アズカバンの囚人編
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何度も短時間の覚醒を繰り返しながら、私の意識が完全に戻ったのは、木曜日の早朝だった。
この日は新学期最初の魔法薬学と闇の魔術に対する防衛術の授業がある日で、もちろんマダム・ポンフリーは私の希望に猛反対した。私はずっと面会謝絶だったらしく、「あの子程度なら昨日からだって授業に出れたのに」というマダム・ポンフリーの声に、カーテンをいくつか隔てた先でベッドから転がり落ちる音が聞こえた。あと一週間はせめて安静に、と言われて、ほとんど泣きそうだったしきっと泣いていたと思う。
医務室にはグリフィンドールの寮中からかき集めてきたんじゃないかというほどのお菓子がてんこ盛りで、ハグリッドからは、伝言を聞いたことを書いた分厚い羊皮紙の束──優にノートが五冊分はあった──が届いていた。ハリーたちからのお見舞いのカードも届いていて、ハーマイオニーはありがたいことに宿題を持ってきてくれたようだった。
宿題を片付けながら、昼休みに差し掛かったころにドラコ・マルフォイが医務室から出て行く物音を聞いた。
いよいよもって私は自分の大好きな授業に出られないことに焦りを感じていたが、とうとうマダム・ポンフリーの説得に成功したのだ。なんてことはない。いつ来たのかわからないが、ダンブルドア先生からの書状──一時的な通院をすることを条件に、木曜から授業に出席させること──が枕の下に挟まっていた。きっと他のお見舞いに埋もれないように気を使ってくれたのだろう。これをもってしてもマダム・ポンフリーは顔をしかめていたが、とうとう折れた。そして引き出しを開けると、薄紫色のクリームの入った瓶を私に差し出した。
「通院はしなくて結構。その変わり、その薬を毎日二回、日の出と日の入りに患部に塗ることを忘れないこと!」
「ほ、本当にいいんですか!?」
「“いいんですか”って!!?肘から先が骨だけ残してなくなるところだったんですよ!!!」
ダメに決まってます、と今日何度目かの雷が落とされた。
「神経だってつながりきってないんだから、満足に指も動かせないでしょう!!」
「はい・・・・・・」
「まったく・・・・・・怒ったヒッポグリフの前に出るなんて、あと少しでもあなたの防衛が遅れていたらどうなっていたことか!!」
ぐうの音もでなかった。とにかくマダム・ポンフリーが「やっぱりやめた」と言い出さない前に、お菓子とお見舞い品は後で引き取るからと挨拶をして医務室を飛び出そうとした。
「それから」
慌てて振り返った拍子に、包帯でぐるぐる巻きにされた腕が壁にぶつかってポヨンと鳴ったので、マダム・ポンフリーはまた、まなじりを限界まで吊り上げた。深呼吸して怒鳴らないようにするその姿に申し訳なさを感じていると、頬の赤みが引いた彼女は私が魔法薬学の教科書と一緒に抱えている、薄紫の塗り薬を指差した。
「それはスネイプ先生が調合してくださったものです」
「えっ」
「いくら私といえど、ほとんど分離した神経と筋肉を骨に癒着させるなんて一朝一夕ではできません」
スネイプ先生が、私に。
それじゃあ、夢うつつで影をマダム・ポンフリーと呼んでしまったあの時間は、現実だったのか。途端に赤くなってしまった私に何を思ったのか、マダム・ポンフリーは肩をすくめて首を振った。
「・・・・・・あなたがスネイプ先生のことを大層慕っている、とダンブルドアから聞いてはいましたが・・・・・・その瓶はクリスタル製で貴重な物ですから、使い切った後キチンと返すように!」
「はい!お、お世話になりました」
マダム・ポンフリーはヒッポグリフでもないのに直角なお辞儀をして、私は廊下を小走りで地下牢に向かった。走ったりなんかしたらどこから飛び出してくるかもわからない幽霊やらなんやらにぶつかるかもしれないし、スネイプ先生には減点されてしまうからだ。
スネイプ先生が地下牢教室にいるということだけで、代り映えのしない廊下や階段が、いっとう特別なものに感じられた。
グリフィンドール生は、魔法薬学の授業には遅くても五分前までには到着するようにしている。もちろんなるべく減点を逃れるためだ。その伝統はこの時から連綿と続いていたらしい。まだ授業開始までたっぷり三分はあるにもかかわらず、地下は静まり返っていた。
私の心臓はこれ以上ないくらい胸を叩いていた。教室の中まで聞こえていたらどうしようかと心配になるほどに緊張している。なにせ、これまでスネイプ先生から授業という形で魔法薬学を教わったことは一度もないのだ。きっと厳しくて、つらくて、未来のためになる、そんな授業なのだろう。闇の魔術に対する防衛術は、そうだった。ダンブルドア先生が亡くなる次の年の決戦に向けて、少しでも役に立つ魔法は全て教えてくれた。
私は怪我のない利き手で思いっきり教室の扉を押して────開かない。
もう一度────開かない。
何かが引っかかっているのか、片手でガチャガチャやっても扉はピクリとも動かない。これが中の先生に筒抜けになっていることを想像するとうなじが火傷したかのように熱を持った。
