ハーツラビュル
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鏡舎を抜けた先、薔薇の赤が目に痛いほど鮮やかなハーツラビュル寮。その一角にある、手入れの行き届いた白い屋根付きの休憩所は、午後の日差しを避けるのに絶好の場所だった。
庭園の緑に囲まれたその場所のテーブルの上には、繊細な金縁のティーカップが二つ。湯気と共に、アールグレイの華やかな香りが微かに漂う。
「リドル先輩、この資料のまとめ終わりました。確認をお願いします」
ななしが手渡した書類をリドルは背筋を伸ばしたまま受け取る。
彼の指先が紙の端に触れる。
その仕草一つをとっても無駄がなく美しい。
「ありがとう、ななし。……うん、完璧だ。キミは本当に物覚えが早いね。ボクの指導をこれほど正確に形にできる者は寮内にもそう多くないよ」
「嬉しいです。リドル先輩にそう言ってもらえるなら、頑張った甲斐がありました」
「なに、お世辞を言っているわけじゃない。これはキミへの正当な評価だよ」
リドルはふいと視線を書類に戻したが、その耳の端がわずかに赤く染まっているのをななしは見逃さなかった。
規律に厳しい彼が自分と過ごす時間だけは、どこか纏う空気を緩めている。それは言葉にするまでもない二人だけの暗黙の了解のようなものだった。
「リドル先輩、お茶淹れ直しますね。少し冷めちゃったと思うので」
「ああ、ありがとう」
「あと昨日焼いたクッキーを持ってきました。砂糖は控えめにしてありますよ」
「それは楽しみだね」
ななしがポットを持ち上げると、リドルの視線が自然とななしの顔へと移る。目が合うと、彼は気まずそうに咳払いを一つ。
「……なんだい、ボクの顔に何かついているかい?」
「あ、ごめんなさい。その、リドル先輩がとても穏やかな顔をしていて、……素敵だなと思って」
「なっ……! キミは、相変わらずさらりと不敬なことを……っ」
リドルはティーカップを手に取ったが、その指先がかすかに震えている。
動揺を隠すように紅茶を口に含む彼の横顔は、西日に照らされてひどく幼く、そして艶やかに見えた。
ティータイムが進むにつれ、空気はゆっくりと密度を増していく。
先ほどまでの事務的な会話は影を潜め、話題はいつしか取り留めのない日常へと移り変わっていた。
「リドル先輩、リボンが少し曲がっていますよ」
「え? ……ああ、本当だ。鏡を見る時間が少し足りなかったかな」
リドルが自分で直そうと手を伸ばすが、慣れない焦りのせいか結び目がうまくいかない。
ななしは自然と椅子から腰を浮かせ、彼の正面に立った。
「わたしが直しますね。失礼します」
「……あ、ああ。頼むよ」
至近距離。
リドルの瞳が驚いたように大きく見開かれる。
ななしの指先が彼の襟元に触れるとリドルの体が一瞬強張った。
首筋から彼の体温が伝わってくる。それは予想以上に熱く、確かな生命の鼓動を宿していた。
「リドル先輩、少し……香りが変わりました?」
「……寮の薔薇を剪定したからだろう。その香りが移ったのかもしれない」
リドルの声が少しだけ低くなる。
ななしの指がタイを整える間、彼は息を止めているかのように静かだった。だがその視線は逃げることなく、じっとななしを見つめている。あまりにも真っ直ぐな熱を帯びた眼差し。
「……できた」
ななしが手を離そうとした瞬間。
リドルの右手が、ななしの首筋に添えられた。
「リドル、先輩……?」
「……ななし。キミの香りの方がボクを惑わせる」
彼の瞳の奥にある色がいつもの冷静な灰色から、もっと深い情熱的な何かへと変質していく。身体の内側がじりじりと焼けるような感覚。彼の手が首から頬へと滑り親指が唇の端を優しくなぞった。
「ボクは、規律に厳しい人間だ。……自分自身に対しても。だが……キミを前にすると、その規律が書き換えられていくような心地がする。それはとても、恐ろしくて……心地いい」
