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雨の日

雨は激しさを増し、山の斜面を流れる水の音が、不気味なほど近くで聞こえていました。
ガス欠で止まってしまった黄色いセダンを林道に残し、私とおじさんは、霧の向こうにぼんやりと浮き上がる巨大な影を目指して歩いていました。

それは、かつて「山の王宮」と呼ばれていたかもしれない、今はもう地図からも消えた廃ホテルでした。

「……大丈夫、あそこなら雨をしのげるはずだ」

おじさんの声は穏やかでしたが、どこか硬い響きがありました。
彼が高い帽子を抑えながら、重い真鍮のドアを押し開けると、冷え切った空気が私たちの頬を撫でました。

ロビーは広大で、かつて贅を尽くしたであろうシャンデリアが、わずかな外光を反射して鈍く光っています。床に敷かれた赤い絨毯は泥を吸って黒ずみ、まるで何かの巨大な獣の舌の上を歩いているような、奇妙な弾力がありました。

おじさんの黄色いレインコートが、この色彩を失った死の空間で、あまりにも鮮やかに発光しています。

「ねえ、おじさん」
私が声をかけると、おじさんは立ち止まりました。

「ジョージがいないと……ここは、静かすぎるね」

おじさんは何も答えず、ただ私の手をそっと握り返しました。その手袋越しに伝わる体温だけが、ここが現実の世界であることを繋ぎ止めてくれているようでした。

私たちは、カビと古い香水の混じったような匂いが漂う廊下を、ゆっくりと進みました。
壁にかけられたままの古い肖像画。そこに描かれた人物たちの視線が、歩く私たちを追ってくるような気がして、私はおじさんの腕にさらに強くしがみつきました。

ふと、二階へと続く吹き抜けの階段の前で、おじさんが立ち止まりました。

「見てごらん。あそこに、誰かいるようだ」

おじさんが指差した先、暗い手すりの隙間に、小さな人影のようなものが揺れた気がしました。
……いえ、それはただの、破れたカーテンが風に揺れているだけだったのかもしれません。
けれど、おじさんの目は、帽子の庇(ひさし)に隠れていて、何を見つめているのか分かりませんでした。

「……行ってみようか」

おじさんの足取りは、迷いがありませんでした。
いつもなら「いけないよ、ジョージ」と嗜める側のはずの彼が、今はまるで、何かに導かれるように暗闇の奥へと進んでいきます。

階段を一段、また一段と登るたびに、雨の音が遠ざかり、代わりに「コト……コト……」という、何かが床を叩くような乾いた音が聞こえ始めました。

「おじさん、もう帰ろう。車に戻ろう?」

私の震える声に、おじさんはようやく足を止め、ゆっくりと私の方を向きました。
ホテルの窓を打つ稲光が、一瞬だけ彼の顔を照らしました。

おじさんは微笑んでいました。
けれど、その微笑みは、絵本の中で見るような優しいものではなく、この廃墟の静寂にすっかり馴染んでしまった、見たこともないほど冷たく、美しい微笑みでした。

「せっかくここまで来たんだ。……このホテルの最後のお客さんに、なってあげてもいいじゃないか」

おじさんがそう言った瞬間、背後のロビーの扉が、風もないのに「ドスン」と大きな音を立てて閉まりました。

外はもう、深い夜。
黄色い帽子と、私の影だけが、光の届かない階段の上で、一つの大きな黒い染みのように重なり合っていました。
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