アズカバンの囚人編
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それから、ハリーは一日中口をきかなかった。
ロンとハーマイオニーは私のことも気遣わしげに見守っていたので、大丈夫だと笑っては見せたが、全然納得してくれなかった。父親の死の真相について、ショックだったのではと心配してくれていたのだ。
けれど本当に、私より何よりも平気ではなかったのは、ハリーの方だった。
一睡もできなかったのか、次の日の昼に起きてきたハリーはひどい顔をしていた。今日から休暇だということも頭からなかったようで、談話室に私とロン、ハーマイオニーしかいないのを疑問に思っていた。ハリーを心配してロンとハーマイオニーは「ブラックを追いかけたりしないで」と忠告していたが、ハリーには全く響いていなかった。
「吸魂鬼が僕に近づくたびに、僕が何を見たり、何を聞いたりするか、知ってるかい?」
ハリーが聞くと、ロンもハーマイオニーも不安そうに首を横に振った。
「母さんが泣き叫んでヴォルデモートに命乞いする声だ。もし君たちが、自分の母親が殺される直前にあんなふうに叫ぶ声を聞いたなら、そんな簡単に忘れられるものか。自分の友達だと信じていた誰かに裏切られた、そいつがヴォルデモートをさし向けたと知ったら──」
「あなたにはどうにもできないことよ!」
ハーマイオニーは苦しそうに言った。
「吸魂鬼がブラックを捕まえるし、アズカバンに連れ戻すわ。そして──それが当然の報いよ!」
けれどハリーは、ファッジが“ブラックは正気を保っていた”と言ったのを引き合いに出して、シリウス・ブラックにアズカバンは意味がないと聞く耳を持たない。
「まさか──ブラックを殺したいとか言わないよな?」
「バカなこと言わないで」
緊張して尋ねたロンを、ハーマイオニーはほぼ反射的に否定した。
「ハリーが誰かを殺したいなんて思うわけないじゃない。そうよね?ハリー?」
返事は返ってこない。私には、ハリーが自分でもどうしたいのかわかっていないように見えた。ロンとハーマイオニーが助けを求めるように私を見つめると、ハリーはたった今私の存在に気づいたかのような反応をした。
「ハリー。私も父を殺したレストレンジを許せないから、気持ちは少しわかる」
「・・・・・・」
「でも、復讐をしたいとは思わない」
それはハリーのように吸魂鬼に近寄っても、記憶にない父と母のことを思い出せないからかもしれない。祖母に大切に育てられたからかもしれない。敵が明確ではないからかもしれない。状況がまるっきり違うのだ。言い終わると、ハリーは少し動揺したようだった。
──私は復讐より、お父さんが最期まで信じたシリウス・ブラックの無実を明かしたい。真実を知る私には、それができるのだから。──その言葉は呑み込んで、緑の瞳を不安定に揺らすハリーをじっと見た。
「冷静になって、ハリー。シリウス・ブラックのやったことは許さなくていいけど、それで自分を危険にさらすのは別問題だよ。勇気と無謀をはき違えないで」
両親が悲しむだろう、とは言わなかい。そんなことハリーだってわかっているだろう。それでも恨んでしまう。憎いと思ってしまう。だって、悲しんでくれる両親はもういないから。
復讐などと大口を叩いている私も、小さい頃はそうだった。母は出産と同時に亡くなったから、「私のせいだ」と何度祖母の前で泣いたかわからない。私は誰とも知れない父を殺した人よりも、自分に復讐をしたかったのだ。一度だけ、謝ったことがある。そして、それはたった一度祖母に頬を打たれた時になった。母が愛した私の命を、他でもない私が軽視するなど許せない──静かに言って、祖母は私を抱きしめた。私はそれから、二度と母の死を私のせいにしなくなった。
重苦しい沈黙が流れる。
「さあ」
珍しく私とハリーの間に緊張感が漂って、ロンは慌てて話題を変えようと切り出した。
「休みだ!もうすぐクリスマスだ!それじゃ──それじゃハグリッドの小屋に行こうよ。もう何百年も会ってないよ!」
