ダム
人里を遠く離れ、地図の端にひっそりと記された巨大なダム。
雨は霧雨へと変わり、視界を白く塗りつぶしていました。
おじさんと私は、その巨大なコンクリートの塊の上に立っていました。
足元から数百メートル下まで続く、垂直な灰色の壁。
ダムの底からは、絶え間なく「ゴオオォ……」という地響きのような音が、湿った空気を通じて体に伝わってきます。
おじさんの黄色い帽子は、この色彩を失った Brutalist(ブルータリスト)な風景の中で、まるで警告灯のように鮮やかに、そして異様に浮き立っていました。
「……見てごらん」
おじさんが、手すりの向こう側に広がる漆黒の湖面を指差しました。
水面は鏡のように静まり返り、周囲の枯れた木々を飲み込むように映し出しています。
「この下には、かつて村があったんだよ。家も、学校も、役場も……すべてが、この冷たい水の中に沈んでいる」
おじさんの声は、風にかき消されそうなほど静かでしたが、私の耳元にはっきりと届きました。
彼はいつもよりずっと背が高く見え、その黄色い影がコンクリートの床に長く、歪んで伸びています。
「あそこに、光が見えないかい?」
彼が指差す水底の闇。もちろん、光なんて見えるはずがありません。
けれどおじさんは、まばたきもせずにその暗闇を見つめ続けています。
「ジョージがいたら、きっと飛び込もうとしただろうね。……でも、ここは深すぎる。一度沈んだら、二度と浮かんでくることはできない」
おじさんはゆっくりと私の方を振り返りました。
帽子の庇(ひさし)の下にある彼の瞳は、感情を失ったガラス玉のように冷たく、私の背筋に震えが走りました。
いつもジョージを優しく見守っているはずのその瞳が、今はただ、私を観察しているように思えたのです。
「ねえ、聞いてごらん」
おじさんが私の肩に、ずしりと重い手を置きました。
ダムの放流口から響く轟音の隙間に、何かが「コン……コン……」と、コンクリートを叩くような音が混じっている気がしました。
それはまるで、沈んだ村の底から、誰かが扉を叩いているような音。
「彼らは、まだそこで暮らしているんだ。……ずっと、新しい住人を待っている」
おじさんの指先が、少しずつ、私の背中を崖の方へと押しているような錯覚に陥りました。
恐怖で足がすくみ、私はおじさんの黄色いレインコートを強く掴みました。
「おじさん、もう行こう? 寒いよ」
私の声に、おじさんはハッとしたように表情を和らげました。
いつもの、穏やかで理知的な「黄色い帽子のおじさん」に戻ったようでした。
「ああ、そうだね。少し、考え事をしていたようだ」
彼は私の頭を優しく撫でましたが、その手は氷のように冷え切っていました。
私たちは車へと戻るため、霧に包まれたダムの道を歩き始めました。
振り返ると、真っ白な霧の中に、おじさんがさっきまで立っていた場所だけが、黄色い残像のようにいつまでも目に焼き付いて離れませんでした。
背後では、ダムの底から響くあの「コン……コン……」という音が、雨音にかき消されるまで、ずっと続いていました。
雨は霧雨へと変わり、視界を白く塗りつぶしていました。
おじさんと私は、その巨大なコンクリートの塊の上に立っていました。
足元から数百メートル下まで続く、垂直な灰色の壁。
ダムの底からは、絶え間なく「ゴオオォ……」という地響きのような音が、湿った空気を通じて体に伝わってきます。
おじさんの黄色い帽子は、この色彩を失った Brutalist(ブルータリスト)な風景の中で、まるで警告灯のように鮮やかに、そして異様に浮き立っていました。
「……見てごらん」
おじさんが、手すりの向こう側に広がる漆黒の湖面を指差しました。
水面は鏡のように静まり返り、周囲の枯れた木々を飲み込むように映し出しています。
「この下には、かつて村があったんだよ。家も、学校も、役場も……すべてが、この冷たい水の中に沈んでいる」
おじさんの声は、風にかき消されそうなほど静かでしたが、私の耳元にはっきりと届きました。
彼はいつもよりずっと背が高く見え、その黄色い影がコンクリートの床に長く、歪んで伸びています。
「あそこに、光が見えないかい?」
彼が指差す水底の闇。もちろん、光なんて見えるはずがありません。
けれどおじさんは、まばたきもせずにその暗闇を見つめ続けています。
「ジョージがいたら、きっと飛び込もうとしただろうね。……でも、ここは深すぎる。一度沈んだら、二度と浮かんでくることはできない」
おじさんはゆっくりと私の方を振り返りました。
帽子の庇(ひさし)の下にある彼の瞳は、感情を失ったガラス玉のように冷たく、私の背筋に震えが走りました。
いつもジョージを優しく見守っているはずのその瞳が、今はただ、私を観察しているように思えたのです。
「ねえ、聞いてごらん」
おじさんが私の肩に、ずしりと重い手を置きました。
ダムの放流口から響く轟音の隙間に、何かが「コン……コン……」と、コンクリートを叩くような音が混じっている気がしました。
それはまるで、沈んだ村の底から、誰かが扉を叩いているような音。
「彼らは、まだそこで暮らしているんだ。……ずっと、新しい住人を待っている」
おじさんの指先が、少しずつ、私の背中を崖の方へと押しているような錯覚に陥りました。
恐怖で足がすくみ、私はおじさんの黄色いレインコートを強く掴みました。
「おじさん、もう行こう? 寒いよ」
私の声に、おじさんはハッとしたように表情を和らげました。
いつもの、穏やかで理知的な「黄色い帽子のおじさん」に戻ったようでした。
「ああ、そうだね。少し、考え事をしていたようだ」
彼は私の頭を優しく撫でましたが、その手は氷のように冷え切っていました。
私たちは車へと戻るため、霧に包まれたダムの道を歩き始めました。
振り返ると、真っ白な霧の中に、おじさんがさっきまで立っていた場所だけが、黄色い残像のようにいつまでも目に焼き付いて離れませんでした。
背後では、ダムの底から響くあの「コン……コン……」という音が、雨音にかき消されるまで、ずっと続いていました。
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