ろくすっぽ力の入らない包帯の巻かれた腕を扉にかけたその瞬間、内側から簡単に扉が開けられて、目の前には薬品の染みついた黒いローブが広がっていた。この教室についていたのは内開きの扉だったため、今の状態では私からみんなの様子は見えなかった。これは好都合で、私は利き腕に抱えていた荷物から薄紫色の薬を動かして、口の動きだけで「ありがとうございました」と伝えた。スネイプ先生の表情は一切変わらなかったけれど、このままここに立っていると減点されることは間違いないので、私は唯一開いていたハリーとロン、ハーマイオニーの前の列、ネビルの隣に腰かけた。四方八方から口をつぐんだまま手が伸びてきて、荷物を置いてくれたりどさくさに紛れてポケットに飴をつっこんでいったり、みんなは今すぐ叫びたいとばかりに目をキョロキョロさせていた。ハーマイオニーは平静を装っていたけど、その目は真っ赤に充血していた。
「ミス・シラユキ」
「はい」
未来と変わらず、絹のようなよく響く声だった。もう一度その口から自分の名前が聞けるなんて思っても見なかった。私はこれが現実であることが嬉しくてたまらなかったし、微笑みを浮かべることも止められなかった。涙がこぼれそうなのを我慢するので精一杯だったのだ。
後ろでロンが「サチってばおかしくなっちゃったよ」と嘆いていたが聞こえないふりをした。「スネイプの恐ろしさを知らないんだ、かわいそうに」とハリー。「仮病なんて使って加点のチャンスもらおうって算段でしょ」と言ったスリザリンの女子生徒をにらんで黙らせたのはスネイプ先生だった。私の席の近くまで音もなく歩み寄ると──ネビルは完全に息が止まっていた──包帯で膨らんだ私の腕を見下ろした。杖腕か、とまず初めに聞かれて、すぐに首を振った。
「動くのかね」
「いいえ」
「調合に問題は?」
「ありません」
「で、出席したと」
「はい」
どこかで「でも──」だなんて続ければ減点されるということをよく知っていた。聞かれたことにのみ答えろろと、未来で闇の魔術に対する防衛術の質問に押しかけたときに何度も注意されたのだから。
教室はすっかり静まり返っていて、私はネビルがちゃんと息を吸っているか確認したかった。スネイプ先生は鼻を鳴らすと、スルスルと教壇まで戻って行った。案の定ネビルは息を詰まらせていたようで、顔が真っ赤になっていた。
「・・・・・・ミス・シラユキ」
「はい」
「問題だ」
スネイプ先生は意地悪そうに唇をゆがませた。ハリーは経験があるのか、アッと息を呑む音が聞こえた。
「生ける屍の水薬と安らぎの水薬の共通点は?」
「成分が強すぎると一生眠り続けることになります」
ロンのオオッという小さな歓声が耳には入る。
「・・・・・・自白用血清や記憶魔法薬に共通して使われるのは?」
「ジョバーノールの羽根です」
背後で思いっきり手を挙げていたらしいハーマイオニーが、ワッと喉の奥で叫んだ。
「トモシリソウ、ラビッジ、オオバナノコギリソウが多く用いられるのはなんだ」
「混乱薬、錯乱薬、または向こう見ずな状態を作る時」
スネイプ先生は黙った。グリフィンドールのみんなは歯ぎしりしているスリザリン生に笑いをこらえているようだったが、私はスネイプ先生を貶めたいわけではない。ただ好感度を上げるためにいい生徒であれと頑張っているだけなのだ。
「グリフィンドール、五点」
「!!!」
顔の温度が一気に上がった。グリフィンドールがスネイプ先生に減点されるのは日常茶飯事だったから、私は「なぜ今の答えを書きとらんのだ?」「口を慎め。グリフィンドール五点減点」なんて言われようとも右から左。重要なのはスネイプ先生が加点をしたという事実。まろび出そうな鼻歌を必死にこらえて、私は気合を入れて羽ペンを動かした。
“縮み薬”の作り方を書き取って、授業は実技に移った。ペアでの実施と言われたので、私はスネイプ先生が何か言う前にネビルとペアを組んだ。ハリーとロンからもの言いたげな視線を送られたけど、未来でネビルから彼の魔法薬学のダメ具合を聞いていた私は、どうしても彼を放っておくことはできなかった。怪我もしてるし、スネイプ先生だってまだ私の実技のレベルを知らないだろうし、今日はネビルと組む最大のチャンスだった。
授業時間は最初のクイズで時間を取られ、ちょうど半分が過ぎてしまったところだった。すると突如扉が開いて、昼に医務室を出て行ってからどこにいたのか、包帯を巻いた右腕を吊ったドラコ・マルフォイがふんぞり返って教室に入ってきた。
「ドラコ、どう?ひどく痛むの?」
「ああ」
パンジー・パーキンソンに痛みに耐えているような顔をして答えていたが、私と目が合うと急いで視線を明後日の方向へ向けていた。よくわからないが、マルフォイ家って大変なんだろうな。スネイプ先生は「座りたまえ」なんて言っている。
後方でハリーとロンは腹立たしげに顔を見合わせていたが、私は別の理由で眉を吊り上げた。──こうなったらクラスで完璧な縮み薬を作ってネビルに加点させてやる。