「ダメ!」
またもやハーマイオニーが反射的に叫んだ。
「ハリーは城を離れちゃいけないのよ、ロン──」
「よし、行こう」
我が意を得たとばかりにハリーが身を起こした。
「そしたら僕、聞くんだ。ハグリッドが僕の両親のことを全部話してくれた時、どうしてブラックのことを黙っていたのかって!」
他の提案をハリーが聞くことはなく、私たちはマントを羽織って肖像画の穴をくぐり、がらんとした城を抜けて樫の木の正面扉から出発した。
ハグリッドの小屋は雪が積もって、まるで“ヘンゼルとグレーテル”に登場するお菓子の家のようで。小屋の後ろに広がる禁じられた森の木々もパウダー・スノーが太陽を反射して銀色にきらめき、森全体に魔法の粉が降り注いだようだった。
扉の前まで新雪に靴下を濡らしながら歩いていき、ロンが軒先のツララのいくつが落ちるほど力を込めてノックをしたが、答えは返ってこない。出かけているのかと顔を見合わせて、誰からともなく扉に耳をつける。小屋の中からはたしかに呻き声のようなものが聞こえたので、私たちはもっと強く戸を叩き、ハグリッドの名を呼んだ。重い足音がして、ドアが蝶番を軋ませながら開くと、ハグリッドが滝のような涙を流して立っていた。
「聞いたか!」
大声で叫ぶなりハリーに抱きついたので、つぶされそうになってもがくハリーを私たちで引っ張り出さなければならなかった。四人がかりでハグリッドを小屋に入れて座らせると、机に突っ伏してしゃくり上げてしまった。大きな水たまりのできた机には、何か公式な手紙が広げてあった。これは何なのか、唖然としながらハーマイオニーが聞くと、ハグリッドはボロボロ泣きながら手紙を私たちへ押しやった。
それは魔法省の“危険生物処理委員会”からの手紙で、ヒッポグリフのバックビークが生徒を傷つけたことで委員会の事務所までの出頭を命じる、と書かれていた。ハグリッドに対してはダンブルドア先生の訴えを受けて責任はないとしたものの、バックビークに関してはルシウス・マルフォイの訴えを受け入れることにしたらしい。出頭までヒッポグリフは隔離してつないでおくように、という文言で結ばれたこの手紙は、要するに敗訴の決まった裁判への招集だった。
小屋の中にはバックビークが寝そべっていて、ハグリッドは「雪の中つないでおくなんてできねえ」と喉を詰まらせた。私たちは四人で目配せをして、まずハーマイオニーがハグリッドの丸太のような腕に手を置いた。
「ハグリッド、しっかりした強い弁護を打ち出さないといけないわ」
私もハーマイオニーの反対側に回って、山ほどもある背中をさすった。
「バックビークが安全だって、きっと証明しよう」
まさに怪我をした私の言葉など説得力がなかったのか、「それでも、同じこった」とハグリッドはすすり泣いた。
「やつら、処理屋の悪魔め、連中はルシウス・マルフォイの手の内だ!やつを怖がっとる!もし俺が裁判で負けたら、バックビークは──」
ハグリッドは親指を髭の下で動かして、喉を掻き切るような動作をした。おんおん大泣きをするハグリッドに、ハリーがダンブルドア先生はどうなのか、と聞いた。しかしハグリッドは首を横に振って、すでに十分すぎるほどやってくれていると呻いた。
「手一杯でおいでなさる。吸魂鬼のやつらが城の中さ入らんようにしとくとか、シリウス・ブラックがうろうろとか──」
ロンとハーマイオニーが素早くハリーを見た。しかしハリーは眉をハの字に下げていて、さすがにこの状態のハグリッドを前にして責めることなどできないらしかった。ねえ、とハリーはもう一度ハグリッドに声をかけた。
「諦めちゃだめだ。ハーマイオニーとサチの言うとおりだよ。ちゃんとした弁護が必要なだけだ。僕たちを証人に呼んでいいよ──」
「私、ヒッポグリフいじめ事件について読んだことがあるわ」
ハーマイオニーが頭の中の辞書をめくるようにこめかみに指を当てながら言った。
「たしか、ヒッポグリフは釈放されたっけ。探してあげる、ハグリッド。正確に何が起こったのか、調べるわ」
