アズカバンの囚人編
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イースター休暇がやってきた。
クリスマスに比べて短い休暇だけれど、宿題はむしろ多かった。ネビルはほとんどノイローゼで、占い学をやめても誰よりも多くの科目を取っているハーマイオニーは、目の下に大きなクマを作って、いつ見ても泣き出しそうに顔を歪めていた。私はロンと一緒にバックビークの控訴の準備を手伝いつつ、禁じられた森に毎日足を運んだ。
「シリウス!イースター休暇だよ!」
「よし来た、宿題でわからないところはあるか?わたしに見せてごらん」
「もう終わっちゃった」
せっかくシリウスとのんびり話せるのに、宿題なんかに時間を費やすのはいやだったので、私は休暇の数日前に徹夜をして完遂させていた。シリウスは褒めたり落ち込んだり忙しそうだった。
「せっかくなら、グリフィンドールの優勝杯をかけた決勝戦、観にこない?」
何かが起こる前触れのように落ち着いた休暇はあっという間に終わりに近づき、明けてすぐの土曜にクィディッチの試合がある。スリザリンは現在リーグ戦で二百点リードがあるので、グリフィンドールのシーカーであるハリーは、百五十点獲得できるスニッチを、スコアに五十点以上の差がある状態で捕まえる必要があるらしい。
木々の合間からは、競技場をグリフィンドール・チームが飛び回るのがよく見えた。ハリーを観に行く時は念のため動物もどきに変身してもらい、私は木陰に身を隠して、箒の見方を教えてもらった。私は絶望的にクィディッチの観戦がへたっぴなのだ。
ここ数日はその繰り返しだったので、ちょっとした提案としてシリウスに観戦しないかどうか聞いてみたのだが──
「か、観戦だって?」
と思いっきり驚かれてしまった。
「なんでそんなにびっくりするの?吸魂鬼が来た試合は来てたのに」
「もう行かないさ。ハリーはわたしの姿に過剰に反応してしまう」
シリウスは気まずそうに首を搔いた。ハリーが黒い犬を見つけるたびに顔を強ばらせているのに気づいていたらしい。自分の姿が不幸の象徴である死神犬に似ていることは知っている、とシリウスは残念そうに続けた。
「だからあの子の気を散らすようなことはしたくないんだ」
「でもそれって、ハリーに見つからなければいい話じゃない?」
私はローブのポケットから杖を抜いて、持ち手をシリウスに差し出す。
「シリウスは“目くらまし術”できるよね。当日の試合前にここまで来るから、杖は私のを使って」
シリウスは絶句した。目が落っこちるんじゃないかと心配になるくらい瞬きをしなかった。何かおかしなことでも言っただろうか。
「私は完璧にできないから……もしかして人の杖借りるのいやだった?」
「いや。そうではない」
ちょっと時間を置いて、シリウスが言い聞かせるように私の両肩に手を乗せた。
「いいか、サチ。杖は魔法使いにとって第二の心臓だ。簡単に貸すだなんて言うものじゃない。わたしが悪意を持っていたら折ってしまうかもしれないし、君に無理やり魔法をかけることだってできてしまうのだから」
「でも、シリウスはそんなことしないでしょう?」
肩に乗っていたシリウスの手をむんずと掴んで、私の杖を握らせた。シリウスは目を白黒させながら杖と私との間で視線を往復させている。
「──ほら!」
私はにっこりして手を広げて見せた。シリウスは片眉を上げ、お手上げだとばかりに首を横に振った。そのまま手を取って、さっき私がしたように、杖を手のひらに握らせた。
「喜ぶべきか𠮟るべきか……わたしをこんなに困らせるなんて、悪い子だな」
そうやって言いながら、シリウスは優しく笑っていた。なんだか胸がむずがゆくなって足元に目を落とした。
「わ、悪い子って……」
「冗談さ。君の心遣いはとても嬉しい」
いつもの調子を取り戻した彼の含み笑いが、頭上から小さく聞こえた。
「だがそれとこれとは別だ。警備も以前より厳しくなっているだろうし、わたしは当日もここから観戦するとしよう」
シリウスと話していると、なんだか自分が小さな子供に戻ったような感覚になる。こうやって優しく頭をなでられると、懐かしさと嬉しさで、なぜか泣きたくなってしまうのだ。シリウスは自分がハリーの後見人としてやっていけるのかよくため息をついているけれど、きっと大丈夫だと思った。
それから瞬く間に休暇は終わり、グリフィンドールとスリザリンの一触即発の空気が極限まで高まっていたものの、なんとか無事に試合当日を迎えた。
