本編
インクィアメンタムの場合
「戦うのは怖くないですか?」
「……どうしたジルコン。怖くなったか?」
僕よりひとつ上のインクィアは、戦闘訓練官だ。僕も戦闘の基礎は彼から教わった。彼はボルツの弟で、パパラチアから戦闘を習い、とても器用でなんでもこなす。
「いえ、僕は……怖くはないです。ただ、僕がなにか失敗をして、イエローを失うのが、怖い」
僕の吐露を、インクィアは遠くを見つめるような表情で聞いていた。そして、空を見上げるとどこか懐かしむような寂しい声で、僕に声かけた。
「それは、誰だって怖いよな。失敗をするのは怖いよ。でも、失敗を恐れていたら、なにも出来ない」
「それは、そうですね」
「大事なのは、失敗をしないことじゃない。次になにをするかだ」
悟すような横顔は、パパラチアを彷彿とさせる。西日が彼を照らして、反射して光った。
「やっぱり、インクィアは大人ですね。僕とそんなに変わらないのに」
「そんなことはないよ。背伸びしてるのさ」
インクィアの喋り方がパパラチアに似るようになったのは、いつからだったか。頼もしいインクィアに、その喋り方は似合う。若いけれど、僕はインクィアを尊敬した。
「インクィアには怖いものなんてないですよね」
「まさか。俺はいつだって、」
悲しく、寂しい表情が、僕の瞳に焼きついた。どうしてそんな顔をするのか、僕には分からない。
「……いつだって、ひとりぼっちが怖いよ」
予想もしなかった答えに、僕は言葉が出てこない。黙っていると、パッとインクィアは表情を変えた。
「失敗が怖いなら、久々に俺と戦闘訓練するか?」
「あ……はい! よろしくお願いします!」
僕とインクィアは、体育館に向かって歩き出した。虫の鳴く声が遠くで聞こえた。
ラリマーの場合
「ラリマー、見回りは怖くない?」
「……ユーク」
一日の終わり、僕はラリマーに声をかけた。彼と組むのをやめてから随分経つけど、会った時のぎこちなさは変わらない。それはとても寂しかった。僕自身も曖昧な笑みになっていると思う。
「僕も君も脆いじゃない? 戦うの、そんなに得意じゃないでしょう」
「まぁ、モリオンがいるし……それに」
ラリマーは言い淀んだ。嫌なことを思い出している表情で、消え入るような声を出した。
「……俺の決断で、誰かがいなくなるよりよっぽどいい」
君のせいじゃないよって、僕も先生も何度も言ったのに。まだ、君は迷っているのね。その迷いが、君からどんどん言葉を奪っているのを知っている。けれど、僕はどうすることも出来ない。
「無理しないでね。なにか困ったことがあれば頼って頂戴」
「ありがとう。ユーク、」
「……なぁに」
「いや……なんでもない。なんでもないんだ」
ラリマーはやっと、曖昧にだけど笑ってくれた。なんでもないことでもいいよ。何気なく君の隣に立てること、それは嬉しい。昔は毎日一緒だったのに、すっかり開いた距離が寂しくて悔しいのだ。
「また書記の仕事手伝ってくれる? 君は字が綺麗だから」
「あぁ、もちろん。いつでもどうぞ」
何かを書いている時のラリマーは、とても生き生きとしている。僕はそれを眺めるのが好きだった。夜はもうすぐそこに来ている。照明クラゲを連れて、僕たちは紙をもらいにペリドットのところへ歩いた。
モリオンの場合
「兄さん、戦うのは怖くない?」
「どしたのぉ、ゴースト。藪から棒に」
「最近、僕戦ってないから不安で」
図書の整理を兄さんに手伝ってもらいながら、ふとした疑問をぶつけてみた。深い意味はないのだけど、兄さんは真面目に考えてくれてるようだ。
「んー怖いから戦うんじゃない?」
「怖いから戦う?」
「うん。戦わないと怖いことが待ってる。だから戦う。因果が逆だと思うなぁ」
「なるほどね」
恐怖に抗うために戦うのだから、戦いは怖くて当然か。やっぱり、兄さんはみんなが思ってるよりずっと賢いと思う。
「兄さんの怖いことってなに?」
「んークリソベリルの説教」
「先生のじゃないのね」
「キャキャキャ」
クスクス笑えば、兄さんも笑う。兄さんの笑い声は独特だ。みんな怖がるけど、僕も中の子もとても気に入っている。本から落ちたホコリが舞って、部屋は真っ白だ。
「あとはそうだなぁ、ラピスに」
兄さんは目を細めて、哀愁の漂う顔になった。きっとみんなは知らない。
「もう会えなかったりしたら、それは怖いなぁ。あと、みんなを置いて消えちゃうのも怖い」
みんなは知らない。兄さんが賢くて、繊細で、優しいことを。死に関する研究のために、ちょっと迷惑な変わったことばかりするけれど、兄さんは優しい。
「ゴーストぉ、これどこだっけぇ」
「あーそれね、どこだったかな……」
僕も中の子も、兄さんが大好き。兄さんも大好きなラピスを取り戻すために、僕は戦い続けようと思った。
コーラルの場合
「戦争って怖いのかなぁ」
「…………」
「おい! 無視することないだろ!」
池のほとり、コーラルに質問してみたけどこれだ。いつもクラゲの世話だと言って水面を見てるけど、じっとしているだけで無職の僕と変わらないんじゃないか?
