もみじの手
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「それがわかったところで、邸を出るには邸の者を懐柔する以外に方法はありませんが」
微笑む彼に、今度は私が首をかしげる。
「…何か疑問でも?」
私の様子を見てか、彼は尋ねる。
「結界の起点となっている庭石以外にも、揺らすと結界が揺らぐ石が日当たりの良くない場所にいくつかあります。石を素早く何度もこすった場合も2mm結界が揺らぎます。揺らぎは別の石まで到達して止まります。まるで、連絡を取り合っているように」
「それで?」
彼は興味深そうに目を心持ち大きく開く。
「熱振動感知器の存在と必要性の観点から、パニックオープンのようなシステムが存在していると推測します。地震や火事などの緊急時に、ゲストや救急隊員の出入りが制限されれば、命に関わります。それに、部外者が意図して物を邸内外に放ることができない状況では、消火や救助活動ができません」
「なるほど」
「だから緊急時には全解除かパニックオープンシステムが作動すると推測します」
「それでは邸に火でも放ちますか?」
挑戦的な表情をこちらに向ける。
そんなこと、できないでしょう?とでも言うように。
そんなこと、できないのだけれど。
ああ、あの手形の落書き帳は、…燃えてしまったのだ。
「…そんなことをしなくても、学校に行くときは外に出られるでしょう?」
「ええ、そうですね、ですが……」
彼は不意に私の背を押す。
踏みとどまるために踏み出した足は、池の縁から滑り落ちた。
踏みとどまれず、池の中に膝と手を付く。
持っていた封筒も服も冷たい水で重くなる。
「風邪をひいたら、転入が決まった学校も休まなければいけませんね」
池の中に立つと上から的場さんの声が降ってくる。
見上げると、深い色の瞳が細められ、唇は弧を描いる。
「……」
池の土は柔らかく、怪我をしたような痛みはない。
手のひらを見ると、水の冷たさに赤く染まっている。
指を広げれば、もみじのよう。
――「何やってるの!?」
池に入るとお母さんが大慌てで走ってきた。
「水が入ったら溺れるって言ったでしょう!?」
慌てて引き上げて、私の首もとをくまなく確認する。
私を引き上げる手、頬に触れる手は、水に濡れて徐々に冷たく赤く染まる。
家へと戻る時には、私の小さな赤い手がお母さんの赤い手に引かれて、どちらも冷たいはずなのに、なぜか指の先まで温かだった。――
「…命の有無ではなく、意思の有無が、関連していると推測します」
「…何のことですか?」
「動物も虫も結界内に出入りできません。でも、風邪をひくということは、菌やウイルスは食べ物や人と共に侵入可能ということです。脳や神経節による記憶・学習パターン、実行機能を備えているものは出入りできないけれど、葉っぱやウイルスなど、意思・意図性がなく外的要因によって付着・浮遊・飛散するものは出入りできます」
推測を口に出しながら、池に落ちる前に石の上に落としたため濡れるのを免れた封筒を取る。封筒から書類を取り出して封筒で手を拭く。書類の一枚を丸めて塀の向こうに放ってみるが、その紙は結界を越えずに跳ね返ってくる。次は書類の中の大学入学許可証を端を1cm未満に3枚破って掌に乗せる。風に飛ばされた3枚のうち1枚は池に落ち、2枚が塀の外へと消えていった。
「それ自体に意思・思考能力がなく、かつ、それが他者の意図を介さなかった場合のみ、出入り可能な構造…」
思考から我に帰り、ふと視線を上げると、的場さんは何かに気がついたような少し驚いたような顔をしていた。
どうしたんですか?と訊こうかどうしようか迷っている間に、手を引かれ、池から引き上げられる。
「すみません、少し意地悪をしました。君の世界は案外狭いんですね…。本当に風邪をひいてしまう前に中に入りましょう」
