がラなら

「玲くんって、全然自分からキスしないよね」
 他愛ない応酬の隙間に生まれた静寂へ、そんな言葉が投げられた。玲は、はてといった面持ちで発言の主を見やった。
「そうか?」
「そうだよ。えっと……私が言った時くらいしかしないじゃない? あと私からした時にお返しするとか、そういうのばっかりっていうか……」
 気まずそうな視線を顎の下で彷徨かせる綺鶴の言葉は、挙動と同じくたどたどしい。その発言に誘われてこれまでを振り返ってみると、確かにそのような流れが多いような気がする。とはいえ、なぜそんな話が出てきたのか。玲はほんの少し首を捻ってから、ふと浮かんだものを声にした。
「もっと俺からしてほしいってこと?」
 思い浮かぶのは、そんな都合のいい夢想。いざ言葉に起こすと心臓に緊張が走る。こと綺鶴に関する事象となると、思考をフラットに統一できない。果たしてこれは彼女の考えを読み取ろうとして打ち出した答えなのか、単にそうであってほしいという願望なのか、玲には区別がつかなかった。
 綺鶴は玲の言葉で更に視線を泳がせている。横を向けば、彼女の赤い耳が眼前に晒された。
「その……遠慮、してるのかなーって、思って……」
「遠慮?」
「私も同じ気持ちで付き合った訳じゃないから、自分からそういうことするの躊躇ってるのかなって……」
 それだけを残し、綺鶴は再び閉口した。また、赤く染まった耳輪が映る。無防備に赤らむそれが、胸の内を強く乱した。
「あの、遠慮しなくていいからね。玲くんがしたいって思った時にしてもいいんだよ?」
 しばらくの無音、それを払うように綺鶴は玲の目を見つめた。彼女が瞬きをする度に動くまつ毛が情を擽る。そんな些細な仕草すら、彼にはひどく衝撃的だった。
「あの、玲くん……?」
 そこに名前を呼ばれては。こんなもの、狡いと言わずに何と形容するのだろう。
「……したい時にしていいの?」
「え、うん」
「それも悪くないんだけど……そうなったら、綺鶴ちゃんと話せる時間がなくなっちゃうから。それは少し寂しいかな?」
「……? 何で時間が……あっ?」
 呆けて二秒、気付くは一瞬。玲の言を理解した綺鶴は、あどけない呆け顔をすぐさま少女然としたものに染めていく。
「あの、えっと……話す時間、全然なくなっちゃう……のかな?」
「そうかもしれない。当たり前だろ? 綺鶴ちゃんとのキスなんて、いつでもしたいよ」
「えぁ」
 何を当然のことと思いながら告げた言葉に、彼女は妙ちきりんな鳴きを漏らして赤色を深くした。頬に触れる。きっと熱いのだろうけど、火照った指では分からなかった。
「……その」
 綺鶴の指が唇に触れる。体温なんて分からない。少しだけ皮を押す爪先の硬さだけが、唯一分かる彼女だ。
「今日は、いっぱいお話したから……もう、いいんだよ」
 か細い声が鼓膜を擽る。とろりと溶けた蜂蜜のような、煮えたぎるマグマのような、そんなものが流し込まれている感覚だ。体内に渦巻く言いようのない感情は、何だか思考を麻痺させた。
「玲くん。私に、何したい?」
 そんなもの。もう口にするのも億劫で、薄く開いた唇を口にした。
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