スネイプ先生は遅れてやってきたドラコ・マルフォイをハリーとロンのペアに入れた。もちろんドラコ・マルフォイが自分でやることなんてなく、ハリーとロンにやらせ、それが雑なようであれば二人が自分たちのために用意した材料を交換させていた。全員の注意がその三人にそれているおかげで、私とネビルの鍋はすでに、明るい黄緑色に変わっていた。ネビルは泣いていいやら笑っていいやらわからないようだった。
「ああ、サチ。僕、魔法薬をちゃんと完成させられたの、これが初めてかもしれないんだ」
「うん、ネビルが頑張ったんだよ。私は腕がこれだから、大変なところは全部あなたがやってくれたでしょ?」
「サチ、そんな・・・・・・本当にありがとう」
ネビルはとうとう、スネイプ先生が見回りにやってきたことにも気が付かずにわっと泣き出してしまった。先生は悪態のつきどころを失ってしまってわなわなと震えていた。まず私の腕を見て、ネビルの調合台を見て、どうやら仕事を完璧に半分に分けて完成させたことを悟ったらしい。それも、クラスで一番早く完成させた。
私の腕に塗る薬を調合してくれたスネイプ先生は、仮病だなんて罵ることもできず、誰にも聞こえないくらいの低い声で「二点」とつぶやいて別のテーブルへ行ってしまった。ネビルが初めての加点にとうとうしゃくりあげそうになって、私は慌ててネビルの口を押さえた。
「お、落ち着いて!」
「ス、ス、スネイプ先生はきっと、き、君と僕を、に、に、二度と同じグループにいれやしない」
そんなことない、とは言い切れなかった。
「予習と復習一緒に頑張ろうよ。私は五年生のとこまで進めてるから、何でも聞いて」
ハリーとドラコ・マルフォイはどうやらシリウス・ブラックのことを話していたらしい。自分達の道具を片付け始めてようやく、ネビルと私がとっくに全部終わっていたことに気づいて、目も口もまん丸になっていた。
「ご、五年生だって!?」
「ネビル、しーっ」
口を押さえるのが間に合わず、ゴイルが洗い場でビーカーを取り落とした音が聞こえた。ハーマイオニーとスネイプ先生が素早く私とネビルを振り返った。必死に唇の前に人差し指を立ててみても、涙ですっかり前後不覚なネビルには効果はなかった。
「君って本当にすごいよ・・・・・・同じ寮生で誇、」
「ミス・シラユキ」
ネビルの呼吸が止まった。
「君は授業後ここに残りたまえ」
「は、はい」
あれ。減点じゃなかった。座りたまえじゃなくて残りたまえって言われた。
グリフィンドールのみんなに視線を送ったが、ご愁傷さまと十字を切られた。ネビルは「ありがとう」と「ごめん」がごっちゃになって舌をもつれさせながら、私の荷物を次の教室まで運んでくれるみたいで、スネイプ先生が荷物の中からあの薄紫色の薬をひったくった時には、全部を角ナメクジの水槽にぶちまけるところだった。
そしてせっかく数日ぶりに会えたハリーたちと話したかったけれど、スネイプ先生が私の前から一歩も動かないので話せず仕舞い。私は頭の中で魔法史の年代語呂合わせを歌うことで先生から気を逸らすくらいしかすることがなかった。
ようやく最後の一人が出て行ってから、スネイプ先生は近くの椅子に座るよう目で合図した。先生は机の向かい側に座って、次は怪我した方の腕を出すように言った。
「マダム・ポンフリーから聞いたか」
「え?・・・・・・は、い。日の出と日の入りに一回づつ、患部に塗る、と」
どうやら薬の塗り方の説明だったらしい。なんだか変に入っていた力が抜けて、思わず返事が遅れてしまった。スネイプ先生は包帯を素早く取って、まだバックビークの爪の後がうっすら残る腕に大さじ二分の一程度の塗り薬を取って乗せた。
「今朝は」
「今朝ですか」
マダム・ポンフリーから薬を受け取っていなかった、なんて言い訳は通用しないぞ、とその目が物語っていた。今朝の日の出は、とスネイプ先生がもう一度聞いた。
「その。・・・・・・マダム・ポンフリーと喧嘩してました」
先生は片眉を上げただけで何も言わず、腕に乗った薬をまんべんなく塗り広げるように指示をした。日の出と日の入りに塗り忘れた場合、どちらか片方だけであれば昼間や夜に塗ってもいいが、両方忘れてしまうと腕が完治する確率はずっと低くなるらしい。危なかった。
「それならそうとメモでも書いてくださればよかったのに」
とは言えたが、さすがに”私が意識を回復するまでの間、先生が塗ってくださったのですか”と聞けるほど私は命知らずじゃなかったし、覚悟もなかった。スネイプ先生はそれにも答えず、塗り薬の蓋を私が開けられるか怪しいほどきつく閉めていた。塗り終わって一分置き、スネイプ先生はまた包帯を戻してくれた。スネイプ先生の冷たい指が肌をかすめる度に脈が速くなっていることに、どうか気付いてくれるなと祈っていた。
「どの程度の魔法薬まで作れる」
「へ」
まさか聞かれるとは思っていなかった質問に椅子の上で飛び跳ねると、包帯がずれたからという理由で減点をしかねないほど強くにらまれてしまった。
「えっと、生ける屍の水薬なら」
あのひとに散々悪いところを指摘されたメモ付きのそれは、及第点ではあるものの改善の余地はたくさんあった。そもそも生ける屍の水薬は六年生が実習する魔法薬で、成功率だってそこまで高くない。あのひとが校長になってから半年、スラグホーン先生やレイブンクロー生の助けを借りつつ五年生レベルの魔法薬学に足を踏み入れた私にとって、背伸びどころか箒なしで空を飛ぶくらいの挑戦だった。あの成功は奇跡と言えるほどのもので、もう一度作れるかはわからないのだ。
