#23 Reset me
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鞄と本屋の紙袋を抱えて馨は家へと走って向かっていた。
(すっかり遅くなっちゃったな…)
駅前の本屋で桜木と別れ、少しだけ雑誌を物色するつもりが、つい読み耽ってしまった。
家には、夕飯はいらないと事前に連絡はしてあったものの、思った以上の長居に馨自身も驚いた。
夜という時間帯、そして明るい店内というのは景色の代わり映えがなくて時間経過がわかりにくい。
店内の時計を見て今の時刻に気づいた馨は「週刊バスケットボール」を急いで購入した後、本屋を飛び出した。
駅前の賑やかな場所を通り抜け、住宅街へと景色が変わっていく。
夜は涼しくなってきたとはいえ、走っているとじんわりと汗が出てくる。
急いで走っている時ほど、その道のりが長く感じられて仕方がない。
(自転車に乗ればすぐなんだけどなぁ…)
ふと、自転車の後ろに乗る事を思いつく。
家に電話して迎えを頼もうかと考えたが、不機嫌丸出しで自転車に乗ってくる流川の姿を容易に思い浮かべる事ができたので、あっさりとこの案を却下し、このまま走り続けることにした。
体育館で走るのは慣れているが、アスファルトにローファーではどうにも走りにくい。
思った以上に息が上がる。
街灯が夜の住宅地を薄っすらと照らす。
駅から家まであと半分、という距離まできただろうか。
木に囲まれた公園が見えてきた。
公園、といっても遊具はブランコだけ。
あとはバスケットリング。
公園というより、広場と言った方が相応しい場所。
馨は入り口の前で足を止め、広場の奥を眺める。
広場を囲む街灯が奥に見えるリングを僅かに照らしていた。
「……」
馨は息を整えながら、吸い寄せられるようにゆっくりとリングへと向かう。
一歩踏み出すたびに、ジャリ…という砂の小さな音が静かな広場に響くようだった。
ここは…
この広場は…
自分達がバスケットというものと出会った場所…
突如、自分達の世界に現れたリング。
自分達が気付く前からこのリングはあったのかもしれない。
でも、あの日初めてリングを見た。
5歳の時に見たリングはとても高くてとても大きかった。
馨はリングの下まで来て、見上げる。
白のバックボードは遠目では判らなかったが塗り直された跡がある。
ネットも風雨に晒されている環境にあるにも関わらず、綺麗なものになっている。
きっときちんと管理されているのだろう、修復を行った形跡が見てとれる。
(高いなぁ…)
いつ見ても、この感覚は変わらない。
幼かったあの頃よりは近くにあるはずなのに、まだ遠く感じる。
手を伸ばしても、ジャンプしても到底届かない。
今もそっと手を伸ばすが、遥か遠くにあって届きそうにない。
あのリングには触れる事なんて出来ないだろう。
リングに手が届くというのはどんなに気持ちがいいだろうか。
このリングを初めて見た日、「彼」は借りたボールでシュートに挑んだ。
何度シュートを打ってもリングにかすりもしなかった。
そんな彼も、今は容易に手が届く。
馨は目の前のリングに、流川の姿を重ねていく。
迷いのないドリブル、
ジャンプに踏み出す足、
まっすぐリングだけを見る目、
高く掲げられたボール、
舞い上がる髪、
宙を跳ぶ体…
スローモーションでその動きの一つ一つが目の前で再生されていく。
聞こえない筈の音が聞こえてくるようだ。
リングに思い切りボールを叩きつけたところで流川の姿は夜の闇に消えた。
流川の姿が消えた後も、リングから視線を外せなかった。
幻とはいえ、余韻が残る。
あそこまで跳んだ時はどんな感じなのだろう、どんな風に目に映るのだろう…
自分が知らない感覚を彼は知っている。
素直に羨ましいと思う。
でも、何故か胸が痛む。
羨ましいという感情がいつの間にか自分の中で負の感情になっているのが嫌になる。
最初は、二人は何でも同じだった。
身長も体格も力も。
一緒に届かないリングにボールを入れようとしていた。
いつでも互いに負けまいと競い合ってきた。
それが成長するにつれ、いつの間にか違いが出てきた。
でもそれは当たり前の事だったし、十分理解していたし、受け入れていた。
だから必死に食らいついた。
高さやパワーに負けず、いつまでも対等でいようと。
置いていかれまいと…
卑屈になるまいと…
でも、どうにもならなかった。
どんどん目線が変わっていくことに…
基本的なパワーの差に…
自分もこうだったらいいのに、と。
その思いの現実を中学2年の決勝戦の日に叩きつけられた。
『どうしてお前は…!お前が……だったらよかったのに…!』
頭に忌々しい言葉が鳴り響く。
痛みはないが、頭をガツンと叩きつけられたような衝撃が馨を襲う。
一緒にプレイできればそれでよかった。
「もし…」という事は考えた事はある。
でも、何も望んでいなかった。
今まで通りでよかった。
だけど、変わってしまった。
あの日から…
自分では、どうにもならない事が、やっぱり切なかった。
