#23 Reset me
ダムッ……
誰もプレイしていないフロアにボールの音が一つ響いた。
個人練習を始めるにはまだ少し早いタイミング。
そのボールの音は、フロアにいた一同の耳に届き、全員が「一体誰だ?」とフロアに目を移す。
2階ギャラリーから降りてくる途中の桜木軍団の耳にもそのボールの音は届いた。
「おい、誰かもう始めるぞ!」
「もしかして花道のヤツ、ハルコちゃんの前だからって張り切ってんのか?」
「こうしちゃいられねぇ!」
いち早く桜木を冷やかしてやろうと、急いで階段を降り、入り口からフロアを覗く。
二つ目のボールの音が響いた時に、全員がハッと息を飲んだ。
誰もいないコートのセンターサークル付近でゆっくりとボールをつく流川。
その真正面には馨が対峙し、右前腕につけている黒のリストバンドを少し上げている。
互いに視線を反らさぬまま、無言でその場に立っていた。
真剣な眼差しを交わしている二人には和やかな空気はなく、その緊張感は体育館とその場にいる全員に広がった。
一瞬時間が止まった様な感覚になったが、ゆっくりとボールをつく音が秒針の音の様に時の流れを知らせていた。
(…1on1でも始めるのか?)
口にはせずともその場にいた全員が同じ事を思っていた。
そんな中彩子は、皆とは違った感覚を感じていた。
ピリッとした空気を出している二人。
普通に練習をするならあのような空気は出ないはず。
……なぜ、あの様な緊張感を出す?
と、二人を見つめていた。
彩子は頭の中でその理由を考えるが、どこか「ズレ」があるような感じがして、気持ちがモヤモヤする。
それはなぜなのか、どこなのかと考えているが、思い当たる節はない。
何かが抜けているような気がする…
少し不安げな顔をする彩子の横に、宮城がまるで見計らったかのように隣に並ぶ。
「あの二人、周りの事なんて一切頭にないみてぇだな。これから個人練習始めるってのによ」
「リョータ…!」
「こんな状況じゃ邪魔できねぇな。全く、迷惑な話だぜ」
そう言った宮城の顔は言葉とは裏腹に、ニヤリと笑っていた。
「二人とも怖い顔しやがって。ま、久々にサシで勝負するんだ、無理もないか」
どうやら宮城は二人がこれから行う事を止めることなく、その動向を見守ることにするらしい。
他の部員も二人の空気に飲まれたのか、個人練習を始める様子はなく、誰も口を出す事もなかった。
「アヤちゃん、気付いてた?アイツら、ここに来て「初めて」1on1やるの」
「初めて…?何言ってんのよ、やったじゃない。馨が来た日の練習で…アンタも目の前で見たでしょ?」
「あぁ、あの試合?あんなの、やったウチに入らねーよ」
宮城の顔がスッと真剣な顔になる。
「あんなんじゃ、勝負のうちにも入らねぇ。…特に、馨ちゃんは俺との1on1時の方がまだよかったね」
宮城は流川と馨を見ながら続ける。
「あの試合、俺は馨ちゃんと何度も1対1でやり合った。流川とやってるみたいで変な感じだったけど楽しかったよ。馨ちゃんも真っ向から向かってきたからね、尚更。正直なところ、最初は女だからって舐めてたんだ。いくら流川と小さい頃からバスケしてたからってさ。」
彩子がつらつらと話している宮城の顔をを見ていると、それに気づいた宮城と目が合う。
宮城の真剣な表情が幾らか穏やかになる。
「だけどすぐにその考えは変わったね。気付けば対等にやり合ってた。足も速いし技術もある。「あぁ、やっぱり流川と昔からやり合ってただけあるな」って」
彩子は、馨が湘北高校に来た日の事を思い出していく。
あの日の試合、何があったのか…
「アヤちゃん、アイツら、前はずっとやり合ってきたんでしょ?」
宮城はあの試合で、流川と馨が1対1になるように仕向けた。
身長差があるとはいえ、久し振りに相手をする二人がどうプレイするのか興味が沸いたからだ。
しかし、宮城の思惑通りにはならなかった。
その時、彩子は馨のプレイがどんなだったか、一つ一つ記憶を手繰り寄せていっていた。
あの日、流川と馨が1対1になる場面は何度かあった。
宮城とのマッチアップ、馨が宮城を抜いた後、何度か流川が馨をチェックする為マークについた。
その時、馨は流川に対してどんなプレイをしていたか…
馨が宮城をマークしていた時、宮城が流川にパスを出して、意図的に流川と馨の1対1になる場面を作った時…
流川をマークする形になった馨はどんな動きをしたか…
彩子の頭の中で、二人のプレイが再生されていく。
馨は流川を抜いたのか。
ボールを持った流川に、どう対応したのか…
馨の、プレイは…
「あっ…!」
その時、何かに気づいた。
「あのコ、流川との1on1を避けてた…」
あの日の馨のプレイには共通点があった。
「流川の前でボールを持ったあのコ、攻めに行ってない…抜いてない…」
「そう。勝負しなかったんだ」
宮城は腕を組んで頷く。
「流川をかわして中まで入って行ってもいい場面でパスばかりしてた。ゴール下にも切り込んで行ってない。結果、シュートも外からばかりだった」
「そういえば、赤木先輩も「外だけだ」って言ってたわ…」
「へぇ、ダンナも気づいてたんだ。流石だね。なら流川は真っ先に「おかしい」って判ってただろうね」
宮城は続ける。
「別に「パスを出す」というプレイがダメって事じゃない。そういう選択肢もあるからね。自分より遥かに大きい人間の中にいるんだ、シュートもゴール下で打ったらブロックされる確率が高い。だけど…俺は違和感しか感じなかった」
『違和感』
彩子は自分が抱いていたスッキリとしない感情の理由が判り、「なるほど、そういうことか」と思う。
宮城がその単語を口にした時、彩子の中で感じていたモヤモヤとしたズレの正体がわかった。
ボールを持った流川に、馨はなんの対処もできずにいた。
スキを見てはシュートを打っていたがゴール下まで行くことはなかった。
彩子が感じていた「違和感」はこの馨のプレイだった。
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