アズカバンの囚人編
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一夜明けて、ハッフルパフ戦の前日。
真昼間だというのに外は真っ暗で、雨がしぶきを上げて窓を割ろうと激しく音を立てた。あまりにも廊下や教室が暗いので、松明や蠟燭はいつもよりたくさん宙に浮いていた。
ハリーの元へはオリバーが授業の合間ごとにやってきて、セドリック・ディゴリーと戦うための指示を与えては早足で去っていくのを繰り返していた。闇の魔術に対する防衛術に移動している最中もまた姿を現し、これまでより長く話をした。ハリーに付き合って私もオリバーの話を聞いていたのだが、途中で大事なことを思い出した。もうすぐ満月なのだ。ルーピン先生はきっと、体調が悪くて授業をするどころではないだろう。おそらく代打で授業を行うのは──。
「オリバー、話の続きは次の休み時間にできないかな?あなたも私も授業が、」
「僕は次が魔法史なんだ。ビンズ先生は気にしないさ。ハリーとサチはたしか闇の魔術に対する防衛術だったな?それなら多少の遅れは大丈夫だよ」
魔法薬学じゃないなら、とオリバーは話を再開させてしまった。その魔法薬学の先生が今日は臨時でやってくる可能性が高いから、口を挟んだんだ──とは言えなかった。
ルーピン先生が人狼だなんて勘付かれそうなことは言わないに限るのだ。
ハリーが先に行ってて、と申し訳なさそうに肩をすくめたので、私はお言葉に甘えることにした。一年生の時ぶりに、スネイプ先生から闇の魔術に対する防衛術を教われることに、内心おおはしゃぎだったのだ。
闇の魔術に対する防衛術の教室に入ると、教壇に立っていたのは期待通りスネイプ先生だった。前の座席に誰も座っていなかったので、隣に来てほしいと目配せするロンやネビルに「ごめんね」と唇を動かして、私は一番前の教壇に近い席を選んでカバンを置いた。スネイプ先生は魔法薬学のときと同じようにニコニコして彼を見る私を、気味悪そうに一瞥した。
「こんにちは、スネイプ先生」
スネイプ先生はやっぱり挨拶を返してくれなかった。いつまでたっても座らないのでは不審に思われそうだったので、手早く要件を口にする。
「ハリーはクィディッチのことで用事があって遅れると思います」
「我輩は本人から連絡を受け取っておらん」
「失礼ですが、今日ルーピン先生が授業をできないと、この教室に入るまで誰も知らなかったのではありませんか」
スネイプ先生は思いっきり私をにらんだが、週四回は研究室に押しかけている身には慣れたものである。ネビルの息を呑む音がはっきりと聞こえた。
「失礼だと思うなら口を慎んではどうかね。ミス・シラユキ」
「はい。失礼しました」
もう一度ニッコリ笑って、私は席に座った。あと一言でも何か言っていたら減点されていただろう。減点されるかどうかの見極めがだいぶうまくなったのが嬉しかった。スネイプ先生からすればせっかくのチャンスをギリギリで失ったことになるので、こうなると毎回恨みがましく視線を飛ばしてくる。それでも質問を拒まないし、課外授業はちゃんとやってくれるし、そういうところが私に付け込まれる原因なんだとわからないのだろうか。
ハリーは始業のベルがなってから遅れて教室に入ってきた。
案の定スネイプ先生はグリフィンドールから十点──ハリーが遅刻した分数──を減点した。言い渡しながら、スネイプ先生は私を見下ろして鼻で笑っていた。どうせやるだろうとは思っていたので、眉尻を下げるしかない。ハリーは、入り口からなかなか動こうとしなかった。勇敢にもルーピン先生はどうしたのかとスネイプ先生に質問をしたのだ。
「今日は気分が悪く、教えられないとのことだった。」
スネイプ先生は唇を歪める。
「座れと言ったはずだが?」
「どうなさったのですか?」
ハリーはやっぱり動かない。スネイプ先生はとうとう笑みを削ぎ落して、残念そうな響きを含ませながら「命に別状はない」と答えた。
「グリフィンドール、さらに五点減点。もう一度我輩に“座れ”と言わせたら、五十点減点する」
うなだれたハリーは自分の席まで歩いていった。スネイプ先生はクラスを見わたして、ルーピン先生をだらしないと指摘した。それに対してディーンが「これまでの闇の魔術に対する防衛術で一番の先生だ」と発言し、クラス中がそれを支持すると、スネイプ先生の雰囲気はさらに凶悪になった。
