今回は
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物音で目が覚めた。出処はこの面子の中で一番何も考えずにぐっすりと眠っていそうな女。
その後ろ姿は、一見すると大きな外套が丸まっているだけのようだ。そもそも熟睡には程遠かったためそのまま、その中にあると知っている小さな背中越しに焚き火のゆらぎをぼんやりと眺めていたが、
「泣いてるのか」
と声が出たのは、思考とほぼ同時だった。
自分でもどうしてそう思ったのかわからない。わからないが、きっと泣いているに違いないだろうと思った。日中目に入る女の顔が、いつも泣きそうな笑顔だからだろうか。この世に横行する罪のひとつも知らないような幼顔が涙に歪んでいる様子は容易に想像できる。
しかし間もなく返された声は実に間抜けで。
「えっ、泣いてないですよ?」
それは繕いでも強がりでもなく、本当に泣いてなどなかったらしい。
振り向いたその拍子抜けさせられる表情を見ると、ああ本当に、どうして泣いているなんて思ったのかと己を心配する程だ。
「尾形さん起きてたんですか」
「お前に起こされた」
「あら、それはごめんなさい」
謝る気があるのかないのかはっきりしない謝罪を受ける。別に謝って欲しい訳では無いが、一々癪に障る女だと思う。
どうしてこんな女を気にかけているのか、皆目理解出来ない。
身体を起こして焚き火にあたる。凍えることにすっかり慣れてしまった四肢が解れていく。
「尾形さんっていつも起きてませんか?ちゃんと寝てます?」
「アホ面晒してぐーすか寝てんのはお前とアシリパだけだ」
「えぇ〜……白石さんも割と寝てるじゃないですか……」
そういう話じゃない。が、訂正するのも面倒なので放っておく。
この年まであらゆる困難から隠し守られて育ってきた箱入りのご令嬢に、急に危機感を持てと言ったところで成果は望めない。そもそも危機というものを知らんのだ。
そんな女がその身一つで野山を行く姿は、ひどく滑稽だった。
「何してたんだ」
「起きて火にあたっていました」
「そうじゃねえ」
わかっているくせに、必ず一度はぐらかすような台詞を挟む。回りくどくてまどろっこしい。この女の気に食わない点のひとつだ。
そのあと、相変わらずの薄ら笑いで、珍しく言葉を探しているらしい。俺が待っているとも思っていない女はのんびりと黙り込む。返って来なければそこまでだと、同じ灯りを眺めていた。
「……この旅を、もしも生き抜いてしまったら、どうしようかと考えていました」
届いた声は努めて明るく、真意を悟らせないための防衛線が見える。微かなその線を静かに踏んでいく。
「死にたいのか」
「違います。けど、生きていてもどうしたらいいかわからないんです」
親に愛され、期待され、常に受け入れられ続けてここまで生きてきた女だった。全てを失くしたと言う今でさえ、こいつの歩んできた人生がこいつを形作っている。
「家族もいない、帰る場所もない、その上目指すものもなくなってしまったら、そのあとどう生きていけばいいのか」
ああ、本当に、忌々しい。
「わからないんです」
ほの暗いものを湛えない、純度の高い笑みを見た。それがこの女から発せられたのは恐らく初めてだろう。
暗闇に浮く橙色の顔を、いくらか美しいと感じた。
「そんな奴は、いくらでもどこにでもいるぜ」
「ですよねぇ」
間の抜けた顔に、間の抜けた声が重なる。間抜けな女は遠い空を見上げて、白い息を昇らせた。
「そんな人達は、一体どうやって生きているんでしょうか」
「……」
俺にも一人、思い当たる人間がいる。
せめてまだ人間であれと、願う。
「自分で舵を取った気になっちゃあいるが、結局は世の中の波に流されながら、その場を生き抜くために、その先を生き抜くために、がむしゃらに生きてるよ」
「尾形さん?」
「俺はお前が嫌いだ」
一方的に変えられた話題に追いつけず、まず驚く。
それからまた、いつもの泣きそうな顔で、笑う。
「だから死なせてやらねえぞ」
間を挟み、今度は笑い声が混ざった。
「もっと他に言い方なかったんですか」
炎に照らされた中で目を凝らすが、やはり雫は見出せない。涙抜きの泣き顔でここまで笑って見せるのだから、本当に器用なものだと思う。悲しみだったり、寂しさだったり、時には喜びもあっただろうが、この女はいつだって泣いていた。
だから、こいつが純粋に笑うのは珍しい。
