短編詰め合わせ
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ホグワーツのリネン・キーパーとして働く私の仕事は、生徒や教職員の衣服やリネンを回収して洗濯し、期限までに持ち主に返却することだ。
何百人もの生徒とスタッフが在籍するホグワーツ。
当然ながら毎日膨大な量の洗濯物が出る。大変な仕事だけど、衣食住の「衣」という観点から歴史ある母校の役に立てていると思うと、とてもやり甲斐のある仕事だった。
しかし就職して数ヶ月。
私には最近、深刻な悩みがあった。
回収した洗濯物というのは、着用済みとだけあってお世辞にもいい匂いがするとはいえない。それが大量に集まれば尚更のこと。特に男子生徒の多いクィディッチチームのローブなんかは汗まみれで最悪だ。
だけどそのなかで一人だけ。
本当に、一人だけ。
異様にいい匂いがする洗濯物があるのだ。
それは、スネイプ先生のものだった。
スネイプ先生といえば、ホグワーツで最も恐れられている魔法薬学の先生だ。
私も学生時代は気難しい彼を苦手としていて、なるべく気配を消して目を付けられないようにしていた。
だから意外すぎて、初めてその事実に気がついた時はあまりのギャップに固まってしまった。
だってあのスネイプ先生が身支度の最後に香水をシュッとかってやってる姿なんてどうしたって想像できない。
だけど何度確認しても、スネイプ先生のローブ、シーツ、枕カバー……そのどれからも胸いっぱいに吸い込みたくなる、柔らかくて安心する匂いがするのだ。
形容するならば、ありきたりだけど「おひさまの匂い」とか「温かい毛布」とか。とにかく嗅いでいて心が落ち着く、そんな香りがした。
あまりにいい匂いがするので、気が付けば回収する度に彼の洗濯物に顔を寄せて嗅ぐのが習慣になっていた。
そしてそれはどんどんエスカレートしていき……。
地下へと続く長い階段を降りる。
重厚な扉の前に置かれた、籐のバスケット。
その中には無造作に入れられた白のシーツと、枕カバー、大小のタオル、そして持ち主を象徴する真っ黒な長いローブが入っている。
(失礼します……!)
心のなかで謝りながら、私はスネイプ先生のローブを手に取り顔を埋めると、胸いっぱいにその匂いを吸い込んだ。
途端に鼻腔を満たす、柔らかくて暖かい匂い。陽だまりのようでいて、少しウッディなテイストの混ざったいつまでも嗅いでいたくなるような匂い。
ああ、幸せ……。戻ってからも、魔法で浄化する前にたくさんスーハーしなきゃ……。
「そのように回収されているとは知らなかったな」
「す、スネイプ先生!!」
私が夢中になってうっとりと嗅いでいると、いつの間にか背後にはスネイプ先生が立っていた。
私は慌ててローブをカゴに投げ入れた。
ぐちゃっとなったローブと私を、スネイプ先生は交互にゴミでも見るかのような目で見た。
「あ、あのこれは……汚れの状態を確認していただけで……」
「ほう。君は全ての洗濯物をそのように嗅いでから洗濯していたのかね。随分と仕事熱心なことで」
1ミリも信じていないという顔でスネイプ先生は冷ややかに言った。
穴があったら入りたいとはまさにこのことだ。
死にたくなるほど恥ずかしいけど、もしかするとこれは謎を解く絶好の機会かもしれない。
「……本当にすみません……いつもいい匂いがするので……あの、スネイプ先生は何か香水とか使ってらっしゃるんですか?」
作り笑いを浮かべながら聞いてみるも、スネイプ先生は怖い顔を崩さなかった。
「使っていたとして君に教える義理はない」
「ですよね……」
「気色の悪いことをしてないでさっさと行け」
「はい……すみませんでした!!」
これ以上変なことを聞いて、先生を怒らせるわけにはいかない。罰則を言い渡される前に逃げる生徒のように、私は慌ててバスケットを抱えると地下室を飛び出した。
全身にはどっと変な汗が吹き出していた。
はあ……いったい私は何をしてるんだか……。
当たり前のように変態的な行動をしていたことに、自分が恐ろい。
それから回収時に匂いを嗅ぐような愚かな真似はさすがにしなくなった。しかしリネン室に持ち帰るとどうしても嗅ぐのをやめられない。
私はすっかりスネイプ先生の匂いの虜になっていた。
一体この香りはなんなのだろう?
何度も匂いの源を考えた。
もしかしてスネイプ先生は魔法薬学の先生だから、蒸気なんかを一日中浴びているせいで薬の匂いが染み付いてる?
でも私が学生の時、そんないい香りのするような薬を調合した記憶などない。魔法薬の香りはだいたい苦みがあったり、刺激臭があったりするのだ。
じゃあ、香水や強い香りのする石鹸、もしくはクリームか何かを常用してるとか?そう考えもしたけれど、そういう人工的な香料の感じでもないのだ。
たぶんあの匂いは彼自身の体臭なのだと思う。
でもそれにしちゃいい匂いすぎる。
人間からあんなにいい匂いがすることってある?