リドルの吐息がななしの鼻先をかすめる。
屋根の外を流れる風の音も、遠くで聞こえる寮生たちの声も、すべてが遮断されたかのような静寂。ただ二人の間にある熱量だけが、じわじわと確実に世界を侵食していた。
頬に添えられた彼の手は、今や逃がさないという意志を持って力を帯びている。
リドルの顔がゆっくりと近づいてくる。
彼が何を望んでいるのか、その潤んだ瞳がすべてを語っていた。
「ボクを……見て。他のみんなを見るような目ではなく、ボクだけを見つめる目をしてくれないかい?」
その声は微かに震えていたが、同時に支配的な響きを含んでいた。リドルの中にある幼い独占欲と一人の男としての渇望。
それが混ざり合い濃密な空気となってななしを包み込む。
ななしが覚悟を決めたように目を閉じると、瞼に、そして鼻先に優しいキスが落とされた。
それは挨拶でも感謝でもない。
もっと深い、心臓の奥深くにまで届くような執着の証明だった。
「ななし……。ボクは、キミを甘やかすつもりでいたのに。……いつの間にか、ボクの方がキミに甘やかされているようだ」
リドルの唇が耳元でそう囁く。
彼の吐息が直接肌を打ち、脳が痺れるような感覚に陥る。
普段の規律正しい彼からは想像もつかない、甘く重く溺れるような愛情の奔流。
彼はそのままななしを抱き寄せた。肩を包み込む彼の腕は、決して離さないと言わんばかりに力強い。
彼の胸の鼓動が、トクトクとななしの胸に直接響く。それは二人の境界線が溶けて、一つの大きな熱に飲み込まれていく合図のようだった。
「今日はもう、寮には帰さないと言ったら……キミはルール違反だとボクを叱ってくれるかい?」
リドルが顔を上げななしの瞳を覗き込む。
そこにはもう迷いはなかった。そこにあるのは、愛しい存在を完全に自分のものにしたいという純粋で濃密な欲求だけ。
夕闇が迫るハーツラビュル。
薔薇の香りはより一層強く、二人の意識を深い場所へと誘い込んでいく。甘やかな時間はまだ始まったばかりだった。
庭園の緑に囲まれたその場所のテーブルの上には、繊細な金縁のティーカップが二つ。湯気と共に、アールグレイの華やかな香りが微かに漂う。
「リドル先輩、この資料のまとめ終わりました。確認をお願いします」
ななしが手渡した書類をリドルは背筋を伸ばしたまま受け取る。
彼の指先が紙の端に触れる。
その仕草一つをとっても無駄がなく美しい。
「ありがとう、ななし。……うん、完璧だ。キミは本当に物覚えが早いね。ボクの指導をこれほど正確に形にできる者は寮内にもそう多くないよ」
「嬉しいです。リドル先輩にそう言ってもらえるなら、頑張った甲斐がありました」
「なに、お世辞を言っているわけじゃない。これはキミへの正当な評価だよ」
リドルはふいと視線を書類に戻したが、その耳の端がわずかに赤く染まっているのをななしは見逃さなかった。
規律に厳しい彼が自分と過ごす時間だけは、どこか纏う空気を緩めている。それは言葉にするまでもない二人だけの暗黙の了解のようなものだった。
「リドル先輩、お茶淹れ直しますね。少し冷めちゃったと思うので」
「ああ、ありがとう」
「あと昨日焼いたクッキーを持ってきました。砂糖は控えめにしてありますよ」
「それは楽しみだね」
ななしがポットを持ち上げると、リドルの視線が自然とななしの顔へと移る。目が合うと、彼は気まずそうに咳払いを一つ。
「……なんだい、ボクの顔に何かついているかい?」
「あ、ごめんなさい。その、リドル先輩がとても穏やかな顔をしていて、……素敵だなと思って」
「なっ……! キミは、相変わらずさらりと不敬なことを……っ」
リドルはティーカップを手に取ったが、その指先がかすかに震えている。
