ペルソナ

天田


 あ、と思った瞬間にはもう遅い。
 二階へ続く階段を半分ほど上った辺りで天田は足を滑らせた。身体が後ろに落ちていく感覚に目を見開いたまま、どうすることもできない。
 落ちる! ──そう頭によぎった時、背中から何かにぶつかった。それは床の固さではない、もっと柔らかいもの。
 人の感触だ。
 頭を庇うように強く抱きしめられて、天田は更に目を見開いた。
 落ちていく中で、いつかの死の情景がフラッシュバックする。
「危ない!」
 ゆかりの声が響くのと、落下の衝撃はほぼ同時だった。
 天田への衝撃は当然ながら然程もなかったが、それでも動けなかった。下敷きになった少女を見るのが恐ろしかったからだ。唇が震えている。
「……大丈夫?」
 抱きしめた腕の力が緩まり、小さく声をかけられた。青ざめた顔をぎくしゃくしながら向けると、少女はいつもと変わらない微笑を浮かべた。
 息が止まりそうになる。
「怪我はありませんか?」
「ちょっと勘弁してよ……!」
「おい、無事か!」
 冷静な声と焦った声が僅かに重なる。少女はそれに顔を向けようとして、鼻先を掠めるほど顔が近いアイギスにぎょっとした。
「えーと、大丈夫だけど」
 身体を起こし、傍らに膝を付いた荒垣とゆかり、そしてアイギスを見やる。彼女は少女の下敷きになっていた。少女が目を瞬かせると、アイギスは淡々として受け止めたことを告げた。
「お二人に怪我がなくて良かったであります」
「ありがと、アイギス。アイギスこそ大丈夫?」
「問題ありません。しかしフローリングは修復が必要であります」
 アイギスが示した床は削られたように抉れていた。階段下に滑り込んだ際、咄瑳のことで加減を忘れたらしい。
 少女は仕方ないと苦笑した。
「桐条先輩か理事長に話して──」
「あの、……」
 漸く天田が声を発した。床から視線を移し、少女は首を傾げる。しかし天田はまた口を閉ざしてしまった。
「うん、天田君は平気?」
 優しく微笑みかけ、その背を撫でる。少女のそれに天田は肩を強ばらせたが、頷くことで応えた。彼女の手のひらは安心していいと伝えているようだった。
 同時に、震えがくる。
「……すみませ、……ごめん、なさい」
 絞り出した声は掠れていた。天田は俯いたまま、ぎゅっと拳を握り締める。
 少女に庇われ恐怖し、無事だったことに安堵し、また恐怖した。もしも無事でなかったらと、頭をよぎった情景に血の気が引いた。
「こういう時はありがとうであります」
 僅かに抑揚のある声に顔を上げる。常と変わらぬ表情のアイギスが、澄んだ青い瞳を向けている。しかし何も言わない天田に不安を覚えたのか、それが少し揺らいだ。
「……違ったでしょうか?」
 天田は思わずといったように首を横に振った。流れるままに少女を見上げる。それは喉から自然に零れた。
「ありがとう、ございます」
 言葉はなかったが、柔らかい笑みは返ってきた。その温かみを感じて泣きそうになる。天田は震えも忘れて、それを堪えた。
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