私とロン、ハーマイオニーは選手たちが足早に朝食を終えて大広間から出ていったのを見届けて、城の正面扉が解放されるのを最前列で待った。
「開いたぞ!」
ロンが叫んで、私とハーマイオニーの手をひっぱり、いの一番に観客席にたどり着いた。それから一分もしないうちに周囲は生徒でいっぱいになり、スリザリン以外のみんなが真紅の飾りや旗を持ってグリフィンドールに大歓声を送った。スリザリンは彼らの守るゴール・ポストの後ろに陣取っていて、スネイプ先生は最前列で試合の開始を見守っていた。
「さあ、グリフィンドールの登場です!」
解説を務めるリー・ジョーダンの声が、魔法のマイクを通して競技場に響き渡った。選手が入場し、マダム・フーチの合図でキャプテン同士が握手をしたのが見えた。
「三……二……一!」
ホイッスルが鳴り、十四本の箒がいっせいに飛び上がった。あまりにも歓声が大きくて、隣で箒の動きを教えてくれるロンの声が全く聞こえなかった。たった五分も経たないうちに得点が何度か入り、グリフィンドールは三十対十でリードを奪っていた。ドラコ・マルフォイはハリーの後ろにぴったりついて、ハリーがスニッチを見つけるのを今か今かと待っている。
「ペナルティ・ゴール!グリフィンドール!」
「やったわ!六十対十よ!」
ハーマイオニーが私の肩をバンバン叩いた。五十点差。この差が縮まる前にスニッチを取れば、グリフィンドールの優勝が決まる。私は心臓が口から出てきそうで、何も言えなかったし叫べなかった。シリウスにクィディッチの観戦の仕方を鍛えてもらったこともあって、これまでのどの試合よりもハリーの動きがはっきりと見えた。そのおかげで私の緊張と興奮は最高潮まで引き上げられていたのだ。
グリフィンドールがもう一度ゴールを決めた時、ハリーが急にスピードを上げた。スニッチを見つけたらしく、手を思いっきりのばしている。しかし真後ろのドラコ・マルフォイがその邪魔をした。ファイアボルトの尾を握りしめ、ハリーがこれ以上加速できないように目をランランと輝かせていた。
「ペナルティー!グリフィンドールにペナルティ・ゴール!こんな手口は見たことがない!」
マダム・フーチが金切り声で怒鳴った。
「このゲス野郎!このカス、卑怯者、この──!」
リーが普段ならマクゴナガル先生に強制的にマイクを奪われかねないような悪口を飛ばしたが、先生も怒り狂っていてそれどころではなかった。
そこからグリフィンドール・チームは集中力が乱れてしまい、スリザリンが点差を七十対二十に縮めた。
上空では、今度はハリーがドラコ・マルフォイをマークしていたが、スリザリン・チームがアンジェリーナのゴールを妨害しようとしていたのを見咎めて、進路を変えてつっこんだ。
「アンジェリーナ、ゴール!アンジェリーナ、決めました!」
ハリーの思い通り、ノー・マークになったアンジェリーナが得点し、点差は再び六十点になった。
その時、観客席から悲鳴が上がった。ドラコ・マルフォイがスニッチを追い始めたのだ。私はもう倒れそうだった。指が真っ白になるほどハーマイオニーとロンと手を繋いで、ハリーが箒から両手を放すのを見守っていた。
ハリーがそのまま身を乗り出した。ドラコ・マルフォイの手を払いのけて、そして──
「やった!!」
競技場が観衆の声で爆発した。
ハリーが高く空中に掲げた手の中には、金色のスニッチが羽をばたつかせていた。
「やった!!優勝杯だ!!」
私たちは無我夢中でピッチになだれ込んだ。人混みをかき分けてもかき分けてもなかなかハリーにたどり着かず、私たちとハリーはただ目を合わせて、心からの笑顔を送った。
キャプテンであるオリバー・ウッドがダンブルドア先生から受け取った優勝杯を、しゃくり上げながらハリーに渡す。ハリーがそれを天高く持ち上げた時、目の端を黒い犬がかすめた。しっぽをちぎれんばかりに振っているシリウスが、禁じられた森の影からこちらを見つめている。
ハリーの幸せそうな誇りに満ちた表情に、私もとうとう涙をこぼした。
学校中が浮足立ったまま一週間が経ち、学年末試験のある六月が近づいていた。
蒸し暑い日が続き、一年中涼しさを保っている地下牢に、私はますます入り浸るようになった。なのでスネイプ先生は遠慮なく課題を増やしたし「よっぽど余裕があるようで羨ましい限りですな」──、それを知ったシリウスはシリウスで、城に戻ろうとする私を引き留めるようになった。
「ミス・シラユキ、ちょっとお話があります」
