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旅人の話


 翌日、今度はちゃんとノックをして赤煉瓦の家を訪ねました。ひょいと顔を出した貴方に「フユヅタさんこんにちは!」と意気揚々クタクタになった葉っぱを掲げた僕は、さぞ自信に満ちた顔をしていたことでしょう。
 先生は最初ポカンとされていましたが、次の瞬きの後には困ったように表情を崩して笑い「よくできました」と、まるで親兄姉おやきょうだいが末の子にするように頭を撫でてくれました…わけあって祖父母の家でひとり育てられていた僕は、それが酷く嬉しかったのです。
 それからというもの、休校日や不規則に早く授業が終わった日には必ず貴方の家に寄るようになりました。突然押しかけても嫌な顔ひとつせず、飲み物と、たまに備え付けの竃で作ってみたという端の焦げた焼き菓子まで振舞ってくれて、しかもそれが案外美味しかったことを覚えています。
 そうして何より僕は、おやつのおともにと聞かせてくれる、貴方の様々な旅の話が好きでした。そういえば先生のことを「先生」と呼び始めたのも、その話がきっかけでしたね。
 たとえば、山風の吹き下す白い外壁の町、年中雨ばかり降っている森の中の小さな村落、逆に晴れ渡って暑い地域では地下に蟻の巣状の巨大な町を作っていたりだとか、あるいは僕の住む町と同じような、海を臨む静かな保養地も旅したと。
 山道を歩く時よりも、海を船で渡っている時の方が遠くへ行く実感があって好きなのだと言う先生の瞳は、夏の海と同じ色をしていました。
 そんな風に、外の世界から突然やってきて見も知らぬ様々な町の情景を物語る「フユヅタさん」は、生まれた町の中にしか世界を持たない僕にとって、身の回りの誰よりも「先生」だったのです。少なくとも、算数や科学を教科書通りに教える学校の先生達よりは、ずっと。


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