「点の甘いことよ。ルーピンは諸君に対して著しく厳しさに欠ける。──赤帽鬼や水魔など、一年坊主でもできることだろう。我々が今日学ぶのは──」
スネイプ先生は教科書の一番後ろまでページをめくっていく。ぴたりと先生の手が止まったところで、私は自分の教科書を開いてもいなかったのに、ついぴくりと反応してしまった。先生が見ていませんように、とそろそろ顔を上げると、なんとバッチリ目が合ってしまった。
「──人狼である」
「でも、先生」というハーマイオニーの言葉でスネイプ先生の視線がそれた。結局、ハーマイオニーの言った、これからやる予定だったヒンキーパンクの授業は却下され、みんなは指示通り三九四ページを開いた。
「人狼と真の狼とをどうやって見分けるか、わかる者はいるか?」
ハーマイオニー、それから私も一応挙手をしたが、スネイプ先生はまるで私たちのことが見えていないらしい。スネイプ先生は薄ら笑いを浮かべて、小ばかにするような表情で教室を再度見回した。
「三年生にもなって、人狼に出会っても見分けもつかない生徒にお目にかかろうとは、我輩は考えてもみなかった。諸君の学習がどんなに遅れているか、ダンブルドア校長にしっかりお伝えしておこう」
「先生」
ハーマイオニーが手を挙げたまま言った。
「狼人間はいくつか細かいところで本当の狼と違っています。狼人間の鼻面は──」
「勝手にしゃしゃり出てきたのはこれで二度目だ。ミス・グレンジャー。鼻持ちならない知ったかぶりで、グリフィンドールからさらに五点減点する」
これには私も眉をひそめた。ハーマイオニーは涙目になってうつむいてしまった。
前の席に来たのは短慮だった──隣の席に座っていれば、今すぐに抱きしめてあげられたのに。
クラスのみんなもハーマイオニーのことを知ったかぶりと言ったことがあるし、ロンに至っては週に二回は面と向かってそう言っているが、誰よりもハーマイオニーの頭脳を認めているのだってロンなのだ。今も、顔を真っ赤にして目を吊り上げている。そんなロンに言わせるのは火に油を注ぐだけだと思って、挙手はしたまま、まだうまく指の動かない方の手を机にたたきつけた。
「・・・・・・失礼を承知で言わせていただきますが」
思いのほか大きな音が鳴ったし、指先の感覚が遠のいた。私もきっと涙目になっていてだろう。スネイプ先生も呆気に取られて私を見ている。
「スネイプ先生はクラスに質問なさいました。答えてほしくないなら、どうしてそんなこと・・・・・・そんな、こと」
一拍開けて感覚が戻ってくると、信じられないくらい腕が痛くなった。せっかく包帯もとれてほとんど治る寸前だったはずなのに、神経が全部波打っているのかと思うほどだった。挙手していた手で小刻みに震え始めた腕を押さえて、スネイプ先生を見上げた。目を真っ赤にして途方に暮れた私が、先生の黒い瞳に映っていた。そこでようやっと先生は苦々しげに舌打ちをして、痛みを訴える腕をひっつかんだ。
「我輩が医務室まで連れていく。各自五分間の自習!」
大きな音を立てて扉が開き、私はスネイプ先生に引きずられるようにして医務室までの廊下を歩いた。筋肉やらの固定のために捕まれているのだと頭ではわかっているが、痛すぎて先生の手の温度すら今はわからなかった。
「あんなことをしたら傷が悪化するに決まっていよう」
肩で風を切りながら唐突に先生が口を利いた。ちらりと私を見下ろして、歩く速度を速めた。
「なぜこんなことをした?」
「先生が、ハ、ハーマイオニーに、ひどいこと、言いました」
「口答えをするな」
どう考えても痛みに涙をこぼす生徒に対するものではなかったが、時折こちらを見下ろすその瞳は怪我の様子をつぶさに確認していたので、私はスネイプ先生に見えないように笑った。
「罰則だ」
しかし先生は見逃さなかったようだ。
「人狼の見分け方と殺し方について、羊皮紙二巻を月曜の夕食までに提出したまえ。他の連中にも出す宿題だが、復帰したルーピンがどうせ提出させないだろう。しかし、ミス・シラユキ、君は絶対に我輩へ提出するよう」
早口で言って、スネイプ先生は私が何か答える前に、医務室の中に放り込んでしまった。「またあなたですか!」と怒鳴りながらも手当てをしてくれるマダム・ポンフリーを前に、私はふぬけた笑顔で生返事しかできなかった。
次の日、天候はまさに最悪だった。