けれど────
「一回作ったきりで、それも完璧にはほど遠いものでした」
「・・・・・・」
「でも。今ならきっと、もっといいものができると思います」
────その一度きりの挑戦は、あのひとを一心に想って臨んだのだ。カロー兄妹の監視をくぐり、私の恋心を薄々察していたマクゴナガル先生とスラグホーン先生に安全を確保してもらって、ただひとりのために作ったのだ。恋を自覚した今の私には、さらに完成度の高い生ける屍の水薬を作れる自信があった。
スネイプ先生は私の瞳をじっと見ていた。そういえば決戦後、ハリーからあのひとが優れた閉心術士だと聞いた。まさか生徒の心をのぞくなんてことは・・・・・・もしかしたら、ダンブルドア先生から閉心術を教わった方がいいんじゃないだろうか。
「・・・・・・来週の木曜日の放課後、我輩の前で煎じてみたまえ」
目を合わせられた恥ずかしさと内心の緊張で固まっていると、おもむろにそう言ってスネイプ先生は立ち上がった。いつの間にか包帯はすっかり綺麗に巻き直されていて、私は信じられない思いで目を白黒させてしまった。スネイプ先生の真っ黒な瞳に、心なしか紅潮した私の顔が映っている。
「ホグワーツに飛び級制度はない・・・・・・が、学力を錆び付かせるのは我輩の信条に反する」
私はすっかり口を利くことを忘れていた。こんなに幸せなことがあっていいのだろうか。
「Oとは言わん、Eの項目を満たせば五年生の勉強を・・・・・・聞いているのかね、ミス・シラユキ」
「すみません!聞いてます!」
慌てて椅子から飛び上がった拍子に思いのほか大きな声が出てしまって、顔の温度が一気に上がった気がした。
姿勢を正すと、スネイプ先生があまりにも奇妙な表情をしていたので思わず笑ってしまった。するとたちまち不機嫌そうに眉間をギュッと寄せる。とうとうその口が減点の“げ”の字を作ったので、私は塗り薬をポケットにつっこみながら素早く一礼して教室を出た。そしてすぐに肝心な要件を聞き忘れていたのを思い出して、教室に逆戻りする。扉は閉じていたけれど物音が聞こえなかったので辺りを見まわすと、先生は職員室に向かう階段を上ろうとしていた。
「スネイプ先生!質問があるときは先生の研究室におうかがいしてもいいですか!!」
「廊下で騒ぐな!!グルフィンドール三点減点!!!」
走ったら減点されると思ったが、叫ぶのももちろん減点対象だったらしい。ちょっと考えればわかったことだけど、今の私は頭がフワフワでそれどころじゃなかったのだ。そしてスネイプ先生は減点こそしたけれど、否定の言葉を口にしなかった。
はやる気持ちを抑えられず、闇の魔術に対する防衛術の教室までスキップで階段を跳んで行った。“ほとんど首無しニック”を通り抜けたときも、ゴースト特有の身が凍るような冷たさなんてまるで気にならなくて、逆にニックを驚かせてしまった。
「おや、サチ・シラユキ。ずいぶんとご機嫌ですねぇ」
「うん!だって、とってもステキなことがあったんだよ!」
ニックに手を振りつつ闇の魔術に対する防衛術の教室に到着すると、中は空っぽだった。教室で一番わかりやすい教壇の上にネビルが運んでくれた私の荷物が置かれていて、蛙チョコを重しに小さな羊皮紙が挟まっていた。
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やあ、サチ。今日は職員室で実地訓練を予定している。
スネイプ先生もそう長くは生徒を拘束しないだろう。
体が大丈夫そうなら参加するのは大歓迎だ。
何日も起き上がれていなかったのだから、無理はいけないよ。
闇の魔術に対する防衛術教授 リーマス・J・ルーピン
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丁寧に切り取られた羊皮紙からは、私から見た過去でも何かと気にかけてくれたルーピン先生の優しさと心配が伝わってきた。まだ授業開始からは五分と経っていない。職員室ならそう離れていないし、今から行ってもそこまで遅れないだろう。そう考えながら私は廊下を可能な限りの早歩き──先生方から見ればほぼ確実に走っていた──で職員室に向かった。道すがら、左の鼻の穴にチューインガムのはまったピーブズに助けてくれとばかりに見つめられたが、
「ルーニ、ルーピ、ルーピン。バーカ、マヌケ・・・・・・」
とルーピン先生に悪態をついていたので無視をした。
とうとう職員室のドアが見えたものの、ほとんど物音が聞こえない。よかった、まだ何も始まっていない、とドアを開けようとして、
「んむっ」
真っ黒な布にぶつかった。
鼻に届いたのは薬品や薬草の匂いで、そう、スネイプ先生に衝突していた。後ろ手にドアをぴしゃりと閉める音が聞こえ、私は慌てて散歩下がった。スネイプ先生のボタンにちょうど鼻頭が当たってじんじんと痛む。先生はずいぶんと機嫌が悪いらしい、さっきまでの何倍も険悪な顔で私を見下ろしていた。
「す、すみません」
「よろしい」
何が?