うだるような暑さが続いた五月の末、ようやく試験の予定表が配られて、私はマクゴナガル先生に呼び出された。談話室から少し離れた教室で、先生は金色の鎖につながれている円盤に埋め込まれた砂時計をポケットから取り出した。
「逆転時計ですか?」
マクゴナガル先生はうなずいて、予定表を指差した。呪文学と古代ルーン文字学の試験の時間が丸被りだった。授業は今まで被ることがなかったものの、試験日程は重なることが避けられないので、数か月前に魔法省へ許可を取っていたらしい。
「でも私は占い学をやめていますし、その時間に別の試験をずらすことってできませんか?」
「あなたの逆転時計に使用許可を取ったのは校長ですから、私には何とも」
困ったように眉を下げたマクゴナガル先生も、どうやら私と同じ考えのようだった。
とりあえず受け取って、談話室に戻る道すがら、なんとなく考える。ダンブルドア先生がわざわざ用意したということは、これが必要になるということだろうか。シリウスの冤罪を晴らすためか、私のいなかった過去のようにただ逃がすためか──。
「控訴に死刑執行人を連れてくるの!それじゃ、まるで判決が決まってるみたいじゃない!」
談話室に戻って早々、ハーマイオニーの声が響き渡った。窓のそばにハリーとロン、ヘドウィグが集まっていて、大きなメモを覗き込んでいた。
「控訴の日程が決まったの?」
「サチ!」
そうなんだ、とハリーが顔を曇らせて頷いた。
「試験が終わる日だよ。みんなが裁判のためにハグリッドの小屋まで来るらしい」
「死刑なんて、させるか!僕たち、ながーいこと資料を探したんだ。それを全部無視するなんて、そんなことさせるか!」
ロンも憤っていた。
グリフィンドールがクィディッチ杯を獲って以来おとなしかったドラコ・マルフォイも、この日からは自信を取り戻して、「あの獣は必ず処刑される」と威張り散らすようになっていた。試験準備の期間に入ったこともあり、私たちはハグリッドを訪ねることが難しくなっていた。厳重な警戒態勢は解かれておらず、行動が制限されない昼休みはシリウスとホグワーツを行き来するだけで精いっぱいだった。ハリーの透明マントはと言うと、イースター前にスネイプ先生に捕まった時に石像の下に置いてきてしまったらしく、あれ以来取りに行けていないらしい。
とうとう試験が始まると、私はそれどころではなくなってしまった。三年生の一月以降は経験していないので、得意な教科以外は普通に大変だったのだ。
一発目は変身術で、筆記の他にティーポットをリクガメに変えるという実技もあった。寮監であるマクゴナガル先生の担当教科なので、入学当初から力を入れていた甲斐があり、試験はかなりのできだったと思う。
「亀ってそもそも口から湯気を出すんだっけ」と肩を落とすロンを励まして、お昼過ぎの試験は呪文学、それから逆転時計をひっくり返してルーン文字だった。呪文学では“元気の出る呪文”が出題されて、私とハーマイオニーのペアは、おそらく一番早く試験を終わらせた。
「じゃあサチ、またあとで──」
「待って!一緒にルーン文字の試験に行こうよ」
教室を出て、私は逆転時計を懐からひっぱり出してハーマイオニーを引き留めた。ハーマイオニーはアッと息を呑んだ。
「あなたも使ってたの?」
「呪文学が被ってるからって渡されたの」
二人で手を繋いで砂時計をひっくり返し、私たちはスキップしながらルーン文字学の試験に向かった。
次の日はまず魔法生物飼育学の試験があった。監督はもちろんハグリッドだったが、明後日のバックビークの控訴審のことが気になってしょうがない様子で、全く心ここにあらずだった。試験は“レタス食い虫”を一時間の間生かしておくことという簡単なものだった。レタス食い虫は放っておくと調子がいいので、試験時間を私たちはハグリッドと話すのに使った。
「ビーキーは少し滅入ってる」
私たちの虫がまだ生きているかどうか調べるように、ハグリッドはかがんだ。
「長いとこ狭いとこに閉じ込められてるしな。そんでもまだ……明後日にははっきりする──どっちかにな」
ここまで来ても、私はまだわからなかった。控訴審で“危険生物処理委員会”が、ルシウス・マルフォイの意見を無視して一審の判決を覆すとは到底思えない。どうやってハリーたちはバックビークを逃がしたのだろう。逆転時計はそれに何の関係があるのだろう。
