ディアソムニア
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「――おい、ななし! 聞いているのか!?」
放課後の図書室。静寂を守るべきその場所で地鳴りのような大声が響き渡り、ななしは慌ててセベクの口を手で押さえた。
「し、静かに、セベク! ここは図書室だよ!」
「む……! す、すまない。つい声が大きくなってしまった……」
ななしの手のひら越しにセベクの硬い唇が動く。その感触にハッとした様子でななしが慌てて手を引っ込めると、セベクの耳の先端がほんのりと赤く染まった。彼はコホンと大げさに咳払いをし、目の前の分厚い教科書に視線を落とす。
「……セベク、あのさ」
「なんだ、わからない箇所でもあるのか? 仕方がない、この僕が教えてやろう!」
「ううん、勉強じゃなくて。……わたしたちって、付き合ってるんだよね?」
「なっ……!? な、何を突然言い出すんだお前は!」
セベクは椅子の脚をガタリと鳴らし、顔を真っ赤にして立ち上がった。周囲の生徒たちから「静かにしろ」と言わんばかりの冷ややかな視線が突き刺さり、彼は珍しく小さな声を漏らして、縮こまるように座り直す。
「あたり前だろう……。僕とお前は、その……恋仲、というものになったはずだ。僕が嘘を吐くように見えるか?」
「見えないけど。でも、付き合ってから二週間経ったけど、なんだか、その……全然変わらないなって思って」
「変わらない、だと……? 僕はお前との時間を、以前よりもずっと、その……特別に思っている。断じて軽んじているわけではない!」
「それはしっかり伝わってるよ。怒らないで」
眉を吊り上げて必死に弁明するセベクを見て、ななしの唇から思わずクスリと笑みが溢れる。真面目で真っ直ぐな彼を前にすると、それ以上は恥ずかしくて言えなくなってしまう。
「ふん……、お前がそう不満げな顔をする理由が、僕にはいまいち理解できん。僕はこれでも、お前と過ごす時間を……とても心地よいと思って……いるんだぞ」
最後の方は消え入りそうな声だった。俯いて緑色の瞳を泳がせているセベクを、ななしは愛おしそうに見つめた。
「不満なんてないよ。わたしもセベクと一緒にいられてすごく嬉しい。……ただ、ちょっとだけ欲張りになっちゃうんだよ」
ななしがそう言って微笑むとセベクはハッと目を見開き、それから何かを深く考え込むようにして腕を組んで黙り込んでしまった。
◇
図書室を出て、日が傾き始めた廊下を二人は並んで歩いた。
夕日が窓から差し込み、長い影が廊下に伸びている。いつものセベクなら「若様がお待ちだ!」と大急ぎで寮へ帰っていくはずなのに、今日はなぜかななしの歩調に合わせてゆっくりと歩いている。
「セベク、今日はもう寮に戻らなくていいの?」
「……若様から、今夕は自分の時間を過ごせと言われている。だから問題ない」
「そっか。じゃあ、もう少し一緒にいられるね」
ななしが嬉しそうにセベクの顔を見上げると、彼はなぜか険しい顔をしていた。眉間にこれでもかと深いシワを寄せ、じっとななしの唇を見つめている。
「……セベク?」
「ななし。お前は、その……恋人らしいこととは、具体的に何を指しているんだ?」
「えっ!?」
唐突な質問に、今度はななしの方が赤面する番だった。先ほどの会話をセベクはずっと真面目に引きずっていたらしい。
「な、何って……例えば、手を繋いだりとか……」
「手を繋ぐ、か。そんなことでいいのか?」
セベクはそう言うと、意を決したように大きな掌をななしの前に差し出した。
「ほら、握るといい」
「あ、ありがとう……」
ななしはそっと自分の手をセベクの掌に重ねた。その瞬間セベクの大きな掌が、ぎゅっとその手を包み込む。
「――っ!」
セベクの身体が一瞬強張った。繋がれた手から彼の高い体温がダイレクトに伝わっていく。心なしか、その大きな手は少しだけ震えているようだった。
「……どうだ、ななし。これで満足か?」
セベクは前を向いたまま、決してななしと目を合わせようとしない。しかし繋いだ手には解きたくないと言わんばかりの強い力がこもっていた。
