旬四季SSログ01
時刻は十三時四十七分。さっき文字盤を確認してから、まだ二分しか経過していない。それでも時計を見ることをやめられなくて、多分もう十回以上はこの行為を繰り返している。こんな生産性のないことをやるよりも、鞄に忍ばせた小説の続きを読むとか、帰宅後に片付けておきたい仕事の確認をした方が良いことはわかっている。でもどうにも気が落ち着かなくて、本に手を伸ばすことも、スケジュール帳を開くこともできそうにない。いい加減腕時計に囚われるのをやめたくて、下に落ちそうな視線を上へ持ち上げると、予報通りよく晴れた空が青々と広がっていた。その中で陽気に照る太陽は、まるで今の僕のよう。太陽に意思があるはずもないけど、何だか浮かれた自分を冷やかしているような気がして、再び視線は下に落ちた。
もうこの十数分ですっかり癖付いてしまったようで、流れるように腕時計を確認しようとしたその瞬間、それを阻止するように前方に誰かが立った。
「お待たせっす。今日も早かったっすね」
まばらに点在する人々から潜むように囁いたその声は、少し上から降ってきた。見上げれば待ち人……黒縁の丸眼鏡をかけた四季くんが小さく笑っていた。
「もー、絶対ジュンっちに勝てないんすけど。一体何分前に来てるんすか?」
「そんな極端に早くはありませんけど……まぁ、四季くんは身だしなみにこだわりがありますから。それに比べたら僕の支度はあまり手間がかからないでしょうね」
「えー、そういうこと? じゃあ次からはもっと早起きしなきゃっすかね……?」
「時間には間に合ってるんですから、今のままでも良いでしょう。どこで張りあってるんです、君」
相変わらず変なことを気にする人だ。確かに道中で何があってもリカバリーできるようにと早め早めの行動をしてはいるけど、だからと言って四季くんまで僕に合わせる必要はないというのに。寝不足でフラフラになられるよりは、きちんと睡眠を取って支度に時間をかけたら良い。そう思うのだけど、どうしても他人への気遣いを忘れられないらしい。妙なとこばかり細かいのが……ある種、彼の欠点だ。
「……あれ」
「? どうかしたっすか。忘れ物しちゃった?」
「いえ……何か、今日の四季くん、いつもと雰囲気が違いますね?」
「ん? あー、今日はコンサバ系にしてみたんすよ。どう? 似合ってるっすか?」
よくよく見ると、今日の四季くんは普段とは違う出立ちだ。コンサバは……確か、シンプルできれいめな服装の総称。ハデハデの盛り盛りを好む四季くんとは対極なファッションスタイルだ。だというのに今日の彼は、目立つ原色もダボダボのサイズも一切ない、落ち着いた色合いと体格に合ったサイズ感の服を身につけていた。
ワイシャツの上に無地の紺ニット、黒のスキニーパンツによく磨かれた革靴。雰囲気に合わせたのか、髪型も普段よりずっと大人しい。プライベートでこんな格好をする四季くんは初めてで、ものすごく新鮮だった。似合っているかと言われればそうなのかもしれない。でも見慣れないそれは、何だか心が落ち着かなかった。
「センスに自信がないので、はっきりとは言えませんが……悪くはない、と思います」
「マジっすか? やった、なら成功っすね」
「成功?」
「ジュンっちってこういうシンプルイズベスト! なやつが好きでしょ? 久々のお外デートだから、ジュンっち好みを目指してみたっす」
「はぁ……僕、好みの」
「ちょこーっとだけ変装的な意味もあるっすけどね。いやー、オレこういうコーデ組まないからスッゲー悩んで……でもジュンっちが悪くないって言ってくれたから安心したっす」
それは心から漏れた言葉なのだろう。四季くんはホッとしたように頬を緩ませた。でも僕の心は、安堵する彼に反してじくりと疼く。だってそれって、つまり、僕に合わせたってことだろう? やっとスケジュールに調整がついて、久しぶりに外で遊べるのに。彼は僕にばかり心を砕いて……それが、ものすごく、罪悪的だった。
「……ジュンっち?」
