日記帳

影は本当にネグレクトだったのか

2023/12/12 15:45
原神の推し関係性は雷電親子です。ですがこの2人は賛否両論が激しいのかなと思います。そりゃあそう、便宜上親子と括っていますが二者間にある確執はなかなか難しいものですし。
よく見るのは影のネグレクトに拒否感を覚えて彼女に苦手意識を持つパターン。感情を持つ生き物である以上、苦手なものがあるのは仕方のないことなのでそれについて異を唱えることはありません。ただ彼女のしたことは本当にネグレクトだったのだろうか? という疑問が生じます。
ただ自分の思ったことを記録に残したいのでつらつら述べています。この日記に、誰かを非難する意図はありません。

真実は生命の数と同じだけ存在します。この場合影と放浪者、2人が認識している真実が2つ。「母は価値がないからと僕を捨てた」と「脆い心を持って生まれた彼を不憫に思って封印した」の2種類ですね。いずれも当人らが語っているのでこれに間違いはありません。ですが事実はどう転んでも1つ。この場合は「雷神が一体の人形を借景ノ館に封印した」となります。
私が疑問に思ったのは、この事実を蔑ろにして影を糾弾する行為かもしれません。多分ですが、多くの人は放浪者により強く感情移入をしやすいと思います。それは彼の感性が我々人間に限りなく近しいからです。彼は人間の枠で見ても非常に繊細でメンタルが弱いです。加えて基本的にネガティブ思考です(生来のものか後天的に発芽したのかは分かりませんが)。自分により近い価値観を持った者が情感たっぷりに「母に捨てられた」と言えば、その母に対して苦い気持ちを抱くのも当然かと思います。実際私も例内で、しばらくは影へ明るくない気持ちを持っていました。しかしそれを持って苦言を呈するには、私はあまりにも影に対して親愛を持ちすぎていました。そういう訳でしばらく悶々とする日々を過ごしていました。
でもここで振り返りたい。影の真実は、むしろ名無しの人形に冷たくない情を孕んでいたことを。他の人形は破棄した彼女が、唯一破棄ではなく封印を選んだんです。この封印という選択に「製造者として無責任ではないか」と言うのは私も理解できます。ですが「ネグレクトだ」はズレた指摘のような気がするのです。悲しいかな、影にとっての放浪者は息子などという親愛の対象ではなく、己の創造物でしかありません。しかも副産物。ネグレクトという単語は彼女の視点では不適切です。これが私の違和感だったのだとようやく言語化できました。

ほぼ人間の感性である放浪者と、どこまで行っても神である影では精神的に感じる距離が変わります。神である影の価値観を人間が完璧に噛み砕くのは非常に難しいです。そして後出しの放浪者がより我々と似た感性を持っていたがためにそちらに意識が向きやすい。影への認識を放浪者フィルターのかかったものに上書きしやすかったんですね。別にそれは良いんですよ。放浪者側に立って影にどうかと思うぜ!と意思表明をすることも。何なら私だって今でも彼側に立ったら「影どうかと思うぜ!」ですし。でも同時に影の視点に立ってこの事実と真実を見る、ということも怠りたくないなと思いました。我々人間や放浪者には理解し難いものでも、当時精神的に不安定だった彼女が一粒の情をかけたことも念頭に置きたいです。それぞれの真実をきちんと理解したいです。

人形が求めた形ではないけれど、一種の愛に似た何かが彼にかけられた。私はそういう認識を持って雷電親子が好きだと言います。まっ今更彼がそれを知って何になる? とも思うので和解イベくれとはあまり思いませんが。とりあえず各々の行きたい道に進んでくれることを切に願っています。

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