく。ただ見つめられているだけなのに、直接触れられているかのような濃厚な感覚が肌を粟立たせた。
「オレ、小エビちゃんのこと、ぎゅーってして、ずーっと離したくない」
「……っ」
「誰もいない、誰も来ない場所でさ。オレのことだけ見ててよ。他のやつの名前、呼ばないで」
独占欲が熱い言葉となって零れ落ちる。
いつも気まぐれで何にも執着しないはずの彼が、狂おしいほどに甘い熱量で自分だけを求めていた。その切実なまでの真っ直ぐさが、ななしの胸を優しく締め付ける。
「フロイド先輩、わたし……」
「だめ。まだ、何も言わないで」
フロイドが重ねた手にきゅっと力を込める。
壊れ物を扱うような慎重さと決して離さないという強い愛おしさが、その指先から同時に伝わってきた。息が触れ合うほどの至近距離でフロイドがゆっくりと目を閉じる。
「……明日になったら、またいつものオレに戻ってあげるから」
だから今だけは。
そう囁くような吐息とともに二人の影が静かに重なった。
融け合うような心地よい熱の中で、これからもずっと、この特別な距離に甘えていたいと互いにそっと思い合っていた。
