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#22 旅路


その日の試合の「出来事」から先はあまりよく覚えていなかった。

プレイで見事に叩きのめされた事に加えて罵声を受けた馨の思考は完全に停止してしまった。

何を見ても抜け殻状態となった頭にはそれからの記憶は入ってくるはずもなかった。

それでも微かに記憶していることを蘇らせていく。

多分、試合は負けたんだと思う。

ソフィアが目一杯抗議していたが、相手には全く通じないどころか逆に煽られる始末。

怒りに支配されたソフィアのプレイは荒れ、それはチームの空気も悪くした。

当然、馨自身のプレイも流れの悪さに拍車をかけてしまっていた。

試合が終わってリサとソフィアに家まで連れてきて貰い、そこからずっとベッドに腰掛けながら暗くなっていく窓の外の景色を見つめている。

何時間も動けずにいた。

夕焼けのオレンジから夜の黒へと徐々に色が変わっていく様子を、ただジッと見つめていた。

時折外を走る車の音が聞こえるが、それ以外は無音で、カチ…カチ…という秒針の音がやたら大きく聞こえる。

そこで初めて今の時刻を確認すると19時過ぎを指していた。

日はすっかり暮れ、夕飯の支度をしなければいけない時間はとうに過ぎていたが、今の暗い気持ちの状態で用意をするのは気が重たい。

ふう、とため息をついたところで、今朝父親が言っていた言葉を思い出した。


「今日は仕事と会議がビッシリで帰るに帰れないと思うんだ。夕飯は馨だけになるが…ごめんな」


と。

今、仕事が佳境に入っているようでこのところ残業続きの父。

夜を徹しての作業になるほどまでになってしまったのか。


(今日は、いいか…)


と、再び窓の外に視線を移す。

不思議とお腹は空いていない。

食べる気も起きない上に何もする気になれなかったので、父の不在は正直都合がよかった。

…このまま一人でいたかったし、丁度よかった。

体を動かす気力も起きない。

何も頭に入ってこない。

何も考えずにぼんやりとするだけでそとを眺めている。


(……)


そんな中、薄暗い景色の中にフッと浮かんだのは「彼女」の冷たい笑み。

そして、彼女の言葉。


『どうしたの?動かないの?』

『それとも、動けないの?』

『そんな程度のプレイ』

『この…ジャップが』


「……っ!!」


寒気と少しの痺れが全身を一気に駆け巡った。

以前にも感じた喪失感が襲いかかる。

そう、以前にも感じた心を砕かれた感触が。

自分の中に押し殺してきた感情と記憶。

あの冷たい笑みは…見たことがある。

日本で…


『前から残念に思ってたんだ』


頭の中に『声』が蘇る。


「!!!!」


突然、全身の血がサッと凍るような感覚に襲われ、思わず立ち上がる。


『どうして、お前は…』


(ヤダ……!!やめて……!!)


寒気に襲われギュッと腕で自分の体を包む。

冷たい…

寒い…

嫌な気分が広がっていく。

この感情に支配されまいともがく。

ふと、コルクボードに貼られた写真に目が止まった。

日本にいるときの自分達の写真。

懐かしい写真…

頭の中に日本での記憶が一気に押し寄せてくる。

体育館、1on1、学校の屋上、自転車…

そして…


「海…」


目の前に広がる水平線に、点々と浮かぶヨット…

砂浜に腰掛けて潮風を受ける…

そんな風景が頭の中に広がる。


(海が、見たい…)


フッと浮かんだ感情は一気に膨れ上がり、抑えきれずに爆発する。

馨は机の上にある自転車の鍵を奪うように取り、乱暴に上着を羽織り、家を飛び出した。

…海が見たい。

よく行っていた海。

何かある度に海に行って、打ち寄せる波を見ていた。


『海が見たい』


そんな一心で自転車に乗り、一気に漕ぎはじめる。

黒い景色にオレンジ色の街灯が道を照らす。

海辺にある大きなマーケットに行けば、海辺に降りられる場所があり、海を見る事ができるとリサから聞いたことがある。

アメリカに来てから海へ足を運んだことはなかったが、マーケットには立ち寄った事がある。

魚介類が並ぶ市場のようなマーケットだが、お洒落な飲食店が軒を連ねていて、近くにはビルも立ち並ぶところだ。

マーケットへは少し遠いが自転車で行けなくもない距離。

馨は海の方向へと自転車を漕ぐ。

海が見たくて…。


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