ハイフェ
ニヒリズム、と言うのだろう。心に飛来するこの感情は、弦に私を拒絶させる。体力を振り絞ろうにも、空になった今は抑える事すらままならない。馴染んだナイロンの感触が指先に通らない。どうして、と呟いた声は掠れていた。
憧れであり、目標だった。十才賀が奏でるあの音色を聴いた時、音というものにも『本物』があると知った。世界が広がるあの感覚が、旋律が耳を満たすあの快感が、根底から揺らぐような衝動が、今でも私の内々を満たし続けている──そう、思っていた。
スピーカーは撮ったばかりの演奏を歌っている。そこそこだろう。そこそこ、でしかない。あいつにはまだ遠く及ばないちゃちなお遊戯、そんな風にしか聴こえない。理想は高い方が良いなんて言うが、少なくとも私の気質とはあまり相性が良くないのかもしれない。それでも、あの音色を私から消すくらいなら、死んだ方が幸せだ。こんな鬱屈とした感情が、自分の音を濁らせているのだろう。楽器は常に正直だ。
……私には、あいつを超える事が出来ないのだろうか。もう伸びる代もなく、ただずっとあいつに置いて行かれるだけなのだろうか。嫌だ。そんな事は断じて許せない。私にだって、あの全てが塗り替えられて煌びやかなもので満ち満ちるような感動と衝撃を、誰かに与えてみたい。あの感覚は決して、世から失せていいものではない。それを紡ぐ者に、なりたいんだ。
『──────』
「……あ?」
何かが聴こえる。でも誰もいない。ここには私しか訪れないのだから、物音くらいしか鳴らないはずなのに。明らかに『声』が、聴こえる。
『────、────────』
違う。聴こえるんじゃない。響いてる? どこから、あたま? そんな馬鹿な。いよいよ精神でも病んだのか。
『──────』
「な、に……だれ、だれ……?」
『──、──────』
「へ……」
『声』は、私に語りかけている。明らかに、何か私の埒外の意思を持った私でない、誰かの言葉。言葉に起こしてもない恐怖を、そいつは確かに汲んでいる。なんで、どうして。
『────、────────』
「そ、れは……でも、それでも私は、十に……」
『──────────』
「え……?」
『────、────』
「そ、う、なのか……? 本当に……?」
『──、────』
それが語る言葉は、ずっと欲しかったもの。私が誰かからもらうことを望んだ、肯定だった。一拍置いた『声』が、涙を拭けと言う。触れれば、知らぬ間に頬は冷たい水で濡れていた。
『────?』
「当然だ。折れそうになろうと折れるものか。私は必ず、十才賀を超えるヴァイオリニストになるんだよ!」
『────。──────』
「……ははっ」
どうしてだろう。さっきまであんなに鬱々と重かった心が、ぎこちなかった腕が、弱々しかった指が、今はこんなにも軽やかだ。一秒でも早くヴァイオリンに触れたい。
早く、私は、十以上の、演奏を!
憧れであり、目標だった。十才賀が奏でるあの音色を聴いた時、音というものにも『本物』があると知った。世界が広がるあの感覚が、旋律が耳を満たすあの快感が、根底から揺らぐような衝動が、今でも私の内々を満たし続けている──そう、思っていた。
スピーカーは撮ったばかりの演奏を歌っている。そこそこだろう。そこそこ、でしかない。あいつにはまだ遠く及ばないちゃちなお遊戯、そんな風にしか聴こえない。理想は高い方が良いなんて言うが、少なくとも私の気質とはあまり相性が良くないのかもしれない。それでも、あの音色を私から消すくらいなら、死んだ方が幸せだ。こんな鬱屈とした感情が、自分の音を濁らせているのだろう。楽器は常に正直だ。
……私には、あいつを超える事が出来ないのだろうか。もう伸びる代もなく、ただずっとあいつに置いて行かれるだけなのだろうか。嫌だ。そんな事は断じて許せない。私にだって、あの全てが塗り替えられて煌びやかなもので満ち満ちるような感動と衝撃を、誰かに与えてみたい。あの感覚は決して、世から失せていいものではない。それを紡ぐ者に、なりたいんだ。
『──────』
「……あ?」
何かが聴こえる。でも誰もいない。ここには私しか訪れないのだから、物音くらいしか鳴らないはずなのに。明らかに『声』が、聴こえる。
『────、────────』
違う。聴こえるんじゃない。響いてる? どこから、あたま? そんな馬鹿な。いよいよ精神でも病んだのか。
『──────』
「な、に……だれ、だれ……?」
『──、──────』
「へ……」
『声』は、私に語りかけている。明らかに、何か私の埒外の意思を持った私でない、誰かの言葉。言葉に起こしてもない恐怖を、そいつは確かに汲んでいる。なんで、どうして。
『────、────────』
「そ、れは……でも、それでも私は、十に……」
『──────────』
「え……?」
『────、────』
「そ、う、なのか……? 本当に……?」
『──、────』
それが語る言葉は、ずっと欲しかったもの。私が誰かからもらうことを望んだ、肯定だった。一拍置いた『声』が、涙を拭けと言う。触れれば、知らぬ間に頬は冷たい水で濡れていた。
『────?』
「当然だ。折れそうになろうと折れるものか。私は必ず、十才賀を超えるヴァイオリニストになるんだよ!」
『────。──────』
「……ははっ」
どうしてだろう。さっきまであんなに鬱々と重かった心が、ぎこちなかった腕が、弱々しかった指が、今はこんなにも軽やかだ。一秒でも早くヴァイオリンに触れたい。
早く、私は、十以上の、演奏を!
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