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鞄と本屋の紙袋を抱えて馨は家へと走って向かっていた。
(すっかり遅くなっちゃったな…)
駅前の本屋で桜木と別れ、少しだけ雑誌を物色するつもりが、つい読み耽ってしまった。
家には、夕飯はいらないと事前に連絡はしてあったものの、思った以上の長居に馨自身も驚いた。
夜という時間帯、そして明るい店内というのは景色の代わり映えがなくて時間経過がわかりにくい。
店内の時計を見て今の時刻に気づいた馨は「週刊バスケットボール」を急いで購入した後、本屋を飛び出した。
駅前の賑やかな場所を通り抜け、住宅街へと景色が変わっていく。
夜は涼しくなってきたとはいえ、走っているとじんわりと汗が出てくる。
急いで走っている時ほど、その道のりが長く感じられて仕方がない。
(自転車に乗ればすぐなんだけどなぁ…)
ふと、自転車の後ろに乗る事を思いつく。
家に電話して迎えを頼もうかと考えたが、不機嫌丸出しで自転車に乗ってくる流川の姿を容易に思い浮かべる事ができたので、あっさりとこの案を却下し、このまま走り続けることにした。
体育館で走るのは慣れているが、アスファルトにローファーではどうにも走りにくい。
思った以上に息が上がる。
街灯が夜の住宅地を薄っすらと照らす。
駅から家まであと半分、という距離まできただろうか。
木に囲まれた公園が見えてきた。
公園、といっても遊具はブランコだけ。
あとはバスケットリング。
公園というより、広場と言った方が相応しい場所。
馨は入り口の前で足を止め、広場の奥を眺める。
広場を囲む街灯が奥に見えるリングを僅かに照らしていた。
「……」
馨は息を整えながら、吸い寄せられるようにゆっくりとリングへと向かう。
一歩踏み出すたびに、ジャリ…という砂の小さな音が静かな広場に響くようだった。
ここは…
この広場は…
自分達がバスケットというものと出会った場所…
突如、自分達の世界に現れたリング。
自分達が気付く前からこのリングはあったのかもしれない。
でも、あの日初めてリングを見た。
5歳の時に見たリングはとても高くてとても大きかった。
馨はリングの下まで来て、見上げる。
白のバックボードは遠目では判らなかったが塗り直された跡がある。
ネットも風雨に晒されている環境にあるにも関わらず、綺麗なものになっている。
きっときちんと管理されているのだろう、修復を行った形跡が見てとれる。
(高いなぁ…)
いつ見ても、この感覚は変わらない。
幼かったあの頃よりは近くにあるはずなのに、まだ遠く感じる。
手を伸ばしても、ジャンプしても到底届かない。
今もそっと手を伸ばすが、遥か遠くにあって届きそうにない。
あのリングには触れる事なんて出来ないだろう。
リングに手が届くというのはどんなに気持ちがいいだろうか。
このリングを初めて見た日、「彼」は借りたボールでシュートに挑んだ。
何度シュートを打ってもリングにかすりもしなかった。
そんな彼も、今は容易に手が届く。
馨は目の前のリングに、流川の姿を重ねていく。
迷いのないドリブル、
ジャンプに踏み出す足、
まっすぐリングだけを見る目、
高く掲げられたボール、
舞い上がる髪、
宙を跳ぶ体…
スローモーションでその動きの一つ一つが目の前で再生されていく。
聞こえない筈の音が聞こえてくるようだ。
リングに思い切りボールを叩きつけたところで流川の姿は夜の闇に消えた。
流川の姿が消えた後も、リングから視線を外せなかった。
幻とはいえ、余韻が残る。
あそこまで跳んだ時はどんな感じなのだろう、どんな風に目に映るのだろう…
自分が知らない感覚を彼は知っている。
素直に羨ましいと思う。
でも、何故か胸が痛む。
羨ましいという感情がいつの間にか自分の中で負の感情になっているのが嫌になる。
最初は、二人は何でも同じだった。
身長も体格も力も。
一緒に届かないリングにボールを入れようとしていた。
いつでも互いに負けまいと競い合ってきた。
それが成長するにつれ、いつの間にか違いが出てきた。
でもそれは当たり前の事だったし、十分理解していたし、受け入れていた。
だから必死に食らいついた。
高さやパワーに負けず、いつまでも対等でいようと。
置いていかれまいと…
卑屈になるまいと…
でも、どうにもならなかった。
どんどん目線が変わっていくことに…
基本的なパワーの差に…
自分もこうだったらいいのに、と。
その思いの現実を中学2年の決勝戦の日に叩きつけられた。
『どうしてお前は…!お前が……だったらよかったのに…!』
頭に忌々しい言葉が鳴り響く。
痛みはないが、頭をガツンと叩きつけられたような衝撃が馨を襲う。
一緒にプレイできればそれでよかった。
「もし…」という事は考えた事はある。
でも、何も望んでいなかった。
今まで通りでよかった。
だけど、変わってしまった。
あの日から…
自分では、どうにもならない事が、やっぱり切なかった。
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