「あの、気持ちは嬉しいんですが……それって、君に無理をさせていませんか?」
「無理? どういうこと?」
「君は服が好きでしょう。いろんなこだわりがあって、それを表したコーディネートを着ることを楽しんでいる。なのに、そこまでこだわりがない僕に合わせるというのは……君にとって、楽しくないのでは、と」
そう。僕のセンスでは全てを理解することはできないけど、四季くんが何らかの矜持を持って服を着ることを楽しんでいるのはよく知っている。好きな格好をして、それで遊びに出掛けて、自分の全てで楽しいという気持ちを表現している。そういうところが彼の魅力の一つだと認識していた。だからそれを僕一人によって損なってしまうのは苦しい。そうやって笑っている彼のことが、好きだから。
「……はーぁぁぁー……ジュンっち、そういう野暮なとこ、マジで直した方が良いっすよ」
「え……?」
「オレは着て楽しくないコーデはしない! 今日のはあれっすよ。好きな人のタイプなコーデでキュンキュン作戦! ってやつ!」
「きゅんきゅん……?」
「そもそも別にコンサバ系だって嫌いじゃないし。で、それがジュンっちの好きな系統だってなったらそういう格好だってしてみたいし……あくまでオレが着たい服を着てるつもりっす。オレが着て楽しくなりたいから、ジュンっち好みのコーデしてるだけ。それを変に気にしないでほしいっす」
四季くんは眉を寄せて……少し怒ったような声を出した。体を九十度翻して、いかにも自分は怒っていますというポーズ。その状態で諭された内容は、指摘されれば確かにその通りだと納得する。
そうだ。僕の知る四季くんは、たとえ相手が誰であろうと自分の信じたものを曲げない。そんな頑固で面倒で、同時にしなやかでもある信念を持っている人だ。それをバカにしたも同然な自分の言葉を、今になってやっと後悔する。
「す……すみません。僕、失礼なことを……」
「ホントっすよ! 勝手にネガんないでほしいっすね!」
「う……はい」
「で、何か言うことはないんすか?」
「え?」
「恋人がオシャレして来てるんすよ。カレシとして言うべきことはないんすか?」
少し首を捻りながら、唇を尖らせる。
……あぁ、そういえば、まだ言えていない言葉があった。本当に気の利かない人間だ、と己を恥じる。叱責して数拍。僕はまっすぐに四季くんを見つめて言った。
「……とても素敵ですよ、四季くん」
もうこの十数分ですっかり癖付いてしまったようで、流れるように腕時計を確認しようとしたその瞬間、それを阻止するように前方に誰かが立った。
「お待たせっす。今日も早かったっすね」
まばらに点在する人々から潜むように囁いたその声は、少し上から降ってきた。見上げれば待ち人……黒縁の丸眼鏡をかけた四季くんが小さく笑っていた。
「もー、絶対ジュンっちに勝てないんすけど。一体何分前に来てるんすか?」
「そんな極端に早くはありませんけど……まぁ、四季くんは身だしなみにこだわりがありますから。それに比べたら僕の支度はあまり手間がかからないでしょうね」
「えー、そういうこと? じゃあ次からはもっと早起きしなきゃっすかね……?」
「時間には間に合ってるんですから、今のままでも良いでしょう。どこで張りあってるんです、君」
相変わらず変なことを気にする人だ。確かに道中で何があってもリカバリーできるようにと早め早めの行動をしてはいるけど、だからと言って四季くんまで僕に合わせる必要はないというのに。寝不足でフラフラになられるよりは、きちんと睡眠を取って支度に時間をかけたら良い。そう思うのだけど、どうしても他人への気遣いを忘れられないらしい。妙なとこばかり細かいのが……ある種、彼の欠点だ。
「……あれ」
「? どうかしたっすか。忘れ物しちゃった?」
「いえ……何か、今日の四季くん、いつもと雰囲気が違いますね?」
「ん? あー、今日はコンサバ系にしてみたんすよ。どう? 似合ってるっすか?」
