無い物ねだり
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2階から再び琴の音が聞こえ始める。
今度はバラバラに。個人練習か。
「ああ、再開したようですね…。煩くてすみません」
的場さんは音のする方に少し視線を向けた後、私に向かって謝る。
「煩くはないですが、半押しの押し手が弱いですね。あと、今弾いていないけれど、斗が低い人がいます」
「絶対音感ですか?」
彼は驚いたように少し目を見開いてみせる。
「一度聞いた音は忘れないので、頭の中で照合できます」
「なるほど。それにしても、君は琴がわかるんですか?」
「あやめ高校では箏曲部でしたから」
「そうなんですか。琴は高校から?」
「ドイツに引っ越してからです。隣の家の人が日本人でお琴の先生だったから習いに行っていました」
「ほう…ということは琴が弾けるんですね」
今度は本当に少し驚いた様子。
「…あまり得意でないし、上手くはないです」
「ちょっと一緒に来てみてもらえますか?」
微笑む彼に断る口実を考えてみたけれど、何も思いつかなかった。
「昔、村を荒らし回っている鈴羅神(すずらがみ)という大妖がいたのですが、誰も祓いきれず、石に封じて社を建てて神として祀ることになったそうです。力が強すぎて10年に一度封じ直しが必要なのですが、その際に、歌や楽器の演奏を奉納して穏便に石に戻っていただくことになっているのです。その封じ直しをここ20年は的場一門が取り行っていて、今はその奉納の箏曲の練習をしているのです」
廊下を歩きながら、ことのあらましを説明してくれるけれど、琴を弾かされるのかと気が気でない。
「昔って何年前ですか?」
「はっきりとはわかりませんが、的場が引き継いだ30年前の時点で既に封じ直しは20回を超えていたようです」
230年以上…
「でも、この曲は古典らしくないですね。聞いたことないです」
「ああ、割と新鮮な物好きらしく、曲の指定はないので比較的難易度の低い現代曲を選んでいるのです」
「…そうなんですか」
階段を上がりながら話すと息が切れるので、一息で短く相槌を打つ。
「ついでに言えば、楽器の指定もないので三味線の上手い者がいた時は三味線でしたし、50年前はバイオリンを使ったという記録もあるくらいです。実際は笛や歌だった年も多いようですが、私を含めてあまり音楽の才のある者がいないので、付け焼き刃の琴の合奏で何とか凌ごうという算段です。流石に首振り三年も掛けていられないので」
弾ける人が多い楽器といえばピアノだけれど持ち運びに不向きか。
ハンドベルは簡単に音が出せるけれど、連帯責任のプレッシャーが強いか。個人練習出来ないし。
そういえば…
「日本人って、一人一台、鍵盤ハーモニカ持っているんじゃ、ないんですか?」
「あー、ありましたね、そんなの。確かに、小学生でも弾けるから比較的簡単か…。ただ…シュールすぎやしません?」
前を向いたまま顎に軽く手を当てて考えるように呟いた後、こちらを振り向いて笑う。
「ちょっと話してくるので、少しここで待っていてください」
階段を上り終えたところで、的場さんは廊下に私を残して2部屋先の廊下を曲がって行った。
話しながら階段を上ったので少し呼吸を整える。
2階には初めて来た。本当に大きなお家だ。何部屋あるのだろう?
「寒いところで待たせてすみません」
的場さんが戻ってきて2mほど離れた所から手招きをする。琴の音はやんでいる。
これってみんなが練習している部屋に入って行く流れよね?自己紹介とかしなきゃいけない感じ?みんなと的場さんの間ではどういう話になったのだろう?っていうか、そもそも私はなんで呼ばれたの?これは琴を弾く流れだよね…弾くのはいいけど、何か喋らされたら嫌だな…。
廊下を曲がって右側の2部屋目。
中には7人いた。七瀬さんともう1人の男の人以外は初めて見る人。琴は6面。十三弦の箏が5面と十七弦が1面。
琴の前に七瀬さんを含めて5人。後ろに2人。
自己紹介とかした方がいいのかよくわからないので、お辞儀だけして部屋に入る。
「聞いたことがない曲と言っていましたよね?爪と楽譜がいくつかあるので、爪を選んで、何でもいいので弾いてみてください」
急に?みんなの前で?急すぎない?
