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夜話拾遺



 明け方の高速道路を軽快に飛ばしながら、父は僕に、眠気覚ましに他愛のない話を色々としてきた。これはその往路の運転中、最後に語っていた話だ。


──


 狐の嫁入りって言葉があるだろう。晴れてるのに雨が降る、天気雨のことだよ。お前はまだ見たことはないか。
 でもな、父さんのばあちゃん…お前のひいばあちゃんの住んでた田舎では、それがよく起こってたんだ。お盆で里帰りした時には必ずと言っていいほど真っ青な空から雨が降ってきた。父さんそれが不思議でな、一回だけ、見えない雨雲が逃げる先を追いかけたことがあったんだ。
 本当、亀みたいな速度だったけど、でも少しずつ動いてた。気長に付き合って、ちょうど山の入り口の地蔵の前まで来た時、そこにはばあちゃんが立ってた…鬼みたいな顔をして。
 ばあちゃんの節くれみたいな手に首根っこふん掴まれて、家まで引きずられて帰ったよ。その道すがら、ばあちゃんは叱り飛ばす声よりかは一つ低い声で、父さんにあの雨の話をした。


「天気雨が面白いんはわかる。けど、ついて行っちゃいけんもんよ、祟りに遭う言うたじゃろ。ここら辺は昔っからそう、子供でも大人でも、天気雨に降られて森に入ったもんは必ず不幸になる。
 お前のじいさんも若え頃にアレに誘われて山に入ってしもうて、そん時は帰って来たからええものの……さっきお前を捕まえたとこに地蔵様あったの覚えとるか。あれはお前のじいさんの供養塔じゃ。年取ってボケたじいさんはあすこで雨もないのに服をびしゃびしゃに濡らして死んどった。天気雨と山に魂吸われて死んだんじゃ。
 あんな雨を小綺麗に『狐の嫁入り』なんぞ呼びよる輩もおるけどな、よぅ聞け、あれは嫁入りなんていうしとやか・・・・なもんじゃねえ、『狐の婿漁り』じゃ。
 女狐に頭から喰われとうなかったら二度と近付くな、天気雨にも、山にも。わかったか」


 ──その話が本当だったのかは、実のところよくわからない。親戚のおじさんは「じいさんは池に落ちて死んだ」って言うし、「山の入り口の地蔵?ありゃ苔の生えた石だろ」って言って笑ってた。
 でも、ばあちゃんは語気の強い人だったけど嘘だけはつかなかったからな。じいちゃんの事引き合いに出してまで父さんを叱ったんだ、きっと凄く必死だったんだろ──そう思ってこの年になっても天気雨を嫌がって避けてたんだ。お前が天気雨を見たことないのも父さんのせいかもな。
 …ああ、もうすぐ着くぞ。母さん起こしてくれるか?


──


 言われた通り、後部座席で荷物を膝に抱えて眠っている母を起こそうと、助手席から後ろに振り返って声をかける。寝ぼけた顔の母が返事をした時、リアガラスにポツリと一滴、雨粒が落ちた。

「…あらやだ、ひいおばあちゃんのお供え物、崩れちゃったかしら」
「まぁ大丈夫だろ、ナマモノじゃないんだし。それより俺の数珠ってお前持ってる?」
「何言ってるの、家を出る時『最後の法事だからきっちりしていく』って自分で持ってたじゃない」
「そうだったか?」


 体を戻し、今度はフロントガラス越しに空を見上げる。明け方の空には、雲ひとつなかった。



 
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