ハグリッドは今度は感動で声を限りに泣き叫んだ。私たちは希望を込めてロンを見つめた。
「アー──お茶でも入れようか?」
肩をすくめて、ロンは目を丸くしたハリーにつぶやく。
「誰か気が動転してるとき、ママはいつもそうするんだ」
翌日になると、私たちは四人そろって図書室へ行き、誰もいない談話室に戻ってきた時にはバックビークの弁護に役立ちそうな本を腕一杯に抱えていた。シリウス・ブラックのことばかり考えてはいられなくなったので、これはハリーにとって良いことだった。ハリー自信がそう思っているかはさておき、私とロンとハーマイオニーは胸をなでおろしていたのだ。
城では大がかりなクリスマスの飾り付けが進み、ほとんど生徒が残っていないながらも、大広間には十二本ものクリスマス・ツリーが飾られていた。廊下には柊や宿り木が編み込まれたリボンが巡らされ、相変わらずスネイプ先生の研究室以外は、人の出入りがない教室でさえクリスマスカラーに染まっていた。
私はバックビークの弁護のための資料探しと編み物の合間を縫って、スネイプ先生の研究室に突撃し、保存魔法をかけた雪だるまを追加課題と一緒に提出しにいった。すると、どうやら保存魔法が切れるまでは飾ってくれるようで、煮えたぎる大鍋の真横の本棚にスペースを作ってくれた。なけなしのいじわるに吹き出してしまったせいで、クリスマス休暇中なのにも関わらず、追加課題が二倍に増やされた。せっかくなら出された課題全てをプレゼントと一緒に届けてびっくりさせたいと考えて、クリスマス・イブの夜、私はホグワーツのふくろうにスネイプ先生へのカードと編んだ手袋、課題の羊皮紙を運んでもらうよう頼んだ。
そして、来るクリスマスの朝。
いつもより遅く起きてベッドの下をのぞくと、グリフィンドールのみんな、そしてダンブルドア先生やマクゴナガル先生、ルーピン先生、ハグリッドからのプレゼントがあった。ダンブルドア先生とはしばらく話せていないのに、何をどうしてここ最近の私の考えを見抜いたのか、中に入る対象に合わせて形の変わる魔法のかかった、美しい銀色の鳥かごがプレゼントされた。飴玉か何かを入れておけば小さいまま持ち運べるという優れもので、ペティグリューをひっとらえるのにこれほど役に立つ贈り物はないだろう。
ひととおりプレゼントを開封し終えるころに、ようやくハーマイオニーが起きてきて、ガサガサと包装紙がこすれ合う音が聞こえてきた。メリー・クリスマスをお互いに言い合って、ハーマイオニーへプレゼントのお礼を伝えている途中、ベッドの隅で何かが日の光を反射したのが目の端に留まった。
それは冬の夜空を閉じ込めたクリスマスカードだった。
黒い夜空を雪に覆われた森が取り囲み、きらきらと瞬く小さな星々が時折流れ星となって光るそのカードは、動かすと星の粉を私の周りに振りまいた。震える手で折りたたまれていたカードを開くと、どこまでも続く満天の星空に、銀色の神経質な筆致で短いメッセージが書かれていた。
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よいクリスマスを。
SS
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「サチ!あなたからのプレゼント、とっても──」
「ハーマイオニー!!」
胸が締め付けられて、じわじわと視界がにじんだ。いても立ってもいられなくて、私からのプレゼントを開封していたハーマイオニーに飛びついた。ハーマイオニーは何事かと目を回していたけれど、私がスネイプ先生からのカードを満面の笑顔で見せると、よかったわね、と目元を優しくぬぐってくれた。
「すてきなカードね」
「うん──私、私──まさかクリスマス当日にカードを受け取れるなんて──」
「私だったら、あなたに手編みのプレゼントをもらった日には朝一でキスを贈るわ」
ハーマイオニーは私からのマフラーを首に巻いて、頬にキスをしてくれた。なんて幸せなクリスマスなんだろう。今にも走って行って、私もスネイプ先生に感謝を伝えたいと思った。
