#23 Reset me
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窓際の一番後ろに座る流川は、穏やかな日差しと風を浴びながら机に肘をついている。
昼休みが終わり、その後の5時限目の授業は一番眠くなる時間だ。
優しい風が教室に入り、心地よい天候と適度な満腹感…そして黒板を走るチョークの音とゆったりとした先生の声が子守唄に聞こえてくる。
それらが相乗効果となり、余計に眠気を誘う。
眠いながらも授業は聞いておかねばという意識はある、が、ボンヤリとした頭は別の事を考えていた。
それは、ある試合の事。
中学の後輩である水沢イチローを交えての紅白試合の事だ。
膝関節の病気が発覚し、選手生命を絶たれる彼の選手としての最後の望みは、「流川とバスケをしたい」というものだった。
流川には、どうしても心に引っ掛かる点があった。
まず一つ目は、水沢本人ではなく第三者からの申し出であったこと。
本人の希望ではなく周りが勝手に盛り立てて、自分に依頼してきたのかと思った流川は、それを問い詰めたところ、案の定本人ではなく、水沢の姉からの依頼だったと知り、断った。
水沢が望んでいなかったら?勝手な憶測で周りが盛り上げてるだけだったら?
本人の意志や同意がそこにはない……そう思うと腹が立って仕方がなかった。
しかし、後に本人も希望していること、赤木の了承、更に赤木が安西宅に出向いてまで頼み込みに行った事。
それらを知り、承諾した。
二つ目は水沢の意識だった。
会うなり礼を行ってきた水沢だったが、この件では自分は何も動いていないので礼を言われる筋合いはなかった。
一番の立役者は水沢の姉であり、礼を言うべき相手は自分ではない。
そして何より、自分と同じチームでプレイするのもどうにも気に入らなかった。
どうせやるなら互いの力をぶつけ合うプレイ……同チームより対戦相手として真っ向勝負するのが一番いい。
そんな流川は水沢にこう言った。
『一緒にバスケをしたいってのは、勝負したいってんじゃねぇのか』
と。
強い相手と勝負することによって自分を高めてきた。
負けたくないという思いが自分を強くしてきた。
これで最後のプレイだという水沢のバスケ。
力を出しきれず、悔いを残すということだけはさせたくなかった。
それは同じチームでの協力プレイをする事ではなく、勝負することで全ての力を出し切れるのではないか……
……あの時の自分はここまで高尚な事までは意識していなかったが、その後前向きに治療に励み、日常生活をする上では特に問題はないという知らせを聞いて、少なからず安心している気持ちはある。
試合後の水沢のやりきったという表情と涙を思い出すと、「水沢との勝負」という選択は間違っていなかったと思う。
水沢の望みと同じような言葉を口にした昨日の馨の言葉を思い出す。
『バスケ、やろうね…一緒に』
そして、自分が水沢に言った言葉もそこに重なってくる。
『一緒にバスケをしたいってのは、勝負したいってんじゃねぇのか』
(一緒にバスケをしたい、か…)
奇妙な程一致する言葉に、これをただの偶然と考えるか、それとも繋がりがあると深読みをしていいのか……
そう考えるのは意識しすぎであろうか。
しかし、自分の中に「期待」という文字があるのは事実。
プレイをしていれば勝負になるのは目に見えているし、そのような結果になることは馨も判っているはず。
何より「一緒にバスケをしよう」と言ったのは事実。
何を後ろ向きに考えてるんだ、と自戒する。
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窓際の一番後ろに座る流川は、穏やかな日差しと風を浴びながら机に肘をついている。
昼休みが終わり、その後の5時限目の授業は一番眠くなる時間だ。
優しい風が教室に入り、心地よい天候と適度な満腹感…そして黒板を走るチョークの音とゆったりとした先生の声が子守唄に聞こえてくる。
それらが相乗効果となり、余計に眠気を誘う。
眠いながらも授業は聞いておかねばという意識はある、が、ボンヤリとした頭は別の事を考えていた。
それは、ある試合の事。
中学の後輩である水沢イチローを交えての紅白試合の事だ。
膝関節の病気が発覚し、選手生命を絶たれる彼の選手としての最後の望みは、「流川とバスケをしたい」というものだった。
流川には、どうしても心に引っ掛かる点があった。
まず一つ目は、水沢本人ではなく第三者からの申し出であったこと。
本人の希望ではなく周りが勝手に盛り立てて、自分に依頼してきたのかと思った流川は、それを問い詰めたところ、案の定本人ではなく、水沢の姉からの依頼だったと知り、断った。
水沢が望んでいなかったら?勝手な憶測で周りが盛り上げてるだけだったら?
本人の意志や同意がそこにはない……そう思うと腹が立って仕方がなかった。
しかし、後に本人も希望していること、赤木の了承、更に赤木が安西宅に出向いてまで頼み込みに行った事。
それらを知り、承諾した。
二つ目は水沢の意識だった。
会うなり礼を行ってきた水沢だったが、この件では自分は何も動いていないので礼を言われる筋合いはなかった。
一番の立役者は水沢の姉であり、礼を言うべき相手は自分ではない。
そして何より、自分と同じチームでプレイするのもどうにも気に入らなかった。
どうせやるなら互いの力をぶつけ合うプレイ……同チームより対戦相手として真っ向勝負するのが一番いい。
そんな流川は水沢にこう言った。
『一緒にバスケをしたいってのは、勝負したいってんじゃねぇのか』
と。
強い相手と勝負することによって自分を高めてきた。
負けたくないという思いが自分を強くしてきた。
これで最後のプレイだという水沢のバスケ。
力を出しきれず、悔いを残すということだけはさせたくなかった。
それは同じチームでの協力プレイをする事ではなく、勝負することで全ての力を出し切れるのではないか……
……あの時の自分はここまで高尚な事までは意識していなかったが、その後前向きに治療に励み、日常生活をする上では特に問題はないという知らせを聞いて、少なからず安心している気持ちはある。
試合後の水沢のやりきったという表情と涙を思い出すと、「水沢との勝負」という選択は間違っていなかったと思う。
水沢の望みと同じような言葉を口にした昨日の馨の言葉を思い出す。
『バスケ、やろうね…一緒に』
そして、自分が水沢に言った言葉もそこに重なってくる。
『一緒にバスケをしたいってのは、勝負したいってんじゃねぇのか』
(一緒にバスケをしたい、か…)
奇妙な程一致する言葉に、これをただの偶然と考えるか、それとも繋がりがあると深読みをしていいのか……
そう考えるのは意識しすぎであろうか。
しかし、自分の中に「期待」という文字があるのは事実。
プレイをしていれば勝負になるのは目に見えているし、そのような結果になることは馨も判っているはず。
何より「一緒にバスケをしよう」と言ったのは事実。
何を後ろ向きに考えてるんだ、と自戒する。
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