「うん……すごく、嬉しい。セベクの手あったかいね」
「ふん、お前の手が冷たすぎるんだ。ほら、もっとしっかり握れ!」
そう言って彼はさらに指を深く絡めてきた。二人の顔は夕日の赤さ以上に赤く染まり、互いに気恥ずかしそうに視線を泳がせている。
そのまま二人は言葉を失ったように、ただ手を繋いで歩き続けた。互いの繋いだ手を通じて甘くて濃厚な時間が流れていた。
・
「……着いてしまったな」
オンボロ寮の前に辿り着くと、セベクが繋いだ手を名残惜しそうに少しだけ揺らした。
「うん。送ってくれてありがとう」
「構わん。お前を無事に送り届けるのは、僕の……その、役目のようなものだからな」
そう言うセベクの顔はやはりどこか硬い。
「セベク? どうしたの? 何か心配事?」
「心配だと? そんなものはない!」
「じゃあどうしてそんなに怖い顔をしてるの?」
ななしが一歩近づくとセベクは一歩後ずさった。そして繋がれていた手がするりと離れてしまう。
「ななし……。僕は、お前の……その、なんだ。お前の期待に、応えたいと思っている」
「期待?」
「そうだ! お前は先ほど図書室で言っただろう。僕たちの関係が、以前と変わらないと。……僕は、お前に寂しい思いをさせたくはない。一人の男として、不甲斐ない姿は見せられん!」
セベクは拳をぎゅっと握り締めななしを見つめた。
「だから……僕は決めたぞ」
「何を、決めたの……?」
重々しい空気に、ななしはゴクリと唾を飲み込んだ。
「お前と、その……接吻をする!」
「えっ!?」
まさかの単語がセベクの口から飛び出し、ななしは思わず大声を上げてしまった。
「声が大きいぞ、ななし!」
「セベクが言ったんじゃん! な、何、急に……っ」
ななしの顔が一気に火照っていく。
「急ではない! 僕は図書室からずっとタイミングを計っていたのだ! 恋人同士が別れ際にそれを行うのは、人間の一般的な教養書にも書いてあった! だから、今がその時だ!」
鼻息荒く宣言するセベク。彼の顔は今にも爆発しそうなくらい真っ赤に染まっている。
「……セベク、緊張してる?」
「僕はいつでも冷静だ!」
その言葉とは裏腹にセベクの制服のシャツは激しい鼓動に合わせて小さく上下していた。
「……じゃあ、しよっか?」
「――っ!?」
ななしが少し上目遣いでそう告げると、セベクは言葉を失って完全に固まってしまった。まるで石化してしまったかのように微動だにしない。
「セベク?」
「あ、あ、ああ……! では、いくぞ、ななし!」
セベクは意を決したように両肩を怒らせ、ロボットのようなギクシャクした動きでななしにじりじりと顔を近づけていった。
しかしその目はぎゅっと瞑られ、まるで突撃するような勢いだ。ロマンチックな雰囲気とはお世辞にも言い難い猛烈なアプローチに、ななしは可笑しさと気恥ずかしさを覚えながらも、その顔をじっと見つめていた。
(……これ、絶対に小突き合いになるやつだ)
そう確信した瞬間、予想通りの事態が起きた。
ゴツッ、と鈍い音が夕闇に響く。
「っ………!」
「うおっ!?」
セベクの硬いおでこがななしの額に衝突した。ななしが額を押さえてよろめくと、セベクもまた飛び退くようにして数歩後ずさった。
「す、すまない! 大丈夫か、ななし!? 怪我はないか!?」
「だ、大丈夫……。ちょっとびっくりしただけ。セベク、頭突きは痛いよ……」
「ず、頭突きだと!? 違う、僕はただお前にその……接吻を……!」
セベクは顔をこれ以上ないほど真っ赤に染め、頭を抱えて激しく狼狽した。彼の脳内にある教養書の知識では、このような失敗についての対処法は一切書かれていなかったらしい。
「不甲斐ない……! 僕はお前との、その、距離感すら掴めないとは……! 万死に値する!」
「待って待って、そこまで落ち込まないで!」
大真面目に自己嫌悪に陥り始めたセベクを見て、ななしは思わず吹き出してしまった。おでこを擦りながら笑うななしを、セベクはどこか恨めしそうな、それでいて情けないような複雑な眼差しで見つめる。
「……笑うな。僕は大真面目だ」
「うん、分かってる。セベクは本当に真面目だね」