思いっきり顔に出ていたのだと思う。スネイプ先生はよほど職員室で気に障ることがあったのか、すっかり瞼をヒクヒク痙攣させていた。けれど、私にいちゃもんをつけることを、一刻も早くその場から立ち去りたい欲求が勝ったみたいで、ローブを翻しながら去っていった。
きっとルーピン先生をうまくからかえなかったからとかそんな理由だろう。一年生のクリスマス休暇に初めて“隠れ穴”にお邪魔したとき、あのひとと対立するハリーの父親や名付け親の親友だったし、狼男の自分が殺しかけてしまったから好かれていない、とルーピン先生本人から聞いたことがある。ハリーいわく、シリウス・ブラックに比べればあのひとのルーピン先生先生への態度は柔らかい方だったそうで。ルーピン先生は言わなかったけど、きっと親友のことを止めたりしてあのひとを傷つけまいとしたのではないだろうか。ダンブルドア先生を殺してなおあのひとを信じる私を──その心を持ち続けることやホグワーツに戻ることを許してくれた、どこまでも優しい方だった。
一人でいると、どうしても死んでしまった人たちを思い出してしまう。遡る前のことを考えてしまう。これではだめだ。だって私は今、過去にいる。うまくやれば救うことだってできる、とダンブルドア先生だって背中を押してくれたんだ。
ゆっくりと深呼吸をしてから、扉に手をかけた。
「ルーピン先生すみません、遅れました!」
「リディクラス、ばかばかしい!」
クラスの全員がいっせいに呪文を唱えた。みんなは部屋の奥にある、先生方の着替え用のローブを入れる古い洋箪笥の前に集まっている。今日はまね妖怪のボガード退治をするらしい。まだその箪笥は開いていないので、どうやらギリギリ間に合ったようだ。
「サチ!!」
みんなの方に駆け寄ると、すぐにハーマイオニーに手を引かれ、他のみんなは今度はやんややんやとはやしながら背中を叩いたりローブにお菓子をつっこんだりしてくれた。ポケットはもうレモン・キャンデーの一粒だって入りそうにないほど膨らんだ。ルーピン先生はにっこりしながら私を迎えてくれた。
「みんな、とっても上手だ────サチ、はじめまして。体調は大丈夫かな?」
「はい!こちらこそはじめまして。メモをありがとうございました」
「元気ならいいんだ。それで、ボガードについて説明しようかい?」
私は首を振った。
「平気です。みんなを待たせちゃうし・・・・・・」
「僕たち君が起きるのを三日も待ったんだぜ!今さら一分や二分問題あるもんか」
ロンの言葉に、みんなは一気に笑い出した。ハリーとハーマイオニーまでニヤニヤ笑いを浮かべて私を見るので、すぐに耳が熱くなってしまった。守護霊の呪文の練習で吸魂鬼に変身したボガードを何度も相手にしたことはあったけど、今は先生とみんなの好意に甘えることにした。
耳を真っ赤にして「説明をお願いします」と消え入りそうな声で言うと、ルーピン先生は快くうなずいてくれた。
ボガードは私たちの一番怖いものに変身しようとすること、人がたくさんいるとどんな姿になればいいか混乱すること、やっつけるには強い精神力──笑いが必要なことなど、一通り説明が終わって「さて」とルーピン先生は手を鳴らした。
「──と、呪文を練習するまでは簡単なんだけけどね。それでは十分じゃないんだよ。そこで、ネビル、君の登場だ」
外に出て怖がらせようと張り切っているのか、洋箪笥がひときわ大きくガタガタ揺れた。でも、魔法薬学教室で大喜びしていたネビルは打って変わって、もっと大きく震えていた。さっきのスネイプ先生がなぜあんなに機嫌が悪かったのか、私は唐突に理解できた。きっとネビルはなんでもうまくできないとかなんとか言って、ルーピン先生に笑顔で否定されたんだ。
「よーし、ネビル。ひとつづつ行こうか。君が世界一怖いものはなんだい?」
「ス・・・・・・せい」
「ん?ごめん、聞こえなかった」
ルーピン先生は明るく言ったけど、ネビルは助けを求めるかのようにこっちを見た。いくら今の口の動きで察せたとはいえ、そんな顔で見られても私はなんにもできないのだ。ごめんね、と眉を下げると、ネビルは蚊の鳴くような声で囁いた。
「スネイプ先生」
ほとんど全員が笑う中、ロンが「さっきの君といい勝負だよ」耳打ちしてきたので今度こそその背中を杖でつっついた。ネビルも申し訳なさそうにしながら笑った。しかしルーピン先生はまじめな顔で、ネビルにおばあさんのことを聞いた。ネビルはおばあさんと暮らしていて、とっても厳しいんだそう。
「教えてくれないか。おばあさんはいつも、どんな服を着ていらっしゃるのかな?」
「えーと・・・・・・いつもおんなじ帽子。たかーくて、てっぺんにハゲタカの剝製がついてるの。それに、ながーいドレス・・・・・・たいてい緑色・・・・・・それと、ときどき狐の毛皮の襟巻してる」
「ハンドバッグは?」
「おっきな赤いやつ」
その服装をはっきり思い浮かべて、とルーピン先生が言った時点で、私の肩は不自然に震えていたと思う。ネビルは心配そうにルーピン先生と私を交互に見ていた。
「ネビル、まね妖怪が洋箪笥からウワーッと出てきて、君を見るね。そうすると、スネイプ先生の姿に変身する。そしたら、君は杖を上げて──こうだよ──そして叫ぶんだ」