赤い私の手を引く、的場さんの手は大きく温かだった。
「…風邪の原因は寒さではなく、ウイルス感染です。鼻の粘膜にウイルスを塗った健康な成人に温度の異なる部屋で過ごしてもらうという実験を行なった論文では、温度によって発症率や重症度に有意差は見られなかったようです。同様に、冷水に脚を浸す、浸さないの条件でも有意な差は出ていません」
怖いと思っている人相手に、そういうことを言ってしまうのが私の悪いところだ。
「そうですか。何にしても身体を冷やすのは良くはないでしょう。それと、お母様の実家から荷物が届いていましたよ」
私の屁理屈をさらりと流して、的場さんは私を邸の中へと促す。
「お…かあ…さんの実家?」
「…ええ」
息が詰まって上手く声が出ない私の背を軽く撫でて、何でもないかのように相槌を打つ。大丈夫、私は大丈夫。
「カルトの祖父母から?」
「プッ…送り主はそうですが、君の実のお母様からの預かり物のようですよ」
「行かせる気がないのに言うのも変ですが、入学許可証破ってしまってよかったんですか?」
さっき丸めて投げた書類を拾う私に的場さんは、感情の読めない顔で尋ねる。
「辞退の返信を出しているので問題ありません」
「…辞退したんですか…?」
「はい」
「…留学したいのかと思っていました。この前、そんなことをチラリと言っていましたし。理由を訊いてもいいですか?」
「どこでもいいというわけではないです」
「どこに行きたいんですか?」
「…明確にどこに行きたいとかはないけど…」
行きたくないところはある。
「……」
的場さんは少し考え込むような表情をしただけで、それ以上訊こうとはしなかった。
母親たちの実家からの荷物には、アルバムが添えられていた。
その中には、晴れ着姿の2人の少女をとらえた2枚が挟んであった。
少女というにも幼い子供達の1枚と、写真を撮られることを意識してすまし顔をするくらいに成長している1枚。
もみじ降る境内の石畳の上で、2人の少女はもみじのように指を広げてこちらに手を降っているようだった。
微笑む彼に、今度は私が首をかしげる。
「…何か疑問でも?」
私の様子を見てか、彼は尋ねる。
「結界の起点となっている庭石以外にも、揺らすと結界が揺らぐ石が日当たりの良くない場所にいくつかあります。石を素早く何度もこすった場合も2mm結界が揺らぎます。揺らぎは別の石まで到達して止まります。まるで、連絡を取り合っているように」
「それで?」
彼は興味深そうに目を心持ち大きく開く。
「熱振動感知器の存在と必要性の観点から、パニックオープンのようなシステムが存在していると推測します。地震や火事などの緊急時に、ゲストや救急隊員の出入りが制限されれば、命に関わります。それに、部外者が意図して物を邸内外に放ることができない状況では、消火や救助活動ができません」
「なるほど」
「だから緊急時には全解除かパニックオープンシステムが作動すると推測します」
「それでは邸に火でも放ちますか?」
挑戦的な表情をこちらに向ける。
そんなこと、できないでしょう?とでも言うように。
そんなこと、できないのだけれど。
ああ、あの手形の落書き帳は、…燃えてしまったのだ。
「…そんなことをしなくても、学校に行くときは外に出られるでしょう?」
「ええ、そうですね、ですが……」
彼は不意に私の背を押す。
踏みとどまるために踏み出した足は、池の縁から滑り落ちた。
踏みとどまれず、池の中に膝と手を付く。
持っていた封筒も服も冷たい水で重くなる。
「風邪をひいたら、転入が決まった学校も休まなければいけませんね」
池の中に立つと上から的場さんの声が降ってくる。
見上げると、深い色の瞳が細められ、唇は弧を描いる。
「……」
池の土は柔らかく、怪我をしたような痛みはない。
手のひらを見ると、水の冷たさに赤く染まっている。
指を広げれば、もみじのよう。