ななしが歩み寄り、セベクの制服の袖をそっと引いた。先ほど離れてしまった温もりが再び近づく。セベクの身体が緊張でピシリと固まった。
「……セベク、目瞑って?」
「――っ」
至近距離からの囁きにセベクは驚いたように一度だけ瞬きをし、それから意を決したようにゆっくりと睫毛を伏せた。
「……ななし、僕は、これで合っているのか……?」
目を瞑ったまま不安そうに微かに声を震わせるセベク。ななしはそんな彼の頬にそっと手を伸ばし優しく包み込んだ。
「うん。そのまま、じっとしててね」
ななしはもう一度背伸びをして、今度は迷わずにセベクの唇へと自分の唇を重ねた。
ほんの少し触れ合うだけの、静かで甘い初めてのキスだった。
「――っっっ!?」
唇が離れた瞬間、セベクは弾かれたように目を見開き数歩後ろへと飛び退いた。彼は両手で自分の口元を覆い、驚愕の表情で固まっている。
「せ、セベク……?」
「お、お前……! 今、僕に……何を……!」
「何をって、キスだけど……」
あまりの反応の大きさに、ななしの顔も一気に火照っていく。
「な、何をお前の方からしてきているのだ! 僕は、僕からお前へと執り行うつもりだったのに……!」
セベクは顔を真っ赤にしたまま、激しく鼻息を荒くしてうろたえ始めた。
「でも、セベク、ずっと緊張してたでしょ?」
「き、緊張などしていない!」
言葉とは裏腹に、セベクは赤くなった顔を隠すように大げさに背を向けた。その耳の先端は夕闇の中でもはっきりと分かるほどに染まりきっている。
「……今日のところは、お前の不意打ちに免じてこれで勘弁してやる! だが次こそは覚悟しておけ!」
セベクは一気に捲し立てると、もの凄い速さで走り去っていった。
残されたななしはオンボロ寮の前に立ち尽くし、自分の唇にそっと指先を触れた。ほんの少し前に重なり合っていたセベクの唇の熱がまだ微かに残っている。
「……本当にセベクらしいな」
ななしの口元から自然と甘い笑みが溢れ出す。
もう一度セベクが走り去っていった薄暗い道を愛おしそうに見つめてから、ななしは温かな余韻に包まれながら静かな寮の扉を開けた。
放課後の図書室。静寂を守るべきその場所で地鳴りのような大声が響き渡り、ななしは慌ててセベクの口を手で押さえた。
「し、静かに、セベク! ここは図書室だよ!」
「む……! す、すまない。つい声が大きくなってしまった……」
ななしの手のひら越しにセベクの硬い唇が動く。その感触にハッとした様子でななしが慌てて手を引っ込めると、セベクの耳の先端がほんのりと赤く染まった。彼はコホンと大げさに咳払いをし、目の前の分厚い教科書に視線を落とす。
「……セベク、あのさ」
「なんだ、わからない箇所でもあるのか? 仕方がない、この僕が教えてやろう!」
「ううん、勉強じゃなくて。……わたしたちって、付き合ってるんだよね?」
「なっ……!? な、何を突然言い出すんだお前は!」
セベクは椅子の脚をガタリと鳴らし、顔を真っ赤にして立ち上がった。周囲の生徒たちから「静かにしろ」と言わんばかりの冷ややかな視線が突き刺さり、彼は珍しく小さな声を漏らして、縮こまるように座り直す。
「あたり前だろう……。僕とお前は、その……恋仲、というものになったはずだ。僕が嘘を吐くように見えるか?」
「見えないけど。でも、付き合ってから二週間経ったけど、なんだか、その……全然変わらないなって思って」
「変わらない、だと……? 僕はお前との時間を、以前よりもずっと、その……特別に思っている。断じて軽んじているわけではない!」
「それはしっかり伝わってるよ。怒らないで」
眉を吊り上げて必死に弁明するセベクを見て、ななしの唇から思わずクスリと笑みが溢れる。真面目で真っ直ぐな彼を前にすると、それ以上は恥ずかしくて言えなくなってしまう。
「ふん……、お前がそう不満げな顔をする理由が、僕にはいまいち理解できん。僕はこれでも、お前と過ごす時間を……とても心地よいと思って……いるんだぞ」
最後の方は消え入りそうな声だった。俯いて緑色の瞳を泳がせているセベクを、ななしは愛おしそうに見つめた。