風は大きく吹き荒れ、競技場の道のりで何人もの生徒が傘ごと空に舞い上がりそうになっては、先生たちに捕まえられていた。雨は激しく地面を叩きつけ、ハリーたち選手がピッチに姿を現したときには雷鳴が轟いた。私がロンやハーマイオニーと息を合わせて声を出しても、降りしきる豪雨が何もかもをかき消してしまう。
試合が始まって、飛び回る選手と降りしきる雨粒の見分けがつかない私に、ロンが大声で解説をしてくれた。しばらくするとグリフィンドールが稲妻と共にタイム・アウトを要求し、端っこの大きな傘の下でスクラムを組んだ。
「ハーマイオニー、ハリーのメガネをどうにかしてあげられないかな?」
雨に負けないように叫ぶと、ハーマイオニーは心得たとばかりにうなずいた。
「私が行ってくるわ!競技場の下までの近道をハリーに教えてもらってるの」
あっという間にハーマイオニーはハリーの元まで辿り着き、戻ってきた彼女に聞くと、防水呪文をかけてきたらしい。
しばらくして試合が再開し、ハリーの動きは一度目よりもずいぶん安定した──と、ロンが言っていた。ふと、ハリーが観客席を見たような気がした。その瞬間ハリーは体勢を崩した──とまたもやロンが叫んだ。
観衆の隙間からハリーが見ていた場所に目を凝らすと、巨大な毛むくじゃらの大きな犬──シリウス・ブラックが、人気のない席に座っていた。
その途端ワァッとグリフィンドールの観客が総立ちになった。ハリーがセドリック・ディゴリーを追う形でスニッチに向かって飛び始めたらしい。
しかしその中で、私の目から見ても明らかなほどハリーの動きが変わった。身の毛のよだつような寒さを感じて身を乗り出すと、ハリーの飛ぶ真下にたくさんの吸魂鬼が集まっていた。私は傘を放り出し、ロンとハーマイオニーの制止を振り切ってピッチまで大急ぎで駆け下りた。
「ダンブルドア先生!」
「おお、サチか!」
下りた先には、立派な髭を怒りで震わせるダンブルドア先生が立っていた。私を見止めて少し目尻を和らげたが、すぐに再び表情を引き締めた。
「よく来てくれた。・・・・・・守護霊の呪文は、使えるんじゃったか?」
「だから来ました」
観客が悲鳴を上げると同時に、ハリーが箒から滑り落ちた。ダンブルドア先生が杖を振ったのが視界に入って、私は吸魂鬼に杖を突きつけた。強く思い返すのは幸せな記憶──今の私が考えるのはただ一つ。生ける屍の水薬を完成させ、“スネイプ先生”が“あのひと”と同じ言葉を贈ってくれたあの日のこと。
「エクスペクト・パトローナム!!」
杖の先から飛び出した守護霊は、一番初めに成功したときから変わらない、銀色の美しい牝鹿だった。ダンブルドア先生は少し目を見開いたものの何も言わず、ハリーの落下をクッション魔法で止めると、同じように守護霊の呪文を唱えた。銀色の牝鹿と不死鳥はくるくるとピッチを飛び回り、あっという間に吸魂鬼を蹴散らした。
その後すぐさまダンブルドアの出した魔法の担架にハリーが運ばれて、慌ただしく医務室に駆け込んでいった。私はロンとハーマイオニーへの状況説明もそこそこに、ハリーの箒がどこかへ飛んでいったことに気がついて、ますます激しくなった雨の中を走って戻った。フリットウィック先生とマダム・フーチと一緒に箒を捜索させてもらい、無残に手折られて“暴れ柳”に引っかかっているのを見た時は、私も、先生たちすら声を発せなかった。
こんな不運なことってあるだろうか。
群衆の興奮に、ダンブルドア先生から校内に入ることを禁じられて飢えていた吸魂鬼が近づき、影響をもろに受けたハリーは、クィディッチ杯を取ると意気込んだ最初の試合で負けてしまった。
ハリーの箒“ニンバス2000”は、才能を見初めたマクゴナガル先生が彼に渡したもので、ずっと大切な相棒だと何度も教えてくれたのだ。志半ばでハリーを飛ばせられなくなったニンバスも悔しいのか、魔力のなくなる最期まで静かにその身を震わせ続けていた。
フリットウィック先生はニンバスを届けに急ぎ戻り、私とマダム・フーチは周囲を警戒しつつホグワーツに戻った。しかし私はあの黒い犬──シリウス・ブラックにハリーの無事を伝えたかった。きっと心配しているだろうから。
「フーチ先生、サチ、ご苦労じゃった」
柔らかい声が豪雨の中でも不思議と耳に入って顔を上げると、杖から透明な傘を差したダンブルドア先生が立っていた。マダム・フーチは軽く挨拶をすると、校長であり、私の一時的な保護者でもあるダンブルドア先生にその場を任せ、足早に医務室へと走っていった。