動揺を隠すように紅茶を口に含む彼の横顔は、西日に照らされてひどく幼く、そして艶やかに見えた。
ティータイムが進むにつれ、空気はゆっくりと密度を増していく。
先ほどまでの事務的な会話は影を潜め、話題はいつしか取り留めのない日常へと移り変わっていた。
「リドル先輩、リボンが少し曲がっていますよ」
「え? ……ああ、本当だ。鏡を見る時間が少し足りなかったかな」
リドルが自分で直そうと手を伸ばすが、慣れない焦りのせいか結び目がうまくいかない。
ななしは自然と椅子から腰を浮かせ、彼の正面に立った。
「わたしが直しますね。失礼します」
「……あ、ああ。頼むよ」
至近距離。
リドルの瞳が驚いたように大きく見開かれる。
ななしの指先が彼の襟元に触れるとリドルの体が一瞬強張った。
首筋から彼の体温が伝わってくる。それは予想以上に熱く、確かな生命の鼓動を宿していた。
「リドル先輩、少し……香りが変わりました?」
「……寮の薔薇を剪定したからだろう。その香りが移ったのかもしれない」
リドルの声が少しだけ低くなる。
ななしの指がタイを整える間、彼は息を止めているかのように静かだった。だがその視線は逃げることなく、じっとななしを見つめている。あまりにも真っ直ぐな熱を帯びた眼差し。
「……できた」
ななしが手を離そうとした瞬間。
リドルの右手が、ななしの首筋に添えられた。
「リドル、先輩……?」
「……ななし。キミの香りの方がボクを惑わせる」
彼の瞳の奥にある色がいつもの冷静な灰色から、もっと深い情熱的な何かへと変質していく。身体の内側がじりじりと焼けるような感覚。彼の手が首から頬へと滑り親指が唇の端を優しくなぞった。
「ボクは、規律に厳しい人間だ。……自分自身に対しても。だが……キミを前にすると、その規律が書き換えられていくような心地がする。それはとても、恐ろしくて……心地いい」
リドルの吐息がななしの鼻先をかすめる。
屋根の外を流れる風の音も、遠くで聞こえる寮生たちの声も、すべてが遮断されたかのような静寂。ただ二人の間にある熱量だけが、じわじわと確実に世界を侵食していた。
頬に添えられた彼の手は、今や逃がさないという意志を持って力を帯びている。
リドルの顔がゆっくりと近づいてくる。
彼が何を望んでいるのか、その潤んだ瞳がすべてを語っていた。
「ボクを……見て。他のみんなを見るような目ではなく、ボクだけを見つめる目をしてくれないかい?」
その声は微かに震えていたが、同時に支配的な響きを含んでいた。リドルの中にある幼い独占欲と一人の男としての渇望。
それが混ざり合い濃密な空気となってななしを包み込む。
ななしが覚悟を決めたように目を閉じると、瞼に、そして鼻先に優しいキスが落とされた。
それは挨拶でも感謝でもない。
もっと深い、心臓の奥深くにまで届くような執着の証明だった。
「ななし……。ボクは、キミを甘やかすつもりでいたのに。……いつの間にか、ボクの方がキミに甘やかされているようだ」
リドルの唇が耳元でそう囁く。
彼の吐息が直接肌を打ち、脳が痺れるような感覚に陥る。
普段の規律正しい彼からは想像もつかない、甘く重く溺れるような愛情の奔流。
彼はそのままななしを抱き寄せた。肩を包み込む彼の腕は、決して離さないと言わんばかりに力強い。
彼の胸の鼓動が、トクトクとななしの胸に直接響く。それは二人の境界線が溶けて、一つの大きな熱に飲み込まれていく合図のようだった。
「今日はもう、寮には帰さないと言ったら……キミはルール違反だとボクを叱ってくれるかい?」
リドルが顔を上げななしの瞳を覗き込む。
そこにはもう迷いはなかった。そこにあるのは、愛しい存在を完全に自分のものにしたいという純粋で濃密な欲求だけ。
夕闇が迫るハーツラビュル。
薔薇の香りはより一層強く、二人の意識を深い場所へと誘い込んでいく。甘やかな時間はまだ始まったばかりだった。
