愛妻家スネイプ先生シリーズ
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現在、ホグワーツ魔法魔術学校の教職員たちは、ある一つの深刻な問題に頭を悩ませていた。
それは教員間の教育方針を巡る対立や予算に関わるもの、生徒の素行不良などといった話ではなかった。
その深刻な問題とは、ホグワーツに十数年勤める中堅教員であるセブルス・スネイプに関することだった。
かつて彼は最年少でありながら、教職員の誰もが認める真面目で模範的な教員だった。
若干、性格に難があるものの、勤務態度は至って良好で、彼の勤務表に「欠勤」の文字が現れることは長い経歴の中で数えるほどしかなかった。
たとえ高熱が出ていようと、足を怪我していようと、彼はそれをおくびにも出さず当然のように出勤し、教壇に立つ。
「休むくらいなら死んだ方がましだ」
ある日、ふらふらと青ざめた顔で教壇に立とうとする彼を心配したある同僚が、さすがに休むよう勧めると、彼は真顔でそう言い放ったという。
決して学生のことが好きなわけでもなく、教師という仕事を好んでやっているようにも見えない男だが、恐ろしいほどのストイックな働きぶりを見せるスネイプは、若手でありながら教師陣の大きな信頼を得ていた。
ところがある日突然、彼は結婚した。
いつもの仏頂面で、まるでつまらぬ報告事項であるかのように平然と入籍したことを伝えたスネイプに、職員室には衝撃が走った。しかし、時が経つにつれ、あの気難しい男にも伴侶ができたことを教職員達は素直に祝福した。
もしかしたら、これで少しはあの棘だらけの性格も丸くなるかもしれない、と誰もが淡い期待を抱いたのだ。
しかし、それが悲劇の始まりだったのである。
「……またですかセブルス。奥様のことが大切なのは分かりますけど、こう頻繁に休まれては困ると何度も言っているでしょう。今度は一体なんですか?」
「妻の誕生日だ」
「……」
すっかり日常茶飯時となった職員室での光景。
当たり前のように提出された有給休暇申請書に、マクゴナガル教授のこめかみがぴくりと引きつった。
職員室にいた教員達は固唾を呑んで二人を見守る。
最初の数ヶ月は、周囲も「新婚だから」と大目に見ていた。しかし、結婚から一年が経過した今なお、スネイプの妻優先モードは加速する一方だった。
彼が休むたびに、スリザリン寮の管理業務は他の教員へ皺寄せがいき、魔法薬学の授業は休講になる。理不尽な減点から解放される生徒たちは大喜びだったが、教員たちは彼のあまりの変わりように疲弊していた。
緊迫した空気を意に介さず、スネイプは早く承認しろと言わんばかりに冷徹な瞳で上司を見据えながら、左手の薬指に光る指輪を無意識なのか意識してなのか分からないが、愛おしそうに撫でている。
「……今回は認められません。この日は試験期間直前です。あなたが抜ければ他の教員に負担がかかることは分かっているでしょう。皆大変なのですよ」
マクゴナガル教授は重々しく羊皮紙を突き返した。
「家族を大切にするのは素晴らしいことです。しかし、貴方はホグワーツで唯一の魔法薬学教授であり、スリザリン生にとっては親代わりの存在なのです。少しはご自分の職務の重さを自覚なさい!」
苦々しい彼女の叱責の声が職員室に響く。
差し戻された申請書を見つめたまま、スネイプは微動だにしなかった。
しかし数秒後。彼はゆっくりとまばたきを一つすると、恐ろしいほど静かな、しかし確固たる意志をはらんだ声で言った。
「……よろしい。では本日をもって私はホグワーツを退職させていただく」
スネイプの言い放った予想外のその一言に、職員室の空気が凍り付いた。
「なっ――」
マクゴナガル教授の声が裏返る。
スネイプはローブの内側からもう一枚の羊皮紙を取り出すと、当然のようにマクゴナガル教授へと差し出した。神経質な細い字で書かれたそれは、まぎれもなく本物の辞表だった。
「私は長年ホグワーツのために身を粉にして働いてきたつもりだ」
スネイプの低い声には、隠しきれない明らかな怒気が滲んでいる。
「毎日夜遅くまで採点をし、休日も授業の準備をし、呼ばれればいつでも出勤した。この十数年、プライベートの時間などなかったに等しい」
「セブルス……」
「それでも妻の誕生日にすら休暇を取得できない職場などに用はない」
それは愛する人のためにキャリアを捨てようとする男の、最終通告だった。
「世に魔法薬の専門家としての需要など溢れている。路頭に迷う心配はない。何より、あのうんざりするほど頭の悪い子供達の顔を二度と見なくて済むと思えば、せいせいする」
そう言い切るスネイプの顔は、本気だった。
怒りのあまり、教員として決して言ってはならない本音までダダ漏れになっていることにすら気付いていないようだ。
それほどまでに、彼にとって妻と過ごす時間は何物にも代えがたいのだ。
脅しではない。彼は本当に荷物をまとめて出ていくつもりだ。