昼食をはさんで、午後の試験は──スリザリンを除けば私だけが──待ちに待った魔法薬学だった。“混乱薬”を教室の誰よりも早く完成させると、見直しの間もなく後ろからスネイプ先生の手が伸ばされた。どうせすぐ終わらせるだろうと踏んでいたのかもしれないが、急に近づかれると困ってしまう。案の定私の向かいにいたハーマイオニーに白い目で真っ赤になった耳を見られてしまった。
真夜中に行われた天文学の試験を終え、水曜日は魔法史と薬草学だった。日焼け止めを塗り忘れたので、野外で行われた薬草学の試験終わりにシャワーを浴びるとき、首筋がひりひりと痛んだ。
試験最終日である木曜日は、まず闇の魔術に対する防衛術の試験だった。ルーピン先生の試験は障害物競走のようなもので、水魔のグリンデローが入った深いプールを渡り、赤帽のレッドキャップがたくさん潜む穴だらけの道を横切り、道に迷わせようと誘うおいでおいで妖怪をかわして沼地を抜け、最後にまね妖怪のボガードが閉じ込められたトランクに入って戦うというものだった。
トランクまで一直線にたどり着き、ボガードは何になるんだろうかとワクワクしながら中に入ると、斧を持った処刑人に変身した。目下一番の心配事──バックビークの控訴──を読み取ったらしかった。
「サチ、おめでとう」
外に出ると、ルーピン先生はウインクして迎えてくれた。
同じく無事に試験を切り抜けたハリーがそこにいたので、私も一緒にロンとハーマイオニーが出てくるのを待つことにした。ヒンキーパンクのところでロンは泥沼に足を取られてしまったが、ハーマイオニーは順調にトランクまで進んだ。しばらくしてハーマイオニーは悲鳴を上げてルーピン先生のところへ飛び出した。
「ハーマイオニー、どうしたんだ?」
「マ、マ、マクゴナガル先生が!先生が、私、全科目落第だって!」
ハーマイオニーを五分ほどかけて落ち着かせて、私たちはルーピン先生と別れて城へと向かった。ロンがハーマイオニーのボガード騒ぎをちょこちょこからかって、とうとう口げんかに発展しそうだと私は口を開きかけたが、正面玄関の階段にいる人物を目にして、眉をひそめた。
細い縞模様のマントを着て校庭を眺める魔法大臣──コーネリウス・ファッジの額には、大粒の汗が浮かんでいた。
「やあ、ハリー!」
ファッジはまずハリーの姿が目に入ったらしく、驚いたように笑った。
「試験を受けてきたのかね?そろそろ試験も全部終わりかな?」
「はい」
ハーマイオニーとロンは少し後ろのほうで居心地が悪そうにしていた。ファッジの視線は彼らを滑り、私にとまった。
「おや?君はもしかして、シラユキの娘だという……」
「サチ・シラユキです」
ホグズミードにハリーと行った時に机の下で聞いていた通り、ファッジはやはり父親に会ったことがあるらしい。汗を拭きながら、「昔一緒に仕事をしたんだ」「よく似ているね」などとにこやかに言った。
「いい天気だ」
話がひと段落すると、ファッジは湖のほうを見やった。
「それなのに……ハリー、ミス・シラユキ、あまり嬉しくないお役目で来たんだがね」
深いため息をついて、ファッジは私たちを見下ろした。あっちこっちへ対応に追われているのか、目の下には薄くクマがにじんでいる。
「“危険生物処理委員会”が私に狂暴なヒッポグリフの処刑に立ち会ってほしいと言うんだ。ブラックの事件の状況を調べるのにホグワーツに来る必要もあったので、ついでに立ち会ってくれというわけだ」
「もう控訴裁判は終わったということですか?」
ロンが一歩進み出た。ファッジはしげしげとそれを眺めて、「今日の午後の予定だがね」と首を横に振った。
「それだったら、処刑に立ち会う必要なんかなくなるかもしれないじゃないですか!ヒッポグリフは自由になるかもしれない!」
頑として言ったロンに何か答えかけたが、ファッジの背後の扉が開いて、城の中から二人の魔法使いが現れた。一人はヨボヨボデで、強風に飛ばされてしまいそうなほど頼りない老人、もう一人は真っ黒な口髭の特徴的な大柄の魔法使いだった。大柄な方はベルトに大きな斧を挟んでいて、なるほど、彼が処刑人なのだろう。何の感慨もなさそうに立っていて、斧の刃をなでる時だけその目に剣呑な光が宿っていた。
「行こう」
文句を言い募ろうとしたロンを遮って、私たちはお昼を食べに大広間へ足早に歩いた。
「あいつら、見たか?斧まで用意してきてるんだぜ。どこが公正裁判だって言うんだ!」
「ロン、あなたのお父さま、魔法省で働いてるんでしょ?お父さまの上司に向かって、そんなこと言えないわよ!」
