#23 Reset me


静かに階段を上がり、自分の部屋を通り過ぎ、隣にある流川の部屋の前に立つ。

扉越しで起きている気配がないのが伝わってくる。

念の為、聞き耳を立てるが、物音一つ聞こえてこない。

もう既に眠っているかもしれない…そんな配慮を込めて小さなノックをした後、そっと扉を開けて中を見ると部屋の電気は既に消えていた。


(やっぱり寝てるか…)


控え目に声をかけたものの、起こしては悪いと音を立てないよう扉を閉めようとした矢先、僅かに返事が返ってきた。


「……ん」


すぐに反応がなかったのは眠りの狭間にいたためだろう。眠気を払拭する為に戦うような返事だ。


「ごめん、起こした?」


彼の寝起きの悪さは周知。

相手が自分であろうと関係なく、彼の寝ぼけぶりは最悪である事はよく知っている。

機嫌を損ねてしまったかと思うものの、次に返ってきたハッキリと覚醒した返事に、そんな心配は杞憂であったと安心する。

流川はゴシゴシと目を擦りながらムクリと起き上がる。

ハッキリと目は覚めているようなものの、眠そうなのには変わりはない。


「…どうした」

「あ、ごめんね、起こして」

「別に、ヘーキ…」


口では平気だとは言っているものの、寝ている彼を起こした事には変わりはなく、少し申し訳なく思う。


「どうした、何か用か?」


かくいう流川はそんな事はさほど気にはしていなかった。

しかし、寝ている自分を起こしてまで声をかけた、そのことが引っ掛かっていた。

何か用事があるに決まっている、流川はそんな意を込めて馨に問いかける。


「用というか…今日はごめんね、先に帰って…」

「…別に」


流川の返事は先程の「別に」と比べて明らかにトーンが下がっている。

今日の事がまだ尾を引いているのだろうか…


「あの、明日はちゃんと自主練するからさ」

「あぁ…」


取り繕うように切り返すが、眠気の中にいたせいか、反応は悪い。

普段から素っ気無い返事をするが、今日はその返事にトゲを感じる。

…何故か冷たく聞こえてしまう。

いつもと同じやりとりなのに。

思えば普段と変わらない返事なのに。

判っていたはずなのに、そう聞こえてしまうのは多分自分の気持ちのせいだ。

素直に、全てを話していない罪悪感がそういう風に聞こえてしまう。


「……」

「……」


互いに黙ったまま見つめ合う。

二人の間にピリピリとした空気が立ち込める。

廊下の照明を明かりにする為、扉を半分ほど開けて馨は一歩部屋に入る。

先程よりは部屋の中を見回せるが、廊下の明かりだけでは流川の顔を見るには不十分だった。

廊下の照明だけでは部屋の暗さに目が慣れるのに時間がかかり、中にいる流川の顔はよく見えない。

薄明かりの中、顔は見えずとも起き上がって馨の姿を見ているのはシルエットで判る。

部屋は緑色のカーテンが綺麗に閉められていて外からの明かりは一切入ってきておらず、廊下の照明が部屋に差し込んでいるとはいえ、中の暗さに目が慣れるまで時間がかかりそうだ。

流川の顔が見えない。

だけど、どんな表情で馨を見ているのか、それは見つめられている本人がよくわかっていた。

いつものように無表情で、何を考えているのかわからないけれど何かを見据えているような、そんな目で自分を見ている、と。

それは全てを見透かされているようで時にそれに安心感を覚え、時に怖くもあった。

今は後者の感情が馨を占める。

それは流川に自分の思いや感情を一切伝えていない馨にとって当然の感情だった。

中学2年の時の準決勝で稲村に暴言を言われてからの事、アメリカに行った事、アメリカでの事、日本に帰ってきた事…

その時の自分の事を流川には何一つ伝えていない。

ましてや、今日あった事さえ流川には話せていない。

一番自分に近い存在であるはずの人物に何も伝えていないのだ。

流川の視線を「怖い」と感じてしまうのは、その後ろめたさからだろう。

話したい事は沢山あるし、話さなければいけないのも理解している。

流川からも「何があったのか話せ」と言われている。

でも、どうやって話そうか…

どういう気持ちで話せばいいのか…

改めて口に出すと忌々しい記憶が蘇ってくる。

全ての事から逃げ出してきた自分だ、その記憶と自分は向き合えるのだろうか…


「……っ」


口を開けるも第一声が出ない。

これではダメだと思うのと同時に、自分は何て気弱なんだろうと情けなくも思う。

彼はずっと待っているのだ。

「馨」を。

以前のように一緒にバスケをしていた頃の馨を…

やっぱり私はダメなのか…

そう考えていると、よく見えなかった流川の顔もだんだん見えてくる。

思っていた通り、無表情で馨をジッと見つめていた。

鋭い視線だ。

今、彼は何を思って自分を見ているのだろう…

そんな沈黙の後、先に口を開いたのは流川の方だった。


「さっきから何黙ってやがる」

「……」

「やっぱり何かあるんじゃねーのか」


流川の顔が見えるのに、射ぬくような彼の視線に馨は直視できず思わず視線を反らす。

どうしよう…何て話そう…

全て話してしまえばいいのに…!、そう頭の中で自分自身が訴えるのに、言葉が胸の奥に引っ掛かって思ったように出てこない。

何か、言わなきゃ…

そう思えば思うほど、思考が混乱していく。

心臓の鼓動が早くなっていく。


「だって…怒ってると思って…」

「は…?」

「私が、何も言わないから…」


俯いたままやっと出た馨の言葉は震えていた。


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