「……僕は戦争に出ないから知らない。でも怖いから出ないわけじゃない」
「またまた〜怖いからいつも水面見てんじゃないの? 見回り組はいつも空見てるぜ?」
「これはクラゲの世話だ。……フォスほどじゃないが、僕だって脆い」
コーラルは変わらず水面を見つめたまま。こいつも低硬度で悩むことあんのかな。緩やかな風が池を吹き抜ける。穏やかな午後だ。
「コーラルも戦争に出たい?」
「いや」
「なんで?」
「逆になんでお前は戦争に出たがるんだ」
「え? だって先生の役に立ちたいじゃん」
当たり前のように言ったら、コーラルはなんだか難しい顔をした。
「え、どんな表情なのそれ。コーラルは違うの?」
「僕は……僕は」
コーラルは諦めたような、呆れたような、そんな顔で呟いた。
「所詮、余所者だからな」
「な」
コーラルは海から生まれてきた。だから仲間はずれだと思っているのか。
「なんだよ〜! 寂しいこと言うなよ!」
「事実だ」
「事実でもさ、なんかこう、なんか」
「気を遣うな」
それきりなにも言わないコーラルに、僕はかける言葉を探した。けど、万年不器用な僕じゃ、ふさわしい言葉なんて見つけられなかった。また、無為に日が暮れていく。クラゲは何も知らないように、プカプカ漂った。
「戦うのは怖くないですか?」
「……どうしたジルコン。怖くなったか?」
僕よりひとつ上のインクィアは、戦闘訓練官だ。僕も戦闘の基礎は彼から教わった。彼はボルツの弟で、パパラチアから戦闘を習い、とても器用でなんでもこなす。
「いえ、僕は……怖くはないです。ただ、僕がなにか失敗をして、イエローを失うのが、怖い」
僕の吐露を、インクィアは遠くを見つめるような表情で聞いていた。そして、空を見上げるとどこか懐かしむような寂しい声で、僕に声かけた。
「それは、誰だって怖いよな。失敗をするのは怖いよ。でも、失敗を恐れていたら、なにも出来ない」
「それは、そうですね」
「大事なのは、失敗をしないことじゃない。次になにをするかだ」
悟すような横顔は、パパラチアを彷彿とさせる。西日が彼を照らして、反射して光った。
「やっぱり、インクィアは大人ですね。僕とそんなに変わらないのに」
「そんなことはないよ。背伸びしてるのさ」
インクィアの喋り方がパパラチアに似るようになったのは、いつからだったか。頼もしいインクィアに、その喋り方は似合う。若いけれど、僕はインクィアを尊敬した。
「インクィアには怖いものなんてないですよね」
「まさか。俺はいつだって、」
悲しく、寂しい表情が、僕の瞳に焼きついた。どうしてそんな顔をするのか、僕には分からない。
「……いつだって、ひとりぼっちが怖いよ」
予想もしなかった答えに、僕は言葉が出てこない。黙っていると、パッとインクィアは表情を変えた。
「失敗が怖いなら、久々に俺と戦闘訓練するか?」
「あ……はい! よろしくお願いします!」
僕とインクィアは、体育館に向かって歩き出した。虫の鳴く声が遠くで聞こえた。
ラリマーの場合
「ラリマー、見回りは怖くない?」
「……ユーク」
一日の終わり、僕はラリマーに声をかけた。彼と組むのをやめてから随分経つけど、会った時のぎこちなさは変わらない。それはとても寂しかった。僕自身も曖昧な笑みになっていると思う。
「僕も君も脆いじゃない? 戦うの、そんなに得意じゃないでしょう」
「まぁ、モリオンがいるし……それに」
ラリマーは言い淀んだ。嫌なことを思い出している表情で、消え入るような声を出した。
「……俺の決断で、誰かがいなくなるよりよっぽどいい」
君のせいじゃないよって、僕も先生も何度も言ったのに。まだ、君は迷っているのね。その迷いが、君からどんどん言葉を奪っているのを知っている。けれど、僕はどうすることも出来ない。