「…はい」
みんな黙って見ているので、はいと言うしかない…。
爪が全部合わないといいなと思ったけれど、ベルト調整式の爪だった。
どうぞと促されて、1番前の空いている琴の前に座る。
『何でもいいので』と言われても、調弦し直す必要がない曲がいいか。
譜面台に置いてある楽譜を1ページずつめくる。『比較的難易度の低い現代曲』か…。
「……」
巾から一まで順に音を鳴らして、斗の音のズレを直す。
再び巾から一まで鳴らして、違和感のある音を直してから、押し手を使う弦の弱押しと強押しの押し加減を確認する。
大丈夫。ただ弾けばいいだけ。
一度深呼吸して弾き始める。大丈夫。ただ弾けばいいだけ。慣れない爪でのすくい爪2回微妙だった。大丈夫。大会でも発表会でもないんだ。68日ぶりに弾いたので、押し手をする左手の指が痛い。大丈夫。べつに上手く弾く必要はない。もともとそれほど上手くはないけれど。指が痛い。あと、8小節、一番盛り上がるところ、あと1小節、丁寧に丁寧に、最後の一音。
弾き終えてゆっくりと手を離して、2秒の静寂の後、パチパチと拍手…顔を上げると的場さんの拍手に続いて七瀬さん、他の人たちも拍手をする。
「どこが『上手くはない』ですか?想像以上ですよ」
「あやめ学園は大会金賞レベルではないです」
「それは合奏だからでしょう?個人ではかなり上手いし、初見でこのレベルはかなりのものだよ」
七瀬さんも後ろから口を挟む。
「……」
プロのピアニストの養父、バイオリンのコンクールで賞を取る妹、上手いというのはそういう人たちだ。
文字通り血の滲む練習をしても、この程度。
完全記憶能力も絶対音感も、私にとっては器楽の才に比べたら大した価値はない。高いIQも数学的知識も妖怪を見る能力も、『草摩の目』に比べたら大した価値はない。
ほしい能力ほど、手に入らない…。欲しているのかもわからないけれど…私にもあったら、上手くやれただろうかと繰り返し考えてしまうそんな才能。そんな才能の取り替えっこをしたら、今の私とはきっと考え方も物の見方も性格も違っていて、きっと全然別の想いを抱えるのだろうけれど。
賞賛されたり失望されたりする度に巡るこの想いはなんだろう?悩みでもなく、妬みでもなく、変えようのない自分についてぐるぐると考えてしまうこの想いは…
「…というわけなので、よろしくお願いします」
「…えっ」
答えの出ない思考に没頭している間に、話が進んでいた。話半分に聞き流していた言葉を慌てて思い返して再構築する。鈴羅神の前で演奏する時に主奏者をしてほしいって?いやいや、無理無理!
「もともと主奏者は的場さんがしていたんじゃないんですか?」
1階で私と的場さんが話していた時、斗がずれているこの琴の音は聞こえなかった。
「ええ、でも私は必要だから多少練習していただけで上手くはない。実のところ、もう1人弾ける人がいるならば奏者ではなく祓い人としてその場に控えていたほうが良いと思っていたのです。万が一鈴羅神との交渉が決裂して祓うことになった時のために、祓う準備もしておくので」
「…どうして主奏者を七瀬さんにしないんですか?」
「…ほう…君は聡いね」
聡くなくても見ればわかる。琴の位置から、本番で弾くのは十三弦の箏4人、十七弦1人の計5人。残り1面は別の向きで置かれていて七瀬さんが座っている。つまり七瀬さんは指導者で、私の演奏への感想からもこの中で一番上手いと思われる。
「七瀬はこの封じ直しには同行はするが、入らない。七瀬家はね、鈴羅神と相性が悪いんですよ」
なんとなく意味ありげな様子で言う的場さんに、その場で理由を訊くべきか迷ってやめた。
「何かあったとしても私を含めて3人が祓う準備をしてその場に控えているので、君は琴を弾くだけでいい。数日合奏練習のために時間をいただくことにはなりますが、期末試験は今日で終わったんですよね?」
あと1週間くらい期末試験が続けばよかったのに…。
「追試かもしれません…」
「君に限ってそれはないでしょう。間違えたところなんてあるんですか?」
「イロハ選択式の問題で『うちの孫は目に入れても痛くないくらい可愛い』を間違えて『うちの孫は目に入れても可愛くないくらい痛い』と書いたことに提出してから気づきました」
十七弦の男性と後ろに控えていた男性が吹き出した。
「ははは、それは残念な孫ですね。一つ間違えて追試なら私は全教科追試でしたよ。君のように頭が良くはありませんので」
笑いながらこともなげに言う的場さん。
単に学業に重きを置いていないだけだろうに。それにしても、定期試験は満点取るのが難しいテストなのだろうか?
