ディアソムニア
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誰もいなくなった放課後の図書室は、紙の匂いと西日の熱が混ざり合って、妙に息苦しい。窓際の席、ななしの隣ではシルバーが静かに寝息を立てていた。
「……シルバー先輩。起きてください、もうすぐ閉館ですよ」
揺り動かしても、彼はぴくりとも動かない。
深い眠りに落ちたその横顔は彫刻のように整っていて、普段の凛とした佇まいよりもずっと幼く見えた。
ななしは伸ばしかけた手を止め、机に広げたノートに視線を戻す。
いつか自分はこの場所から消える。
元の世界へ帰る方法を探す毎日。
彼と過ごすこの穏やかな時間も、一時の借り物に過ぎない。
そう自分に言い聞かせるたび、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
好きになってはいけない。
深く関われば関わるほど、別れが辛くなるのは目に見えていた。
「……ん、ななし」
不意に、隣で衣擦れの音がした。
シルバーがゆっくりと上体を起こし、眠そうに目を擦っている。
「おはようございます、シルバー先輩。よく眠れましたか」
「ああ、すまない。お前の隣にいると、どうにも気が緩んでしまうらしい。……課題、進んだか?」
「おかげさまで。先輩が寝ている間に、だいたい終わりました」
「そうか。……効率がいいな。俺も見習いたいものだ」
シルバーは苦笑いしながら、自分の教科書を片付け始めた。
その指先が偶然、ななしの手の甲に触れる。
ほんの一瞬のことなのに、触れた部分から火がつくような熱が広がった。
「……先輩、手が冷たいです」
「そうかもしれないな。ずっと眠っていたから、身体が冷えてしまったか。……ななし、手を貸してくれるか」
「えっ?」
問い返す間もなく、シルバーはななしの手を、包み込むように両手で握った。ひんやりとした彼の体温が、ななしの熱を吸い取っていくような感覚。
「こうしていると、ななしの体温が伝わってきて……落ち着く」
「……あの、先輩。こういうのは、もっと別の……特別な人にするものですよ」
「俺とななしは、仲が良くないのか?」
シルバーが不思議そうに首を傾げる。
そういう意味ではない。
もっと特別な、深い関係の相手にすべき行動だと言いたいのに。
彼はどこまでも無自覚で、だからこそ質が悪い。
「そうじゃなくて……。わたし、いつか帰らなきゃいけないし」
「寮まで送る。まだ外は明るい」
「……そうじゃなくて、」
握られた手に、知らず知らずのうちに力がこもる。
シルバーは何も言わず、ただじっとななしの瞳を覗き込んだ。
その銀色の瞳には、動揺している自分の姿が映り込んでいる。
「お前が時々、どこか遠くを見ているのは気づいている。……だが、今はここにいるだろう」
「……今は、そうですけど」
「なら、いい。先のことを考えて不安になるより、今、俺がここにいたいと思う気持ちを優先させてくれ」
シルバーの声は低く、どこか甘く響いた。
普段の真面目な彼からは想像もできないほど、その言葉には独占欲に似た色が混じっている。
図書室の隅、本棚の影で二人の距離がじわじわと縮まっていく。
「先輩、……近いです」
「嫌か?」
「嫌じゃないですけど……。でも、ダメなんです。好きになったら……」
言いかけた唇を、シルバーの指がそっと塞いだ。
彼の顔が至近距離まで迫り、熱い吐息が肌に触れる。
「ダメだと言われても、もう遅い。……俺は、ななしが思うほど物分かりの良い奴じゃないぞ」
その瞳には、授業中には決して見せない、一人の男子生徒としての熱が宿っていた。放課後の静寂のなか、二人の鼓動の音だけが不自然なほど大きく重なり合っていく。
二人の間に流れる空気は止まったままだった。
シルバーの指先が、ななしの唇からなぞるようにして頬へ、そして耳の後ろへと滑り落ちる。
「……シルバー先輩。もう、帰らないと」
「わかっている。だが、もう少しだけこうしていてもいいか」
シルバーは拒絶を許さない距離のまま、ななしの額に自分のそれをそっと押し当てた。
瞳が至近距離で揺れ、その奥に宿る熱い光がななしの心の奥底に溜め込んだ不安を暴き出そうとする。