「ダンブルドア先生、その、」
「インパービアス」
頭上をふわりと杖が舞った。途端に体中を打ち付けていた雨粒の感触が薄くなる。傘を放ってピッチに下り、その後箒探しに参加していたので、私はいつの間にかびしょ濡れだったのだ。防水呪文を施して、ダンブルドア先生は何も聞かずに優しく微笑んだ。
「ないよりはよいじゃろう」
「はい!ありがとうございます!」
私は競技場までのぬかるんだ道を急いで引き返した。
幸運にも、探し人はすぐに見つかった。どこかに隠れていたのか、吸魂鬼のいないことを確認するように、そっと出入り口から黒い犬が鼻面を出していた。
「いた!シリ──えっと、わんちゃん!」
わんちゃん改めシリウス・ブラックは、全身を震わせて素早く私を見た。透き通った灰色の瞳には、驚き以外にも何か懐かしさのような感情が浮かんでいるような気がした。数秒見つめ合って、黒い犬は逃げないよ、と言わんばかりにお座りをした。私も三歩ほど離れたところでゆっくりしゃがんで、そっと声をかける。
「さっき観客席にいたよね?だから墜落したハリーのこと心配してるんじゃないかって。ハリーはダンブルドア先生が助けてくれて、今は医務室に・・・・・・」
シリウス・ブラックはそれが聞きたかったと嬉しそうに尻尾を振っていたが、彼を観察していた私は口をつぐんでしまった。
自分で防水魔法をかけたのか、毛に一切の水滴はついていなかったが、それでも濡れそぼっていると見紛うほどに、犬は痩せていた。アズカバンからホグワーツまでの途方もないような距離を、きっとまともにものを食べず移動したのだろう。
犬が鼻を笛のように鳴らす音でハッと意識を戻すと、黒い犬のやせ細った前脚が、私のつま先を叩いていた。どこか心配そうに眉を下げている。
「・・・・・・私はサチ・シラユキっていうんだけど、あなたとどこかで会ったことある?」
そう感じるほどには、その犬は私に親愛を示していた。そんなに私は父親に似ているのだろうか。シリウス・ブラックは楽しそうに私の周りをくるくる歩き始めて、尻尾はちぎれんばかりに振られていた。
「あなたがホグワーツに住んでいるんだとしたらきっと、会ったのは私のお父さんかな」
私は今年からの編入生だから、と言うと、いよいよ黒い犬は返事をするように吠えた。これ以上話しこむには天気も状況も最悪だったので、私は立ち上がって風に飛ばされそうなローブを強く握りしめた。
「じゃあそろそろ行くね。また食べ物を持ってわんちゃんに会いに来てもいい?」
犬は微笑んだように見えた。けれど“わんちゃん”呼びがお気に召さなかったようで、キュッと目尻を吊り上げた。
「わんちゃん、じゃイヤ?」
ワン、とひと鳴き。
黒いからブラックでも良さそうだったが、本名になってしまうのでそれは避けたいところだった。黒い犬は少し考えて、肉球を私のふくらはぎに何度も押しつけた。
「肉球?パッドフットっていうの?」
犬はゆっくりと瞬きをした。即席の呼び名にしてはなぜかしっくりくる。
「そっか。すてきな名前だね」
「ワン!」
勢いを増す風に急かされて、私たちはようやく競技場の前で別れた。名残惜しそうに振り返る犬──シリウス・ブラックは、徐々に禁じられた森に姿を溶け込ませていった。それを見届けて、私も走ってホグワーツへと戻る。
エントランスで服に乾燥魔法をかけてから一直線に医務室に向かうと、グリフィンドールのクィディッチ・チームのメンバーとすれ違った。みんな青ざめた顔でうつむいていたので私には気がつかなかった。室内では、ロンとハーマイオニーに囲まれたベッドの上で、顔色の悪いハリーが身を起こしていた。ハリーの目の前には先ほど回収したニンバスの亡骸が広がっていた。
「ハリー!・・・・・・目が覚めたんだね」
「あ、サチ」
ハリーは感情が追い付いていないようだった。口元は弧を描いているのに目は笑っておらず、手は不自然に震えている。ロンとハーマイオニーも黙り込んでいた。ハリーは痛々しい笑顔で近くまで歩み寄った私の手を握った。
「ありがとう。二人から聞いたよ・・・・・・サチが先生たちと一緒に僕の箒を探してくれたって」
「ハリー」
「あと、ダンブルドアと一緒に吸魂鬼を追い払ってくれたって」
それきりハリーはうなだれてしまった。私はハリーの肩に手を置いて、むりやり目と目を合わさせる。