それを悟った瞬間、教職員たちの顔から一斉に血の気が引いた。
ホグワーツからセブルス・スネイプが消える。
それは学校運営の崩壊を意味していた。
年中無休、実質24時間拘束というブラック極まりないホグワーツ教師のポストなど、そう簡単に埋まるわけがない。
魔法薬学に精通していて、かつ上記の業務も担ってくれる人間などすぐに見つかるはずがない。
セブルス・スネイプを学期の途中で失えば、来週からの授業は完全に破綻するだろう。
パニックに陥りかけた職員室で、最初に声を上げたのはフリットウィック教授だった。
「お、落ち着くんだセブルス! そう早まるものではない! 君が辞めてしまったら、魔法薬学の授業は一体誰が教えるのだね!?」
「新任を雇えばいいでしょう」
「君ほどの優秀な人材が、そう簡単に転がっているわけがないだろう!」
「……探してみもしないうちから、不可能だと決めつけるのは合理的ではありませんな」
冷ややかに一蹴され、フリットウィックは返す言葉を失って狼狽える。すかさずスプラウト教授も身を乗り出した。
「セブルス! 感情的にならないで、一度話し合いましょう? 奥様だって、あなたが勝手に辞めてきたら困るんじゃない?」
「貴方達と話し合うことなど何もない。長年、世話になった」
完璧な拒絶の言葉を残し、長い黒のローブを翻して部屋を去ろうとするスネイプ。その背中に、マクゴナガルは悲鳴に近い声を浴びせた。
「お待ちなさい、セブルス!!」
「……まだ何か?」
「勝手に話を終わらせるものではありません! この件は一度、私が預かります。ですから……ですから、その不穏な書類を今すぐしまいなさい!」
スネイプとマクゴナガルはしばらく無言のまま睨み合った。
やがてスネイプは「交渉の余地あり」と判断したのか、机の上に置かれた辞表をひったくるようにしてローブの奥深くへとしまい込んだ。
◇
その翌週。ホグワーツでは臨時の職員会議が開かれていた。
議題はただ一つ。
『どうしたらセブルス・スネイプを退職させないで済むか』である。
数時間に及ぶ激論の末、新たな一つの制度の導入が決まった。
それは『パートナー休暇』の新設である。
これは配偶者や家族との時間を確保するための特別有給休暇であり、従来の有給とは完全に別枠で、年に数回、何の大義名分がなくとも取得できるというものだ。
教職員の多くが独身であるホグワーツにおいて、この恩恵をフルに受けられるのは実質スネイプ一人であった。しかし、彼に堂々と休んでもらうためなら、そんな不公平など些細な問題だった。
これだけの条件で、あの偏屈な男が納得するのだろうか?と懸念する声もあったが、新制度を提示されたスネイプは、あっさりと辞職を撤回した。
愛する妻と少しでも一緒に過ごす時間が増えるのであれば、スネイプはそれでよかったのだ。
さらに、「脱・スネイプ依存」の一環として、彼の突発的な休暇に対応するため、魔法省から教職志望の若手をインターンとして受け入れ、臨時教員を確保することも決定した。
もっとも、あの陰険極まりないスネイプの下で働きたがる果敢な者がいればの話であるが。
そもそも、これまで一年生から七年生までの全授業と寮監業務を一人で回していた体制が異常だったのだ。
ゆくゆくは他の教科も、スペアの教員を確保する方向でいこうという話で会議はまとまった。
この会議を経て、教職員一同は、スネイプという有能な人材に甘え、過度な負担を強いていたことを深く反省したのだった。
◇
夜、校長室にて。
さっそく提出された記念すべき「第一号」のパートナー休暇申請書を手に、マクゴナガル教授は納得のいかない様子でため息をついた。
「……本当にこれでよろしかったのですか、アルバス」
彼女はデスクの向こうでココアクッキーを呑気に齧っているダンブルドアに視線を向けた。
「まったく……私の若い頃は不幸でもなければ私用で休暇を取るなどあり得ませんでしたよ」
ダンブルドアは申請書を受け取り、眼鏡の奥の目を細めて穏やかに微笑んだ。
「時代は変わるものじゃよ、ミネルバ」
「そうは言っても、今からこの調子では彼はそのうち『育児休暇を3年ほど頂く』などと言い出しかねませんよ」
マクゴナガルが想像するだけで頭が痛いというように額を押さえると、ダンブルドアは実に愉快そうに肩を揺らした。
「ふぉっふぉっふぉっ。それならわしらホグワーツも、ついに『ワークライフバランス』を取り入れる先進的な時代が来たということじゃな」
「笑い事ではありません!」
「何、よいではないか。わしはセブルスに幸せになってほしいのじゃよ。今まで、彼には少々……いや、あまりにも無理をさせすぎてしまったからのう」
そう言って、優しく窓の外の広大な敷地へと目をやる校長の後ろ姿に、マクゴナガルはまた大きなため息をつくのだった。
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