問題児たちはオンボロ寮の合鍵が欲しい
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営業を終えたモストロ・ラウンジでは、アズール先輩が帳簿の確認を続けていた。
忙しそうなところに声をかけるのは少し気が引けたものの、せっかくここまで来たのだからと、グリムを連れて近づいた。
「アズール先輩、少しお時間いいですか?」
「……閉店後に何の用です。ずいぶん唐突ですね」
帳簿から顔を上げた先輩に、私はポケットから取り出した四本の鍵を見せた。
グリムも椅子の脚に前足をかけ、興味津々といった様子で覗き込む。
「これの相談なんですけど」
「……何です、それは?」
「学園長からもらった、オンボロ寮の合鍵です」
「それで、僕に相談とは?」
「この鍵を、信頼できる人に預けておきたいなって考えていて。誰に預けるか決める前に、グリムと一緒に話を聞いて回ってるんです」
「なるほど。誰に預けるべきか検討中というわけですね」
「さすがアズール先輩、話が早くて助かります」
先輩は帳簿を閉じ、鍵を一本つまみ上げた。
表裏を確かめると、ほかの三本と揃えてテーブルに戻した。
「つまり、僕ならどうするか……、という相談ですね」
「はい。アズール先輩の意見も聞きたくて」
「そうですね、まず条件を確認しましょう」
「条件ですか?」
眼鏡の縁を押し上げ、アズール先輩は私を見た。
「鍵を預けることで、何を期待するのか。相手に何を任せるのか。そのあたりを明確にする必要があります」
「何かあったときに、助けてもらえたら嬉しいなって」
「それだけでは、少々曖昧ですね」
アズール先輩の言うとおり、何かあったとき、というだけでは頼みたいことが広すぎるのかもしれない。
「具体的に考えてみましょう。曖昧なままでは、僕も助言のしようがありませんから」
先輩が向かいの椅子を示す。
腰を下ろすとグリムも隣の椅子へよじ登り、テーブルに前足を乗せた。
「オレ様が腹ペコのときに、すぐ食い物を持ってきてもらうんだゾ!」
「それは鍵の用途とは関係ありませんね」
「なんでだゾ! オンボロ寮の一大事なんだゾ!」
面倒だとでも言いたげな先輩の顔に、グリムはぷいっとそっぽを向いた。
このままでは話が脱線しそうだ。
私はグリムを横目に、アズール先輩へ向き直った。
「具体的には、どういうことを考えておけばいいんでしょう?」
「たとえば、あなたが寮にいるときに、何か困ったことが起きたとします」
「はい」
「自分だけでは対処できず、誰かに助けを求めたい。そんなとき、鍵を預けていれば相手に何を任せられますか?」
「……私が頼んだときに、寮に入って対応してもらう、とかでしょうか」
「ええ。では、預けた相手が鍵をなくした場合は?」
「新しく作ってもらうのじゃ、だめなんですか?」
「それだけでは足りません。どこでなくしたのか、拾われた可能性はないのか、まず確認する必要があります」
「あ……拾われていたら、錠前ごと交換することも考えないといけないんですね」
「そういうことです。鍵を預けるなら、紛失した際の対応まで決めておくべきでしょう」
「いちいちメンドクセーんだゾ」
「グリムさん、面倒だからといって考えなくていい理由にはなりませんよ」
グリムが「オレ様は難しい話は苦手なんだゾ!」とばかりに椅子の後ろから顔を出す。
その様子を気にすることもなく、先輩は四本の鍵を整然と並べ直した。
「ところで、四本とも誰かに渡すつもりですか?」
「そこも含めて、まだ決めていません」
「それなら、急いで配る必要はありませんね」
「はい。じっくり考えようと思ってます」
「手元に残しておく鍵があってもいいでしょうし、誰にも渡さないという選択肢もあります」
「誰にも渡さないのも、アリですか?」
「ええ。契約を結ばないという選択もありますからね」
「……なるほど」
渡すことばかり考えていたけれど、そもそも誰かに預ける必要があるのか、というところから考えてもいいらしい。