「ハリー。私にあなたの相棒を預けてくれる?それと、もう一人の相棒の羽根を一枚」
「もう一人って・・・・・・ヘドウィグのこと?」
こっくりうなずくと、ハリーは弱々しく首を傾げながらも了承してくれた。
私はすぐにニンバスの残骸をカバンに入れて医務室を出て、まだ消灯の時間ではないことを確認し、ふくろう小屋でヘドウィグから羽根をもらった。ニンバスはマホガニーでできているので、芯材にふくろうの羽根──実用性があるかは不明だが──を使えば、魔法使いにとっての命と言っても過言ではない杖をつくることができるはずだった。もちろん私に杖をつくる技術なんてないので、ホグワーツの生徒なら誰もが杖を購入するオリバンダ-さんに頼もうと、寮に戻って手紙を書いた。ロンとハーマイオニーは私のやろうとしていることを聞いて、応援させて、と談話室で作業を手伝ってくれた。そして一晩かけて、残骸の中でも大きめの破片を繋ぎ合わせ、なんとか杖二、三本ほど束ねたくらいの太さの枝を完成させた。
ロンとハーマイオニーが寝落ちた後、日が昇るのを待ってもう一度ふくろう小屋に戻り、ホグワーツに常駐しているふくろうを借りて──ペットは未来に置いてきたわけではなく、入学した時期が時期なのでそもそも飼ってない──、ヘドウィグの羽根とニンバスの枝、手紙、そして五十六ガリオン──ダンブルドア先生がくださったお小遣い全額を同封した荷物をオリバンダ-さんの店まで運んでもらうようにことづけた。
すると、早くも数時間後の朝食の時間にふくろうが手紙と、五十六ガリオン全部を持って戻ってきた。手紙には快く杖の制作を引き受けてくださること、箒から杖をつくるという珍しい経験をできるお礼にお代はいらないこと、そして杖として使えるものになるだろうことが書かれていたので、私は思わず立ち上がってしまった。週末ということもあり、ロンとハーマイオニーはまだ談話室で寝ていて朝食に下りてきていなかったので、私は一直線にマクゴナガル先生とダンブルドア先生の席まで走っていった。この嬉しさを、今すぐ誰かと共有せずにはいられなかったのだ。
「先生!オリバンダ-さんが杖をつくってくださるって!」
計画を知らないであろう二人にオリバンダ-さんからの返事を見せると、マクゴナガル先生はハンカチで目元を押さえ「あなたをグリフィンドールに迎えられて本当に光栄です」──、ダンブルドア先生は満足そうに「これはきっと、ハリーも喜ぶよ」と笑ってくれた。
「それにしてもお小遣い全額出そうとするとはのう」
ダンブルドア先生が手招きしたので身を寄せると、コソコソと言われた。
「すみません・・・・・・持ち合わせがなくて」
私は自分の財布は未来に忘れてきているので、ダンブルドア先生が衣類や教科書を貸してくれていて、一度も使っていなかったがお小遣いも持たせてくれたのだ。そうではなく、とダンブルドア先生は微笑んだまま首を振った。
「友人のために何かするのもよいが、それはサチ自身のために使えるように渡しておるものなんじゃから」
「は、はい」
控えめにうなずくと、ダンブルドア先生はより一層声を落として懐から何かの一部を引っ張り出した。
「ホグズミードの許可証だって、わしはいつ声を掛けられてもいいように持ち歩いとるしのう」
パチリとウインクをされてしまった。許可証はすでにダンブルドア先生のサイン済みで、あとはマクゴナガル先生に出せば私もホグズミードに行けるみたいだった。嬉しいけれどハリーがホグズミードに行けるようになるまで行く予定はない、と断ると、ダンブルドア先生は残念そうに、けれど優しげに頬を緩めた。
マクゴナガル先生とダンブルドア先生に別れを告げて大広間に外に出ると、私は医務室に足を向けた。少しでも長くハリーそばに居たかったし、多分ロンとハーマイオニーもあとから来るだろう。廊下を少し行くと、朝食の席にいなかったスネイプ先生が地下牢へ続く階段から上がってきたところに出くわした。
「おはようございます、スネイプ先生」
「・・・・・・おはよう」
私はスネイプ先生を二度見した。挨拶を返してくれたのはこれまでで初めてのことだった。まじまじと先生を見つめていると、先生も私を不思議そうに見つめているのに気がついた。瞳の奥をのぞくような深い眼差しだった。
「スネイプ先生?」
「昨日の」
先生は私を見据えたままつぶやくように言った。
「あの守護霊は、牝鹿か」