席に着きながら、ハーマイオニー自身も相当まいっているようだった。珍しくテーブルに肘をついて、手のひらに額を乗せている。
「ハグリッドが今度は冷静になって、ちゃんと弁護しさえすれば、バックビークを処刑できるはずないじゃない……」
周りの生徒は昼食を食べながら、午後には試験が全部終わるのを楽しみにはしゃいでいたけれど、私たちはとてもそんな気分になれなかった。
ハリーとロンを占い学、ハーマイオニーをマグル学の試験に見送って、私は完全に暇を持て余していた。ファッジや魔法省の役人が来ているなら不用意に出歩けないし、スネイプ先生もルーピン先生もきっと採点で今は忙しいだろうし。私は三人が戻るのを、談話室で行ったり来たりしながら待つほかなかく、時折窓の外をうかがって、ハグリッドの小屋に歩いていく人影がないかどうかを確認した。
しばらくしてハーマイオニー、続いてロンが戻ってきて、ふくろうが手紙を届けにきた。
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控訴に敗れた。日没に処刑だ。おまえさんたちに
できるこたぁ何にもねえんだから、来るなよ。
おまえさんたちに見せたくねえ。
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震える手で書いたのか読むのが難しく、最後まで目を通す頃にはハリーが戻ってきていた。
「行かなきゃ。ハグリッドが一人で死刑執行を待つなんて、そんなことさせられない」
私が言うと、「でも日没だ」とロンが諦めたように外を見た。
「絶対許可してもらえないだろうし……ハリー、とくに君は……」
「透明マントさえあればなあ……」
ハリーが頭を抱えると、
「どこにあるの?」
とハーマイオニーが聞いた。ハリーは私と顔を合わせて、あの日の次第を説明した。忍びの地図はルーピン先生に回収されているので、近くにスネイプ先生がいたとしてもすぐに気づけないのだ。
「……スネイプがあの辺でまた僕たちを見かけたりしたら、僕、それにサチはもっと困ったことになるよ」
「それはそうだわ」
ハーマイオニーは「見かけるのがあなたならね」と立ち上がって、魔女の石像をどうやって開けるのか尋ねた。ハリーが目を見開きながら呪文を答えると、ハーマイオニーはさっさと談話室を横切り、太った婦人の肖像画を開けて姿を消した。
十五分後、腰を抜かしそうなほど驚いたハリーとロンの前に、ハーマイオニーが丁寧にたたまれた透明マントを持って戻ってきた。
「ハーマイオニー、最近、どうかしてるんじゃないのか!」
すっかり度肝を抜かれて、ロンは感心したように言った。
「マルフォイはひっぱたくわ、トレローニー先生のクラスは飛び出すわ──ア、それは君もか、サチ」
「あら」
私とハーマイオニーは目を合わせて、思わず得意気に微笑んだ。
私たちは夕食を食べに下りた後、グリフィンドール塔へは戻らなかった。
これを見越して、私はポケットに百味ビーンズを一粒入れた、ダンブルドア先生がクリスマスにくれた鳥かごを入れていた。中に入れる物によって伸縮自在に大きさを操る美しい銀色のかごを、私はギュッと握りしめた。
私たちは玄関ホールの隅っこにある、誰もいない小部屋に隠れて、みんなの足音が遠ざかるのを待った。最後の二人が大広間を出て、扉が閉まる音が廊下に大きく響くやいなや、ハーマイオニーが首を突き出して周囲に人がいないことを確認した。
「誰もいないわ。──マントを着て──」
マントの下に四人も入っているので窮屈だったけれど、ぴったりくっつくことでぎりぎり全身を入れることができた。やっと校庭に出た時には、太陽はすでに禁じられた森の向こうに沈みかけ、夜の闇が森から手を伸ばしていた。
ハグリッドの小屋まで抜き足差し足で歩いていき戸をノックする。一分ほど経って出てきたハグリッドは、震えながら辺りを見回していた。
「僕たちだよ」
ハリーがひそひそと告げる。
「透明マントを着てるんだ。中に入れて。そしたらマントを脱ぐから」
「来ちゃなんねえだろうが!」
ハグリッドは鋭く囁いたが、一歩下がって私たちを入れ、急いで戸を閉めた。マントを脱いで改めて振り仰ぐと、ハグリッドは涙も涸れ果てて、その目はどこか遠くを見ているようだった。
「茶、飲むか?」
茫然自失のハグリッドの手はブルブル震えていて、ハーマイオニーがバックビークがどこかと聞くと、容器に注ごうとしていたミルクをテーブルにこぼしてしまった。