「ななし。お前がいつか元の世界へ帰ることを、俺が止める権利はないのかもしれない。……だが、忘れないでほしい。俺はお前を、ただ見送るつもりはないんだ」
「……え?」
「たとえお前がどこへ行こうと、どれほど遠い場所にいようと。俺が必ずお前を見つけ出す」
その言葉は、静かだが重い誓いだった。
ななしは喉を詰まらせ、彼の胸元に拳を当てる。
好きになればなるほど、別れの瞬間に自分が壊れてしまうのが怖かった。だからしまっておいたはずなのに、シルバーのまっすぐな瞳が、その防波堤をあっさりと決壊させる。
「そんなの、……もし、二度と会えなかったら……っ」
「会える。俺が必ず見つけ出す」
シルバーの腕が、ななしの腰を強く引き寄せた。
密着した身体から、いつの間にか熱を帯びた彼の体温がじわじわと侵食してくる。シルバーはななしの首筋に顔を埋め、柔らかな皮膚を食むように、深く、刻みつけるように吸い上げた。
「……っ、シルバー、先輩……」
「そうだ。そうやって俺を呼んでくれ」
彼の指先が、震えるななしのブラウスの隙間から肌へと滑り込む。
冷たいはずの指先が、今は狂おしいほど熱い。
鎖骨をなぞり、胸元へと降りていくその感触に、ななしは背中を丸めて彼の肩にしがみついた。
「……っ、だめ、……そんなにされたら、もっと離れたくなくなっちゃう……」
「それでいい。離れたくないと、そう思ってくれ。……お前の中に俺が深く根を張って、どこへ行っても俺のことしか考えられないようにしてやる」
シルバーの低い声が、鼓膜を直接揺らす。
彼はななしの顎を持ち上げると、奪うような口づけを繰り返した。
舌先が絡み合い、互いの熱を交換するたびに、頭の中が白く染まっていく。
「……お前の匂いも、温度も、全部俺が覚えている」
シルバーは唇を離すと、ななしの目尻に溜まった涙をそっと舌先で掬った。その眼差しには、一人の男としての逃れられない執着が色濃く滲んでいる。
「信じてくれ。俺が必ず、お前のいる場所まで辿り着く。……だから今は、俺のことだけを見てほしい」
外では図書室の閉館を告げる音が鳴り響いていた。
西日が沈み、境界線が曖昧になった闇の中で、互いの境界も溶け合っていく。
次に目覚めたとき、隣に誰がいるのかはわからない。
それでも、首筋に残された消えない熱だけが、いつか訪れるはずの再会を闇の先で静かに待ち続けているのだった。
「……シルバー先輩。起きてください、もうすぐ閉館ですよ」
揺り動かしても、彼はぴくりとも動かない。
深い眠りに落ちたその横顔は彫刻のように整っていて、普段の凛とした佇まいよりもずっと幼く見えた。
ななしは伸ばしかけた手を止め、机に広げたノートに視線を戻す。
いつか自分はこの場所から消える。
元の世界へ帰る方法を探す毎日。
彼と過ごすこの穏やかな時間も、一時の借り物に過ぎない。
そう自分に言い聞かせるたび、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
好きになってはいけない。
深く関われば関わるほど、別れが辛くなるのは目に見えていた。
「……ん、ななし」
不意に、隣で衣擦れの音がした。
シルバーがゆっくりと上体を起こし、眠そうに目を擦っている。
「おはようございます、シルバー先輩。よく眠れましたか」
「ああ、すまない。お前の隣にいると、どうにも気が緩んでしまうらしい。……課題、進んだか?」
「おかげさまで。先輩が寝ている間に、だいたい終わりました」
「そうか。……効率がいいな。俺も見習いたいものだ」
シルバーは苦笑いしながら、自分の教科書を片付け始めた。
その指先が偶然、ななしの手の甲に触れる。
ほんの一瞬のことなのに、触れた部分から火がつくような熱が広がった。
「……先輩、手が冷たいです」
「そうかもしれないな。ずっと眠っていたから、身体が冷えてしまったか。……ななし、手を貸してくれるか」
「えっ?」
問い返す間もなく、シルバーはななしの手を、包み込むように両手で握った。ひんやりとした彼の体温が、ななしの熱を吸い取っていくような感覚。
「こうしていると、ななしの体温が伝わってきて……落ち着く」
「……あの、先輩。こういうのは、もっと別の……特別な人にするものですよ」
「俺とななしは、仲が良くないのか?」
シルバーが不思議そうに首を傾げる。
そういう意味ではない。