「不満なんてないよ。わたしもセベクと一緒にいられてすごく嬉しい。……ただ、ちょっとだけ欲張りになっちゃうんだよ」
ななしがそう言って微笑むとセベクはハッと目を見開き、それから何かを深く考え込むようにして腕を組んで黙り込んでしまった。
◇
図書室を出て、日が傾き始めた廊下を二人は並んで歩いた。
夕日が窓から差し込み、長い影が廊下に伸びている。いつものセベクなら「若様がお待ちだ!」と大急ぎで寮へ帰っていくはずなのに、今日はなぜかななしの歩調に合わせてゆっくりと歩いている。
「セベク、今日はもう寮に戻らなくていいの?」
「……若様から、今夕は自分の時間を過ごせと言われている。だから問題ない」
「そっか。じゃあ、もう少し一緒にいられるね」
ななしが嬉しそうにセベクの顔を見上げると、彼はなぜか険しい顔をしていた。眉間にこれでもかと深いシワを寄せ、じっとななしの唇を見つめている。
「……セベク?」
「ななし。お前は、その……恋人らしいこととは、具体的に何を指しているんだ?」
「えっ!?」
唐突な質問に、今度はななしの方が赤面する番だった。先ほどの会話をセベクはずっと真面目に引きずっていたらしい。
「な、何って……例えば、手を繋いだりとか……」
「手を繋ぐ、か。そんなことでいいのか?」
セベクはそう言うと、意を決したように大きな掌をななしの前に差し出した。
「ほら、握るといい」
「あ、ありがとう……」
ななしはそっと自分の手をセベクの掌に重ねた。その瞬間セベクの大きな掌が、ぎゅっとその手を包み込む。
「――っ!」
セベクの身体が一瞬強張った。繋がれた手から彼の高い体温がダイレクトに伝わっていく。心なしか、その大きな手は少しだけ震えているようだった。
「……どうだ、ななし。これで満足か?」
セベクは前を向いたまま、決してななしと目を合わせようとしない。しかし繋いだ手には解きたくないと言わんばかりの強い力がこもっていた。
「うん……すごく、嬉しい。セベクの手あったかいね」
「ふん、お前の手が冷たすぎるんだ。ほら、もっとしっかり握れ!」
そう言って彼はさらに指を深く絡めてきた。二人の顔は夕日の赤さ以上に赤く染まり、互いに気恥ずかしそうに視線を泳がせている。
そのまま二人は言葉を失ったように、ただ手を繋いで歩き続けた。互いの繋いだ手を通じて甘くて濃厚な時間が流れていた。
・
「……着いてしまったな」
オンボロ寮の前に辿り着くと、セベクが繋いだ手を名残惜しそうに少しだけ揺らした。
「うん。送ってくれてありがとう」
「構わん。お前を無事に送り届けるのは、僕の……その、役目のようなものだからな」
そう言うセベクの顔はやはりどこか硬い。
「セベク? どうしたの? 何か心配事?」
「心配だと? そんなものはない!」
「じゃあどうしてそんなに怖い顔をしてるの?」
ななしが一歩近づくとセベクは一歩後ずさった。そして繋がれていた手がするりと離れてしまう。
「ななし……。僕は、お前の……その、なんだ。お前の期待に、応えたいと思っている」
「期待?」
「そうだ! お前は先ほど図書室で言っただろう。僕たちの関係が、以前と変わらないと。……僕は、お前に寂しい思いをさせたくはない。一人の男として、不甲斐ない姿は見せられん!」
セベクは拳をぎゅっと握り締めななしを見つめた。
「だから……僕は決めたぞ」
「何を、決めたの……?」
重々しい空気に、ななしはゴクリと唾を飲み込んだ。
「お前と、その……接吻をする!」
「えっ!?」
まさかの単語がセベクの口から飛び出し、ななしは思わず大声を上げてしまった。
「声が大きいぞ、ななし!」
「セベクが言ったんじゃん! な、何、急に……っ」
ななしの顔が一気に火照っていく。
「急ではない! 僕は図書室からずっとタイミングを計っていたのだ! 恋人同士が別れ際にそれを行うのは、人間の一般的な教養書にも書いてあった! だから、今がその時だ!」
鼻息荒く宣言するセベク。彼の顔は今にも爆発しそうなくらい真っ赤に染まっている。
「……セベク、緊張してる?」
「僕はいつでも冷静だ!」