「はい、そうですけど・・・・・・それがどうかしたんですか?」
ほとんど無意識に首を傾けると、スネイプ先生はハッとしたように瞬きをした。すぐにいつもの不機嫌そうな顔つきに戻ると、目も合わさずに脇を通り抜けてしまった。
「・・・・・・用がないなら早く寮まで戻りたまえ」
ここは触れることのできない場所のようだった。心のいっとう柔らかなところだったらしい。なかったことにされてしまった。スネイプ先生の守護霊は、いったい何になるんだろう。
ハリーが週末一杯の入院をマダム・ポンフリーに命じられてから、寮の垣根を超えてたくさんのお見舞いが届けられ、医務室には色とりどりの山が三つほどできていた。まだロンとハーマイオニーが合流する前にあの大きな黒い犬について話すと、ハリーの表情が大きく動いた。
「サチもあの犬を見たの!?」
「人気のない席に座ってたよね。ハリーがその辺りを見てから不自然な動きをしてたから気になって、視線を追ったの」
見たどころかあの後がっつり話しかけたのだけれど。今はまだ、胸の中にしまっておこう。
それにしてもシリウス・ブラックはかわいそうだった。ここのハリーからすれば未来の、私からすれば過去のハリーによると無実の罪でアズカバンに十年以上投獄されていて、ホグワーツまで侵入して親友の忘れ形見を見にきたのに、当のハリーからは不吉な死神犬扱いときたものだ。
私の胸中はいざ知らず、ロンたちには言わないで、と前置きしてから黒い犬をダーズリー家近くで見て夜の騎士バスに轢かれそうになったこと、二度目は箒から二十メートルも転落したことをハリーは話してくれた。
「でも、私もその犬を見たけど何も起こってないよ」
「そうだよね・・・・・・やっぱり考えすぎなのかな」
ハリーはまだ納得のいかないような顔をしていたけれど、私が犬を目撃してなお何の危険にも巻き込まれていないことを知って多少は安心したようだ。
週末を経て少しだけ元気になったハリーは、月曜日には学校のざわめきの中に戻った。
ようやく怪我をしているふりをやめたドラコ・マルフォイはグリフィンドールの敗北に有頂天で、ハリーが箒から落ちるまねを何度も何度も繰り返していた。あまりにも目に余るので止めに行こうと思ったが、ロンは私よりもっとキレていて、魔法薬の授業中にヌメヌメと光る大きなワニの心臓をドラコ・マルフォイの顔面めがけて投げつけようとしていた。当然私が間に入って今度は両手で受け止め、それを見ていたスネイプ先生に材料で遊ぶなとニ十点減点された。
闇の魔術の防衛術にはルーピン先生が復帰した。脱狼薬を飲んでいても満月はやはりつらいようで、以前よりずっとくたびれて見えた。それでも教室に入ったみんなに微笑んだので、みんないっせいにスネイプ先生の授業への不平不満をぶちまけた。たしかに宿題は多いし物言いはきついけど、授業内容だけ見ればとてもわかりやすいのに──という言葉は呑み込んで、羊皮紙二巻もレポート課題が出たと大騒ぎする様子を眺めていた。
そしてスネイプ先生が言った通り、ルーピン先生はレポートを書かなくていいとみんなに言った。
「そんなぁ」
横でがっかりした顔をしたのはハーマイオニーだった。
「私、もう書いちゃったのに!」
「えっ。じゃああとで一緒に提出しに行く?」
ハーマイオニーは目をパチパチさせた。驚きと嬉しさ、そして心配の入り混じった目で私を見つめている。スネイプ先生はグリフィンドール生に対しては特にいじわるだし、ハーマイオニーはこの間みたいに標的になることも少なくないのだろう。私は安心させようとハーマイオニーの背を叩いた。
「そんなに怖くないよ!むしろ授業中より優しいくらい」
「ほ、ほんと?レポートの点数下げたりされない?」
「寮の減点はするけど、提出された課題はちゃんと見てくださるよ」
それに、スネイプ先生が何かしている間は、目の届く範囲で実験をすることを許してもらえるのだ。授業外でそんなチャンスは滅多にない。私も一緒だし、減点されそうになったら教えるから大丈夫、と親指を立ててみると、ハーマイオニーはおそるおそるといったふうに私の耳元に口を近づけた。
「その・・・・・・私が行ってもお邪魔じゃない?」
顔に火がついたように温度が上がった。
「もう知らない!一人で行ったらいいんだ!」
「ごめんなさいってば!」
お腹を抱えて笑うハーマイオニーと顔を覆って机に突っ伏してしまった私を、事情を察したルーピン先生は温かい目で見ていた。ハリーは思いっきりニヤニヤしていたので、今日は魔法薬学の課題を手伝わないことに決めた。
