ハーツラビュル
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夕暮れ時の購買部は、昼間の喧騒が嘘のように静まり返っている。
遠くから聞こえる運動部の掛け声が、開け放たれた窓からかすかに流れ込んでくる。カウンターの隅に並んだ限定スイーツの棚の前で二つの影が並んでいた。
「あ、まだ残ってた。ラッキー。これ、マジカメで今めちゃくちゃバズり中なんだよね」
ケイトは手際よくスマートフォンを取り出し、慣れた手つきでプラスチックのパッケージを画角に収める。
「ケイト先輩、そのお菓子って美味しいんですか?」
隣でその様子をじっと見つめていたななしが尋ねると、ケイトはスマホをポケットに滑り込ませ、悪戯っぽくウインクをして見せた。
「んー、味はぶっちゃけ普通!でもほら、このグラデーションが最高に映えじゃん? トレンドを押さえるのはけーくんの義務ですから!」
二人は購買部を後にし、人気の少なくなったハーツラビュル寮の談話室へと足を運んだ。窓際の席に腰を下ろすと、ケイトは先ほど購入したお菓子を机に置き再びスマホを取り出す。窓の外からはオレンジ色の西日が差し込み、室内に長い影を落としていた。
ふとした沈黙を破るように、ななしが呟く。
「……ケイト先輩って、モテそうですよね。顔も広いですし、いつも優しいですし」
「なになに〜、唐突だねななしちゃん。オレ、そんなにモテる男に見える? でもさ、それってただの『都合のいい奴』止まりってやつじゃない?」
ケイトは画面から目を離さず、いつもの軽い調子で受け流そうとする。しかし、ななしは引かなかった。少しだけ身を乗り出し、彼の視線を正面から覗き込む。
「そういうことじゃなくて。なんというか、女性に対して幻想を持ってなさそうなところが、逆にモテそうというか」
ケイトの指が、ぴたりと止まる。
画面をスクロールする音が途絶え、談話室の空気が一瞬で張り詰めた。
西日に照らされたケイトの瞳がわずかに細くなる。しかし、その表情はすぐにいつもの柔らかな笑みに塗りつぶされた。ゆっくりとスマホを机に伏せる。コン、と軽いプラスチックの音が響いた。
「幻想ねえ。……ななしちゃん、意外と鋭いところ突いてくるね」
「当たってますか?」
「さあ、どうだろう。まあ、姉ちゃんが上に二人もいるから多少はね。可愛い服着てメイクしてても、結局みんな同じ人間だし。期待しないから、ガッカリもしない的な?」
背もたれに体を預け、わざとらしくおどけてみせるケイト。だが、ななしはその笑顔の奥にある冷徹な一線を見逃さなかった。
「……それって、いつでも逃げられる準備をしてるみたいに見えます」
「うーん、手厳しいな」
ケイトは天井を見上げる。その首筋のラインが、夕闇が迫る室内の光の中で妙に生々しく浮き上がっていた。いつもならここで茶化すはずの彼が、一瞬の沈黙を選ぶ。
「オレさ、傷つくのも傷つけるのも面倒なんだよね。近づきすぎると、見たくないものまで見えちゃうしさ。エゴとか執着とか、そういう格好悪い部分」
ケイトの視線が、ゆっくりと天井からななしへと降りてくる。
深く濁りのない緑色の瞳が真っ直ぐにななしを捉えた。窓から差し込む光が完全に消えかけ、部屋の中に薄暗い影が広がり始めていく。
「ななしちゃんはさ、オレのそういう格好悪いところ、見たいと思う?」
その声は驚くほど低く、そして少しだけ掠れていた。
ケイトは机に肘をつき、ゆっくりと身を乗り出してくる。彼の顔が近づくにつれ、その呼吸の気配すらも感じられるようになる。
「オレに幻想を持たないで踏み込んでくるの、ななしちゃんくらいだよ。……ねえ、本当にいいの? これ以上近づいたらオレ、ななしちゃんが思ってるようないい先輩じゃいられなくなるかもしれないよ?」