「まあ、君は既に弾けるわけですし、練習は学業に支障のない範囲で夜に1、2時間くらいお付き合いいただければ充分です」
実際宿題以外ほとんど家で勉強しないので、睡眠時間を削るほどでなければ学業に支障はないし、神前で琴を弾くのも相手が人ではないと思えばそれほどプレッシャーではない。それよりも、知らない大人達に混じって練習をすることのほうが心理的に負担感が強い。それこそ、夜眠れなくなるくらいに…。
的場さんにとっては部下であり内輪である人たちだけれど、私にとってはほとんど初対面の大人達で他人だ。黙々と黙って練習、時間になったら即帰る…というわけにもいかないだろうし。
相槌をうちつつそんなことに思いを巡らせているうちに、結局封じ直しの主奏者に決まってしまった。
大人達に囲まれたこの場で、断る口実もスキルもないのは、結局コミュニケーション能力の低さが原因…。『コミュニケーション能力低いから学業に支障が出るほど精神的に負担です』とも言えないし。
クラスメイトの辻くんくらいコミュニケーション能力高ければ、初対面から好印象で大人ウケも良くスマートにこなせるんだろうけど…。
本当に、無い物ねだりだ。
今度はバラバラに。個人練習か。
「ああ、再開したようですね…。煩くてすみません」
的場さんは音のする方に少し視線を向けた後、私に向かって謝る。
「煩くはないですが、半押しの押し手が弱いですね。あと、今弾いていないけれど、斗が低い人がいます」
「絶対音感ですか?」
彼は驚いたように少し目を見開いてみせる。
「一度聞いた音は忘れないので、頭の中で照合できます」
「なるほど。それにしても、君は琴がわかるんですか?」
「あやめ高校では箏曲部でしたから」
「そうなんですか。琴は高校から?」
「ドイツに引っ越してからです。隣の家の人が日本人でお琴の先生だったから習いに行っていました」
「ほう…ということは琴が弾けるんですね」
今度は本当に少し驚いた様子。
「…あまり得意でないし、上手くはないです」
「ちょっと一緒に来てみてもらえますか?」
微笑む彼に断る口実を考えてみたけれど、何も思いつかなかった。
「昔、村を荒らし回っている鈴羅神(すずらがみ)という大妖がいたのですが、誰も祓いきれず、石に封じて社を建てて神として祀ることになったそうです。力が強すぎて10年に一度封じ直しが必要なのですが、その際に、歌や楽器の演奏を奉納して穏便に石に戻っていただくことになっているのです。その封じ直しをここ20年は的場一門が取り行っていて、今はその奉納の箏曲の練習をしているのです」
廊下を歩きながら、ことのあらましを説明してくれるけれど、琴を弾かされるのかと気が気でない。
「昔って何年前ですか?」
「はっきりとはわかりませんが、的場が引き継いだ30年前の時点で既に封じ直しは20回を超えていたようです」
230年以上…
「でも、この曲は古典らしくないですね。聞いたことないです」
「ああ、割と新鮮な物好きらしく、曲の指定はないので比較的難易度の低い現代曲を選んでいるのです」
「…そうなんですか」
階段を上がりながら話すと息が切れるので、一息で短く相槌を打つ。
「ついでに言えば、楽器の指定もないので三味線の上手い者がいた時は三味線でしたし、50年前はバイオリンを使ったという記録もあるくらいです。実際は笛や歌だった年も多いようですが、私を含めてあまり音楽の才のある者がいないので、付け焼き刃の琴の合奏で何とか凌ごうという算段です。流石に首振り三年も掛けていられないので」
弾ける人が多い楽器といえばピアノだけれど持ち運びに不向きか。
ハンドベルは簡単に音が出せるけれど、連帯責任のプレッシャーが強いか。個人練習出来ないし。
そういえば…
「日本人って、一人一台、鍵盤ハーモニカ持っているんじゃ、ないんですか?」
「あー、ありましたね、そんなの。確かに、小学生でも弾けるから比較的簡単か…。ただ…シュールすぎやしません?」
前を向いたまま顎に軽く手を当てて考えるように呟いた後、こちらを振り向いて笑う。
「ちょっと話してくるので、少しここで待っていてください」
階段を上り終えたところで、的場さんは廊下に私を残して2部屋先の廊下を曲がって行った。
話しながら階段を上ったので少し呼吸を整える。
2階には初めて来た。本当に大きなお家だ。何部屋あるのだろう?