「ハーマイオニー、私ちょっと先に大広間に行ってるね」
「ええ、いってらっしゃい。すぐにハリーたちと一緒に行くわ」
私はパジャマのままローブだけ肩に引っ掛けて寮から飛び出した。
息を切らして大広間に到着すると、生徒は私以外にまだ来ていないようだった。先生方が昼食の準備をしている最中で、フリットウィック先生が各寮のテーブルを魔法で壁に立て掛け、マクゴナガル先生とスプラウト先生は広間の中央に置かれたテーブルに先生と残っている生徒の食器──合わせてたったの十四人分──を並べていた。部屋の隅では燕尾服を着たフィルチさんがクリスマス飾りをはたきで掃除していて、スネイプ先生の姿は見えない。
「メリー・クリスマス!」
びっくりして横を見ると、いつからいたのかダンブルドア先生が笑顔で立っていた。私がプレゼントした手編みの肩掛けをさっそく使ってくれている。
「ダンブルドア先生!他の先生方とフィルチさんも、メリー・クリスマス!」
先生たちに向かって手を振ると、みんなにこにこと手を振り返してくれた。フィルチさんもちょっと手を挙げて答えてくれた。ダンブルドア先生に背中を押されて、私は食器の準備されたテーブルまで歩いた。ダンブルドア先生の隣に座ると、真っ先に肩掛けをありがとうと言ってくれたので、私も鳥かごのお礼を言った。
「それで、他にも何かよいプレゼントをもらったようじゃな」
ダンブルドア先生は、私の持っているカードを見て言った。私は大きくうなずいて、他の先生方に聞こえないようにダンブルドア先生の耳に顔を近づけた。
「じ、実は・・・・・・スネイプ先生に、あのひと──未来の先生にあげたのとほとんど同じプレゼントをしました」
ダンブルドア先生は「ほうほう」と頷いた。
「今回は手袋を手編みにして、あとはカードを。前は新学期になってからカードをいただいたんです」
「そのはずが、クリスマス当日に、それもセブルス自ら魔法をかけたカードをもらった、と」
「はい。当日で、先生が魔法を──先生が──えっ?なんですって?」
スネイプ先生が自ら魔法をかけたカード?
カードの流れ星や、夜空に瞬く星々は、スネイプ先生の魔法で輝いている?
「おっと口が滑ったわい。いや、わしが言ったことは秘密にしてくれんかのう、サチ」
少しも悪びれず、ダンブルドア先生は青い瞳を輝かせていた。今回に限っては、ダンブルドア先生のいたずらっ子な一面に感謝した。
「ダンブルドア先生・・・・・・」
「うん?」
カードを胸元で優しく抱きしめた。一年生の時にもらったカードは大事にするあまり寝室の宝箱に保存していて未来に忘れてきてしまったから、これは肌身離さず持ち歩くようにしよう。
ああ──スネイプ先生の心の内を知りたいと、こんなに思ったことはなかったかもしれない。私の贈ったクリスマス・プレゼントを、あなたはどんな顔で見つけたのだろう。何を思って、返事に美しい星の魔法をこめたのだろう。
「このクリスマス・カード、一生大切にします・・・・・・!」
熱いしずくがこぼれ落ちそうになって、ぎゅっと目をつむった。ダンブルドア先生は「わしの前ではよく泣くのう」と茶目っ気たっぷりに笑って、優しく頭をなでてくれた。マクゴナガル先生はハンカチを差し出してくれて、それが未来から持ってきてしまったものと奇しくも同じものだったから、我慢できずに涙が一粒、テーブルクロスに染みを作ってしまった。
「よい生徒を持ったのう、セブルス」
ダンブルドア先生は唐突に口を開いた。
「・・・・・・えっ」
目を開けて顔を上げたが、向かいの席には誰もいない。衣擦れの音が聞こえて、おそるおそる後ろを振り向くと、スネイプ先生が真後ろに立っていた。クリスマスとはほど遠い真っ黒ないでたちで、相変わらず眉間にしわを寄せていた。
体中から汗が噴き出したような気がした。「いつから」「どこから聞いて」なんて要領を得ないことを口走りながらダンブルドア先生を見ると、内緒話の途中で大広間に入ってきたのだと楽しそうに告げられた。さっきダンブルドア先生のいたずらっ子に感謝したのを、今すぐ取り消したい。