私が知らないだけで、そういう特異体質の魔法使いとかいるのかな?
魅惑的な香りに関する疑問は頭を離れない。
あまりに気になりすぎて、同級生と久しぶりにホグズミードで再会して飲んだ時、ついそのことをボヤいてしまった。
「大変だけどそこそこやりがいのある仕事だよ。だけどさ、ある人の洗濯物だけめっちゃいい匂いがしてさ……」
そこそこ酔いが回った状態で親友に打ち明ける。
「え!?だれだれ?」
親友は興味深そうにテーブルに身を乗り出す。
スネイプ先生の洗濯物が、とはなんとなく言わないほうがいい気がして私は曖昧に言葉を濁した。
「えーっと……。とにかくある人の洗濯物だけいい匂いがしすぎて気になりすぎて仕方ないのが最近の悩みなの。こんな悩み意味不明よね……でも本当になんか中毒みたいになっちゃってて。小さいことなんだけど……なんかこう心を乱される感じがしてソワソワするのよね」
「ふーん。まあ、そういう人たまにいるわよね。外ですれ違ったりして、あ、なんかいい匂いってなる人。何かで読んだけど、匂いが心地よく感じる人ってさ、遺伝子的に相性がいいらしいよ」
思わぬ親友の回答に、私は飲んでいた赤ワインを吹き出しそうになった。
「い、遺伝子?」
「そう。まあもっと直接的に言えば恋人としての相性がいいってことね。子作りの相手に向いてるってことでしょ。人間の本能が知らせてるってことよ」
こういう話題が大好きな親友は楽しそうにキラリと目を輝かせた。今日だって再会一番に聞かれたことが「彼氏できた?」だ。
「で、誰なの?その運命の相手みたいな人は?まさか生徒じゃないわよね。流石に彼氏いないからって生徒に手を出すのはやめときなさいよ」
親友にマジな顔で釘を差され、私は全力で否定した。
「まさか。流石にそんなことしないよ。生徒じゃない」
「じゃあ誰よ?」
「聞きたい?」
「そこまで話しといて教えないのはナシでしょ!……で、誰なの?」
「絶対笑わない?」
「笑わない笑わない」
「……スネイプ先生」
今度は親友がワインを吹き出す番だった。
***
あのスネイプ先生と私の相性がいいだなんて絶対にありえない。天と地がひっくり返ったって、あの意地悪で得体の知れない人と恋人になる未来なんて想像できない。
そう思ったのに、遺伝子的相性がいいだなんて話を聞いてから変に意識してしまうようになって、私はスネイプ先生の前で余計に挙動不審になるようになってしまった。
ホグワーツは広いようで狭い城だ。一日を過ごしていれば、嫌でもあちらこちらですれ違う。
スタッフ同士は生徒の手前、挨拶を徹底しろと言われているので無視する訳にもいかず、私はスネイプ先生に会うたびに上ずった声でなんとか挨拶をした。
そのたびにスネイプ先生がバカにしたような呆れた目で見てくるものだから、いつも消えて無くなりたい気持ちになった。
もう!!
よりによってなんでスネイプ先生なんだろう!!
こんなことになるなら、まだ歳下の生徒からいい匂いがした方がマシだった!
それでも仕事は真面目にやらなければならない。
なにせ私はまだ新卒一年目なのだから。すぐに退職なんてしたら親になんて言われるか。それにホグワーツの求人は地味に競争率が高かったのだ。負けるな私!頑張れ私!
そんなこんなで今日も回収の時間がやってきた。
ビクビクしつつも自分を奮い立たせ、すっかりトラウマになってしまった地下室への階段を降りる。
なるべく滞在時間を短くして帰ろうと思うと、いつも扉の前に置いてあるバスケットがなかった。
(あれ?まだ出してないのかな?)
スネイプ先生はいつも回収の日にはきっちりとバスケットを用意している。こんなことは初めてだ。
もしかしたら忙しくて準備できなかったとか?
時間をあらためてもう一度来ようかと思ったけど、今日はタイミングが悪いことに医務室のリネンの回収も重なっている日だった。あとで大量の洗濯物を処理しなければならないので、あまり時間がない。できれば今回収してしまいたい。
嫌だなと思いつつ、私は重厚な扉をノックした。
「スネイプ先生、リネンの回収に参りました」
返事はなく、不在かと思った瞬間、扉が静かに開いた。スネイプ先生は大きな鉤鼻の上から私を見下ろす。その射抜くような鋭い目に圧倒され、私は思わず一歩後ずさった。
「こんにちは。あ、あの……リネンの回収に来ました。もし用意できていればお渡しいただけると助かるのですが」
「そこにある」
スネイプ先生は薄暗い部屋の隅っこを指差した。
そこには確かにいつものバスケットがあった。
「ありがとうございます。では持っていきますね」
スネイプ先生が一歩後ろに下がったので、中に入る。
私は背中に痛いほどの視線を感じながら、重いバスケットを持ち上げた。
「それでは明日またお届けします」
余計なことは何も言わずに立ち去ろう。
1秒でも早く部屋を出ようと、扉を目指すも、そこはスネイプ先生によって通せんぼされていた。
「おや、今日は嗅がないのかね」
「……っ!」
一番言われたくなかった話題を出され、顔に一気に熱が集まる。
「……そんなことしません!」
首を振って全力で否定するが、まだ一人の時にはこっそり嗅いでいる後ろめたさがあるせいか、驚くほど説得力のない声色だった。スネイプ先生は壁にもたれて腕組みしながら生徒をいじめるときの、あの恐ろしい笑みを浮かべている。
「そうかね?城の中ですれ違ったときには胸いっぱい吸い込んでいるのに?」
な、なんでそれを知ってるの!?