よくよく見ると、今日の四季くんは普段とは違う出立ちだ。コンサバは……確か、シンプルできれいめな服装の総称。ハデハデの盛り盛りを好む四季くんとは対極なファッションスタイルだ。だというのに今日の彼は、目立つ原色もダボダボのサイズも一切ない、落ち着いた色合いと体格に合ったサイズ感の服を身につけていた。
ワイシャツの上に無地の紺ニット、黒のスキニーパンツによく磨かれた革靴。雰囲気に合わせたのか、髪型も普段よりずっと大人しい。プライベートでこんな格好をする四季くんは初めてで、ものすごく新鮮だった。似合っているかと言われればそうなのかもしれない。でも見慣れないそれは、何だか心が落ち着かなかった。
「センスに自信がないので、はっきりとは言えませんが……悪くはない、と思います」
「マジっすか? やった、なら成功っすね」
「成功?」
「ジュンっちってこういうシンプルイズベスト! なやつが好きでしょ? 久々のお外デートだから、ジュンっち好みを目指してみたっす」
「はぁ……僕、好みの」
「ちょこーっとだけ変装的な意味もあるっすけどね。いやー、オレこういうコーデ組まないからスッゲー悩んで……でもジュンっちが悪くないって言ってくれたから安心したっす」
それは心から漏れた言葉なのだろう。四季くんはホッとしたように頬を緩ませた。でも僕の心は、安堵する彼に反してじくりと疼く。だってそれって、つまり、僕に合わせたってことだろう? やっとスケジュールに調整がついて、久しぶりに外で遊べるのに。彼は僕にばかり心を砕いて……それが、ものすごく、罪悪的だった。
「……ジュンっち?」
「あの、気持ちは嬉しいんですが……それって、君に無理をさせていませんか?」
「無理? どういうこと?」
「君は服が好きでしょう。いろんなこだわりがあって、それを表したコーディネートを着ることを楽しんでいる。なのに、そこまでこだわりがない僕に合わせるというのは……君にとって、楽しくないのでは、と」
そう。僕のセンスでは全てを理解することはできないけど、四季くんが何らかの矜持を持って服を着ることを楽しんでいるのはよく知っている。好きな格好をして、それで遊びに出掛けて、自分の全てで楽しいという気持ちを表現している。そういうところが彼の魅力の一つだと認識していた。だからそれを僕一人によって損なってしまうのは苦しい。そうやって笑っている彼のことが、好きだから。
「……はーぁぁぁー……ジュンっち、そういう野暮なとこ、マジで直した方が良いっすよ」
「え……?」
「オレは着て楽しくないコーデはしない! 今日のはあれっすよ。好きな人のタイプなコーデでキュンキュン作戦! ってやつ!」
「きゅんきゅん……?」
「そもそも別にコンサバ系だって嫌いじゃないし。で、それがジュンっちの好きな系統だってなったらそういう格好だってしてみたいし……あくまでオレが着たい服を着てるつもりっす。オレが着て楽しくなりたいから、ジュンっち好みのコーデしてるだけ。それを変に気にしないでほしいっす」
四季くんは眉を寄せて……少し怒ったような声を出した。体を九十度翻して、いかにも自分は怒っていますというポーズ。その状態で諭された内容は、指摘されれば確かにその通りだと納得する。
そうだ。僕の知る四季くんは、たとえ相手が誰であろうと自分の信じたものを曲げない。そんな頑固で面倒で、同時にしなやかでもある信念を持っている人だ。それをバカにしたも同然な自分の言葉を、今になってやっと後悔する。
「す……すみません。僕、失礼なことを……」
「ホントっすよ! 勝手にネガんないでほしいっすね!」
「う……はい」
「で、何か言うことはないんすか?」
「え?」
「恋人がオシャレして来てるんすよ。カレシとして言うべきことはないんすか?」
少し首を捻りながら、唇を尖らせる。
……あぁ、そういえば、まだ言えていない言葉があった。本当に気の利かない人間だ、と己を恥じる。叱責して数拍。僕はまっすぐに四季くんを見つめて言った。
「……とても素敵ですよ、四季くん」