「寒いところで待たせてすみません」
的場さんが戻ってきて2mほど離れた所から手招きをする。琴の音はやんでいる。
これってみんなが練習している部屋に入って行く流れよね?自己紹介とかしなきゃいけない感じ?みんなと的場さんの間ではどういう話になったのだろう?っていうか、そもそも私はなんで呼ばれたの?これは琴を弾く流れだよね…弾くのはいいけど、何か喋らされたら嫌だな…。
廊下を曲がって右側の2部屋目。
中には7人いた。七瀬さんともう1人の男の人以外は初めて見る人。琴は6面。十三弦の箏が5面と十七弦が1面。
琴の前に七瀬さんを含めて5人。後ろに2人。
自己紹介とかした方がいいのかよくわからないので、お辞儀だけして部屋に入る。
「聞いたことがない曲と言っていましたよね?爪と楽譜がいくつかあるので、爪を選んで、何でもいいので弾いてみてください」
急に?みんなの前で?急すぎない?
「…はい」
みんな黙って見ているので、はいと言うしかない…。
爪が全部合わないといいなと思ったけれど、ベルト調整式の爪だった。
どうぞと促されて、1番前の空いている琴の前に座る。
『何でもいいので』と言われても、調弦し直す必要がない曲がいいか。
譜面台に置いてある楽譜を1ページずつめくる。『比較的難易度の低い現代曲』か…。
「……」
巾から一まで順に音を鳴らして、斗の音のズレを直す。
再び巾から一まで鳴らして、違和感のある音を直してから、押し手を使う弦の弱押しと強押しの押し加減を確認する。
大丈夫。ただ弾けばいいだけ。
一度深呼吸して弾き始める。大丈夫。ただ弾けばいいだけ。慣れない爪でのすくい爪2回微妙だった。大丈夫。大会でも発表会でもないんだ。68日ぶりに弾いたので、押し手をする左手の指が痛い。大丈夫。べつに上手く弾く必要はない。もともとそれほど上手くはないけれど。指が痛い。あと、8小節、一番盛り上がるところ、あと1小節、丁寧に丁寧に、最後の一音。
弾き終えてゆっくりと手を離して、2秒の静寂の後、パチパチと拍手…顔を上げると的場さんの拍手に続いて七瀬さん、他の人たちも拍手をする。
「どこが『上手くはない』ですか?想像以上ですよ」
「あやめ学園は大会金賞レベルではないです」
「それは合奏だからでしょう?個人ではかなり上手いし、初見でこのレベルはかなりのものだよ」
七瀬さんも後ろから口を挟む。
「……」
プロのピアニストの養父、バイオリンのコンクールで賞を取る妹、上手いというのはそういう人たちだ。
文字通り血の滲む練習をしても、この程度。
完全記憶能力も絶対音感も、私にとっては器楽の才に比べたら大した価値はない。高いIQも数学的知識も妖怪を見る能力も、『草摩の目』に比べたら大した価値はない。
ほしい能力ほど、手に入らない…。欲しているのかもわからないけれど…私にもあったら、上手くやれただろうかと繰り返し考えてしまうそんな才能。そんな才能の取り替えっこをしたら、今の私とはきっと考え方も物の見方も性格も違っていて、きっと全然別の想いを抱えるのだろうけれど。
賞賛されたり失望されたりする度に巡るこの想いはなんだろう?悩みでもなく、妬みでもなく、変えようのない自分についてぐるぐると考えてしまうこの想いは…
「…というわけなので、よろしくお願いします」
「…えっ」
答えの出ない思考に没頭している間に、話が進んでいた。話半分に聞き流していた言葉を慌てて思い返して再構築する。鈴羅神の前で演奏する時に主奏者をしてほしいって?いやいや、無理無理!