先輩は一本の鍵を指先で押し、私の手元へ滑らせた。
「それに、信頼できることと、鍵を預ける必要があることは別です」
「それは……そうですね」
「相手に気を遣って渡すようなことになれば、本末転倒です。断りにくいから渡す、というのもおすすめしません」
相手に悪いから、という理由で鍵を渡すのも違うらしい。
「アズール先輩は、どうやって断るんですか?」
「僕ですか?」
「はい。誰かに何かを頼まれて、引き受けるのが難しいときとか」
先輩はすぐには答えず、少し考えるように目を伏せた。
「まず、引き受けた場合の負担を見積もります。そのうえで、条件を調整するか、お断りするかを決めます」
「条件を調整?」
「たとえば、対応できる時間帯を限定する。あるいは、対応できる範囲を決めておく。できないことまで引き受ける必要はありません」
「なるほど……」
「断るのが難しい相手なら、なおさら最初に範囲を明確にしておくべきですね」
頼りたいからといって、何でも任せていいわけじゃない。
相手が無理なく引き受けられる範囲も、考えておいたほうがよさそうだ。
「それにしても、僕に相談に来たということは……」
先輩の指先で、鍵がくるりと回る。
「僕も候補に入っていると、考えていいんでしょうか?」
「えっ?」
「僕はてっきり、そういう話なのかと」
口角は上がったまま、鍵を持つ指だけが動きを止めた。
「そうですね、候補のうちのひとりではあります」
「候補のひとり、ですか」
「……まだ、誰に預けるか決めていないので」
「なるほど。では、僕にも可能性はあるということですね」
先輩は鍵を置き、何事もなかったかのように帳簿を開いた。
「では、僕が預かる場合についても考えてみましょう」
「契約なしでも考えてくれるんですか?」
「今回は特別です」
帳簿の新しいページを開くと、先輩はペンを手に取った。
「じゃあ、アズール先輩なら、どんなときに使いますか?」
「まず、あなたから明確に頼まれたときですね」
「連絡」「報告」と書き足し、三つの項目を並べた。
「僕も忙しい身ではありますので、必ず対応できるとは限りません」
「はい」
「それから鍵を使った場合は、何をしたのかあなたに報告します」
「しっかりしてますね」
「当然でしょう?」
アズール先輩は、鍵を使う場面だけでなく、その前後まで想定しているらしい。
「鍵を預けるというのは、相手を信頼することです。同時に預かる側にも責任が生じます」
「たしかに……」
「契約内容にもよりますが、僕がオンボロ寮を自由に使えるわけではありません」
「オンボロ寮を担保にしようとした人の発言とは思えないです……」
「……過去の話を持ち出すのはやめていただけますか?」
先輩の笑顔が、ほんの少しだけ引きつった。
「とにかく、使用条件は明確にしておくべきです」
「わかりました」
リドル先輩やヴィル先輩からも、鍵の管理や使用条件について助言をもらった。
そこにアズール先輩の話が加わり、預ける相手を決めるだけでなく、相手に何を頼みたいのかまで整理しておく必要があるとわかってきた。
「それに、僕に頼みたいことがあるなら、鍵を渡す前でも相談してくれて構いませんよ」
「鍵がなくても、ですか?」
「もちろん、しっかりと契約を交わした上でですが」
「そこはアズール先輩らしいですね」
「何ですか、その言い方は」
「いえ、ちゃんと条件をつけるところが」
「無条件で何でも引き受けるほうが不自然でしょう。あなたも、誰かに頼るときは相手の都合を考えるといいですよ」
「わかりました」
すると、椅子の後ろからグリムがぬっと顔を出した。
「じゃあ、オレ様がアズールに頼みたいことも聞いてくれるんだゾ?」
「もちろん、正式な契約を交わした上でなら」
先輩は帳簿の横から一枚の契約書を取り出した。
グリムの尻尾が、ぴたりと止まる。
「……グリム、またイソギンチャク生えちゃうよ」
「……やっぱり、やめとくんだゾ」
グリムは慌てて私の腕にしがみついた。
先輩はその様子に、呆れたようなため息を漏らす。