絶対に気付かれてないと思ってたのに!!
動揺を隠せない私にスネイプ先生はさらに嫌な笑みを深くした。ジリジリと距離を詰められ、私はバスケットを持ったまま壁際に追いやられてしまう。
いわゆる壁ドン状態で、スネイプ先生は私をそれはそれは恐ろしい声で問い詰めた。
怖すぎてもう泣きそう。泣きそうなのに、至近距離に先生がいるせいであの魅惑的な香りが私を包み込むように匂いたち、頭がくらくらとしてくる。
「なぜ私の匂いに執着する?」
「だからしてませんって……」
「嘘をつくな」
スネイプ先生は恐怖から俯く私の顔を上に向かせた。
無理やり目を合わせられると、途端に目に見えない光線に頭を貫かれるような感覚がした。
「遺伝子の相性……?なるほど。そういう説もあるな」
「なんで……」
スネイプ先生は心を読めるらしいという噂があったけど、嘘だと思っていた。勝手に思考を覗かれ私は絶句した。
「こんなの友達が勝手に言ってるだけですから……」
必死に否定するも、スネイプ先生はわざとらしく頷いた。
「あながち間違いではないかもしれんぞ。人体は不可思議なことで満ちている。直感というものは意外と侮れん。君がそう感じるのであれば相性が本当に良いのかもしれん」
「んなわけ、ないです……絶対に……っ」
必死に否定しようとしたけれど、震える声はひどく心細く響いた。
スネイプ先生が一歩近寄るたびに、彼の体温に温められたあの香りが、煙のように私を巻き、感覚を支配していく。
私の思考は強力な魔法薬を嗅いだ時のように停止し、体から力が抜けていった。
「それにだ。偶然かもしれないが……私も、お前の匂いを心地よく感じているようだ」
耳元で囁かれた低音に、背筋を電流が走る。
先生は私の首筋に顔を寄せると、溜息をつくように息を吸い込んだ。首筋にほのかに感じる熱い吐息に体がぞくぞくとする。
「甘い匂いがする」
「……っ、ん……」
やめて、と言いたいのに声が出てこない。
「確かめてみるかね……。その相性とやらが、本物かどうか」
低く囁いたスネイプ先生が私の顎をすくいあげる。
親指ですり、と優しく頬を撫でられれば、ゆっくりと吸い寄せられるように先生の顔が近づいてきた。
何が起きているのかも分からないまま、私はつい反射的に目を閉じた。
しかし唇に訪れるであろう柔い衝撃を待っていると、唐突に指で唇をむにゅっと摘まれた。
「冗談だ」
鈍い痛みにびっくりして目を開けると、スネイプ先生は余裕たっぷりな顔で最高に意地の悪い笑みを浮かべていた。
本当になんて嫌な人!!!!
からかわれた恥ずかしさで顔が燃えるように熱い。
「っ!!!セクハラで訴えますよ!」
「人の体臭を無断でコソコソ嗅ぎ回っている君の方がよほどセクハラだと思うが?」
「だから、してませんって!!もう!失礼します!」
ほとんど叫ぶように言い返し、私は逃げるように地下室を出た。
心臓がバクバクして、全身の血が沸騰しているようだった。
「スネイプ先生の馬鹿……っ!!」
リネン室に逃げ帰った私は、抱えていたバスケットをテーブルに置くのも忘れて、そのままズルズルと床にへたり込んだ。
顔が熱くて、心臓の音がうるさすぎてもうまともに呼吸すらできない。
(うそ……うそだ。あんなの、ただの冗談に決まってる…)
何度も自分に言い聞かせる。
けれど、まぶたを閉じればあの漆黒の瞳と、すぐ近くで感じた彼の体温が、鮮明な熱を持って蘇ってしまう。
それに唇を無造作に摘まれて「冗談だ」とからかわれたとき、恥ずかしさと同じくらい、胸の奥がひりつくような「失望」を感じてしまったことにも混乱していた。
目を閉じた時の私は、確かに彼の唇が重なるのを期待してしまっていた。
……好きでもなんでもないはずなのに。
それってやっぱり……?
(違う違う!!運命の人なんかじゃない……絶っっっ対に違うから!!)
自分に言い聞かせるように胸の内で叫ぶも、バスケットから彼の香りが、その言葉を嘲笑うかのようにふわりと漂った。
明日も、明後日も、私はこの香りの主に会いに行かなければならない。