終業のベルが鳴ると、ルーピン先生がハリーを呼び止めた。ハリーは二言三言先生に何か言うと、私に向かって大きく手招きをした。
「なんだろう。ハーマイオニーごめん、ちょっと外で待っててくれる?」
「ちょうどよかったわ。レポートに書き加えることがあったのを思い出したの」
じゃあまたあとで、と手を振って私は教室に残り、ハリーとルーピン先生の立つ教壇の辺りまで戻った。ルーピン先生はハリーに話をしたいようだったので、一歩下がってその様子を見ることにした。なんと暴れ柳はルーピン先生がホグワーツに入学したときに植えられたものだったらしい。思ったよりまだ若い樹だったことに私はちょっと驚いた。
話はやがて吸魂鬼のことへ移り、どうして自分ばかりが影響を強く受けるのか、というハリーの問いに、ルーピン先生は過去に誰も経験したことがない恐怖があるからだと答えた。 吸魂鬼の生態に関する説明を続けて、彼らは相手をむさぼり、いずれは吸魂鬼自信と同じ状態にしてしまうことを話し、決して自分を恥に思う必要はないと言い結んだ。
「あいつらがそばに来ると──」
そこでハリーは喉を詰まらせて私を振り返った。聞かれたくないのかと思って下がろうとすると、ハリーは首を振って私のローブの袖をつかんで引き留めた。
「ヴォルデモートが僕の母さんを殺した時の声が聞こえるんです」
ハリーの袖を持つ手に力が入る。
「どうしてあいつらは、試合に来なければならなかったんですか?」
悔しそうに言ったハリーに、ルーピン先生は「飢えてたんだ」と冷静に答えた。私がその日に予想したことと先生の答えは全く同じだった。アズカバンはひどいところでしょう、とハリーがつぶやくと、ルーピン先生も暗い面持ちで頷いた。
吸魂鬼が看守を担うアズカバンは遠くの海の孤島に立つ要塞で、しかし実のところ、周囲が海である必要も壁がある必要もない。なぜなら一つの楽しさや幸福も感じることができず、みんなが自分の心の中に閉じ込められているからだ。常人でも数週間あれば気が狂ってしまう。
「でも、シリウス・ブラックはあいつらの手を逃れました」
ルーピン先生の話を聞いて、ハリーは慎重に言葉を選んでいた。不意に滑り落ちたカバンを拾いながら、ルーピン先生は「たしかに」と口を開く。
「ブラックはやつらと戦う方法を見つけたに違いない。そんなことができるとは思いもしなかった」
長期間にわたって吸魂鬼と一緒にいたら、魔法使いは力を抜き取られてしまうはずだと続けた先生に、でも、とハリーは思い出したかのように言い募った。
「先生は汽車の中であいつを追っ払いました」
「それは──防衛の方法がないわけではない。しかし、汽車に乗っていた吸魂鬼は一人だけだった。数が多くなればなるほど抵抗するのは、」
「どんな方法ですか?──サチだってこの間、吸魂鬼の群れから僕を助けてくれました」
ハリーはもう一度私を振り返ってからたたみかけた。
「教えてくださいませんか?」
「ハリー、私はけっして吸魂鬼と戦う専門家ではない。それはまったく違う・・・・・・」
ハリーはルーピン先生の迷った様子を見て、ここぞとばかりに一歩前に出た。
「でも、吸魂鬼がまたクィディッチ試合に現れたとき、僕はやつらと戦うことができないと──」
「そうか・・・・・・よろしい。なんとかやってみよう」
ルーピン先生はとうとう首を縦に振った。
「だが、来学期まで待たないといけないよ。休暇に入る前にやっておかなければならないことが山ほどあってね。まったく私は都合の悪い時に病気になってしまったものだ」
一緒に話を聞いてくれてありがとう、と何度も繰り返すハリーと別れて、私とハーマイオニーは地下牢にあるスネイプ先生の研究室へ向かった。
「サチ・シラユキです」
「ハ、ハーマイオニー・グレンジャーです」
ノックをして名乗ると扉がひとりでに開いた。返事がなかったのでハーマイオニーは中に入るのをためらっていたが、私が遠慮もなしに入っていったのを見て、つばをゴクリと飲み込むと急いで後に続いた。律儀に扉を閉めているハーマイオニーを背に薬品や本が整然と並んだ研究室をぐるりと見まわすと、私がよく実験や書き取りをする長机のさらに奥、暖炉の横に置かれた立派な作業机に向かって、スネイプ先生は羽ペンを走らせていた。