「俺のかぼちゃ畑さ、つないでやった。木やなんか見たほうがいいだろうし──新鮮な空気も吸わせて──そのあとで──」
とうとうハグリッドの手からミルク入れが滑り落ち、間一髪のところで私が受け止めた。しかし、かなりの量が床とテーブルに飛び散っている。
「私がやるよ」
「手伝うわ」
ハーマイオニーも駆け寄って、床はあっという間にきれいになり、呆然と座り込んでしまったハグリッドの隣には、ハリーが腰かけた。
「ハグリッド、誰でもいい、何でもいいから、できることはないの?ダンブルドアは──」
「ダンブルドアは努力なさった。だけんど、委員会の決定を覆す力はお持ちじゃねえ」
バックビークは大丈夫だと口添えをしたが、委員会の人たちは怖気づいたのだという。やはり彼らにとってはルシウス・マルフォイの脅しの方が効果的だったらしく、さきほど玄関で見た処刑人はマクネアと言って、どうやらルシウス・マルフォイの古い友人なのだとか。
俺がそばについててやるんだ、とすっかり虚ろになった目をさまよわせて、ハグリッドは唾を飲み込んだ。
「ダンブルドアがおいでなさる。ことが──事が行われる時に。今朝手紙をくださった。俺の──俺のそばにいたいとおっしゃる。偉大なお方だ、ダンブルドアは……」
とうとうハーマイオニーが小さくすすり泣きを漏らした。けれどぐっとこらえて、大きな背中をさすった。
「私たちも一緒にいるわ」
「おまえさんたちは城に戻るんだ。言っただろうが、おまえさんたちにゃ見せたくねえし、初めっからここに来てはなんねえんだ……」
ファッジやダンブルドア先生に見つかったら厄介なことになる。ハグリッドはもじゃもじゃ頭を振って、こんな状況になっても私たちを気遣った。声もなくハーマイオニーの頬を涙が流れ落ちたので、私はそばまで行ってハンカチを目元に当てた。
小屋がしんと静まり返ってしまって、何か言わなければと辺りを見回すと、戸棚の中にしまわれたミルク入れの注ぎ口でピンク色のイモムシが動いて──いや、イモムシなんかじゃない。あれは。
「……スキャバーズ?」
「何を言ってるんだい?」
突然戸棚を開け放った私を、ロンは訝し気に見つめた。ミルク入れを取り出して蓋を開けると、やせ細って毛の抜けた、前より一段とみすぼらしいネズミが震えながらこちらを見上げていた。
私の表情に何を見たのか、どこかへ逃げ出そうと視線が外れた。
その瞬間にネズミを捕まえて、私はロンを振り返った。
「ロン、スキャバーズだよ!こんなところにいた!」
テーブルの上に降ろすと、ロンは慌ててネズミを鷲づかみにし、明りにかざした。
「スキャバーズ!こんなところで、いったい何してるんだ?」
手の中でもがき、今すぐこの場から逃げ出そうとしているのを、ロンはクルックシャンクスに怯えているものと思ったらしい。
「大丈夫だってば、スキャバーズ!猫はいないよ!ここにはおまえを傷つけるものは何にもないんだから!」
大きな音を立てて、さっきまで放心していたハグリッドが立ち上がった。目は窓に釘づけで、顔からは血の気が引いている。
「連中が来おった……」
振り向くと、遠くにそびえ立つ城の階段を何人かが下りてきていた。銀色の髭を夕日に輝かせているダンブルドア先生を先頭に、ファッジとマクネア、そして年寄りの魔法使いがゆっくりと、しかし確実にハグリッドの小屋へと歩いている。
「おまえさんら、行かねばなんねえ」
ハグリッドの体の震えで、テーブルの脚がガタガタと音を立てた。
「ここにいるとこを連中に見つかっちゃなんねえ……行け、はよう……」
ロンがスキャバーズをポケットに押し込み、ハグリッドに背中を押されて、私たちは裏口から庭に出た。バックビークはハグリッドがさっき説明したように、かぼちゃ畑の後ろにある木につながれていた。主であるハグリッドの緊張を感じ取っているらしく、不安そうに地面を搔いている。
「大丈夫だ、ビーキー。大丈夫だぞ……」
優しく声をかけて、ハグリッドは私たちを強く押した。「行け」と短く言ったハグリッドに、ハリーたちは「そんなことできない」「本当のことを話す」「殺すなんてだめよ」と口々にすがった。けれど、ハグリッドはもう振り返らなかった。
「行け!」
これでいいのだろうか。
「おまえさんたちが面倒なことになったら、ますます困る。そんでなくても最悪なんだ!」
私は裁判の手伝いをしたけれど、判決は変わらなかった。この後、誰がどうやってバックビークを逃がせる?もしかして──このための逆転時計なのか?──どこかで使うチャンスが訪れるのだろうか?
