旬四季SSログ01

 初対面の相手には相応の対応を。年代によって変わりはするだろうけど、ある程度歳を重ねた人間ならそれは当たり前のことだと思う。だけど自分の常識は他人にとっての非常識、あるいはその逆も然りだと、高二の春に痛感した。
 その人は年上である僕をいきなり名前で呼びつけて……と思えば翌日には珍名に変わっていた。僕の耳はどうしてもそれを名前だと認識できなくて、三割くらいは意図せず彼を無視してしまったこともあったように思う。もっとも、やかましさに耐えかねてわざとそうした時の方が多かったけど。
 それでも今はそう呼ばれることを受け入れて……むしろ世界でただひとり、彼だけが呼ぶ名前があることに高揚するなんて、口が裂けても言えない気持ちすら芽生えているんだから、どこまでも不思議な人だと思う。
「ならジュンっちもオレにあだ名つけてみるっすか?」
 些細なやり取りの中で言われた言葉。気が抜けた中での会話は、たった数秒前の交わりすら記憶に定着しない。どうしてそうなったのかは覚えていないけど、それでもはっきりわかることは、そう提案した四季くんの顔が期待に満ちているということだけ。その目を下らないと跳ね除ける怠惰を、今の僕は持てなかった。
 伊瀬谷四季。いせやしき。イセヤシキ。脳内で彼の名前を分解すること十数秒。何とか捻り出そうともがいて数十秒。でもあだ名なんてつけたことがないんだ、そう簡単に浮かぶわけもなく。こういうことにはとことん貧困な自分の浅さが憎く思える。でもきっと四季くんは僕の口から出る言葉を待っているんだろう。空想から戻る扉に手をかけるように、おそるおそる瞼を開いて隣の彼をちらりと覗く。そうしたら、まるで降り積もった白銀の雪のようにキラキラ眩しい瞳が。それを受けた瞬間、唇は無意識に動いていた。
「……しーくん」
「……しーくん?」
 四季くんは素直に音を反芻する。その声を聞いた瞬間、たった今自分が犯したものに気づく。物わかりの悪い口はまた知らないうちに「あ」と情けない声を漏らしてしまって、まだ惚けていた四季くんに水を与えた。
「へへっ、じゃあ今日からオレはしーくんっすね!」
「四季くん! 四季くんです! 君は未来永劫四季くんです!」
「えっ、何でっすか! 可愛いっすよ、しーくん。もう一回呼んで?」
「し、き、く、ん!」
「しーくんだってばぁ〜!」
 絡まれた腕を揺さぶられる。そんな甘えた声で言ったって、言わないものは言わないです!
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