私とハーマイオニーが入り口の近くから首を伸ばしてスネイプ先生を見つめていると、しばらくして先生が顔を上げた。いつまでそこで突っ立っているのかとでも言うかのように眉間のしわが深くなったので、私たちは湯気の立ち昇る大鍋に注意して先生のそばまで歩いていった。
「要件は」
スネイプ先生がほとんど唇を動かさずに聞いた。私よりも早く、緊張した面持ちのハーマイオニーが先生に羊皮紙を差し出して口を開けた。
「狼人間のレポートを提出しに来ました」
「私はそれと、追加課題も持ってきました」
人狼のレポートである羊皮紙二巻と、さらに三巻はある羊皮紙の束をカバンからひっぱり出したので、ハーマイオニーはぎょっとしてそれを見た。
私が追加で課題を出されていることはグリフィンドールのみんなには周知の事実だったけれど、まさかこんなに量が多いとは誰も想像していないだろう。でも私からすれば、全ての選択科目を取って、どの授業でも優秀な成績を修めているハーマイオニーの方がどうかしていると思う。私は彼女ほどなんでもできるわけではないのだ。
スネイプ先生は無言で私たちからレポートをひったくり、ざっと目を通した。再び沈黙が流れて一分ほど経っただろうか、ハーマイオニーが「あの」とおずおず口を開いた。
「スネイプ先生、質問してもいいでしょうか」
先生が羊皮紙をめくる手が止まった。ゆっくりと私たちを見下ろすその顔には、感情の読めない笑みが浮かんでいた。
「我輩これでもホグワーツの教授であるからして、諸君ら生徒の質問はなんでも拝聴する所存である」
「その・・・・・・」
ハーマイオニーが一瞬向けた同意を求めるかのような視線に、私は彼女が何を聞きたいのか直感した。それはきっとスネイプ先生が授業をルーピン先生の代理で行った理由で、ルーピン先生が体調を悪くした原因だった。ハーマイオニーは何度か口ごもったあと、まっすぐにスネイプ先生を見上げた。
「なぜ先生は狼人間の授業をなさったのですか?」
スネイプ先生は暗い瞳で私たちを見た。
私は先生のこの目が好きではなかった。私たちを見ているようで何か遠くに置いてきたものを見ているそれが、どうしても好きになれなかった。そのどこまでも深い暗闇に差し込む光は、これからの私であってほしい。今はまだ届かないけれど、いつしか底まで照らしたいと、それを受け入れてほしいと──そう願っている。
スネイプ先生はハーマイオニーに答えなかった。次の魔法薬学の授業時にレポートは返す、と言って、私たちを研究室から追い出してしまった。
扉の外で、ハーマイオニーは複雑そうな表情で私に視線を向けた。
「ルーピン先生のこと、あなたも気づいているのよね」
正確に言えば知っていた、となるのだが、無言で頷くだけに留めておいた。それでもハーマイオニーの顔は晴れなかったので、私はそっと背中を叩いた。
「でもそれって、大きな問題じゃないよね」
にっこり笑ってみせると、ハーマイオニーは怪訝そうに眉をひそめた。ハーマイオニーの背を押しながら、私たちは階段をゆっくりと上り始めた。
「ルーピン先生は間違いなくすばらしい先生で、とっても生徒思いで──ねぇ、どうかな──ハーマイオニーは先生のことが嫌い?」
「嫌いなんて!私、尊敬してるわ!」
「うん、私も」
それでいいんじゃないかな、と言うと、ハーマイオニーはやっと微笑んだけれど、
「でも・・・・・・やっぱり心配なの」
と申し訳なさそうに付け足した。なので、先日ハリーの言っていた、スネイプ先生の持ってきたゴブレットの中身が脱狼薬であることを話すと、ハーマイオニーは「脱狼薬ってすっごく難しい魔法薬なのに!」と目を丸くしていた。
「スネイプ先生が、ルーピン先生が全部飲み切るまで見張ってらしたから、大丈夫」
私は最後の一押しをした。
「ね?ハーマイオニー。人狼なんてロンの赤毛みたいな、ちょっとした個性みたいなものでしょう?」
「・・・・・・そうね。言われてみれば、なんでもありの魔法界なのに、どうして薬で対処できる狼人間がこんなに差別されるのかが不思議ね。いくら脱狼薬を作れる魔法使いが少ないと言っても、まったくいないわけじゃないもの」
もしかしてこれで一本レポートが書けるんじゃないかしら、とハーマイオニーはすっかり勉強モードに変わった。今にもルーピン先生の事務所に突撃しかねない勢いだったので、私がウンウン腕を引き、やっとのことでグリフィンドール塔まで連れて帰った。