ルーピン先生は続けて『リディクラス、ばかばかしい』と強調した。頭の中ではっきりと想像しているのか、口角がさっきよりも上がっている気がした。
「そして、君のおばあさんの服装に精神を集中させる。すべてうまくいけば、ボガード・スネイプ先生はてっぺんにハゲタカのついた帽子をかぶって、緑のドレスを着て、赤いハンドバッグを持った姿になってしまう」
みんな大爆笑した。
「ネビルが首尾よくやっつけたら、まね妖怪は次々に君たちに向かってくるだろう。みんな、ちょっと考えてくれるかい。何が一番怖いかって。そして、その姿をどうやったらおかしな姿に変えられるか、想像してみて」
ルーピン先生の言葉に、部屋は静かになった。
最初に首に蛇の噛み痕の残ったあのひとを考えた。棺の中に収まった血の気のない顔、氷のように冷たく硬い大きな手。そして、あのひとを殺した毒蛇ナギニの主、ヴォルデモート。しかしよくよく考えると、ヴォルデモートには恐怖というより怒りの方が強い。
意識に浮かび上がったのは砂時計だった。誰もいない真っ白な空間にぽつんと置かれている砂時計。ひっくり返されていて、彫られた模様は逆さになっている。・・・・・・もし、これが元に戻されてしまったら。起こりえないはずの“もしも”は、すでに一度起こってしまった。そのままでいる保証なんてない。どこからか生気のないあのひとの手が伸ばされる──
近くで誰かが身震いした気がしてハッと顔を上げると、少し血の気の引いたハリーと目が合った。驚いたように見開かれた目に、同じような顔をしている私がいた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「脚をもぎ取ってと」
ロンの独り言に、私とハリーの肩から力が抜ける。「ロンは、蜘蛛が最高に怖いんだ」とハリーが苦笑いで教えてくれた。
「みんな、いいかい?」
ルーピン先生の言葉にみんなは頷き、腕まくりをした。ハリーの顔が再び青くなったので、私はさりげなく一歩前に出た。運がよければハリーのところに行く前まででまね妖怪を追い払える。
「ネビル、下がって。君に場所を空けてあげよう。いいね?次の生徒は前に出るように私が声をかけるから・・・・・・」
ネビルは短く返事をして唇を引き結んだ。
「みんな下がって、さあ、ネビルが間違いなくやっつけられるように──」
ルーピン先生とネビル以外のみんなが壁にくっつくほど後ろに下がった。ネビルの顔は青かったけど、その目は決意に満ちていて、しっかりと杖先をガタガタ音を立てる洋箪笥に向けていた。ルーピン先生も杖を取っ手に向けて三つ数え、「それ!」と火花を散らしたと同時に、洋箪笥は勢いよく開いた。その目はどんなささいな動きでも見逃さず減点してやろうという輝きでギラギラしている。
「リ、リ、リディクラス!」
ネビルはどんどん距離を縮めるスネイプ先生に後ずさりながら、上ずった声で叫んだ。パチンと鞭を鳴らすような音の後、躓いたスネイプ先生の服は緑にレースで縁取られたドレスに変わった。高い帽子のてっぺんには虫食いのあるハゲタカがいて、手には巨大な真紅のハンドバッグをひっかけている。
どっと笑い声があがって、私も我慢できなかった。だって妙に様になっているのだ。黒以外の服も似合うんじゃないかと思ってはいたけど、こういうキテレツな服装が案外ぴったりかもしれない。スネイプ先生だって私がこんな格好してたら凶悪な笑顔を見せるだろうし、お互い様だ。まね妖怪は立ち止まって途方に暮れていた。ルーピン先生はネビルが下がったのを見計らって次々に生徒を呼んでいく。
「パーバティ、前へ!」
同室のパーバティが進み出ると、スネイプ先生はパチンと音を立てて血まみれのミイラに変身した。
「リディクラス!」
すると包帯が一本解けて足元に落ち、ミイラは顔からつんのめった。
「シェーマス!」
パチン!と鳴ると同時にミイラのいたところには、床に引きずる黒い長髪、骸骨のような緑がかった顔の女──バンシーが立っていた。その口からは響いたのは、身の毛のよだつような嘆きの悲鳴。「リディクラス!」とシェーマスが叫ぶとその声はガラガラになって、ついにはうんともすんとも言えなくなった。
それから四回ほどパチン!と姿を変え続け、ディーンの「リディクラス!」で切断された手首がネズミ捕りに挟まれた。
「いいぞ!ロン、次だ!」
ロンが飛び出すやいなやパチン!とまね妖怪は二メートルはありそうな大蜘蛛に変身し、数人は思わず悲鳴を上げていた。ロンは一瞬凍りついたようだったが、すぐに大きな声を轟かせた。
「リディクラス!」
蜘蛛から脚が消え、同室のラベンダーに向かってゴロゴロ転がりだした。私が入学したときはハーマイオニーの恋敵で、決戦の時に死んでしまったけど、彼女も私があのひとに恋をしていることにきがついていたのか、グリフィンドールでただ一人あのひとのためにレポートと水薬と一緒にカードを書く私を応援してくれた。
そんなラベンダーは蜘蛛を避けたらしく、脚のない蜘蛛は私の前でピタリと止まった。
パチン!