「ス、ス、スネイプ先生、あ、あれはその、こ、言葉の綾で」
「ほう。言葉の綾」
小さくつぶやいて、スネイプ先生は私が初めて見る表情を浮かべた。片方の眉と唇の端を少しだけ持ち上げて──そう──たしかに笑った。いつもの暗い笑みや意地悪く唇をめくるものとは違う、ふと張りつめた糸が緩んでしまったような小さな綻びだった。
思わずそれを凝視していると、スネイプ先生は音もなく身をかがめ、私に顔を近づけた。
「君は、我輩のカードがお気に召さず、社交辞令を校長に向かって口にしたと、そう言っているのかね」
私はテーブルに頭を打ち付けたい衝動にかられた。好きなひとの囁き声を至近距離で聞いて、正常な受け答えをするのがこんなに難しいことだなんて初めて知った。
「嘘です。言葉の綾なんかじゃないです」
だから離れてください、と蚊の鳴く音にもかき消されそうな声で言うことしかできなかった。そうしてやっとスネイプ先生は身を起こし、私の隣に座るダンブルドア先生の右側に座った。目の合う位置じゃなくてよかったと心から思った。
しばらく私は放心していたらしい。ダンブルドア先生のひと際明るい「メリー・クリスマス」で我に返ると、席はすでに四つの空席を残すばかりで、先生の視線の先にはハリー、そしてどこか険悪な雰囲気の漂うロンとハーマイオニーが立っていた。それでも三人とも私の贈ったマフラーやウィーズリーおばさんのセーターを着ていたりしていたので、どこかほほえましい。
ハリーは私を見るなりパッと顔を明るくして、開いていた隣に腰かけた。
「どんどん食べましょうぞ!」
大きなクラッカーを割って、ダンブルドア先生が一つのテーブルを囲む十三人に笑いかけた。
ハリーはすぐに私の袖を引いて、ニンバス2000とヘドウィグの羽根からできている杖を懐から取り出した。
「サチ、本当にありがとう!」
弾けるような笑顔だった。
「こんなふうにまたニンバスを使えるようになるなんて、思ってもみなかった!」
私は、ハリーが心からの笑顔を浮かべてくれたのが嬉しかった。杖として機能するかはお楽しみ、とオリバンダ-さんに言われていたので、そのことを尋ねた。するとハリーが杖を軽く振って、赤と金の、クリスマスにぴったりな光がふんわりと広がった。
「っていうことは、つまり・・・・・・!」
「うん。魔法が使えるんだ!僕、これは予備の杖としてとっておこうかなって考えてる」
ハリーはまた、ありがとうと繰り返して、大事そうに“ニンバス2000”の文字が彫られた杖をポケットにしまった。
やっぱりオリバンダ-さんはとんでもない腕の杖職人だった。よく私の依頼を無償で受けてくれたなあ、とまた意識を飛ばしていると、それを察したらしいハーマイオニーがハリーをまたぎ、私の背中をつっついた。その顔はムッとしかめられている。
「あなたが頼んだからよ。ハリーのことを喜ばせたかったあなたの誠意を見たから、オリバンダ-さんは依頼を引き受けてくださったのよ」
「も、もう・・・・・・ハーマイオニーってば、大げさだよ」
「そうかしら。現に私、ニンバスを使って何かプレゼントするなんて思いつきもしなかったわ!」
テーブルに乗っているクリスマス・ケーキのイチゴと私はいい勝負だったと思う。ダンブルドア先生は楽しそうに笑って、私のお皿にスパイシー・チキンだのトマトグラタンだの赤い食べ物をこれでもかとよそった。
途中でトレローニー先生が合流し、占いに懐疑的なマクゴナガル先生と静かに火花を散らし始めて、ふと度のきつい瓶底のようなメガネの奥で目を瞬かせた。ルーピン先生がいないことが気になったらしい。「なんてこと」と霧のかなたから聞こえるようなかすかな声を少し張り上げて、ルーピン先生は長くない、占おうとしたら逃げてしまった、と言った。「そうおでしょうとも」とマクゴナガル先生はさりげなく、それでいて辛辣に言い返し、とうとうダンブルドア先生が「いや、まさか」と割り込んだ。
「──ルーピン先生はそんな危険な状態ではあるまい。セブルス、ルーピン先生にまた薬を造ってさし上げたのじゃろう?
