名前のない距離
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約束の日はあいにくの雨だった。
指定された待ち合わせ場所の広場に着くと、屋根の下でスマホをいじっているエースの姿が見えた。
いつもよりやや落ち着いた色合いの服を着ていて、少しだけ背が伸びたような錯覚を覚える。
「エース」
声をかけると、エースは顔を上げてスマホをポケットに突っ込んだ。
「遅い。三分遅刻」
「まだ約束の時間の二分前だけど」
「オレが五分前に来てんだから三分遅刻だろ」
相変わらずの無茶苦茶な論理に思わず呆れた息が出る。
エースは意地悪く笑うと、頭上のどんよりとした空を見上げた。
「雨降ったな。てるてる坊主作ればよかったわ」
「作ってても降ってたと思うけどね」
「で、どうすんの? オレの家行く?」
前回の会話をそのまま引きずった問いかけに、思わず身構えてしまう。
「……その前に、ちょっと買い物付き合ってよ」
あえて話題をそらすように言うと、エースは片眉を上げた。
「買い物? 何買うの?」
「日用品とか、ちょっとしたもの。お茶くらい奢るから」
「奢り? じゃあ高いやつ頼も」
エースはあっさりと承諾して、手に持っていた傘を開いた。
「ほら、行くぞ」
「うん」
「濡れるから近く寄れよ」
「自分の傘あるよ」
「すぐそこまでなんだから一緒でいいだろ」
差し出された傘の中に足を踏み入れる。
差されたひとつの傘の中に収まると、肩が触れそうなほど距離が縮まった。
周囲の雨音が急に遠くなったような気がして、思わず歩幅をエースに合わせる。
「お前、歩くの遅くない?」
「エースが早いの。もうちょっと合わせてよ」
「へいへい。わがままですねー」
口では軽口を叩きながらも、エースはあからさまに歩幅を小さくしてくれた。
そういうところがズルいのだと、本人には絶対に言ってやらないけれど。
◇
アーケードの下に入りエースが傘を閉じた。
バサバサと水滴を払う彼の横顔を、盗み見るように見つめる。
「なに? 人の顔じろじろ見て」
「別に、濡れてないかなって思っただけ」
「お前の方こそ濡れてんじゃん。もっとこっち寄ればよかったのに」
「えっ、本当だ……」
自分の服の肩口がうっすら湿っているのに気づいて手をやると、エースが呆れたようにため息をついた。
「たく……無理して離れようとするからでしょ」
「無理なんてしてない」
「傘の中でずっと緊張してただろ」
見透かされて返す言葉が詰まる。
エースは閉じた傘の先端を地面につけて、少しだけ顔を近づけてきた。
「なあ、なんでそんな身構えてんの?」
「身構えてなんて……」
「オレとふたりでいるの、そんな嫌?」
「嫌なわけないでしょ。嫌なら今日ここに来てないよ」
思わず強めのトーンで言い返すと、エースは一瞬驚いたように目を見開いた。静けさが二人の間に落ちる。
アーケードの屋根を叩く雨音だけが、やけに大きく聞こえた。
エースは少しだけ気まずそうに目を逸らすと、首の後ろを手で触った。
「……ならいいけど」
「……うん」
「……じゃ、買い物済ませたらオレの家な」
「え、本当に行くの?」
「雨強くなってきたし、外にいてもやることねーだろ」
エースは強引に話をまとめると、背を向けて歩き出した。
「ほら、早く来ないと置いてくぞ」
「あ、待ってよ」
少し早足で追いつくと、エースは振り返りもせずに、ただ自分の歩幅を少しだけ緩めてくれた。
雨の匂いを感じながら、エースの少し緩められた歩幅についていく。
今日も曖昧な時間は続いていく。