――「何やってるの!?」
池に入るとお母さんが大慌てで走ってきた。
「水が入ったら溺れるって言ったでしょう!?」
慌てて引き上げて、私の首もとをくまなく確認する。
私を引き上げる手、頬に触れる手は、水に濡れて徐々に冷たく赤く染まる。
家へと戻る時には、私の小さな赤い手がお母さんの赤い手に引かれて、どちらも冷たいはずなのに、なぜか指の先まで温かだった。――
「…命の有無ではなく、意思の有無が、関連していると推測します」
「…何のことですか?」
「動物も虫も結界内に出入りできません。でも、風邪をひくということは、菌やウイルスは食べ物や人と共に侵入可能ということです。脳や神経節による記憶・学習パターン、実行機能を備えているものは出入りできないけれど、葉っぱやウイルスなど、意思・意図性がなく外的要因によって付着・浮遊・飛散するものは出入りできます」
推測を口に出しながら、池に落ちる前に石の上に落としたため濡れるのを免れた封筒を取る。封筒から書類を取り出して封筒で手を拭く。書類の一枚を丸めて塀の向こうに放ってみるが、その紙は結界を越えずに跳ね返ってくる。次は書類の中の大学入学許可証を端を1cm未満に3枚破って掌に乗せる。風に飛ばされた3枚のうち1枚は池に落ち、2枚が塀の外へと消えていった。
「それ自体に意思・思考能力がなく、かつ、それが他者の意図を介さなかった場合のみ、出入り可能な構造…」
思考から我に帰り、ふと視線を上げると、的場さんは何かに気がついたような少し驚いたような顔をしていた。
どうしたんですか?と訊こうかどうしようか迷っている間に、手を引かれ、池から引き上げられる。
「すみません、少し意地悪をしました。君の世界は案外狭いんですね…。本当に風邪をひいてしまう前に中に入りましょう」
赤い私の手を引く、的場さんの手は大きく温かだった。
「…風邪の原因は寒さではなく、ウイルス感染です。鼻の粘膜にウイルスを塗った健康な成人に温度の異なる部屋で過ごしてもらうという実験を行なった論文では、温度によって発症率や重症度に有意差は見られなかったようです。同様に、冷水に脚を浸す、浸さないの条件でも有意な差は出ていません」
怖いと思っている人相手に、そういうことを言ってしまうのが私の悪いところだ。
「そうですか。何にしても身体を冷やすのは良くはないでしょう。それと、お母様の実家から荷物が届いていましたよ」
私の屁理屈をさらりと流して、的場さんは私を邸の中へと促す。
「お…かあ…さんの実家?」
「…ええ」
息が詰まって上手く声が出ない私の背を軽く撫でて、何でもないかのように相槌を打つ。大丈夫、私は大丈夫。
「カルトの祖父母から?」
「プッ…送り主はそうですが、君の実のお母様からの預かり物のようですよ」
「行かせる気がないのに言うのも変ですが、入学許可証破ってしまってよかったんですか?」
さっき丸めて投げた書類を拾う私に的場さんは、感情の読めない顔で尋ねる。
「辞退の返信を出しているので問題ありません」
「…辞退したんですか…?」
「はい」
「…留学したいのかと思っていました。この前、そんなことをチラリと言っていましたし。理由を訊いてもいいですか?」
「どこでもいいというわけではないです」
「どこに行きたいんですか?」
「…明確にどこに行きたいとかはないけど…」
行きたくないところはある。
「……」
的場さんは少し考え込むような表情をしただけで、それ以上訊こうとはしなかった。
母親たちの実家からの荷物には、アルバムが添えられていた。
その中には、晴れ着姿の2人の少女をとらえた2枚が挟んであった。
少女というにも幼い子供達の1枚と、写真を撮られることを意識してすまし顔をするくらいに成長している1枚。
もみじ降る境内の石畳の上で、2人の少女はもみじのように指を広げてこちらに手を降っているようだった。