「もともと主奏者は的場さんがしていたんじゃないんですか?」
1階で私と的場さんが話していた時、斗がずれているこの琴の音は聞こえなかった。
「ええ、でも私は必要だから多少練習していただけで上手くはない。実のところ、もう1人弾ける人がいるならば奏者ではなく祓い人としてその場に控えていたほうが良いと思っていたのです。万が一鈴羅神との交渉が決裂して祓うことになった時のために、祓う準備もしておくので」
「…どうして主奏者を七瀬さんにしないんですか?」
「…ほう…君は聡いね」
聡くなくても見ればわかる。琴の位置から、本番で弾くのは十三弦の箏4人、十七弦1人の計5人。残り1面は別の向きで置かれていて七瀬さんが座っている。つまり七瀬さんは指導者で、私の演奏への感想からもこの中で一番上手いと思われる。
「七瀬はこの封じ直しには同行はするが、入らない。七瀬家はね、鈴羅神と相性が悪いんですよ」
なんとなく意味ありげな様子で言う的場さんに、その場で理由を訊くべきか迷ってやめた。
「何かあったとしても私を含めて3人が祓う準備をしてその場に控えているので、君は琴を弾くだけでいい。数日合奏練習のために時間をいただくことにはなりますが、期末試験は今日で終わったんですよね?」
あと1週間くらい期末試験が続けばよかったのに…。
「追試かもしれません…」
「君に限ってそれはないでしょう。間違えたところなんてあるんですか?」
「イロハ選択式の問題で『うちの孫は目に入れても痛くないくらい可愛い』を間違えて『うちの孫は目に入れても可愛くないくらい痛い』と書いたことに提出してから気づきました」
十七弦の男性と後ろに控えていた男性が吹き出した。
「ははは、それは残念な孫ですね。一つ間違えて追試なら私は全教科追試でしたよ。君のように頭が良くはありませんので」
笑いながらこともなげに言う的場さん。
単に学業に重きを置いていないだけだろうに。それにしても、定期試験は満点取るのが難しいテストなのだろうか?
「まあ、君は既に弾けるわけですし、練習は学業に支障のない範囲で夜に1、2時間くらいお付き合いいただければ充分です」
実際宿題以外ほとんど家で勉強しないので、睡眠時間を削るほどでなければ学業に支障はないし、神前で琴を弾くのも相手が人ではないと思えばそれほどプレッシャーではない。それよりも、知らない大人達に混じって練習をすることのほうが心理的に負担感が強い。それこそ、夜眠れなくなるくらいに…。
的場さんにとっては部下であり内輪である人たちだけれど、私にとってはほとんど初対面の大人達で他人だ。黙々と黙って練習、時間になったら即帰る…というわけにもいかないだろうし。
相槌をうちつつそんなことに思いを巡らせているうちに、結局封じ直しの主奏者に決まってしまった。
大人達に囲まれたこの場で、断る口実もスキルもないのは、結局コミュニケーション能力の低さが原因…。『コミュニケーション能力低いから学業に支障が出るほど精神的に負担です』とも言えないし。
クラスメイトの辻くんくらいコミュニケーション能力高ければ、初対面から好印象で大人ウケも良くスマートにこなせるんだろうけど…。
本当に、無い物ねだりだ。
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