ただの放課後の雑談だったはずの空間が、いつの間にか二人だけの濃密な熱を孕んだ場所へと変貌を遂げていた。談話室に秒針の音だけが不自然なほど大きく響く。
「……ケイト先輩」
その名を呼ぶななしの声は自覚している以上に震えていた。
「なに? ななしちゃん。そんな怯えたような目で見られたら、オレ、もっと意地悪したくなっちゃうんだけど」
ケイトは低く微笑む。彼の瞳の奥で、小さな消えることのない炎が揺らめいている。
「オレってさ、自分の見せるべき自分だけを並べて、それ以外は全部鍵をかけて誰にも触らせないようにしてきたわけ。マジカメのタイムラインみたいに、綺麗で、誰も傷つかないものだけで満たしていれば、一番安全だから。でもななしちゃんはさ……そういうオレの壁を、何でもない顔してすり抜けてきちゃうんだよね」
剥き出しになったななしの手首のすぐそばに、ケイトの長い指先が触れる。そのままゆっくりと掌へと滑り込ませ、指と指を深く絡めていく。彼の掌は思っていたよりもずっと大きくて、男性的で、そして酷く熱かった。
絡められた指先から、彼の内面が直接流れ込んでくるかのような錯覚に陥る。
「誰かを特別に思ったら、その人が他の誰かと楽しそうにしてるだけで、胸の奥がめちゃくちゃに掻き乱されるでしょ? オレ、そういうの本当に無理なんだよね。格好悪いし、スマートじゃない。……でもね、ななしちゃん。オレ、最近マジカメの通知より、君からの連絡を待ってる時間の方が長いんだよ。これ、どうしてくれるの?」
ケイトの瞳が微かに歪む。それは彼が長い時間をかけて築き上げてきた仮面が、内側からじわじわと融解していく瞬間だった。独占欲、あるいは執着。彼が最も忌避していたはずの泥臭い感情が、その瞳の奥で確かに渦巻いている。
彼の指先が、ななしの親指の付け根を、逃がさないという明確な意思を込めて強く圧迫した。
「オレにこんな顔させたんだから、最後まで責任取ってよね?」
ケイトの顔がさらに近づく。
夕暮れはとっくに終わりを告げ、二人の境界線は闇と熱の中に、完全に溶けて消えていた。
遠くから聞こえる運動部の掛け声が、開け放たれた窓からかすかに流れ込んでくる。カウンターの隅に並んだ限定スイーツの棚の前で二つの影が並んでいた。
「あ、まだ残ってた。ラッキー。これ、マジカメで今めちゃくちゃバズり中なんだよね」
ケイトは手際よくスマートフォンを取り出し、慣れた手つきでプラスチックのパッケージを画角に収める。
「ケイト先輩、そのお菓子って美味しいんですか?」
隣でその様子をじっと見つめていたななしが尋ねると、ケイトはスマホをポケットに滑り込ませ、悪戯っぽくウインクをして見せた。
「んー、味はぶっちゃけ普通!でもほら、このグラデーションが最高に映えじゃん? トレンドを押さえるのはけーくんの義務ですから!」
二人は購買部を後にし、人気の少なくなったハーツラビュル寮の談話室へと足を運んだ。窓際の席に腰を下ろすと、ケイトは先ほど購入したお菓子を机に置き再びスマホを取り出す。窓の外からはオレンジ色の西日が差し込み、室内に長い影を落としていた。
ふとした沈黙を破るように、ななしが呟く。
「……ケイト先輩って、モテそうですよね。顔も広いですし、いつも優しいですし」
「なになに〜、唐突だねななしちゃん。オレ、そんなにモテる男に見える? でもさ、それってただの『都合のいい奴』止まりってやつじゃない?」
ケイトは画面から目を離さず、いつもの軽い調子で受け流そうとする。しかし、ななしは引かなかった。少しだけ身を乗り出し、彼の視線を正面から覗き込む。
「そういうことじゃなくて。なんというか、女性に対して幻想を持ってなさそうなところが、逆にモテそうというか」
ケイトの指が、ぴたりと止まる。
画面をスクロールする音が途絶え、談話室の空気が一瞬で張り詰めた。
