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#22 旅路


あの日も同じような気持ちで湘南の海を見た。

地区大会決勝があった日の夕方…。

自転車の後ろに乗せられて、見に行った海。

あの時も今日のように頭がぼんやりとしていたけれど、あの日見た景色ははっきりと覚えている。

いつも通りの夕焼けだったが、とても悲しく見えた。

それでも視線をそらす事ができずにずっと眺めていた。

何かを話すわけでもなく、ただ二人で座って海を眺めていた。

無理に慰めたりしない、何もしない…ただ隣にいるだけ。そんな態度は相変わらずだった。

でも、海に連れ出した事が彼の慰めの行動だというのはわかっていた。

その慰めが今になってとてもありがたく思える。


『どうして…』


突如馨の頭の中に『声』が聞こえてくる。

頭がズキリと痛む。


『俺は、前から残念に思ってたんだ』

『どうしてお前は男じゃないんだ』

『お前が男だったらよかったのにな』


声の主は男子バスケ部のキャプテンだった先輩、稲村だ。

地区大会男子決勝で惜しくも負けてしまった後に言われた言葉…。

断片的にしか覚えてないが、その一つ一つの言葉はしっかり記憶している。


『どうしてお前は女なんだ。どうしてお前は男じゃないんだ』


馨も考える事「だけ」はあった。

「二人で一緒に試合に出ることができたらどんなに嬉しいことか、どんなに楽しいか」と。

自分達ならきっといいコンビプレイができるだろうと。

「もし、同じ性別だったとしたら」と。

でもそれはあくまで想像だけの世界。

強く望む事はなかった。

男子と女子では正式な試合は別々。

クラブチームや部活での練習は、合同で行う事もあったものの、基本的には別だ。

でも、それは仕方のない事だと自然に受け入れていた。

諦める、という否定的な意味ではなく前向きに捉えていた。

試合では一緒でなくても、練習は一緒に出来る。

そう、どんな形であれ一緒にプレイできればそれでよかった。

「一緒に試合に出られたら」という願望はあったにせよ、馨は満足だった。

だから稲村のように否定的に考えた事など一度もなかった。

…一度もなかったけれど、自分の願望が行き着く先の考えは稲村の考えてる事や感情と同じだったのかもしれない、そう思うようになってしまった。

『自分が男だったらよかったのに』
『それは残念な事』
と。

自分自身を否定する考え。

その考えを認めなくなかったけれど、心の奥底でそのような考えがあったのかと思うと…。

自分で自身を否定していたのかと…。

そしてなにより…


『楓も「そう」考えた事があったのか』


と思うと…。

自分の存在を否定するような事を考えた事があったのかと。

それを想像すると悲しくて、辛くてたまらなかった。

「彼」だけには思って欲しくなかった。

『流川馨がもし男だったらどんなによかったか。自分にとってどれだけプラスになるか』と。

男だったら何の問題なく1on1が出来るし同じ試合にも出られる。

そう考えた事があるのだろうか…


馨は柵に置いていた自分の腕に顔を埋める。

何も視界に入れたくなかった。

嫌な考えだけが頭の中を渦巻いていく。

真っ黒になった視界に、あの日の稲村の顔が浮かぶ。

自分を睨みつける稲村の顔と、冷たく笑う稲村の顔が…。

そしてもう一つ、冷たい笑顔が浮かび上がり、稲村の顔と重なった。

もう一つの冷たい笑顔は、自分を「ジャップ」と馬鹿にした彼女の顔。

二つの笑みがピタリと重なった。


(そうか…だから…)


今日の試合中、どこかデジャブがあると思ったら稲村の笑みだ。

二人の笑みが重なったからこそ、地区大会決勝の時のトラウマが蘇り、寒気と気持ち悪さが自分を襲ったのだ。

感じた事がある感情はこれのせいだった。


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