そろそろ朝の7時を回った頃だろうか。
あれから、さっきの男のことが頭から離れず、もう3、4時間はずっとテラスにいただろう。
アヴァは何かを、忘れている気がするのだ。忘れてはいけない何かを。
だが、肝心な"何か"がわからない。

「私は何かを忘れている…」

思い当たらないことがないわけじゃない。
アヴァは、パッショーネに入団する前のことは自身の名前と、歳以外全て忘れてしまっていた。
どこで生まれたのか、どこでどのように生きてきたのか、ぽっかりと記憶に穴が空いたかのように思い出すことができないのだ。
今までは、忘れたならそれまでのことなんだろうと考えて来たが、どうもそれだけで片付けられることではない気がしてくる。
そこまで考えて、もやもやした頭をスッキリさせるべくタバコをもう一本吸おうと箱の中に指を入れた。
だが、箱は既に空になっていた。
もやもやしていたところにイライラが追加されて、空箱をぐしゃっと握り潰す。

「はぁ…仕方ない。タバッキに行くしかないか。」

こんなブドウ畑に囲まれた場所にタバッキがあるかさえ怪しいところだ。
握り潰した空箱を、冷蔵庫の横にあるゴミ箱に投げ入れ玄関へと向かう。
ドアノブを掴もうとすると、先に回されドアが開かれた。

「Boungiorno、新人」

目の前には金髪頭と黒髪の2人の男が立っていた。
黒髪の方は食糧の入った紙袋を両手に1袋ずつ抱えている。

「Boungiorno」

金髪のほうがアヴァを見て驚きもせずにさらりと挨拶をし、それにアヴァも返す。

「俺はジェラート。こっちはソルベ。よろしく」

「よろしく。」

本心では笑ってないような笑顔に、愛想笑いで返した。

「タバッキに行きたいんだけど、この近くにあるかしら」

「こんなクソ田舎にあると思うか新人」

ジェラートとは違う声がソルベの後ろからアヴァの質問に答えた。

「よぉプロシュート」

ジェラートが声の主の方に振り返る。
その先には、何人もの女を泣かせてきたであろう美丈夫が立っていた。
タバコを咥えたままプロシュートと呼ばれた美丈夫はアヴァの前に立つ。

「プロシュートだ」

「アヴァよ。よろしく」

金糸の美丈夫は、20センチ程の身長差のあるアヴァを睨みつけられる。
端から見れば蛇に睨まれた蛙のように見えるが、彼女にはこれが日常茶飯事であったし、男社会であるマフィアでは何ら違和感はなかった。

「なかなか肝が座ってんじゃあねえか」

プロシュートはアヴァの様子を見てフッと微笑み頭を撫でると、「オラペッシ！ビビってんじゃあねえ！」とソルベの後ろを怒鳴りつける。

「ご、ごめんよぉ、プロシュートの兄貴ぃ…」

ソルベの後ろから、ペッシと呼ばれた男はおどおどしながら出てきた。

「ペッシよぉ…そんなんだからいつまで経ってもマンモーニなんだぜ」

プロシュートは、いつまでもおどおどするペッシを先程アヴァを睨みつけたように見ると「新人だ」と言ってアヴァの前に押し出した。

「アヴァよ。よろしくねペッシ」

「よ、よろしく…」

おどおどしているのが可愛らしく思えてしまい、無意識に笑顔が出てしまう。

「別に取って食べやしないわよ」

ペッシにそう言ってソルベとジェラートの間をすり抜けて外に出た。