ハーマイオニーがマントを私たちに被せた時、ちょうど小屋の前にダンブルドア先生たちが到着したようだった。
「聞くんじゃねえぞ……」
ハグリッドのかすれ声は、戸が大きく叩かれた音にかき消されていった。
私たちはゆっくり小屋を離れて、城に向かう芝生を登り始めた。
「お願い、急いで……耐えられないわ、私、とっても……」
太陽はどんどん沈んでいき、赤く燃える西の空とは反対に、東にはうっすらと満月が輝いていた。
「ロン、お願いよ」
急かすハーマイオニーの意に反して、ロンがとうとう足を止めた。
「スキャバーズが──こいつ、どうしても──じっとしてないんだ──」
ロンは前屈みになって、必死にポケットに押し込もうとしたが、ネズミは激しく身をよじって手に噛みつこうとした。声を殺して悪態をつくロンをはらはらしながら見守っていると、とうとうハグリッドの小屋から戸が開く音が聞こえた。
「ねえ、ロン、お願いだから、行きましょう。いよいよやるんだわ!」
「ああ──スキャバーズ、じっとしてろったら──」
ロンの背中をハリーが押して、私たちはゆっくりと前進を再開した。
ネズミはキーキー喚き散らしていたが、ハグリッドの庭から聞こえてくる音をかき消すことはできなかった。背後で数人が何やら話す声が続いていたのが、ふっと消えた。そして、刃物が空気を切って、硬いものに突き刺さったような音が響いた。
「やってしまった!」
ハーマイオニーがよろめいた。私はもう、ダンブルドア先生を信じることしかできなかった。逆転時計はこのために渡されたのだと願うしかなかった。
「し、信じられないわ──あの人たち、やってしまったんだわ!」
立ちすくむ私たちの後方で、ハグリッドの荒々しい吠え声が聞こえた。
ハグリッドの名前をつぶやいて引き返そうとしたハリーを、私たちは両腕を押さえて止める。
「ハリー、戻っちゃだめだよ」
「僕たちが会いにいったことが知れたら、ハグリッドの立場はもっと困ったことになる……」
「どうして──あの人たち──こんなことができるの?」
ハーマイオニーは過呼吸を起こしかけていた。
「本当にどうして──」
「行こう」
歯をガチガチ言わせながら、ロンが囁いた。
マントに隠れながら校庭に出ると、もう日がすっかり落ちていた。
「スキャバーズ、じっとしてろ」
ロンの低い声が響く。さっきからずっとポケットから逃げ出そうと、ネズミは狂ったように鳴いていた。
「いったいどうしたんだ?このバカネズミめ。じっとしてろ──アイタッ!こいつ嚙みやがった!」
「ロン、静かにして!ファッジが今にもここにやってくるわ──」
「こいつめ──なんでじっと──してないんだ」
ハーマイオニーに頷きながら、ロンの額には汗がにじんでいた。
「まったく、こいつ、いったいどうしたんだろう?」
そのとき、私とハリーは同時に暗がりに目を向けた。クルックシャンクスが身を伏せてこちらに忍び寄っている。大きな黄色い目の瞳孔は開いていて、瞬きもせずロンの手の中を見つめていた。
「クルックシャンクス!」
気づいたハーマイオニーが呻いた。
「だめ。あっちに行きなさい!行きなさいったら!」
けれど、もちろん聞き入れるはずがない。そう、シリウス、やっぱり今夜なんだね。
「スキャバーズ──ダメだ!」
ネズミがついに、ロンの指の間をすり抜けてボトッと地面に落ちた。
クルックシャンクスが私を見て、「そうだよ」とでも言うように、小さく鼻を動かした。すぐに駆け出したネズミを追って身をひるがえし、ロンもマントをかなぐり捨ててその後を走った。
「ロン!」
私たちは顔を見合わせ、一直線に彼らを追いかけた。
マントが忘れ去られたように地面に落とされた。取りに戻ろうときびすを返しかけて──やめた。意味があるのかもしれない。なんとなくそんな気がした。
ハリーとハーマイオニーに追いつくと、ロンは腹這いになって転がり、震えるポケットの膨らみを押さえていた。
「ロン──早く──みんなもうすぐ戻ってくるわ──」
ハーマイオニーが息を切らすその奥で、薄灰色の目が光ったのが見えた。