「無理しないでね。なにか困ったことがあれば頼って頂戴」
「ありがとう。ユーク、」
「……なぁに」
「いや……なんでもない。なんでもないんだ」
ラリマーはやっと、曖昧にだけど笑ってくれた。なんでもないことでもいいよ。何気なく君の隣に立てること、それは嬉しい。昔は毎日一緒だったのに、すっかり開いた距離が寂しくて悔しいのだ。
「また書記の仕事手伝ってくれる? 君は字が綺麗だから」
「あぁ、もちろん。いつでもどうぞ」
何かを書いている時のラリマーは、とても生き生きとしている。僕はそれを眺めるのが好きだった。夜はもうすぐそこに来ている。照明クラゲを連れて、僕たちは紙をもらいにペリドットのところへ歩いた。
モリオンの場合
「兄さん、戦うのは怖くない?」
「どしたのぉ、ゴースト。藪から棒に」
「最近、僕戦ってないから不安で」
図書の整理を兄さんに手伝ってもらいながら、ふとした疑問をぶつけてみた。深い意味はないのだけど、兄さんは真面目に考えてくれてるようだ。
「んー怖いから戦うんじゃない?」
「怖いから戦う?」
「うん。戦わないと怖いことが待ってる。だから戦う。因果が逆だと思うなぁ」
「なるほどね」
恐怖に抗うために戦うのだから、戦いは怖くて当然か。やっぱり、兄さんはみんなが思ってるよりずっと賢いと思う。
「兄さんの怖いことってなに?」
「んークリソベリルの説教」
「先生のじゃないのね」
「キャキャキャ」
クスクス笑えば、兄さんも笑う。兄さんの笑い声は独特だ。みんな怖がるけど、僕も中の子もとても気に入っている。本から落ちたホコリが舞って、部屋は真っ白だ。
「あとはそうだなぁ、ラピスに」
兄さんは目を細めて、哀愁の漂う顔になった。きっとみんなは知らない。
「もう会えなかったりしたら、それは怖いなぁ。あと、みんなを置いて消えちゃうのも怖い」
みんなは知らない。兄さんが賢くて、繊細で、優しいことを。死に関する研究のために、ちょっと迷惑な変わったことばかりするけれど、兄さんは優しい。
「ゴーストぉ、これどこだっけぇ」
「あーそれね、どこだったかな……」
僕も中の子も、兄さんが大好き。兄さんも大好きなラピスを取り戻すために、僕は戦い続けようと思った。
コーラルの場合
「戦争って怖いのかなぁ」
「…………」
「おい! 無視することないだろ!」
池のほとり、コーラルに質問してみたけどこれだ。いつもクラゲの世話だと言って水面を見てるけど、じっとしているだけで無職の僕と変わらないんじゃないか?
「……僕は戦争に出ないから知らない。でも怖いから出ないわけじゃない」
「またまた〜怖いからいつも水面見てんじゃないの? 見回り組はいつも空見てるぜ?」
「これはクラゲの世話だ。……フォスほどじゃないが、僕だって脆い」
コーラルは変わらず水面を見つめたまま。こいつも低硬度で悩むことあんのかな。緩やかな風が池を吹き抜ける。穏やかな午後だ。
「コーラルも戦争に出たい?」
「いや」
「なんで?」
「逆になんでお前は戦争に出たがるんだ」
「え? だって先生の役に立ちたいじゃん」
当たり前のように言ったら、コーラルはなんだか難しい顔をした。
「え、どんな表情なのそれ。コーラルは違うの?」
「僕は……僕は」
コーラルは諦めたような、呆れたような、そんな顔で呟いた。
「所詮、余所者だからな」
「な」
コーラルは海から生まれてきた。だから仲間はずれだと思っているのか。
「なんだよ〜! 寂しいこと言うなよ!」
「事実だ」
「事実でもさ、なんかこう、なんか」
「気を遣うな」
それきりなにも言わないコーラルに、僕はかける言葉を探した。けど、万年不器用な僕じゃ、ふさわしい言葉なんて見つけられなかった。また、無為に日が暮れていく。クラゲは何も知らないように、プカプカ漂った。