大蜘蛛の姿がかき消えて、三十センチほどの大きい砂時計が現れた。台に彫られた模様は逆さで、それがすでにひっくり返されたものであることがわかった。
ヒッと息を呑むような音があちらこちらから聞こえて洋箪笥を見ると、開け放たれた扉の内側は黒くい何かがうごめいていて、死人のような白い手が枠にかかっていて、手首から上は真っ黒なローブに包まれている。────あのひとであることがわかったのは、きっと私とルーピン先生だけだった。洋箪笥に近かったルーピン先生にはきっと、あのひとの顔が見えていただろうから。血の気の引いたルーピン先生の顔を振り切って、杖をまっすぐに砂時計に向けて構える。
「リディクラス!」
砂時計はパリンと割れて、こぼれた砂が風に乗って私の横にいたハリーの足元に向かった。ハリーは呪文を唱えようとしていたが、ルーピン先生は弾かれたように駆け出してハリーの前に「こっちだ!」と叫んで滑り込んだ。パチン、と砂や洋箪笥のあのひとは一瞬でなくなり、上空に銀白色の玉──満ちた月が浮かんでいた。月だ、とわかったのも私とルーピン先生だけだったと思う。
面倒くさそうな「リディクラス!」に月はゴキブリになって床に落ち、ルーピン先生はもう一度ネビルを呼んだ。パチンと鳴いてスネイプ先生が戻ったが、ネビルはもう怯えてはいなかった。
「リディクラス!」
決然と叫ぶと、スネイプ先生はほんの一瞬ドレス姿に変わり、ネビルの大きな笑い声で破裂し、何本もの細かい煙の筋になって消えてしまった。職員室には爆発的な拍手が鳴り響く。
「よくやった!」
ルーピン先生は大声を出して続けた。
「ネビル、みんな、よくやった。そうだな・・・・・・まね妖怪と対決したグリフィンドール生一人につき五点をやろう。──ネビルは十点だ。二回やったからね──。ハーマイオニーとハリーも五点づつだ」
「でも、僕、何もしませんでした」
減点祭りのスネイプ先生の授業の後だったものだから歓声が上がった。それに紛れるようにハリーが聞くと、ルーピン先生はクラスの最初に質問に答えてくれたから、とさりげなく言った。
最後に先生が月曜提出の宿題を説明して授業が終わると、みんな興奮しながら職員室を出て行った。ルーピン先生は何か言いたげに私を見ていたけれど、ハーマイオニーに怪我をしていない方の手を握られていたので、小さく会釈だけしてハリーとロンに続いた。
「君、今年から編入出来てラッキーだよ。今までの“闇の魔術に対する防衛術”で一番の授業だった」
カバンを取りに教室に戻る途中、ロンは興奮しながら力説した。ハリーは何か考え込んでいる真っ最中で、ほんとにいい先生だった、といの一番に賛成したのはハーマイオニーだった。ため息をついて羨ましそうに私とロンを見つめている。
「私もまね妖怪に当たりたかったわ──」
「君なら何になったのかなぁ?」
そうからかうように聞いて、ロンはハーマイオニーが答えるより早く続ける。
「成績かな。十点満点で九点しか取れなかった宿題とか?」
思わずくすりと笑うと、ハーマイオニーは私をきっとにらみつけた。
「サチまで!」
「ごめんってば」
もう、怪我の心配して損した、と頬を膨らませたハーマイオニーは、ふと気づいたように首を傾げた。
「そういえば、あなたは何が怖かったの?時間?」
「でもそうすると、あの黒いやつの説明がつかないよ」
言葉を重ねたのはハリーだった。ハリーが恐怖していたこととは当然違ったらしく、その眼からは純粋な好奇心が見て取れた。記憶よりずっと幼いみんな、どこも崩れていない廊下、そして肌を焼くような日差しのふりそそぐ外を見つめた。
「うーん、時間。時間かぁ。ちょっと違うかも」
「サチ?」
「──何もかもがなかったことになるのが、怖いんだ」
医務室のお菓子とお見舞い品をハリーたちに協力してもらって寮まで運び──ドラコ・マルフォイからの「怪我させてごめん」とだけ書かれたカードが一番下にあって、三人に見られる前に急いでポケットにしまった──、その日の夕食を終えて、怪我を心配するみんなをようやく説得し終えた私はダンブルドア先生の校長室にいた。
合言葉を言う前にガーゴイルはらせん階段を上らせてくれて、ダンブルドア先生は大きなマグカップにココアを用意して待ってくれていた。頭には新学期初日に私が変身させた三角帽がずっと乗っている。同じものを使わなくてもいいのに、と言うと「君が魔法をかけてくれたものは他とは違う」と言い返されたので、一週間日替わりにできるように本や靴下を帽子に変身させることになった。
赤面してソファでうなだれる私とは対照的に、ダンブルドア先生はすっきりした顔で帽子をかぶり直して、ココアの湯気でメガネを曇らせていた。
「それで、怪我の方は大丈夫かね?」
「先生、それで七回目です」
「そうじゃったか?最近いまいち忘れっぽくてのう」
ほっほっほ、なんて笑ってはいるが、もちろん心配されていたことはわかっているので、夕食のときに先生たちには挨拶に行っている。