息をつく間もなく、巨大な黒い犬が私たちに向かって跳躍し、前足でハリーの胸を打った。思わずシリウスの名前を口走りそうになったのをこらえて、慌てて倒れかけたハリーを支えようとした。けれど思ったより勢いが強く、私とハリーはもんどりうって尻もちをついてしまった。
もう一度黒い犬が私たちに跳びかかり、今度はロンの腕に嚙みついた。そしてそのままハリーの手をかわし、ロンを引きずって暗闇にまぎれていった。
「ハリー、ハーマイオニー、危ない!」
何か太いものが空気を切って、鼻先をかすめたのだ。少し間に合わず、ハリーとハーマイオニーは何かに打たれて倒れこんだ。
「ルーモス!」
私とハリーの声が重なった。杖灯りは、太い木──暴れ柳の幹を照らし出していた。いつの間にかうまい具合に枝をかいくぐり、こんなに近くまで接近していたらしい。暴れ柳にここまで近寄ったのは初めてだった。
名前の通り強風にあおられるかのように枝を振り回す暴れ柳の下、根元の大きくあいた隙間にに犬が立っていた。頭から引きずりこもうとするのを、ロンが激しく抵抗している。私からは片足しか見えなかったが、どうやら根元に足を引っかけて踏ん張っているらしい。
「ロン、抵抗しないで!それだと足が──」
折れてしまう、と言い切る前に、銃声のような音が耳を切り裂いた。思わず身をすくめた私の後ろで、助けを呼ばないと、とハーマイオニーが叫んだ。
「誰か助けを呼ばないと、絶対あそこには入れないわ──」
「あの犬が入れるなら、僕たちにもできるはずだ」
私は身軽に枝を避けているクルックシャンクスを振り返る。クルックシャンクスは大きな目に涙目になっているハーマイオニーを映した。そして素早く前に出て、木の根元までたどり着き、両前足を木の節の一つに乗せた。
すると驚いたことに、暴れ柳は金縛りの呪いにかけられたように動きを止めた。
「この子、どうしてわかったのかしら──?」
ハーマイオニーは私とハリーの腕をきつく握っていた。
「あの犬の友達なんだ。僕、二匹が連れ歩いているところを見たことがある。行こう──君も杖を出しておいて──」
私は何も言うまいと黙った。
銀色の鳥かごが無事にポケットの中に収まっていることを確認して、根元の隙間に滑り込んだクルックシャンクス、そしてハリーに続いた。下には狭い土のトンネルの傾斜が広がっていて、私たち三人がギリギリ並べるくらいの幅があった。
「このトンネル、どこに続いているのかしら?」
私もハーマイオニーと同じ疑問を抱いていた。こんな立派な隠れ家があるなら、教えてくれたってよかったのに。ハリーはわからない、と答えた。忍びの地図には書いてあったけど、フレッドとジョージは誰もこの道を使ったことがないけど、隻眼の魔女の石像と同じく、どうやらホグズミードに続いていると説明したらしい。
しばらくすると、トンネルは上り坂に変わった。道がねじ曲がり、前を歩いていたクルックシャンクスの姿が消え、代わりに小さな穴からぼんやりとした明りが漏れているのが見えた。
息を整えて中を覗くと、そこは埃っぽい部屋だった。壁紙も床も薄汚れていて、家具も含めて何かが暴れまわったように壊れかけだった。外から中の様子が見えないように、全ての窓にいたが打ち付けられている。
ハリーが私たちをうかがったので、小さく頷いて答えた。
穴をくぐり抜け、周囲を見回すと、右側の扉が開けっぱなしで、臆には薄暗いホールが広がっていた。腕をひっぱられて振り返ると、ハーマイオニーが油断なく窓を見つめながら囁いた。
「ここ、“叫びの屋敷”の中だわ」
ボロボロになった部屋と椅子を見て、「ゴーストがやったんじゃないかな」とハリーがつぶやいた。
ギシリと上の階で何かがきしむ音がして、私たちはそろって天井を見上げた。ハーマイオニーがますます腕を強く握ったので、階段を上がるために手を放してもらった時には指先の感覚がなかった。床の何かが引きずられた跡を追いかけて踊り場まで上り、私とハリーは「ノックス」と短く唱えて杖先の灯りを消した。
そのままこっそり開いているドアに近づき、杖をしっかり立てたハリーがそれを蹴り開けた。