西日に照らされたケイトの瞳がわずかに細くなる。しかし、その表情はすぐにいつもの柔らかな笑みに塗りつぶされた。ゆっくりとスマホを机に伏せる。コン、と軽いプラスチックの音が響いた。
「幻想ねえ。……ななしちゃん、意外と鋭いところ突いてくるね」
「当たってますか?」
「さあ、どうだろう。まあ、姉ちゃんが上に二人もいるから多少はね。可愛い服着てメイクしてても、結局みんな同じ人間だし。期待しないから、ガッカリもしない的な?」
背もたれに体を預け、わざとらしくおどけてみせるケイト。だが、ななしはその笑顔の奥にある冷徹な一線を見逃さなかった。
「……それって、いつでも逃げられる準備をしてるみたいに見えます」
「うーん、手厳しいな」
ケイトは天井を見上げる。その首筋のラインが、夕闇が迫る室内の光の中で妙に生々しく浮き上がっていた。いつもならここで茶化すはずの彼が、一瞬の沈黙を選ぶ。
「オレさ、傷つくのも傷つけるのも面倒なんだよね。近づきすぎると、見たくないものまで見えちゃうしさ。エゴとか執着とか、そういう格好悪い部分」
ケイトの視線が、ゆっくりと天井からななしへと降りてくる。
深く濁りのない緑色の瞳が真っ直ぐにななしを捉えた。窓から差し込む光が完全に消えかけ、部屋の中に薄暗い影が広がり始めていく。
「ななしちゃんはさ、オレのそういう格好悪いところ、見たいと思う?」
その声は驚くほど低く、そして少しだけ掠れていた。
ケイトは机に肘をつき、ゆっくりと身を乗り出してくる。彼の顔が近づくにつれ、その呼吸の気配すらも感じられるようになる。
「オレに幻想を持たないで踏み込んでくるの、ななしちゃんくらいだよ。……ねえ、本当にいいの? これ以上近づいたらオレ、ななしちゃんが思ってるようないい先輩じゃいられなくなるかもしれないよ?」
ただの放課後の雑談だったはずの空間が、いつの間にか二人だけの濃密な熱を孕んだ場所へと変貌を遂げていた。談話室に秒針の音だけが不自然なほど大きく響く。
「……ケイト先輩」
その名を呼ぶななしの声は自覚している以上に震えていた。
「なに? ななしちゃん。そんな怯えたような目で見られたら、オレ、もっと意地悪したくなっちゃうんだけど」
ケイトは低く微笑む。彼の瞳の奥で、小さな消えることのない炎が揺らめいている。
「オレってさ、自分の見せるべき自分だけを並べて、それ以外は全部鍵をかけて誰にも触らせないようにしてきたわけ。マジカメのタイムラインみたいに、綺麗で、誰も傷つかないものだけで満たしていれば、一番安全だから。でもななしちゃんはさ……そういうオレの壁を、何でもない顔してすり抜けてきちゃうんだよね」
剥き出しになったななしの手首のすぐそばに、ケイトの長い指先が触れる。そのままゆっくりと掌へと滑り込ませ、指と指を深く絡めていく。彼の掌は思っていたよりもずっと大きくて、男性的で、そして酷く熱かった。
絡められた指先から、彼の内面が直接流れ込んでくるかのような錯覚に陥る。
「誰かを特別に思ったら、その人が他の誰かと楽しそうにしてるだけで、胸の奥がめちゃくちゃに掻き乱されるでしょ? オレ、そういうの本当に無理なんだよね。格好悪いし、スマートじゃない。……でもね、ななしちゃん。オレ、最近マジカメの通知より、君からの連絡を待ってる時間の方が長いんだよ。これ、どうしてくれるの?」
ケイトの瞳が微かに歪む。それは彼が長い時間をかけて築き上げてきた仮面が、内側からじわじわと融解していく瞬間だった。独占欲、あるいは執着。彼が最も忌避していたはずの泥臭い感情が、その瞳の奥で確かに渦巻いている。
彼の指先が、ななしの親指の付け根を、逃がさないという明確な意思を込めて強く圧迫した。
「オレにこんな顔させたんだから、最後まで責任取ってよね?」
ケイトの顔がさらに近づく。
夕暮れはとっくに終わりを告げ、二人の境界線は闇と熱の中に、完全に溶けて消えていた。