その言葉とは裏腹にセベクの制服のシャツは激しい鼓動に合わせて小さく上下していた。
「……じゃあ、しよっか?」
「――っ!?」
ななしが少し上目遣いでそう告げると、セベクは言葉を失って完全に固まってしまった。まるで石化してしまったかのように微動だにしない。
「セベク?」
「あ、あ、ああ……! では、いくぞ、ななし!」
セベクは意を決したように両肩を怒らせ、ロボットのようなギクシャクした動きでななしにじりじりと顔を近づけていった。
しかしその目はぎゅっと瞑られ、まるで突撃するような勢いだ。ロマンチックな雰囲気とはお世辞にも言い難い猛烈なアプローチに、ななしは可笑しさと気恥ずかしさを覚えながらも、その顔をじっと見つめていた。
(……これ、絶対に小突き合いになるやつだ)
そう確信した瞬間、予想通りの事態が起きた。
ゴツッ、と鈍い音が夕闇に響く。
「っ………!」
「うおっ!?」
セベクの硬いおでこがななしの額に衝突した。ななしが額を押さえてよろめくと、セベクもまた飛び退くようにして数歩後ずさった。
「す、すまない! 大丈夫か、ななし!? 怪我はないか!?」
「だ、大丈夫……。ちょっとびっくりしただけ。セベク、頭突きは痛いよ……」
「ず、頭突きだと!? 違う、僕はただお前にその……接吻を……!」
セベクは顔をこれ以上ないほど真っ赤に染め、頭を抱えて激しく狼狽した。彼の脳内にある教養書の知識では、このような失敗についての対処法は一切書かれていなかったらしい。
「不甲斐ない……! 僕はお前との、その、距離感すら掴めないとは……! 万死に値する!」
「待って待って、そこまで落ち込まないで!」
大真面目に自己嫌悪に陥り始めたセベクを見て、ななしは思わず吹き出してしまった。おでこを擦りながら笑うななしを、セベクはどこか恨めしそうな、それでいて情けないような複雑な眼差しで見つめる。
「……笑うな。僕は大真面目だ」
「うん、分かってる。セベクは本当に真面目だね」
ななしが歩み寄り、セベクの制服の袖をそっと引いた。先ほど離れてしまった温もりが再び近づく。セベクの身体が緊張でピシリと固まった。
「……セベク、目瞑って?」
「――っ」
至近距離からの囁きにセベクは驚いたように一度だけ瞬きをし、それから意を決したようにゆっくりと睫毛を伏せた。
「……ななし、僕は、これで合っているのか……?」
目を瞑ったまま不安そうに微かに声を震わせるセベク。ななしはそんな彼の頬にそっと手を伸ばし優しく包み込んだ。
「うん。そのまま、じっとしててね」
ななしはもう一度背伸びをして、今度は迷わずにセベクの唇へと自分の唇を重ねた。
ほんの少し触れ合うだけの、静かで甘い初めてのキスだった。
「――っっっ!?」
唇が離れた瞬間、セベクは弾かれたように目を見開き数歩後ろへと飛び退いた。彼は両手で自分の口元を覆い、驚愕の表情で固まっている。
「せ、セベク……?」
「お、お前……! 今、僕に……何を……!」
「何をって、キスだけど……」
あまりの反応の大きさに、ななしの顔も一気に火照っていく。
「な、何をお前の方からしてきているのだ! 僕は、僕からお前へと執り行うつもりだったのに……!」
セベクは顔を真っ赤にしたまま、激しく鼻息を荒くしてうろたえ始めた。
「でも、セベク、ずっと緊張してたでしょ?」
「き、緊張などしていない!」
言葉とは裏腹に、セベクは赤くなった顔を隠すように大げさに背を向けた。その耳の先端は夕闇の中でもはっきりと分かるほどに染まりきっている。
「……今日のところは、お前の不意打ちに免じてこれで勘弁してやる! だが次こそは覚悟しておけ!」
セベクは一気に捲し立てると、もの凄い速さで走り去っていった。
残されたななしはオンボロ寮の前に立ち尽くし、自分の唇にそっと指先を触れた。ほんの少し前に重なり合っていたセベクの唇の熱がまだ微かに残っている。
「……本当にセベクらしいな」
ななしの口元から自然と甘い笑みが溢れ出す。
もう一度セベクが走り去っていった薄暗い道を愛おしそうに見つめてから、ななしは温かな余韻に包まれながら静かな寮の扉を開けた。