「はい、校長」
危険な状態だったらいいのに、とでも言うような返事だった。
それから二時間ご馳走は続き、お昼から始まったクリスマス・ディナーが終わる頃には全員がはちきれそうなお腹をさすっていた。
ハリーはひそひそと差出人不明の“ファイアボルト”──最新の箒で、世界で活躍するような選手が使うらしいく、値段はとんでもない──が届いたと興奮気味で何回か話してくれた。寮に戻ったら見せてくれるらしい。箒の良さがわからない私にも絶対わかる、と腕を組んだロンを、ハーマイオニーは何か言いたげに見つめていた。多分シリウス・ブラックからなんだろう。ブラック家というのは純血旧家で、とてつもないお金持ちらしいと聞いたことがある。
私はマクゴナガル先生にそのことを話しに行くと思われるハーマイオニーと、寮へ戻ろうと満腹で目をこすっているハリーとロンを誤魔化し、ソーセージや七面鳥をバゲットの入っているバスケットに詰め込んだ。鋭いスネイプ先生の視線も「夜食にするんです」と交わして、私は禁じられた森へ大急ぎで走る。
「パッドフット!メリー・クリスマス!」
食べ物の香りがしたからか、お目当ての黒い犬、シリウス・ブラックは森に入って少ししたところで待ち構えていた。すっかり毛並みがふさふさになって骨よりも筋肉を取り戻した犬が、尻尾を振って足元にじゃれついてきた。ここだけ見ると、どうしても成人している男性のようには見えない。動物もどきになると精神まで動物にひっぱられるのか、それとも単にシリウス・ブラックが人懐っこいだけなのか。
ホグワーツが木に隠れて見えなくなった辺りで、私はいつものように大木の根っこに腰を下ろした。この犬は自分がシリウス・ブラックだと隠す気がまるでないらしく、いつも食べ物を食べる場所には枝や動物の皮で作られた寝床が堂々と設置されている。
バスケットに入っていたチポラータ・ソーセージをおいしそうにむしゃむしゃほおばる黒い犬は、こっちを見てぶんぶん尻尾を揺らした。膝に肘をついて、黒い犬がソーセージを噛み切っているのをじっと見つめる。
「ねえパッドフット。あなた、自分が動物もどきだって隠すつもりはないの?」
黒い犬は動揺しなかった。ふいっと私から目をそらして、今度は七面鳥にかぶりついている。
「それとも、その──わかってたの?」
灰色の瞳がまっすぐに私を見つめた。祖母が私を見守る姿が、なぜか犬に重なった。
「私が、あなたをシリウス・ブラックと知ってて近づいたって」
その時たしかに、黒い犬はニヤリと笑った。
瞬き一つ、たったそれだけの間で、目の前の犬は人間に姿を変えた。新聞や手配書より、ずっと健康的で背の高い美丈夫が、私の前にあぐらをかいて座っていた。写真ではゴワゴワとしていた長髪は、犬の毛並みと同じようにすっかりツヤツヤと輝いていた。
「──サチ。君は隠し事が苦手なたちだろう」
思わずあんぐりと口を開けていると、シリウス・ブラックはおかしそうに肩を揺らした。長い投獄生活からか声はかすれていたが、それすらも様になっている。
「初めて会った時にわたしを見る目でわかった。君がわたしを知っていること、その上で助けたいと思っていること」
「そ・・・・・・そんな」
やっぱり閉心術を練習した方がいいんじゃないか。ダンブルドア先生はどうしてまだ時期じゃないなんて言ったんだろう。そんなことを考えていると、シリウス・ブラックは悔しそうに顔を歪めた。
「ああ。君の父親もそうだった」
アズカバンで、闇祓いである私の父親が彼の無罪を主張し続けていたこと、私の父親が死んだことを、収監されたレストレンジの人間から聞いたらしい。そして本当の裏切り者であるペティグリューを追ってホグワーツまでやって来て、嵐の吹き荒れる競技場の前で私に出会い、娘の存在と、その娘も彼の無実を信じていることを知った。
話を聞いて、私が未来から来たということまではさすがに知らないらしい、と安心していると、水で一息ついていたシリウス・ブラックは何かに気づいたように身を乗り出した。
「ちょっと待ってくれ。君はペティグリューが動物もどきだと知っているのか!?」