「……■■■さんも、苦労が絶えませんね」
「いつものことですから」
先輩は鍵へ視線を戻した。
「もし鍵を預かったとして、あなたは僕に何を頼むつもりです?」
「正直、万が一のときのため、くらいにしか考えてなくて……」
「それなら、なおさら急いで決める必要はないですね」
ペンを指先でくるりと回し、先輩は続けた。
「ただ、僕に預けることになったら、遠慮せずに頼ってください」
「はい、ありがとうございます」
「もっとも、僕を便利屋か何かと勘違いされては困りますが」
「そんなこと思ってませんよ!」
「それなら結構」
話がまとまったところで、グリムが私の腕にしがみついたまま顔を上げた。
「アズール、■■■に頼られるのはうれしいんだゾ?」
「……グリムさん」
「なんだゾ?」
「先ほどから気になっていたことを聞いてもいいですか?」
「な、なんなんだゾ……?」
先輩の視線が、グリムの口元へ落ちた。
「あなた、ラウンジの厨房から何か持ってきていませんか?」
グリムの耳がぴくりと動く。
先ほどから妙に口をもぐもぐさせていたのは気のせいではなかったらしい。
「な、何も持ってきてないんだゾ!」
「そうですか。では、その口元についているクリームは何でしょう?」
「こ、これは……!」
グリムは慌てて前足で口を拭ったものの、白いクリームが毛に広がっただけだった。
「厨房のデザートを、勝手に食べたんですね?」
「ちょっと味見しただけなんだゾ!」
「その量で?」
先輩は笑顔のまま立ち上がった。
「代金を払えないのでしたら、別の方法を考えましょうか」
「オ、オレ様は今、鍵の相談をしてるんだゾ!」
「鍵の相談なら、もう終わりましたよ」
「ふなぁ〜!」
閉店後のラウンジに、グリムの悲鳴が響き渡った。
◇
私はテーブルの鍵を回収し、ポーチへしまった。
出口まで来ても、グリムはデザートの代金について先輩との交渉を諦めていない。
「アズール先輩、今日はありがとうございました」
「いえいえ。こちらこそ、興味深い相談でした」
「もう少し考えてみます」
「ええ。それがいいでしょう」
帳簿を小脇に抱えた先輩は、いつもの笑顔を浮かべていた。
「僕に預けていただけるなら、しっかりと書面も作成しますよ」
「保管方法と使用条件、ですか?」
「ええ。後から揉めないためにも、最初に決めておくべきですから」
「さすが、徹底してますね」
「大事なことですから」
足元ではグリムが「分割払いにするんだゾ!」と声を張り上げている。
先輩はそちらを見もせず、「それは別件です」と一蹴した。
「本当にぶれませんね、アズール先輩」
「褒め言葉として受け取っておきます」
私が笑うと、先輩は少しだけ目を細めた。
「それと、■■■さん」
「何ですか?」
「僕を候補から外す場合は、理由を聞かせてもらっても?」
「えっ、外す場合もですか?」
「ええ。今後の参考にしますので」
候補から外れる場合まで、改善点を探すつもりらしい。
「無理にとは言いません。ただ、改善できる点があるなら知っておきたいですから」
「わかりました。考えておきますね」
「お待ちしています」
先輩は丁寧に一礼をすると、その隣でグリムが勢いよく顔を上げる。
「おい、■■■! アズールは候補から外すんだゾ!」
「……最終的に決めるのは、■■■さんですからね」
先輩は眉ひとつ動かさず、私へ視線を向けた。
「では、また何かあれば。鍵のことも、そうでないことも」
「はい。遅くまでありがとうございました」
もう一度頭を下げ、ラウンジを後にする。
寮へ向かう道すがら、グリムはまだ「分割払いなら何とかなるんだゾ」とぶつぶつ唱えていた。
どうやら、デザート代の交渉はまだ続いているらしい。
誰に預けるかだけでなく、どんなときに頼りたいのかも、もう少し整理してから決めよう。
四本の鍵をどうするか、答えが出るのはまだ先になりそうだ。
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