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旅人の話


 …さて、先生は、ご自身が僕のいた町を離れてから何年経ったかご存知でしょうか?もしあの頃と同じようにカレンダーをお持ちでないのなら、数年程度だろうと誤認なさっているかもしれません。実質はそろそろ14年になるんですよ。この手紙を書いている僕は、記憶の中の先生と殆ど同じ年頃の外見になりました。
 町の様子もすっかり変わりました。あの頃の面影は、もう何処にもありません。元々海沿いで──漁業も盛んだったけれどそれ以上に──広く白い砂浜を観光資源に生計を立てている町だったことはご存知しょうが、その本格的なリゾート開発がつい一昨年に完了したのです。
 開発の名の下に、コンクリートとアスファルトと大きな重機に、たくさんの思い出がさらわれていきました。海辺で僕の幼少期を思い返せる時分といえば、カモメの物悲しい鳴き声を風が運んできた時くらいです。
 そう、山と町の境にあった、先生の借り暮らし先である煉瓦造りの古民家も、今はもうありません。穏やかな森林の代わりに、広く騒々しい道路が敷かれて両隣の町と繋がっています。
 何処を訪れても先生と歩いた町並みは残っていないし、貴方の家も、家の傍にあった一本の名も知らぬ背高せいたかの木も、結局本当の名を知らないままで、硬い道路の下に眠ってしまいました。
 先生を思い出すための何もかもが消えていく焦燥が、この手紙を書かせたと言えるのかもしれません。



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