old
fall into darkness after all
男はあくまで人間で在ろうとしている。モンスターの紛い物のような身で、それでも人間なのだと青い瞳は物語っている。
それはまるで希望のように眩しかった。眩しく映った。今までは、嘗てなら、たった一瞬前までは。
もうただの戯れ言でしかない。厭わしく憎々しい詭弁に成り下がった。男は血を流し、苦痛と困惑に顔を歪ませる。しかしその瞳にはまだ何かを信じ、矜持を保ち、抗おうという仄かな輝きがあった。美しい空色。確かにそう感じた。そして今も尚、鮮やかだと思っている。
──だからこそ、斬り捨てていかなければ。
男はきっとこの手を取らない。人であれと引き止める言葉を吐いて、行くなと言うのだ、きっと。
その自由が羨ましい。その輝きが羨ましい。その強さが欲しかった。言葉を捨てる前に。人である内に。望んでも手に入らない。選んではくれない。だから振り払う。斬り捨てていく。その美しい色に、もう惑わされぬように。
男が何か言う前に刀を振った。溢れたのは声にならぬ声と血。藍色の衣服が血に濡れた所為で腹部だけが影のように黒く色付く。片方の大腿を刺した。同じように黒に変わって、男が呻く。
「……はっ、ぁ、は」
それでも男は食い下がり、息を荒げて刺さった刃を掴む。だが立ち上がろうとする意思に反してその顔に浮かんでいたのは、悔しさを悲哀の膜で覆った絶望感だった。
男のそんな姿は初めて見た。いつだって煌びやかで、前を見つめていて、光を帯びていて、青空を切り取ったような瞳をしていたのに。打ちのめされるなど有り得ないと思っていたのに。
……結局は、この男は人間なのだ。どこまでも、自分とは違うのだ。容易く堕ちるような人間。私とは、違うのだ。
その瞬間に溢れ出した衝動を、なんと呼ぶか知っている。
「うあっ……!」
刃を抜くと男は床に手を付いて体を支える。倒れまいと必死に堪えているが、もう立ち上がる力はないのだろう。先程からずっと屈したままの男に、哀れみ一つ浮かばない。
膝を折り、頬を滑るように顎に手を添えて、顔を上げさせる。戸惑いを見せる瞳が直に迷子のように揺れ、男が私の手を掴もうとする──その前に。私の名を口にしようとする、その前に。
触れた一瞬は決別の証だ。
目を見開く間に刀を突き刺す。離したと同時に口から血が滴る。ゆっくりと腹から刀を抜いて、最後に頬から手を退けた。
口を開くも男の言葉は零れた血で掻き消える。辛うじて動いた唇は、名前を呼んでいた気がした。
望むなら、絶望を。
望んでいたならば、──その手は選んでくれただろうか?
足下のガラスが砕け散る。男は茫然と、成す術なく暗い底へと落ちていく。伸ばした手が空を切るようにして。
今更、在りもしない夢想に答える声はもうない。代わりに聞こえる、誘っている、母の声。母の手が。
誰も何も届かない、青空の見えぬ、闇の中へと。
男はあくまで人間で在ろうとしている。モンスターの紛い物のような身で、それでも人間なのだと青い瞳は物語っている。
それはまるで希望のように眩しかった。眩しく映った。今までは、嘗てなら、たった一瞬前までは。
もうただの戯れ言でしかない。厭わしく憎々しい詭弁に成り下がった。男は血を流し、苦痛と困惑に顔を歪ませる。しかしその瞳にはまだ何かを信じ、矜持を保ち、抗おうという仄かな輝きがあった。美しい空色。確かにそう感じた。そして今も尚、鮮やかだと思っている。
──だからこそ、斬り捨てていかなければ。
男はきっとこの手を取らない。人であれと引き止める言葉を吐いて、行くなと言うのだ、きっと。
その自由が羨ましい。その輝きが羨ましい。その強さが欲しかった。言葉を捨てる前に。人である内に。望んでも手に入らない。選んではくれない。だから振り払う。斬り捨てていく。その美しい色に、もう惑わされぬように。
男が何か言う前に刀を振った。溢れたのは声にならぬ声と血。藍色の衣服が血に濡れた所為で腹部だけが影のように黒く色付く。片方の大腿を刺した。同じように黒に変わって、男が呻く。
「……はっ、ぁ、は」
それでも男は食い下がり、息を荒げて刺さった刃を掴む。だが立ち上がろうとする意思に反してその顔に浮かんでいたのは、悔しさを悲哀の膜で覆った絶望感だった。
男のそんな姿は初めて見た。いつだって煌びやかで、前を見つめていて、光を帯びていて、青空を切り取ったような瞳をしていたのに。打ちのめされるなど有り得ないと思っていたのに。
……結局は、この男は人間なのだ。どこまでも、自分とは違うのだ。容易く堕ちるような人間。私とは、違うのだ。
その瞬間に溢れ出した衝動を、なんと呼ぶか知っている。
「うあっ……!」
刃を抜くと男は床に手を付いて体を支える。倒れまいと必死に堪えているが、もう立ち上がる力はないのだろう。先程からずっと屈したままの男に、哀れみ一つ浮かばない。
膝を折り、頬を滑るように顎に手を添えて、顔を上げさせる。戸惑いを見せる瞳が直に迷子のように揺れ、男が私の手を掴もうとする──その前に。私の名を口にしようとする、その前に。
触れた一瞬は決別の証だ。
目を見開く間に刀を突き刺す。離したと同時に口から血が滴る。ゆっくりと腹から刀を抜いて、最後に頬から手を退けた。
口を開くも男の言葉は零れた血で掻き消える。辛うじて動いた唇は、名前を呼んでいた気がした。
望むなら、絶望を。
望んでいたならば、──その手は選んでくれただろうか?
足下のガラスが砕け散る。男は茫然と、成す術なく暗い底へと落ちていく。伸ばした手が空を切るようにして。
今更、在りもしない夢想に答える声はもうない。代わりに聞こえる、誘っている、母の声。母の手が。
誰も何も届かない、青空の見えぬ、闇の中へと。
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