涙目のマクゴナガル先生からは糖蜜パイを三切れもいただいたし、フリットウィック先生とスプラウト先生はまだ授業にも出席できていないのに気さくに励ましてくれて、かぼちゃタルトを五つもお皿に盛りつけた。お菓子は寮のみんなにもらっているので食べきれない、とルーピン先生の前で嘆いたのが隣に座っていたスネイプ先生にばっちり聞かれていたようで、チョコレート・プディングで山盛りになった器を押しつけられた。目を輝かせていたのでルーピン先生に渡して、もちろんわき目もふらずに席まで戻った。
心配なのはハグリッドがいなかったことで、ハーマイオニーに聞くとひどく落ち込んでいたらしい。ドラコ・マルフォイの父親であるルシウス・マルフォイを含む学校の理事たちに話が行ってしまったのだそう。ドラコ・マルフォイが怪我の長引いているふりをする理由が何となく理解できた。私が元気な姿を見れば、ハグリッドも少しは元気になってくれるだろうか。
「そうじゃ、スネイプ先生とは何かあったかな」
ダンブルドア先生が一番知りたがったのは、いわゆる恋バナだった。私がすぐ赤くなったり飛び跳ねたりするのが楽しくてしょうがないらしい。校長職にもなると気軽に生徒とお茶もできなくて、なんて泣きまねをしていたからすっかり騙された。それなら、と口火を切った瞬間に自分のココアにブランデーまで入れて、夜更かしの準備をし始めたのだ。
「話したくないのならそれでいいよ。無理に聞く気はない」
本当のことを言うと、今私の恋心を知っているのはダンブルドア先生だけなので、話したい気持ちはある。ただこう、なんだか全てを見通して誘導されたようで恥ずかしかった。
「話します!」
「そうか、そうか。ココアのおかわりはいるかね?」
「マシュマロを浮かべてください!」
「おお、いいのう。わしのもそうしよう」
ダンブルドア先生と違ってお酒もとっていないのに、マグカップに映る私の顔は胸元のネクタイよりも真っ赤だった。
私はまず医務室でスネイプ先生をマダム・ポンフリーと間違えてしまったときのことを話そうとした。
「私が入院中のことだったんですけど・・・・・・」
「ふむ」
「・・・・・・だめ!はずかしい!!」
マシュマロココアでもあの思い出には敵わなかった。
「まあまあ。ここまできたら全部言うのと変わらないじゃろうて」
結局私は話した。
途中からそれがスネイプ先生だと気がついて、向こうは私がまだ勘違いしていると思っているのをいいことに、熱に浮かされて「いかないで」なんて口走ってしまったことを。
「うーむ、甘酸っぱいのう」
「もうやだ!!これでおしまい!!」
今日の話をする余力はなかった。あのときのスネイプ先生の手の温度が私の額に溶けていく様子を思い出してしまって────マシュマロ・ココアが温く感じるくらい、全身が熱い。顔を覆ってクッションに顔をうずめていると、ダンブルドア先生は「そういえば」と口を開いた。
「すみれ色の塗り薬を受け取ったじゃろう」
「はい。スネイプ先生が調合してくださったんですよね」
嫌な予感を感じながら顔を上げると、ダンブルドア先生はとてもご機嫌な様子でマシュマロ・ココアをすすっていた。
「気にはならないかね。今日まで、誰が日の出と日の入りに薬を塗っていたのか」
それは、魔法薬学の教室に残された今日、スネイプ先生に聞きたかったけど我慢した質問だった。その答えは私がマダム・ポンフリーだと思った影がスネイプ先生だった、ということからなんとなく予想はできていたけれど、確定させたくなかった。
「ダンブルドア先生、気にならないので別の話をしましょう」
「いや、ポピーもな──マダム・ポンフリーのことじゃが──自分がやると言ったのじゃよ」
「先生!!」
酔っているのか少し頬をピンク色にしたダンブルドア先生は、静止に全く耳を貸してくれない。こういうときだけ老人という特性を盾にするのだ、この世界一の大魔法使いは。
「けれどセブルスが、どうしても自分がやると言って聞かなんだ」
「ワーーーッ!!?」
「ドラコが原因だからとか自分が作った魔法薬だからとかなんとか言っておったが、まあ言い訳じゃったとわしもポピーわかっておった」
その話し合いにダンブルドア先生もいたのなら止めてほしかった。顔を覆った手の隙間から先生をうかがうと、私の胸の内などお見通しだとにっこり笑った。
「サチはスネイプ先生を好きなんじゃし、止める必要はなかろう」
「ダンブルドア先生!!私の心臓が止まります!!!」
「青春っていいのう」
私がグリフィンドールの女子寮に戻ったのは消灯ギリギリだった。ダンブルドア先生と話しこんでいたのではなく、顔の赤みが引くのに時間がかかったのだ。頑張って話を逸らそうと「閉心術の練習をしたい」と言った私は、ダンブルドア先生に軽く流され「必要になればわしから話そう」──、最終的に今日の魔法薬学の時間のことも話させられたのだ。
「ほう!あのセブルスが!」
ダンブルドア先生がまた何か新しい情報を流そうとしだしたので、もう爆発寸前の私はやっとのことで校長室から逃げ出すほかに選択肢がなかった。
フラフラしながら部屋に戻ったのでハーマイオニーは心配そうに声をかけてくれたけど、恋バナでダンブルドア先生に負けたなんて言えるはずがないのでお茶を濁し、日の出前に起きられるようにすぐにベッドに入った。
あ。ホグズミードの許可証について聞いていなかった。・・・・・・まあいいか。