だからだ。
だから先の表情が、どうにも頭から離れないのだ。
ただそれだけの話だ。
その後ろ姿は、一見すると大きな外套が丸まっているだけのようだ。そもそも熟睡には程遠かったためそのまま、その中にあると知っている小さな背中越しに焚き火のゆらぎをぼんやりと眺めていたが、
「泣いてるのか」
と声が出たのは、思考とほぼ同時だった。
自分でもどうしてそう思ったのかわからない。わからないが、きっと泣いているに違いないだろうと思った。日中目に入る女の顔が、いつも泣きそうな笑顔だからだろうか。この世に横行する罪のひとつも知らないような幼顔が涙に歪んでいる様子は容易に想像できる。
しかし間もなく返された声は実に間抜けで。
「えっ、泣いてないですよ?」
それは繕いでも強がりでもなく、本当に泣いてなどなかったらしい。
振り向いたその拍子抜けさせられる表情を見ると、ああ本当に、どうして泣いているなんて思ったのかと己を心配する程だ。
「尾形さん起きてたんですか」
「お前に起こされた」
「あら、それはごめんなさい」
謝る気があるのかないのかはっきりしない謝罪を受ける。別に謝って欲しい訳では無いが、一々癪に障る女だと思う。
どうしてこんな女を気にかけているのか、皆目理解出来ない。
身体を起こして焚き火にあたる。凍えることにすっかり慣れてしまった四肢が解れていく。
「尾形さんっていつも起きてませんか?ちゃんと寝てます?」
「アホ面晒してぐーすか寝てんのはお前とアシリパだけだ」
「えぇ〜……白石さんも割と寝てるじゃないですか……」
そういう話じゃない。が、訂正するのも面倒なので放っておく。
この年まであらゆる困難から隠し守られて育ってきた箱入りのご令嬢に、急に危機感を持てと言ったところで成果は望めない。そもそも危機というものを知らんのだ。
そんな女がその身一つで野山を行く姿は、ひどく滑稽だった。
「何してたんだ」
「起きて火にあたっていました」
「そうじゃねえ」
わかっているくせに、必ず一度はぐらかすような台詞を挟む。回りくどくてまどろっこしい。この女の気に食わない点のひとつだ。
そのあと、相変わらずの薄ら笑いで、珍しく言葉を探しているらしい。俺が待っているとも思っていない女はのんびりと黙り込む。返って来なければそこまでだと、同じ灯りを眺めていた。
「……この旅を、もしも生き抜いてしまったら、どうしようかと考えていました」
届いた声は努めて明るく、真意を悟らせないための防衛線が見える。微かなその線を静かに踏んでいく。
「死にたいのか」
「違います。けど、生きていてもどうしたらいいかわからないんです」
親に愛され、期待され、常に受け入れられ続けてここまで生きてきた女だった。全てを失くしたと言う今でさえ、こいつの歩んできた人生がこいつを形作っている。
「家族もいない、帰る場所もない、その上目指すものもなくなってしまったら、そのあとどう生きていけばいいのか」
ああ、本当に、忌々しい。
「わからないんです」
ほの暗いものを湛えない、純度の高い笑みを見た。それがこの女から発せられたのは恐らく初めてだろう。
暗闇に浮く橙色の顔を、いくらか美しいと感じた。
「そんな奴は、いくらでもどこにでもいるぜ」
「ですよねぇ」
間の抜けた顔に、間の抜けた声が重なる。間抜けな女は遠い空を見上げて、白い息を昇らせた。
「そんな人達は、一体どうやって生きているんでしょうか」
「……」
俺にも一人、思い当たる人間がいる。
せめてまだ人間であれと、願う。
「自分で舵を取った気になっちゃあいるが、結局は世の中の波に流されながら、その場を生き抜くために、その先を生き抜くために、がむしゃらに生きてるよ」
「尾形さん?」
「俺はお前が嫌いだ」
一方的に変えられた話題に追いつけず、まず驚く。
それからまた、いつもの泣きそうな顔で、笑う。
「だから死なせてやらねえぞ」
間を挟み、今度は笑い声が混ざった。
「もっと他に言い方なかったんですか」
炎に照らされた中で目を凝らすが、やはり雫は見出せない。涙抜きの泣き顔でここまで笑って見せるのだから、本当に器用なものだと思う。悲しみだったり、寂しさだったり、時には喜びもあっただろうが、この女はいつだって泣いていた。
だから、こいつが純粋に笑うのは珍しい。
だからだ。
だから先の表情が、どうにも頭から離れないのだ。
ただそれだけの話だ。