もっと特別な、深い関係の相手にすべき行動だと言いたいのに。
彼はどこまでも無自覚で、だからこそ質が悪い。
「そうじゃなくて……。わたし、いつか帰らなきゃいけないし」
「寮まで送る。まだ外は明るい」
「……そうじゃなくて、」
握られた手に、知らず知らずのうちに力がこもる。
シルバーは何も言わず、ただじっとななしの瞳を覗き込んだ。
その銀色の瞳には、動揺している自分の姿が映り込んでいる。
「お前が時々、どこか遠くを見ているのは気づいている。……だが、今はここにいるだろう」
「……今は、そうですけど」
「なら、いい。先のことを考えて不安になるより、今、俺がここにいたいと思う気持ちを優先させてくれ」
シルバーの声は低く、どこか甘く響いた。
普段の真面目な彼からは想像もできないほど、その言葉には独占欲に似た色が混じっている。
図書室の隅、本棚の影で二人の距離がじわじわと縮まっていく。
「先輩、……近いです」
「嫌か?」
「嫌じゃないですけど……。でも、ダメなんです。好きになったら……」
言いかけた唇を、シルバーの指がそっと塞いだ。
彼の顔が至近距離まで迫り、熱い吐息が肌に触れる。
「ダメだと言われても、もう遅い。……俺は、ななしが思うほど物分かりの良い奴じゃないぞ」
その瞳には、授業中には決して見せない、一人の男子生徒としての熱が宿っていた。放課後の静寂のなか、二人の鼓動の音だけが不自然なほど大きく重なり合っていく。
二人の間に流れる空気は止まったままだった。
シルバーの指先が、ななしの唇からなぞるようにして頬へ、そして耳の後ろへと滑り落ちる。
「……シルバー先輩。もう、帰らないと」
「わかっている。だが、もう少しだけこうしていてもいいか」
シルバーは拒絶を許さない距離のまま、ななしの額に自分のそれをそっと押し当てた。
瞳が至近距離で揺れ、その奥に宿る熱い光がななしの心の奥底に溜め込んだ不安を暴き出そうとする。
「ななし。お前がいつか元の世界へ帰ることを、俺が止める権利はないのかもしれない。……だが、忘れないでほしい。俺はお前を、ただ見送るつもりはないんだ」
「……え?」
「たとえお前がどこへ行こうと、どれほど遠い場所にいようと。俺が必ずお前を見つけ出す」
その言葉は、静かだが重い誓いだった。
ななしは喉を詰まらせ、彼の胸元に拳を当てる。
好きになればなるほど、別れの瞬間に自分が壊れてしまうのが怖かった。だからしまっておいたはずなのに、シルバーのまっすぐな瞳が、その防波堤をあっさりと決壊させる。
「そんなの、……もし、二度と会えなかったら……っ」
「会える。俺が必ず見つけ出す」
シルバーの腕が、ななしの腰を強く引き寄せた。
密着した身体から、いつの間にか熱を帯びた彼の体温がじわじわと侵食してくる。シルバーはななしの首筋に顔を埋め、柔らかな皮膚を食むように、深く、刻みつけるように吸い上げた。
「……っ、シルバー、先輩……」
「そうだ。そうやって俺を呼んでくれ」
彼の指先が、震えるななしのブラウスの隙間から肌へと滑り込む。
冷たいはずの指先が、今は狂おしいほど熱い。
鎖骨をなぞり、胸元へと降りていくその感触に、ななしは背中を丸めて彼の肩にしがみついた。
「……っ、だめ、……そんなにされたら、もっと離れたくなくなっちゃう……」
「それでいい。離れたくないと、そう思ってくれ。……お前の中に俺が深く根を張って、どこへ行っても俺のことしか考えられないようにしてやる」
シルバーの低い声が、鼓膜を直接揺らす。
彼はななしの顎を持ち上げると、奪うような口づけを繰り返した。
舌先が絡み合い、互いの熱を交換するたびに、頭の中が白く染まっていく。
「……お前の匂いも、温度も、全部俺が覚えている」
シルバーは唇を離すと、ななしの目尻に溜まった涙をそっと舌先で掬った。その眼差しには、一人の男としての逃れられない執着が色濃く滲んでいる。
「信じてくれ。俺が必ず、お前のいる場所まで辿り着く。……だから今は、俺のことだけを見てほしい」
外では図書室の閉館を告げる音が鳴り響いていた。
西日が沈み、境界線が曖昧になった闇の中で、互いの境界も溶け合っていく。
次に目覚めたとき、隣に誰がいるのかはわからない。
それでも、首筋に残された消えない熱だけが、いつか訪れるはずの再会を闇の先で静かに待ち続けているのだった。