「えっ?あ、ウーン・・・・・・」
「もしかして、君の父親が手紙か何か残していたりしたのか?あいつはわたしたちの秘密を知ってたから」
「そ、そうです!そんな感じ」
シリウス・ブラックがうまい具合に勘違いしてくれて助かった。未来から過去にさかのぼった私には、この世界で何も遺されていないのだ。胸をなでおろしていると、またシリウス・ブラックは「そういえば」と眉をひそめた。
「君は何度もスネイプの話をわたしにしていたね」
嫌そうに口にした彼を見て、何を言いたいかはっきりとわかった。しかし残念ながら、その段階はとっくのとうに経験している。スネイプ先生がダンブルドア先生を殺した後。ホグワーツにそれでも戻ろうとした私に、ルーピン先生もキングスリーさんも、ハリーたちだって大反対した。
私はもう知っている。スネイプ先生が死喰い人だったことも、学生時代は闇の魔術に傾倒していたことも、純血思想に染まっていたことも耳にタコができるほど繰り返された。
「シリウスさん」
それでも好きになってしまったのだ。好きだと気がついていなかったその時も、私は先生のあの冷たい手を信じていた。
「私は知ってるよ」
もう一つ、知っている。ハリーの父親と、その親友であったルーピン先生、特にシリウス・ブラックはスネイプ先生と強く対立していたこと。ルーピン先生が何らかの理由でスネイプ先生を殺しかけたこと。その何らかの理由というのは、おそらくハリーの父親やシリウス・ブラックに関わっているであろうこと。
「スネイプ先生の過去も、あなたたちの軋轢も、あなたが思うよりわかってるつもり」
わかったうえで、わかってもなお、私は恋をしている。
シリウス・ブラックはじっと私を見て、仕方なさそうに、けれど少しだけ口角を上げてため息をついた。
「君は母親にも似ている。両方からよいところを受け継いだな」
「え?」
「強い眼差しでプロポーズされて、あいつは顔を真っ赤にしていたよ。見せつけられるわたしの身にも、」
「お母さんに会ったことがあるの?」
母を知る魔法使いに会うのは初めてだった。何せ母親は生粋のマグルで、父と結婚するまでは魔法使いが実在することを知らなかったのだ、と祖母から聞いている。かく言う祖母もイギリス人である母方の血筋なので、魔法界についてはほとんど無知だった。
「サチ、君は・・・・・・」
そういえば、シリウス・ブラックには自分が編入生であることは以前話していたけれど、両親が私の生まれる前と直後に亡くなったことは話していなかった。唖然としているシリウス・ブラックに自分が両親の記憶がないこと、今はダンブルドア先生が保護者をしてくれていることを話した。
シリウス・ブラックは残りひと切れとなった七面鳥をぺろりとたいらげて、咀嚼しながら何か考えて、言った。
「まず、わたしのことはシリウスと呼んでくれ。君がわたしに遠慮を感じる必要はない」
何を話すのかわからなかったけれど、とりあえず頷いた。仲良くなれるのは純粋に嬉しい。
「聞きたいのだが、ダンブルドアは君の暫定的な保護者ということであっているか?」
「はい。最初に身寄りがないとお話した時、じゃあ自分が、って」
シリウスは腕を組んで犬のように低く唸った。
「ウム、その、もし気にしないのなら、わたしが正式に君を引き取ってもいいだろうか」
「どうして!?」
私は耳を疑った。
「ハリーのことは?どうして私まで?」
「もちろんハリーとは、本人が頷けば、今すぐにでも一緒に暮らすつもりだ。もし──もしもそうなったら、わたし一人ではどう対応すればいいかわからない時もあるだろうし──」
ここでシリウスは一旦言葉を切った。様子をうかがって、私がただびっくりしすぎて口がきけない状態であることを確認したらしい。「──というのは建前で」と自信を取り戻して歯を見せた。
「わたしは君の父親と母親の──こう言うのは恥ずかしいがキューピットでね。彼らの馴れ初めを話させれば私の右に出る者はいないぞ」
「そう、だったんだ・・・・・・」
「一番は、あの二人の娘であることを抜きにしても、わたしが君を助けたいと思ったからなんだが」
助けたい?
目を丸くすると、本当にわかりやすいな、とシリウスはまた笑った。
「君はわたしを助けてくれたじゃないか。食べ物を持ってきて、スネイプのことばかりとはいえ話もたくさん聞かせてくれた。そして何より・・・・・・微塵もわたしを疑っていなかった」
シリウスは目をそらしてくれない。
「アズカバンから独りでここまで逃げ続けていたんだ、わたしを信じる君の存在がどれほど心強かったか──」
「わ、わかったから、シリウス。もう、」
「なんで照れるんだ?」
シリウスはダンブルドア先生と似た、いたずらっ子の笑みを浮かべた。顔を真っ赤に染め上げた私に、今年度中にペティグリューを魔法省に突き出せれば、血の守りがあるハリーはまだ難しくても、私なら夏休みを一緒に過ごせるかもしれないし、と彼は付け足した。
申し出は本当に嬉しいしありがたかったけれど、シリウスが保護者になるということは、スネイプ先生に近づきにくくなってしまうだろうか、と私は悩んだ。でも、近くにいた方がこれから二年後に死んでしまう運命を抱えるシリウスを救える確率が上がるかもしれない。私はシリウスのこともみすみす死なせるようなまねはしたくなかった。
シリウスは私が決断するのをじっと待っていた。なるべく悩んでいることを顔に出さないように意識はしたが、彼がどこまで察しているのか私にはわからない。さっきまでくるくると少年のように表情を変えていたのに、今は百年も生きた知恵者のように成り行きを注意深く見守っている。
「シリウス」
「ああ」
「ペティグリューは、絶対に今年中に捕まえる。それで──夏休みはお屋敷の大掃除をして、来年ハリーを迎える準備をしよう」
グリモールド・プレイス十二番地を思い出して、私は笑った。シリウスもちょっと間をおいて、嬉しそうに破顔した。
改めてよろしく、と握手を交わして森を見まわすと、いつの間にか辺りはすっかり暗くなっていた。空のバスケットを抱えて城に戻ろうとすると、シリウスが私を呼び止めた。どこかバツの悪そうな顔をしている。
「シリウス?」
「あー・・・・・・その、すまない。ハリーには新しい箒を贈ったのだが、君には何を贈ればいいのかわからなくて、プレゼントを用意できなかったんだ」
「なんだ、そんなこと」
私はにっこりしてシリウスを見上げる。
「この状況が、私にとってはすてきな贈り物だよ」
そんなことを言うなら私だって、クリスマス・ディナー以外にシリウスに何もあげていない。まさか私が黒い犬の正体を知っていると勘づかれているとは思わなくて、準備も何もしていなかったのだ。
呆けていたシリウスはそれを聞いて、片眉を大げさに動かした。
「わたしの方こそ。サチ、君にはもう十分すぎるほどもらっている」
「・・・・・・」
「なあ、どうして人に同じことを言われるとそうやって真っ赤に──」
「知らない!またね!おやすみシリウス!」
シリウスのクスクス笑いを背中に、私は夕闇の下でもわかるほど頬を赤くして、鼻息荒くホグワーツに戻った。
寮に戻ると、シリウスのプレゼントの箒がハーマイオニーの報告でマクゴナガル先生が呪いの有無を調べるために回収されてしまったとハリーとロンが憤っていた。寝室ではすでにハーマイオニーは寝てしまっていたので、新たに発生したらしい喧嘩の詳細については明日に回すことになりそうだ。
こうして私の人生の中で最高のクリスマスは幕を下ろしたのだった。